恣意的なぼくら。

田原摩耶

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1.イネイブラー

終わりの始まり

 思い返せば、小さい頃から彼は僕の手を引いてくれていた。
 少し走っただけで息切れする僕の手を引いて、「一緒に行こう」と笑いかけてくれた。

「ま……待ってよ、慈門じもん君……っ」
「おせーよ、おり! ほら、早くしねーと小緑ころくに見つかるだろ?」
「小緑君、心配してるよ。きっと」
「あいつが小姑みたいなのはいつものことだろ? ほら、手」

 差し出された慈門君の手を握り返す。いつだって慈門君の掌は熱くて、触れただけで溶けてしまいそうなほどだったことを覚えてる。
 一方的に握り締められる手が指を絡めるようになり、掌を重ね合うようになったのはいつからだろう。

 僕と慈門君は幼馴染で、もう一人小緑君という男の子も一緒にいつも三人で遊んでいた。
 けれどいつしか、気付いたら僕と慈門君の二人で過ごすことが多くなっていた。




「なあ、小緑のやつに恋人出来たって聞いた?」
「えっ? あの小緑君に?」
「そ、あの小緑に」

 今日も慈門君の部屋に遊びにきて、二人で課題をやっていたとき。
 ふと思い出したように出てきた小緑君の話に息を呑む。

 小緑君は明るい慈門君とは正反対のタイプだった。
 眼鏡の優等生――高校に上がってからはコンタクトにしていたが、そのお陰か昔よりも少しだけ雰囲気が柔らかくなった小緑君のことを思い出す。
 真面目で誰よりも曲がったことが嫌いで、少し恥ずかしがり屋な小緑君。彼とは共通の好きなものが多く、勉強の話や本の話でよく盛り上がっていた。
 けど、そうか。あの小緑君が。

「……何、もしかして凹んでる?」
「え、そ、そんなことないよ。寧ろ嬉しいことだと思うし……けど、その相手って?」

 なんとなく慈門君の表情が拗ねた子供のようなものになってるのを見て、慌てて話題を振る。
 すると、「ああ、それな」と慈門君は悪い顔になる。

「しかも相手、藤だって」
「藤……?」

 脳の奥、眠っていた記憶を掘り返す。
 僕らの共通の知り合いで藤という名前の人間は限られている。一つ年下の一年生で、小柄で、不思議な雰囲気をした男の子だ。
 確か、名前は――。

「藤って……純白しろ君?!」
「そ、驚くよな。普通。あいつああいうのが好きなんだって」
「え、だ、だって……純白君は……」

 藤純白君は僕と同じ図書委員会に所属していて、たまに放課後の図書室で作業を共にすることはあった。
 純白君は確かに周りの一年の子たちと比べると少し大人びていて、けれどあどけなさもあり、整った中性的な顔立ちも相まって同性にもよくモテるとは聞いていた。けども。

『折先輩は興味ないんですか?』

 頭の中にいつの日かの彼の顔が過ぎる。
 少し甘くなった滑舌。乱れた服を正すこともせず、こちらへと笑いかけてくる彼の顔が。
 彼は普段無口で、大人しい。けどあの時は獰猛な蛇を前にした時のような恐怖に足が竦んだのを覚えている。

「純白君か……」
「なに、そんなにショックなわけ」
「違うんだ、その……意外だなって思って」

 だってきっと、小緑君は純白君みたいな子のことを嫌いそうだと思ったから。
 けれど多感な時期の好き嫌いなんてものは秋の空模様に等しい。顔を合わせない内に趣味嗜好が変わっていてもなんら不思議ではない。
 頭では理解していても、胸の奥がずっとざわついて落ち着かなかった。
 ローテーブルを挟んで向かい側に座っていた慈門君は「だよなぁ」と呟き、そしてそのまま背後のベッドにもたれ掛かるように伸びした。

