恣意的なぼくら。

田原摩耶

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1.イネイブラー

先生


 あれだけ楽しかった時間が苦痛になると言うのは精神的にも堪える。
 慈門君の行動は想像通りエスカレートしていく。時間的な束縛だけではない。朝と放課後だけだったのに、休み時間呼び出されることもあれば慈門君の気分でサボるように要求されることも増えていく。
 最初は「成績に響くからダメだ」と慈門君に言ったが、その後気分を悪くした慈門君に長時間拘束されて倉庫で犯されたあと夜になってもまともに動くことができなくなってから口出しすることができなかった。

 慈門君が怖い。
 肛門だけではない。手足を縛られて、首を絞められる。酸欠状態でのセックスにハマった慈門君に今度こそ片手で首を絞められることもあった。
 制服の下、日に日に慈門君につけられた傷が増していく。
 慈門君はそれを見て嬉しそうに微笑み、そして慈しむように唇を押し付ける。自分のものだというかのように、傲慢に。


 唯一救いだったのは慈門君とクラスが違ったことだろう。
 あれだけ慈門君と同じクラスになれたらいいのに、と思ったのに、こんな風に考えるなんて。

「織和、ノート見せて」
「ん……いいけど、授業前には返してね」
「おお」

 クラスメイトたちとの何気ないやり取りが現実を思い出させてくれる。
 体を触れられない、他愛のないやり取りが今はこんなにも愛しくなるなんて。

「そういや、最近お前よくサボるよな」
「……ああ、ちょっと具合悪くてさ」
「織和って繊細そうだもんなー。ちゃんと寝れてんのか?」
「まあまあかな」
「適当すぎんだろ」
「心配しなくても大丈夫だよってこと。……ありがとね」

 人として言葉を聞き入れてもらえ、それを返してもらえる。その会話の応酬のお陰で自分がちゃんと人間であるという気分になれた。
 それから間もなくして担任の常楽じょうらく先生が現れる。よれたスーツと曲がったネクタイを雑に直しながら「お前ら席につけー」と面倒臭そうに声をかけてくる常楽先生に、僕たちは自分の席へと戻った。

 それにしても、クラスメイトたちに心配かけるなんて。
 しっかりしなければならない。
 そう思いながら、始まる公民の授業を真剣に聞こうとする。が、昨晩もあまり眠れてなかったのがまずかったようだ。お経のように紡がれる常楽先生の抑揚のない声も相まって授業開始数分で既に意識は底へと落ちていってしまった。



 窓際の席。差し込んでくるポカポカの陽気に当てられてる内に常楽先生の声が遠くなっていく。
 それからたった数分、ほんの少し目を瞑っただけのつもりだった。

「織和」

 落ちてきた声に、全身に冷や水をかけられたような衝撃が走る。
「はいっ」と慌てて起きあがれば、目の前には高い陰。それから、心配そうにこちらを見守るクラスメイトと――。

「いい返事だな」

 伸びた前髪の下、こちらを見下ろしてくる常楽先生の目に背筋が震えた。
 しまった、よりによって居眠りに厳しい常楽先生の授業で眠ってしまうなんて。
 普段容赦なく叩き起こされてるクラスメイトたちのことを思い出し、「すみませんでした」と震えながら自ら額を出した時。常楽先生は剥き出しになった俺の額を軽くべち、と叩き、そのまま通り過ぎて授業を再開させた。

 ……全然痛くなかった。
 額を撫でながらほっと息を吐けば、隣の席のクラスメイトに「珍しいな、居眠りなんて」とやじられる。
 確かに、初めてかもしれない。
 次は居眠りをしないように必死に手の甲を摘み、眠りに耐えながらなんとか公民の授業を乗り切った。






「織和、ちょっと来い」

 授業が終わった後、教室を出て行こうとしていた常楽先生に呼び出された。
 ぎくりとしながらも「は、はい……」と立ち上がる僕をクラスメイトたちは同情と哀れみを込めた目で見送ってくる。
 先生の側まで歩いていけば、先生は「ちょっと手伝え」と廊下の奥へと視線を外す。僕は頷いて前を歩いていく常楽先生の後を追いかけた。




