恣意的なぼくら。

田原摩耶

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1.イネイブラー

02


「……そうですけど」

 なるべく平静を装うなければ。
 そう思うが、ほんの一瞬の間は先生にも気付かれてしまっただろう。

「それが、なんの関係が……」
「別に責めているわけじゃない。お前のことも、天翔のこともだ」
「……」
「昨日のこともある。あいつと親しいんだったら話くらい聞いてるんじゃないか、あいつが指導を受けていた訳を」

「お前が下手に庇い立てると余計にあいつは疑われるぞ。本当に無実なら、後ろめたいことないなら口を開いた方が賢明だと思うがな。俺は」情ではなく実利で訴えかけてくるのは常楽先生らしいと思った。
 実際は、今朝になって僕が問い詰めてようやく指導内容を口にしてくれたくらいだが。

「……先生、僕はイジメを受けてるわけでも庇ってるわけでもありません」
「……」
「おかしなことですか? ……ただの子供同士の喧嘩です。それだけです。先生は今まで生きてきて一度も誰とも喧嘩してこなかったんですか?」

 僕は、人に怒鳴られたのも叩かれたのも初めてだった。
 それでも常楽先生を見つめれば、常楽先生は僕の言葉を静かに聞いていた。

「喧嘩はしょっちゅうあった。……大抵は相手が勝手にキレているくらいだが」

「そうですよね」と僕がスツールから腰を浮かした時、「なら」と先生は口を開いた。

「わざわざ隠す必要はない。お互いに意見を交わしてぶつかり合うのは不自然なことじゃないが、それが一方的な暴行だったら話は別だ」
「なら、その心配はありません。僕たちはちゃんと仲直りをしました」
「その過程で叩かれたと?」

 ここまできたらただの喧嘩だと済ませた方が慈門君のためになるかもしれない。
 こう判断し、小さく頷き返せば「そうか」と考え込むように頷く。

「けど、それだけです」
「疑問なんだが、なんでそんなことになった? 俺にはお前が人を怒らせるようなやつとは思わない」
「それは……買い被りです。僕だって人を怒らせてしまうことくらいあります」
「何を言った?」
「そこまで説明する必要があるんですか?」
「俺が個人的に気になっただけだ。言いたくないなら言わなくてもいい。……ただ、この一年入学してからお前は問題を起こしていないだろ」

 それは、そうだけど。
 先生からしてみたらそれが不思議でならないという。
 確かに慈門君と付き合ってからは色々変化はあった。それでも頬の腫れ一つでここまで言われるのならば僕も昔のうちに喧嘩慣れしとけばよかったのだろうか、なんて自暴自棄な思考すら芽生えるくらいだった。

「先生には、関係ありません」
「ああ、ないな」
「なら」
「言っただろう。これは個人的な疑問だと」
「慈門君は悪くはないです。……僕が悪かったんです」

 納得したわけではない。それでも、それを受け入れて乗り越えなければ相互理解は不可欠だ。
 それは先生も授業で何度も口にしていた。相手に受け入れさせ、ただ享受するだけでは均衡は崩れると。

「慈門君とは仲直りもしましたし、僕にも非はありました。それだけです」
「……」
「慈門君、確かに昔から誤解されやすいところはありますけど……僕は知ってます。慈門君は何度も謝ってくれたし、今朝だって怪我のことを心配してくれてました」

 お願いだから慈門君のことを放っておいてください。
 そう頭を下げれば、ゆっくりと先生は窓の外に差し込む。日差しの差し込まないただの換気口代わりと化した窓を。

「……お前は、天翔のことが好きなのか?」

 吐き出されたその言葉はじんわりと腹部に重たく広がっていく。その一言にはあらゆる意味合いが内包されているような気がしてならなかった。
 驚いた。あくまで事務的な事情聴取の意味合いを含めたただの二者面談でそこまで踏み込まれるなんて。
 常楽先生が生徒たちと明確にラインを敷くタイプの教師だと知っていたからこそ、余計。
 そこまで教師たちに伝わっている事実にもなんとも言えない居心地の悪さを感じたが、それでも時間の問題と分かっていただけに割り切ることはできた。けど、何故だろうか。常楽先生には知られたくなかった。

