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1.イネイブラー
06
「慈門君」とその肩を掴もうとすれば、逆に手首を掴まれる。
「……折、さっき言ったよな。俺のこと、うざくないって。迷惑じゃないって。なあ、おかしいだろ」
「……っ、嘘じゃないよ。それは。……けど、もう」
無理なんだ、と続けるよりも先にベッドの上に引きずり倒される。簡素なベッドフレームは二人分の体重に耐えきれず小さく軋んだ。
覆い被さってくる慈門君の顔が歪むのを見て、「ごめん」という言葉が喉の奥から溢れた。
こんな話をするつもりはなかった。少なくとも、数分前。窓を開いた時は。
けどあまりにも天気が良かったから。この街が長閑だったから。慈門君が嬉しそうに笑うから。
――耐えきれなくなった。
「何、ごめんとかさ……意味わかんねえって。どうしたの、お前変だよ。具合悪いから不安定になってんだろ? なあ、そうだよな」
「……」
「折……」
肩を掴まれ、揺さぶられる。そのあと縋り付くように胸元に顔を埋めてくる慈門君の頭部から目を逸らすことしかできない。
「なんで急に、こんなこと」
「……急にじゃない」
「……は?」
「ずっと、僕は言ったよ」
頼むからやめてほしいって。
慈門君の瞳が揺れる。普段はからりとしたその笑顔は青ざめ、唇から血の気が失せている。
「ぁ」と辛うじて漏らしたその声は震えていた。
「あれ、まじで嫌がってたってわけ?」
「……」
「わかんねえって! あんなの、おかしいだろ……あんなの普通にノリだって思うだろ!」
窓が空いていることも構いもせず声を張り上げる慈門君に全身の筋肉が萎縮する。
「……慈門君、声、おっきい……から……」
視線を窓へと向ければ、取り乱した慈門君も僅かに平静を取り戻したようだ。目を見開いたと思えば、今度は顔を歪める。
「……っ、悪い……でけえ声出して……ちが、うんだ。折、ごめん。びびらせてえんじゃなくてさ、分かるだろ? 急にいきなりこんなこと言うのって……ずるいだろ、なに、ドッキリ?」
「……慈門君」
「なあ笑えよ、折。それならもっといいリアクションくれよ。俺のこと笑えばいいだろ、なあ? なんでお前がんな顔してんだよ、……おかしいだろ」
そう笑う慈門君。表情筋を無理やり引き攣らせるようなその笑顔はあまりにも歪で、泣いているようにも見えた。
慈門君が狼狽えれば狼狽えるほど僕の心は潮を引いていくようだ。
殴られるかもしれない、そう覚悟していたからこそ慈門君の反応は意外だった。
「僕は本気だよ」
その言葉に慈門君は「は」と小さく息を吸った。それから、僕の肩口に顔を埋める。抱きしめる、というよりもしがみついていると言った方が適切かもしれない。シャツが伸びそうなくらいの力で服を引っ張り、慈門君は僕の体を捉えては離そうとしない。
「…………嫌だ」
「……慈門君」
「……っ、嫌だ、嫌だ……頼む、謝る。お前が俺のこと嫌だって言うんならマジで直すから。なあ、折。俺にはお前しかいねえんだよ、分かるだろ? 俺、お前に嫌われたら……」
様子がおかしいのは一目瞭然だった。
肩を掴まれ、食い込んでくる指に何度も皮膚を引っかかれる。それでも僕は態度を崩さなかった。
僕は常楽先生の言葉を思い出した。『これは慈門君の問題でもある』と。その言葉の意味を今、こうして眼前へと突きつけられている。
「俺、は……嫌だ……」
あれほど強い力でしがみついていた慈門君の腕がだらりと垂れ下がる。力なく項垂れる慈門君。普段はあんなに大きく見えた慈門君が今は見違えるように小さく見える。
それでも心を鬼にしなければならない。慈門君のためにも。
僕の目から見ても慈門君の取り乱しっぷりは正常に見えなかった。少なくとも、日頃の余裕に満ち足りた慈門君の欠片は微塵もない。
それでも僕が何も答えないと別れば、慈門君はそのままふらりと立ち上がる。そのままふらふらとした足取りで机の方へと向かう慈門君に息を呑む。
それから、机の上に置かれたペン立てに手を伸ばす。そこに突き立てられたナイフを手に取る慈門君を見て思わず腰が浮く。その刃先を出しながらゆっくりと慈門君がこちらを振り返った。
「慈門君、なに」
「俺、まじでさ……お前のこと、好きなの。お前に捨てられるんなら、嫌われるんならさ……まじで……死んだ方がマシなんだよ」
シャツの袖口を噛み、大きく手首を肘まで晒す慈門君。そこに浮かび上がる太い血管に向かって向けられる刃先に血の気が引いた。
「っ、やめて、慈門君……っ!」
咄嗟に慈門君の腕にしがみつき、とにかくカッターを取り上げようとしたところ「触んな!!」と袖口から口を離した慈門君に振り払われる。
普段、僕を支えてくれていたその手は呆気なく僕を突き飛ばす。尻餅をついてしまい、痛みに手と下半身が痺れる。けど、そんなこと今は些細な問題だった。
