恣意的なぼくら。

田原摩耶

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2.シャーデンフロイデ

03


「……」

 言葉も出なかった。
 ただ目の前の純白君を見つめることしかできない。自分がどんな顔をしているのか俯瞰する余裕すらも。

 否定、しなければ。
 これを鵜呑みにしていいのか。
 だって、彼は。平気で他人と寝れる子だから。嘘を吐ける子だから。
 そう思いたいのに、純白君が嘘をついているようには見えないからこそ余計こんがらがる。

「……どうして?」
「先輩」
「君が慈門君のことを嫌っているのは知ってるよ。けれど、そんなことをいきなり言われても僕は……それを信じれと?」
「……まあ、普通は信じれませんよね。俺、信用ないですし。……先輩のこと、騙してたのも事実だし?」

 そうまるで他人事のように嘯く純白君は僕から手を離す。

「俺も言うつもりはありませんでしたよ、死ぬほど腹立つけどあいつが反省してアンタが幸せになれるんならまあいいかと思ってましたし」

 シャツを戻し、制服を整える。その手首から覗く縛ったような跡。それを見た瞬間、いつの日かの自分の手首にこびりついた痣が脳裏に過ぎった。

「けど、今回の件で分かりました。先輩、まだあの馬鹿のこと信じてるんですよね」
「……そ、れは」
「俺、実は先輩のことちゃんと好きなんですよ」

「あ、これは本当です。信じてもらえないなら別に結構ですけど」そう純白君は平然とした顔で続ける。
 それはあまりにも唐突で、僕が反応できずにいるのも気にせず純白君は目を細めた。

「……だから、やなんですよ。あいつらのせいで先輩がこんな顔するのは」

 伸びてきた手に顔を持ち上げられる。
 告白、されているのか。違う。これは純白君の主張だ。吐き出すだけ吐き出してその返答を求めているわけではないというのは純白君の目から見て分かった。

「……純白君、君は」
「分かってますよ。今アンタを傷つけてるのは俺ですよね。まあ、俺のことは軽蔑してもらって構いません。寧ろ今までが優しくしてもらえてた方だと思ってますし」
「……君は、勝手すぎるよ」

 純白君は「それ、よく言われます」と目を伏せて笑う。
 彼のことが分からない。大人びていると思えば、年相応にもなる。浮かべた笑顔は楽しそうにも悲しそうにも見えるのだ。

 ただ、こちらを見つめる目は真っ直ぐで。
 僕はこの目を知っている。

「……アンタは、俺みたいになってほしくないから」

「綺麗なまま、笑っててほしいから」ただそれだけ、と純白君は呟いた。
 器用で狡猾、のらりくらりとして掴みどころがない少年だと思っていた。けど、それは僕が純白君のことを知らないからだ。

 なんで僕のことをそんな目で見るのだ。
 よくも知らないのに、ただ同じ委員会なだけなのに。親友の恋人のはずなのに。
 ――いや、実際には違うということなのだが、今となっては些細な問題のようですらあった。

「……君は、僕を買い被りすぎだよ」

 あんな醜態晒した僕を先輩だと呼んでくれる純白君。
 僕は、純白君のことを疑っている。疑いたいと思っている。そうでなければ、慈門君を守ることはできないから。
 僕の中の慈門君という存在までもが嘘になるから。だから、僕は純白君を嘘吐きにしようとしているというのに。

「そうなんですか?」
「……そう、だよ。僕は、君の怪我を見ても信じれない。犬馬先輩にやられたんじゃないかと思ってる」
「疑えるなら正常ですよ。寧ろ、この流れで全面的に俺を信じられてもそれはそれで心配になりますので」
「……純白君」
「俺は疑われたからって誰かさんみたいにアンタを無理やり従わせるような真似はしませんよ。自分の思い通りになるように脅すことも、暴力振ったりもしません。……なので、俺の言葉を信じるなり疑うなりお好きにどうぞ」

 そう純白君は僕に背中を向ける。
 どこへ行くのか、と目で追いかければ、純白君はこちらを振り返る。

「……あいつに会いに行くつもりだったんでしょう? あとは本人に聞いてみればいいんじゃないですか?」

 そして、言いたいことだけ言い残し、そのまま純白君はその場を立ち去った。
 何故君が今から僕が慈門君に会いに行くというのを知っているのか。
 聞きたいことはあった。けれど、その返答を聞くのが怖くて、暫く僕はただ一人立ち竦んでいた。





 足を進める。向かう先は通学路途中のコンビニだ。
 家を出た時はまだ軽かった足が、今は靴底に鉛でも入っているかのようにすら思えた。
 歩いている間もずっと頭の中で純白君と犬馬先輩の言葉が反芻されていた。
 慈門君を信じなければ――そう思い込もうとしている時点で自分の心は決まっているも同然だった。

 せめて慈門君の言葉を聞きたい。
 けれど、それを聞いてしまった時に自分がどうなるかが怖かった。
 結局のところ僕は自分が傷つきたくない。だから、純白君の忠告も聞かなかったフリをする?知らなかったフリをする?このまま心地よい関係を続けていくのか、裏で純白君が傷つく可能性があると知っておきながら。

 気付けば目的のコンビニの駐車場までやってきていた。コンビニの隅、そこには背の高い影があった。スマホを弄っていた慈門君はこちらにすぐに気づき、「折、何かあったのか?」と笑いかけてくる。
 いつもと変わらない笑顔。ずっと、僕が見てきた慈門君がそこにいた。

「……慈門君」

 僕が遅れたことを怒るわけでもなく、心配そうな顔をして近付いてくる。「大丈夫か?真っ青だぞ」と頬を撫でられそうになり、咄嗟に僕は慈門君の手首を掴んだ。

「折?」

 何も知らないことが、何も気づかないことが幸福である。
 でもそれは誰かを犠牲にしたもので。

「なあ、まだ具合悪いんじゃ――」
「あの、慈門君」
「……どうした?」

 僕の態度から何かを気取ったのか、落ちてくる慈門君の声が僅かに低くなったのを聞き逃さなかった。
 辺りには僕たちと同じように登校する生徒や仕事へ向かう人たちがいる。ただ戯れあってるだけだと思ってるのだろう、誰しもが僕たちを素知らぬ顔をしてそれぞれの目的地へと向かっていく。誰も気にしていない。今僕が決心しようとしてることなんて、露知らず。
 顔を上げ、頭一個ぶんほど高い慈門君を見上げる。心配そうな顔をして慈門君はただじっとこちらを見ていた。
 心臓が壊れそうだった。怖い。今すぐにでも逃げ出したい。何も知らないフリをしてるのが自分のためだと分かっていた。
 けれど、そうしなかったのは誰のためなのか。僕にはもう分からない。

 慈門君のことも信じたかった。
 純白君のことも、疑いたくなかった。
 だから僕は。

「慈門君……僕に隠し事、してない?」

 自分の退路を断つことにした。

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