 小さく頷き返せば、「そうか」と常楽先生は息を吐く。肺に溜まった空気を吐き出すような重たいため息だった。

「この話はここで留めておく。……が、聞かせてくれ。それは言わされているわけではないんだな?」
「違います。……本当です。僕は……」

 そう口にした瞬間、耳鳴りが鳴る。篭ったような音の中、自分の声だけがやけに大きく聞こえた。

「僕は、慈門君のことが好きです」

 本人に伝えなければならないことを、何故僕は先生に言ってるのだろうかと思うとなんだか馬鹿馬鹿しくさえも思えてくる。
 けれど先生は笑うことも咎めることもなく、黙って僕を見つめる。
 ほんの数秒、それでも長い間のように思えた。開いた窓から生ぬるい風が吹き込んできて、机の上に乱雑に置かれた書類の内の一枚が飛んでいく。
 咄嗟にそれを拾おうとして、先に伸びてきた先生の長い指がそれを拾い上げた。軽く用紙を払い、それから「分かった」と先生は立ち上がる。

「……お前と天翔の関係は分かった」
「先生……」
「けどな、恋人なら余計、喧嘩で手を出すようなことをするのは有り得ない」

 ようやく分かってくれたのだ、とホッとしたのも束の間。更に太い杭を心臓に打ち込まれたような鈍痛が走る。
 そんなの、そんなの。僕だって理解している。
 僕だってビックリしたし、悲しかった。けど。

「……慈門君は、先生みたいな大人じゃないんです」
「けど、子供でもないはずだ」
「っ、先生は……何も知らないくせに……」
「知ってる。天翔のことは何度か話しているしお前は一年の頃から見ていた」
「……」
「天翔もガキじゃない。お前がお守りする必要はないし、お前が責任を感じる必要もない」
「……」

 先生の言葉は尤もで、正しいと分かっている。
 不器用ながらも僕のことを心配してくれてるのだということも、伝わってくる。
 スツールの上、膝を掴んだ掌に力が入る。側に立った先生の足が視界の隅に映り込んだ。
 それからテーブルの上。

「……俺の連絡先だ。直接話しにくいならそっちに送れ」

 メモから千切ったような紙切れに書かれたIDを見る。驚いて顔を上げれば、先生は困ったような苦虫を潰したような顔をして逸らした。

「他のやつには教えるなよ。聞かれると面倒だから」
「……でも、先生」

 なんで僕に、という疑問が次々に浮かんでくる。
 学校内で在学中の生徒と個人的なメッセージのやり取りして相談や勉強のアドバイスをする教師はいると知っていた。
 けれど、常楽先生は生徒とは誰とも連絡先を交換していないはずだ。それなのに。
 メモを受け取れないまま、穴が空きそうなほど見つめてしまう。
 それ程心配させてしまっているのか、先生を。
 そう思うと罪悪感が込み上げてきて、揺らいでしまう。嘘を吐いたわけではないはずなのに、人を騙してしまった時のような居心地の悪さがずっと抜けない。

 先生は何も言わなかった。捨てるなら好きにしろ、とでもいうように無言で僕の肩を叩き、そのまま地歴倉庫室を出ていくのだ。
「戸締りはしなくていい、お前も帰りたくなったら帰れ」なんて一方的に言い残して。
 僕はそれに何も言い返すこともできず、再び風が吹いては飛ばされていきそうになる紙切れに慌てて手を伸ばした。
 それから、窓を閉める。

「……」

 敵わない。何一つ。だから大人は苦手なのだ。
 そのメモ用紙に皺が付かないように伸ばした後、スラックスのポケットに忍ばせる。今すぐこの場で登録するような勇気、僕にはなかった。
 あれ程憤っていたのに、いやだからだろうか。先生にここまでさせてしまったことが申し訳なくて、それ以上に身内以外でここまで親身になってくれようとしてくれる先生になんだか無性に泣きたくなった。
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