恣意的なぼくら。

田原摩耶

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3.???

02


 ずっと、ずっとだ。
 僕は先生の前だと子供みたいだ。ずっと鍍金を固めて覆い隠していた、誰にも見られたくなかった部分を先生の前に晒し続けている。
 子供みたいに泣きじゃくって、しがみついて、それでも常楽先生は何も言わなかった。

 泣き声は啜り泣きになる。僕の鼻を啜る音だけが病室に響いて、その時にはもう恥ずかしさすらもなかった。先生がいてくれる。繋がれた手が振り払われなかっただけで僕はようやく呼吸ができるようで、それからようやく扉の外から何事かと心配そうに覗いていた看護師たちの存在に気付いた。

 慌てて常楽先生から離れ、顔を隠す。先生は何も言わずに肩を叩き、それから看護師たちの元へ行って何かを話していた。
 会話はすぐに終わり、フォークと小皿を手にした先生が戻ってくる。

「どうやら気を利かせてくれたらしいな。……別に頼んでないが、お前のことを気にしていたらしい。……病院食もろくに食ってないんだろ」
「……、……」
「すり下ろしてもらうか?」
「……そのままで、いいです」

 そのままがいいです、と繰り返せば椅子に腰を下ろした常楽先生は「わかった」と頷いた。
 食べやすいように小皿に取り分けられたフルーツたち。正直、先生の言う通りだった。
 ここ数日喉を使うこともなかったお陰で気管が衰えているのを感じた。声を発しただけでも喉になにかが詰まったような感覚はある。ここにフルーツを流し込むと思うと少し覚悟が必要だった。
 そんな僕の目の前、先生は一番柔らかそうな桃を突き刺した。それを目の前に差し出してくる。

「しっかり噛め。……一口三十回以上噛むといい」
「……」

 一瞬反応に遅れてしまう。固まる僕に気付いたのか、しまった、という顔をして先生はそれを容器に戻そうとした。咄嗟に首を伸ばし、僕は目の前にぶら下げられた桃に齧り付く。
 柔らかい身に歯を立てれば、たっぷりと染み込んだ甘い果汁が口内に広がった。慌てて齧り付いたせいで汚れてしまった口を慌ててティッシュで拭う。
 行儀が悪かっただろうか。汚い食べ方をしてしまったのではないか。後から恥ずかしくなってきたが、その前に僕は口の中のそれを三十回咀嚼した。
 その間、沈黙が病室に響き渡る。先生は容器とフォークをサイドボードに置き、僕が食べる様をただ眺めていた。

 ……二十九、三十。
 そう数え終わり、喉の奥に桃を流し込む。最初は引っかかったが、先生が一緒に用意してくれた白湯で流し込んでなんとか飲み込むことができた。

「……やっぱ、すり下ろしてもらうか」
「い、です……これで」
「顎、疲れるだろ」
「……先生が、用意してくれたものなので」
「……」
「このまま……が、いいです」

 何を言ってるのだろうか。僕は。
 また気持ち悪いことを言っていると思われるかもしれない。それでもそう伝えなければ本当に皿ごと取り上げられてペースト状にされるのではないかと怖かった。先生は「そうか」とだけ頷いた。
 それから今度は自分でフルーツを選び、小さく噛んで食べていく。口に入れる量を減らせば噛むのに苦労はしなかった。
 今になって改めて食事の仕方について考えるなんて。先生の目には僕はどのように映っているのか考えたくもなかった。けれど、目を逸らされない。一口一口、少しずつ腹を満たしていく僕をただ先生は見ていた。面白くもないだろうに、こんなもの。

 普段の倍以上の時間を掛けてようやく容器の中のフルーツを完食する。いつもなら五分もかからないはずなのに、大変な労働を終えたように一息つく僕を見て先生は「今度来る時はもっと柔らかいものを用意しておく」と口にした。

「……」

 今度。次があるということに今更喜んでいる自分にはほとほと呆れた。
 先生がここに足を運ぶ理由。そんなの、ひとつしかないと分かっているのに。

「……先生」
「どうした。……他に食いたいもんがあるなら……」
「なんで、怒らないんですか」
「……」
「……どうして、優しくするんですか」
「……」
「……聞きたいこと、あるんですよね」

 僕に、と絞り出した声は情けないほど震えていた。
 聞きたくない。けれどこのまま先生に優しくされる方が辛かった。救われた。甘えたくなかった。
 僕は、先生に優しくされるような立場じゃない。

「織和」
「……」
「俺は今、お前の見舞いにきてるだけだ」
「……はい」
「ついでに言うと、今日は休日だ」
「……」

 腕時計を確認する先生に閉口する。確かに外がいつもよりも賑やかな気はしていた。ここ最近はずっと病室にいたお陰で曜日感覚は薄れていた。

「この意味が分かるか? 織和」
「……貴重なお休みが、僕のせいで……」
「お前のせいじゃない。……俺がそうしたいからした。無理に聞き出す必要がないと判断したから聞かない。以上だ。……他に質問は?」
「……」