「藤ってさあ、男好きって噂あるじゃん。入学して顔のいい男ばっか食ってるとか」
「じ、慈門君……」
「ああ、わり。お前こういう話苦手なんだっけ?」

 身近な人間の生々しい話を聞かされると落ち着かない気分になる。それは昔からだった。
 僕だって純白君のことを色眼鏡を掛けて見たくはない。けれど、僕は知ってる。彼が僕のいない隙に、もう一人の図書委員と閑散とした図書室の奥で貪り合っていたのを。
 その図書委員の子の顔が小緑君になり、動悸が早まる。

「うん。……とにかく、小緑君がちゃんと決めた子なら応援したいと思うよ。僕も」
「それ、折っぽいな」
「僕っぽいって何?」

 寝ていたと思えば、がばりと体を起こした慈門君はテーブルを乗り越え、僕の手を取った。
 あまりにもいきなりな慈門君の動作に驚いたのも束の間、そのまま撫でられる指先に腹の奥がもぞりと反応する。

「慈門君……っ」
「……優しいよな、お前」
「そ、そんなこと……普通だと思うけど」
「でもよかった、安心した」
「……安心?」
「そ、安心」

 どういう意味だろうか、と握り締められたままの手を見つめていると、そのまま掌に触れる指先に息を呑む。掌にうっすらと浮かんだ生命線をなぞるように這わされる指。その指はゆっくりと手首へと伸び、皮膚の下に浮かぶ血管を辿っていく。

「じ、もん君」
「なあ、お前さ。小緑のこと好きだったろ」
「……っ、え」
「答えろよ、折」

 突然向けられる言葉に顔に熱が上がってくる。
 茹る視界の中、それでも慈門の目は真っ直ぐと俺を見つめていた。
 固く乾いた指。触れられた箇所からは相変わらず熱い慈門の熱が流れ込んでくる。
 鼓動が加速する。

「そ、んなこと……ないよ」
「なあ、俺が気付かないと思ってたのか? 折。小緑も、お前も、俺がいない時の方が楽しそうだったの。俺が来るとお前、少しがっかりしてたもんな」
「じ、慈門君……」

 怒るわけでも、気分を害してるわけでもない。ただ昔を懐かしむように続ける慈門君の言葉にただ狼狽える。
 見えない壁に追い込まれたように体は竦んで動けない。掴まれた腕を慈門君に引き寄せられ、その指先に慈門君は唇を寄せる。
 普段の少し大雑把で子供っぽい仕草からは想像できない、優しくて繊細な触れ方で。宝物にでも触れるかのように押し付けられる唇の熱に「ぁ」と耐えきれずに喉から声が漏れた。

「なんで知ってるかって? だって、俺、ずっとお前のこと見てきたから知ってるよ。なんでも」
「……っ、じ、もん君」
「俺、確かに馬鹿だけど……お前のことは分かる自信ある。なあ、折」

 さっきまでくだらない話をしていた慈門君とは別人みたいな慈門がそこにいた。
 腕を引っ張られ、膝立ちになった体をそのまま抱き締められる。手だけではない、慈門君の体はどこもかしこも熱かった。熱くて、触れられただけでも溶けてしまいそうなのにそのままぎゅっと包み込むように抱き締められると身動きすらできない。

「……俺じゃ駄目か?」

 自信家で前向き、いつだって僕の手を引いてくれた慈門君の弱々しいその声を聞いた瞬間、崖っぷちから背中を突き飛ばされたような――そんな感覚に苛まれた。
 僕は、この感覚を知ってる。安全地帯から一気に突き落とされるこの感覚を。
 背骨が軋むほどの強い力で抱き締められた体は身じろぎすることも許されない。

「好きなんだ、ずっと。昔から」

 お前のことが、と覗き込んできたその目から逸らすことはできなかった。
 もしかして、小緑君もこんな感じだったのだろうか。
 そんなことをぼんやりと考えながらも、僕は重ねられる唇を避けることも逃れることもできなかった。


 人間関係というのは常に変化し続けている。
 たった一言のやり取りで疎遠になることもあれば、行動をしなかった故に悪化することもある。
 僕は、拒むことができなかった。止めることもできなかった。
 胸の内側から込み上げてくる人並みの好奇心と十数年で構築された慈門君への親愛、それらが僕が強固に守り続けていた一線を打ち砕いたのだった。



  『恣意的なぼくら。』

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