「……ここならいいか」

 地歴倉庫室の扉を開き、籠った空気を換気しながら常楽先生は無言で顎でしゃくる。入ってこい、ということらしい。
 常楽先生とは一年の時からの付き合いではあるが、未だ緊張する。
 それもそのはずだ。基本生徒に対してフレンドリーな教師たちが多いうちの高校の中でも厳しく、おまけに愛想も悪いし怖いと生徒たちから言われてる。けれど、本当は。

「珍しいな、お前が居眠りなんて」

 二人用のスツールを引っ張り出し、それに向き合うように腰をかける。二者面談、そんな言葉が頭を過ぎる。

「は、はい……すみません」
「謝罪は聞いてない。この間も図書委員の当番に顔を出さなかったな」

 常楽先生は図書委員の顧問も担っている。
 この間は図書室へと向かう途中に慈門君に呼び出され、そのまま担ぎ上げられて部屋まで連れて帰ったんだった。
 余計なことまで思い出して頬にじんわりと熱が集まる。

「その、体調が……」
「寝不足の上に体調不良か。事前に学校側に伝達できないほどの」
「ご、ごめんなさい……」

 常楽先生に話しかけられると自然と体が萎縮してしまう。ただでさえ怒られてるような威圧感もあるが、今回ばかりは実際後ろめたさがあった。
 俯いたまま膝を握りしめる。まともに先生の顔を見ることができなくて、そのまま項垂れる僕をじっと見つめたまま先生は「首の」と小さく呟いた。
 たった一言、顔を上げれば先生はそのまま自分の首を指先でトントンと叩く。

「それについて聞いていいか」

 汗が噴き出す。
 今朝も鏡で目立つところに跡がついてないか確認したはずだ。慌てて襟を掴み、首筋を隠そうとしたがそれが裏目に出たようだ。
 ――本当に、生徒のことをよく見ている。

「……ぁ……っ」
「……」
「こ、れは、その……」

 しまった、と思った。
 しらばっくれるべきだったのに。これではまるで自白をしているようなものだ。
 首を押さえたまま手を離すこともできない。首を絞めるものもないのに、あの時よりも息が苦しい。

「これは……」
「織和」
「……っ、は、い」
「俺はお前のこと、人一倍責任強くて真面目なやつだと思ってる」
「……」
「誰も頼んでない書架の整理までし出すようなほどな」
「……せ、んせい」
「理由があるのか」

 鋭い目は多分、胸の奥底まで覗かれている気がしてならない。先生のことだ、多分気付かれてる。見透かされてる。けど、僕が自ら口を開くのを待ってるのだ。

 ドクン、と心臓が跳ね上がる。ドクドクとポンプで血液を押し流されてるように鼓動は脈打つ。血の流れる音が耳の中で響く。焦点が定まらない。

 たった一言、もし先生に慈門君のことを相談したらどうなる?
 きっと先生なら助けてくれるだろう。けど、慈門君は?
 僕は、慈門君を陥れたいわけではない。昔の慈門君に戻って欲しいだけだ。

「……最近、貧血気味なんです。一応鉄分を摂るように気をつけてます。先日はご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。今後は事前にグループラインでも連絡を入れます。……それから、この首のことですが、その、お恥ずかしい話なのですが、友人と遊んでいただけなんです。決していじめとかじゃないんです。先生には余計なご心配をかけてしまってすみませんでした」

 ヘラヘラと笑いながら自らシャツの襟を開く。
 顔から火が噴き出そうなほど恥ずかしいし死にたくなる。けど、蓋をする。重石を乗せる。
 僕の一言で慈門君の立場が悪くなるくらいなら、まだ耐えられる。
 先生の視線が首筋からゆっくりと僕の目を捉える。押し潰されそうな沈黙の中、先に口を開いたのは先生だった。