 授業時と変わらない口調で続ける常楽先生に思わず目を丸くする。なんだかおかしくて、同時にその一言に肩の上に伸し掛かっていた錘が軽くなっていくようだ。
 気を遣わせていると分かったのに、それでもその不器用な優しさが全身に沁みていくようだった。
「はい」と思わず挙手する僕に、「なんだ」と先生がこちらを見る。

「……僕が眠っている間も、様子を見にきてくれたんですよね」
「……どうしてそう思う?」
「先生の煙草の匂いがしたので」
「………………」
「今は大丈夫です。……それに、警察の人たちも煙の匂いする人がいました。先生の方が苦い匂いがしたのですぐ違いは分かりましたけど」
「……気をつけたつもりだったんだがな」

「あの時か?」とバツが悪そうな顔をする先生にやっぱり、と胸が微かに弾む。

「僕は……先生だったらいいなって」
「……」
「もし、そうだったら……僕は……」

 自分で言って、危うい発言をしていると気づく。ブレーキを慌ててかけるが、感情が止まらない。
 だから、僕は自分で自分の口を塞いだ。手のひらに歯を立て噛みつく。そんな僕を見て、先生は「やめろ」とやんわりと僕の手を取った。

「……ごめんなさい」
「俺に謝る必要はない。それより、あまり自分を痛めつけるな」
「……」
「癖か?」
「ちが、います。……多分」
「多分?」

 常楽先生の目が細められる。唾液で濡れた手を拭われ、今になって軽率な行動に恥ずかしくなった。
 薬のせいなのか、まだふわふわとした感覚はあった。先生がいるからこそ余計。都合のいい夢を見ているような感覚が。

「ここ最近、自分で自分を抑えることが……できなくて。それが、怖くて……つい」

 先生の目がさらに鋭くなるのを見て、自分が余計なことを口走ったのだと理解する。
 そのときには遅かった。先生は何も言わずに僕から手を離した。

「……それはいつからだ?」
「……」
「“今回の件”よりも前か?」

 思い出したくもなかった映像が、画質の荒い動画のように脳裏に再生される。廃屋の中、慈門君が見下ろしてくる映像が。
 脳味噌全体に痺れが走り、思考を強制的に遮断させるようにじんわりと鈍っていく。あれほど鮮明だった感情もなにもかも緩やかに溶けていく。
 怒りも殺意も不安も全て、角をなくしたように。

「……わ、かりません」
「……そうか。分かった。もう十分だ」
「ぼ、くは……おかしいですか?」
「……」
「……先生の目から見て、休日に顔を確認しないといけないほど不安定な人間に見えるのでしょうか」

 ああ、もう。止まれ。そう口を塞ごうとしても言葉は溢れ出す。こちらへと体を向けた先生はじっとこちらを見た。

「織和、お前はおかしくない」
「――、……ぁ……」
「最後まで話を聞け、織和」
「……っ、……」

 逃げ出したくなるが、ベッドの上から身動きを取ることはできなかった。そこを先生に腕を掴まれれば余計。

「いいか。今のお前は心身ともに擦り切れている。だからとにかく今は休むことに専念しろ。余計なことも考える必要はない、授業のことも気にしなくていい。……お前が話したくなったときに話せ。いいな」

 真剣な顔で、子供に言い聞かせるような声で先生は口にした。ああ、と思った。多分それほど自分は先生の目に危うく映っているのかもしれないと。

 先生がどこまで知ってるのか聞くのが怖かった。
 きっと、僕が慈門君にしたことを知ったらこの腕も離れていくのではないか。そう考えると目の前から色が失せていくようだった。
 犬馬先輩の言った通りなのかもしれない。僕は性悪で、クソ野郎で、自分の立場を利用して先生に甘えている。
 それでも、離れがたかった。先生が心配してくれているだけで救われた。それと同時に己の矮小さを突きつけられる。

「――……先生」
「もう今日は休め」

 そう僕の手を離し、立ちあがろうとする先生に思わず顔をあげる。そこに、伸びてきた手にそろりと頭を撫でられた。

「また様子見にくる」

 ――これは、現実なのだろうか。
 だとしたらなんて酷い現実なんだろうか。僕は、あんだけ惨めでクソのような思いをした僕は、今自分の置かれた状況に胸を弾ませていた。
 先生が頭を撫でてくれた。『また』と言ってくれた。……あれほど望んでいたその先が、夢物語のように目の前で広がっていて。

 僕は。

「…………」

 先生が出て行ったあとの病室の中。一人残された後もずっと頭を撫でていた。先生の指の感触をなぞるようにそっと髪に指を絡める。そこで殆ど寝っぱなしで寝癖すらまともに直せていないことに気づき、恥ずかしくなった。

 ……次、いつ先生がきてもいいように身嗜みだけはちゃんとしておこう。
 おかしな話だ。あんだけ生きる気力すら湧かなかったのに、どうでもいいと思っていたのに。僕は。本当に。

「……先生……」

 今だけは、慈門君と犬馬先輩に感謝した。
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