恣意的なぼくら。

田原摩耶

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2.シャーデンフロイデ

バッド・マザー


 全身が酷く寒かった。
 指先の感覚はとうに消え失せている。

 全身がぶるりと震え、体を起こそうとしても固い何かに包まれて動けない。ざあざあと叩きつけるようなノイズ音は遠く、風が吹くたびに全身が凍てつくようだった。

 ゆっくりと目を開く。
 できることならば目を覚ましたくもなかった。けれど、それは染みついた習性のようなものだった。

 それからすぐに後悔する。

「……っ、……」

 古びた木目、薄暗い木製の建物。
 狭いその建物の自分はいた。そこがどこか、すぐに気づいた。

 それから、自分の動きを阻害するものがなんなのかも。

「……目、覚ましたのか?」

 背後から聞こえてきた声に再び殴られたような衝撃が蘇る。
 低い声に、ただでさえ低下していた体温が失せていくのを感じた。

「…………」

 ――慈門君はいた。
 僕を背後から抱き込むように寝転がっていた彼は、僕と同じように全身が水浸しだった。いつも感じていたあの熱いほどの体温も感じない。
 死体のように冷たい。
 それは自分も同じなのだろう。
 寒さを紛らわすように人を抱き抱えていた慈門君は、「声」と呟いた。

「出せないのか?」
「……」
「腹、まだ痛むか?」
「……ッ」

 脱力していた全身に力が入る。
 心配しているのはポーズだけだと分かったから。

「どういう……つもり、なの……どうして」

 ここに、とあたりを見渡した。打ちっぱなしの木目の隙間からは灰色の空が滲む。それから、防ぎきれなかった小雨が染み出していた。

 ――ここは、僕らの秘密基地だった。
 町外れにある用途不明の壊れかけの小屋。扉の意味もなさないそこは誰かの所有物なのかもしれない。それでも人も寄り付かず、誰も来ない。そこを僕ら――僕と慈門、小緑君はよく使っていた。
 学校帰り、休みの日、大人たちに見つかりたくない時。幼少期、僕らはここで多くの時間を費やしていた。

 そして、今も。

「寒いだろ、体」
「……答えて」
「本当は暖けえところ、服乾かせそうなところで雨宿りしたかったんだけどな……警察が彷徨いててさ」

「ここしかなかったんだ」そう目を伏せる慈門君。
 咄嗟に彼の体を押し除けようとしたが、すぐに腕を掴まれて抱き締められる。

「じも……っ」
「ここしかなかった」
「…………」
「どこも、ダメなんだ。……折」

 お前と一緒にいるのは、と絞り出すように慈門君は呟く。抱き締められている、というよりもしがみつかれている方が強い。冷えた体を温めるように背中をかき抱かれる都度全身が痛んだ。
 それでも、一向に熱は戻らない。目眩がする。無理もない。濡れた服を身につけている限り熱は奪われ続ける。
 それを慈門君は知らない。知らないで、それでいて必死に僕を温めようとする。

「……震えてるな」
「……」
「なあ、こっち見ろよ」
「……君は、おかしいよ」

 慈門君は眉尻を下げたまま「知ってる」と呟いた。
 傷ついたような顔をしないでほしい。まるで僕が傷つけたような、そんな顔を。

「……どうして?」
「……お前が俺のこと、嫌いって言うから」
「ここに連れてきて、どうするの? ……僕は、君になにされても変わらないよ」
「……折」
「嫌いにならないでって言ったのは、君の方じゃないか。……慈門君」
「折のためだったんだ」
「僕は頼んでない、そんなこと」

 その腕に爪を立てようとして、すぐに手を掴まれる。そのまま強く手首を握りしめられ、骨が折れそうなほどの痛みに指先が痺れた。
 寒さで痛覚が麻痺していたのは寧ろ僥倖だっただろう。

「もう……疲れた、君に振り回されるのは」

 慈門君の目が見開かれていく。
 水滴を含んだその髪の先から雫が溢れ、まるで涙の後のように彼の頬から顎の先へと流れていくのをただ見つめた。

「……嫌いにさせないでくれ、君のことを」
「……」

 見開かれるその目に、握りしめた拳に筋が浮かぶ。
 それを堪えるように慈門君は息を吐く。それからイラついたように自分の髪を掻き上げた。

「……っ、折……」

 逃げ場はある。逃げ道もある。
 それでも、そこまで這いずる気力も体力も、今の自分に残っていない。
 目の前の慈門君にこれから報復されると分かっていても、何も感じない。雨の冷たさは心臓までも冷やしてしまったようだ。
 とにかく、早く解放されたかった。

 伸びてきた手に胸ぐらを掴まれる。
 殴られるのだろうと目を瞑った時、唇に濡れた感触が触れた。

「……っ、……」

 柔らかい。それでもいつもの唇よりも冷たいその感触はあまりにも奇妙だった。
 恐怖心よりも戸惑いを覚える。
 押し付けられるような唇はすぐに離れた。それから、じっと僕の顔を見つめた慈門君はずるずると僕の上に覆い被さってくる。力無くその胸元にしがみついた。

「……い、やだ……」

 今にも泣きそうな声をただ聞いていた。
 雨音に掻き消されそうなほどの弱々しい声だった。
 この声は、前にも聞いたことがある。
 ……ああ、また僕らは繰り返している。
 あのとき、僕の部屋で起きたとき。あのとき、僕はどうしたのか。
 そうだ、彼が自死を選ぼうとして――止めた。

 けれど、今の自分ならばどうするのだろうか。

「嫌だ、折」
「……」
「……折、嫌いにならないでくれ。俺にはお前しかいないんだ」

 それは呪詛のように冷えた脳に染み渡っていく。思考を止めさせるように思考を溶かされているようだ。寒気が、止まらない。

「嫌だ」
「じゃあ、」

 小屋の片隅、転がった鞄を見つけた。
 僕の鞄だ。慈門君が運んできたのだろう、鞄の置かれた床には水が染みている。
 きっと、中身も教科書類はダメになっているだろう。けれど、入っているのは紙類だけではない。

「……死んでよ、慈門君」
「……っ、折……」
「僕のこと好きだって言うなら、そのせいで周りの人に酷いことをするなら……死んでよ、今」

「それが出来ないなら、僕を殺してよ」もう君に振り回されるのは疲れたんだ。
 そして、それは君も同じだろう。それとも、それすら出来ないほどの僕への気持ちならば、君はきっと僕がいなくても生きていける。

 単純明快だ。
 僕らの関係の終止符を打つにはこれしかなかった。

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