「俺のこと嫌いなんだろ?! ならどうなったってもいいよなぁ、折!!」
「ちが……っ、慈門君……っ!」
「なあ、俺がお前と付き合えてアホみてえに喜んでんの見て笑えたか?」
「……っ、ち、ちが、僕は……ちゃんと君が好きだって……」
「でも俺を捨てるんだろ? なあ? 俺が馬鹿で人の話も聞かねえカスだから! そりゃお前も嫌気差すわな、お前が好きなのはあいつみたいに頭が良くて堅苦しくてつまんねえ野郎で――」
肘の上まで捲り上げられたその腕の内側、皮膚が盛り上がったような無数の傷跡を見て息を呑む。そのケロイドの上、ず、とカッターの刃先が埋まりそうになるのを見て考えるよりも先に慈門君の持つカッターを掴んだ。
「や、やめて……お願い……自分を傷つけるような真似……っ」
「……っ、折……」
「お、お願いだから……やめて……」
慈門君の手のひらに爪を立てることもできなければカッターを取り上げることもできない。ただ、刃先をぶれさせることしかできない。
そんなことしかできない非力な自分が今はただ情けなくて、苦しい。
僕は慈門君が苦しむところを見たかったわけではない。
こんなことをするつもりはなかった。
止めようとした拍子に傷がついたのだろう。どちらとも分からない血が手のひらに滲み、辺りに鉄の匂いが充満する。
「……退けよ、邪魔すんなよ。折。俺のこと、嫌になったんだろ。俺がいなくなれば清清すんだろ」
「……っ、慈門君……っ」
「退けって、折。……手え滑ってお前のこと刺しそうだ」
「……っ、退かない……っ」
「退け!」
「慈門君……っ」
殴られようが、髪を引っ張られようが、振り払われても慈門君を止めることしかできなかった。しがみついた拍子に軽々と突き飛ばされ、そのまま転倒した体は床に頭をぶつけそうになる。
吐き気と眩暈。回る天井。立ちあがろうとしても動けなくなる僕に青ざめた慈門君は慌てて駆け寄り、僕の体を抱き起こす。
ひどい顔だった。それはきっと僕も。
「折っ」と呼ばれ、僕は答える代わりにその胸ぐらを掴んだ。目の前の唇に唇を押し付けた瞬間、慈門君の表情は歪む。
緊張も恐怖も焦りも、全て感じる。針で皮膚を撫でられるみたいに、痛いほど感じることができた。
「……っ、は、……っ、お、り……」
「馬鹿……っ、慈門君の、馬鹿……」
唇を離せば、慈門君の腕から力が抜けていく。
「お願いだから……やめて……」
「……」
「も、言わないから……慈門君のこと、捨てないから……」
「無理……すんなよ。俺のこと嫌いなんだろ」
また、だ。また、これ。
悔しくて、歯痒くなって、僕は慈門君の胸を叩いた。
「……っ、人の話聞け、馬鹿……」
「……お、り……」
「本当に……やだ……も……っ、君はいつも勝手で、僕の話を聞いてくれない……」
僕は何度も君を受け入れようとしたのに、折り合いを見つけようと思ったのに、それすらも届いてない。
今まで一緒いた十数年が全て否定されたようで悲しくて、悔しかった。ぼろぼろと溢れる涙を抑えることもできなかった。傷つき、血が滲む慈門君の腕――そのケロイドに唇を押し付ける。慈門君はただ狼狽えたように、どうすればいいのか分からない子供のように僕を見ていた。
「嫌いになりたくないから別れたいんだよ」
「……俺はやだ」
「友達に戻るだけだ、前みたいに……」
「やだ、嫌だ。恋人がいい。友達じゃ意味がねえんだよ、俺は――」
「慈門君」
「俺は、俺だけが特別じゃないと……怖いんだ、折」
きっと、それは慈門君がずっと腹の中に抱えていたものなのだろう。そう思った。
「……」
「お前は誰にでも優しいから……他の奴らと一緒は嫌だ。お前が俺以外の特別作るのも、耐えられねえんだよ……なあ、折、分かるだろ」
「……自分勝手すぎるよ、君」
「お前が嫌っていうなら、治すから……全部、ちゃんと聞く。だから頼む、頼むから……一緒にいてくれ」
歪む視界の向こう。僕の手を取った慈門君は僕の指先を額に押し付ける。まるで何かに願うように。神様なんて信じてるわけでもないのに、こんなときばかり縋り付くのだ。
「……俺を捨てないで」
今にも泣きそうな顔して慈門君は繰り返すのだ。頼むから、お願いだから。そう、僕の体を抱きしめる。
まるで呪詛だと思った。転がったカッターナイフ。シャツが血で汚れようが、関係なく慈門君は僕を抱きしめるのだ。
逃げ道はあった。
きっと、他の道も。
けれど、僕たちが本当の意味で理解し合える道が見当たらない。
慈門君が幸せに笑ってる未来が、僕には見えなかった。僕が手を振り払えば、また別の刃物を慈門君は手に取るだろう。それがわかったからこそ。
僕は。
「……捨てないよ、慈門君」
僕たちは道を踏み違え続けている。
第一章【イネイブラー】END
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