「……織和」

 そう、低い声が鼓膜を揺すった時。
 いきなり倉庫室の扉が開かれる。そして現れたのは。

「センセ~~っ! って、あれ? なに、取り込み中?」
「………………」

 派手な明るい髪に着崩した制服。がっつり校則違反のピアスにアクセサリー。この人、確か三年生の。
 何度か慈門君と一緒にいるのを見たことがある。あまりいい噂を聞かない先輩だ。
 なんで先輩が、と思ったが、そこで思い出した。常楽先生は生活指導の先生でもある。
 いきなり現れたその男子生徒に息が止まりそうになった時、伸びてきた先生の手にぐっと襟を閉じられる。それから、「帰っていいぞ」とも先生は続けた。

「アレアレ、こんな暗い部屋で二人っきりとか何してんすかもー。おまけにこんな可愛い子と面談? やってますねえ、常楽先生」
「ノックしろと毎回言ってるだろ」
「反省文持ってこいっつったのラクちゃんじゃ~ん、ほら、いっぱい書いてきたよん」
「常楽先生」
「はいはい、常楽先生」
犬馬けんば、お前は――」

 そう言いながらずかずかと倉庫室に入ってきたその人に思わず席を譲れば、「ども」とその人――犬馬利千鹿りちかはどかりと腰を下ろした。

「……おい織和、お前はもう行け」
「は、はい。……失礼します」
「織和チャン、ばいば~い」
「……」

 何故か手を振ってくる犬馬先輩に戸惑いつつ、取り敢えずぺこりと頭を下げておく。
 それからそそくさと倉庫室を後にすれば、閉め切った扉の向こうから犬馬先輩の楽しげな笑い声が響いてきた。
 怖そうな人だけど、陽気な人だな。
 ……少しだけ、慈門君に似てるかもしれない。

 そんなことを思い出しては胸を抑える。
 緊張した。けど、完全に誤魔化せたわけではないだろう。このタイミングでやってきた先輩に感謝しながら僕はそそくさと教室へと戻ろうとして、「折」と呼び止められる。

 噂をすれば、というやつだろう。複数の友人たちに囲まれた慈門君は「なんでこんなところにいるんだ?」という目で僕を見ていた。
 僕たちの仲――幼馴染であり学園生活の殆ど一緒に過ごしているということを知ってる周りの友人たちは気を遣ってか、「お前も遅れんなよ」と言ってそのまま先に行く。

「……ああ、ちょっと先生の手伝いしてて」
「先生……あー、あの人か。図書委員でもコキ使われてるし、パシリかなんかって思われてんじゃねえの? お前のこと」
「じ、慈門君……やめてよ、まだ中に先生いるんだから」
「ああ? だからなんだよ。……それより、なあ、折」

 ちょいちょい、と指で招かれ、恐る恐る近づいたところを伸びてきた腕に肩を抱き寄せられた。
 ぐ、と食い込む指先が痛い。「なに?」と必死にとぼけたふりをしながら慈門君を見上げれば、慈門君の口元には嫌な笑みが浮かんでいた。

「このまま抜けようぜ」

 また、だ。分かっていたしこんなところで慈門君と会ってしまった時点で決まったようなものだった。

「……抜けるのは、まずいよ」
「嫌なのか?」
「ちが、……っ、ん、……だから、その……」

 慈門君の手が肩から胸元へと降りていく。シャツの上から乳首をつねられ、声が上擦った。
 痛いだけのはずなのに、僕の体はその雑な愛撫にも甘い刺激が伴うようになってしまっていた。

「…………少し、抜けるだけなら」
「りょーかい」
「……」

 嬉しそうに目を細めた慈門君にキスをされ、それを受け入れる。
 ああ、また僕は。何度目かもうわからない自戒を繰り返しながら、僕たちはそのまま近くの人気のない踊り場へと移動した。

 けど、今日は慈門君の機嫌が良くてよかった。
 そんなことを思いながら。

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