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2.シャーデンフロイデ
『好きだから』
しがみついてくる慈門君の背中に手を回す。
そうやって慈門君の緊張が緩まるまで背中を撫で、落ち着くのを待った。
時計の針は進んでいく。窓の外から聞こえてくる声はまるで自分たちには無関係の世界のようにすら思えるほど長閑で、それが辛うじて僕たちを現実に引き留めているようだった。
なんて、全部現実だ。鼓動も、いつの間にかに止まった血も。痛みも。熱も。子供のようにしがみついてくる慈門君も、全部。
「慈門君」
名前を呼べば、それに応えるように慈門君は僕の顔を見上げる。どこか怯えたような目。赤く充血したその目は僕の視線から逃げるように逸らされる。
「落ち着いた?」
「…………」
「慈門君」
「……」
答える代わりに慈門君は僕の胸に顔を埋める。離れないでというかのように、覆い被さってくる慈門君の重みに押し倒されそうになるのをなんとか受け止めて、耐えた。
「折……俺、また」
「悪い」と絞り出すその声は震えていた。
いつもの快活な慈門君とは違う、弱気で不安なその声に僕は初めて喧嘩したときのことを思い出す。
後悔して、落ち込んで、それも数日経てばいつもの慈門君に戻っていく。
けど、今回はただの喧嘩ではない。
慈門君から取り上げたカッターナイフは僕のポケットの中、それでも世界から刃物を消すこともできない。根本的な解決にはならないのだ、慈門君の心に巣食うものを排除しなければ。
「慈門君、お願いだからもう……馬鹿なこと言わないで」
「……」
「僕は慈門君を見捨てないよ。君がちゃんと僕の言葉聞いてくれるなら……僕も、君のことが大切だから」
恋人でなくとも、僕にとって慈門君は大切な人だった。けれど、慈門君はそれでは駄目だと言った。
僕の特別でなければならないのだと。
何故彼が僕にここまで固執するのか分からない。だって君にはもっと相応しい子もいるはずだし、この先出会う可能性もある。けれどそう感じるのは僕が僕だからで、先ほどのように慈門君の中にも慈門君なりの考え方があるのだ。
今も、こうして。
「……嘘、だ。だって、こんなことして……普通引くだろ。有り得ねえよ」
「引かないよ」
「……折」
「引かない」
慈門君は僕にかっこいいところを見せたかったという。良いところだけを見て欲しかった。
その結果、これだ。隠し続けた不安を自傷行為で発露させる。いつからこんなことをしてるのか聞けなかった。薄くはなっているが腕の裏側に伸びた複数の線を見て気づく人は気づくだろう。
部活動のときとかどうしてるのかと気になったが、今思えば慈門君が真面目に部活に顔を出しているイメージはここ数年、あまりない。
中学の頃は大会の話を積極的にしてくれたけど、それもいつの日かなくなっていた。だから僕も触れなかったけれど、もしかしてそのときからか。
ストレス解消のために自分を傷つけていたのか。
聞きたかったが、これ以上今の不安定な慈門君の柔らかい部分に踏み込むのは得策ではないと思った。
だから、代わりに未来の話をする。
「けど、ちゃんと説明してほしい。相談も。……あと、僕の言葉も聞いて」
「……」
「さっき、僕のためならちゃんと聞くって言ったよね? 悪いところも治すって」
「うん……」
「じゃあ、僕の話を聞いて。お願いだから。……僕は、君が僕の話を聞いてくれないことが耐えられなかったんだ」
うろ、と逃げようとしていた慈門君の目を真正面から覗き込む。逸らされそうになる顔を両頬挟み、逃げられないようにその膝の上に座った。
諦めたように、まだ少し涙で潤んだその目が僕を真っ直ぐに見つめた。
「き……聞く……折の話、聞くよ。ちゃんと」
「慈門君……」
ありがとう、という代わりにその頭を抱きしめる。硬めの髪質のそこを撫で、軽くキスをすれば慈門君は驚いたように緊張した。「折」とこちらを見上げる慈門君。
唇にキスは――しなかった。脱線したくなかったから。
「僕がしたくないって言った時は僕に触れないで。学校で呼び出したり、人前で触るのもやめてほしい」
「乱暴にするのは……やめて。首を絞めたり、噛んだりも……君は好きかもしれないけど僕には耐えられないんだ」
「手を繋いだりするのはいいよ。……キスも」
「それから……君は頻度が多すぎるんだ。週一でも多いよ。学業に支障が出ない程度にしてほしい」
固まる慈門君の耳元で「できる?」と尋ねれば、慈門君は今にも泣きそうな顔をして僕を見た。
縋りつくように強い力で裾を掴む手。その手をそっと握り締めれば、慈門君の視線が揺れる。
「……お、り……」
「僕の言うことを聞いてくれるって慈門君、言ったよね」
「……あ、ああ。言った」
「守れる?」
「……っ、守る、折の言うこと聞くから……そしたら、今まで通り……一緒にいてくれるんだよな?」
「うん、そうだよ」
「分かった……守る、約束する。お前と別れたくない、から……」
あれほど自分勝手に振る舞っていた慈門君が、僕の反応を伺うように言葉を選んでいる。牙を折られた犬のように、だから、と何かを求めるように指を絡めてくる。
可哀想だな、と思った。助けたいとも思った。
慈門君が求めているものは形のないものだ。そんなものに拘る必要はないのに、それでもきっと今の慈門君には伝わらないのだろうと分かった。
だから、僕も慈門君に応えることしかできない。
「ありがとう、慈門君」
その唇に軽くキスをし、そのまま自分から慈門君の肩口に顔を埋める。包み込まれる体温の中、慈門君の体が緊張で跳ね上がるのが伝わってきた。
鼓動がより一層うるさくなる。
「っ、折……今、キスするのは……」
「…………いいよ」
「……っ、折……」
「……いいよ、触って」
そう口にした瞬間、再びベッドの上に押し倒されそうになる。そのまま覆い被さってくる慈門君に抱きしめられ、押しつぶされそうになりながらもその背中に手を伸ばした。
鼻先を首筋に押し付け、そこで慈門君は深く呼吸を繰り返す。
「俺、怖かったんだ……ずっと、お前に嫌われると思ったら俺のことだけ見てて欲しくて……」
「……っ、逆効果だよ、慈門君」
「……折」
「僕はちゃんと君のこと、好きなんだ。友人としても、――彼氏としても」
「っ、折……」
骨が軋みそうだが、僕が小さく呻いたのに気付いたようだ。慌てて力を緩め、その代わりに慈門君は恐る恐る僕の腹部に手を這わせる。凹凸のないそこを何度も、何かを確かめるようにそっと服を脱がそうとする慈門君に僕は「慈門君」と名前を呼ぶ。瞬間、びくりと慈門君は手を止めた。
それから。
「折……俺、もっと触りたい」
「駄目だよ、慈門君。……今日は変なことしないでって言っただろ」
「……っ、わ、るい」
「……」
従順な犬のように手を引く慈門君。それでも、分かっている。自分が慈門君にどれほど酷なことを言っているのか。
ただでさえ自分をコントロールすることが苦手な慈門君だ。スラックスの上、傍目で見ても分かるくらい突っ張ったそこを見て僕は慈門君を見上げた。先程まで真っ白だった慈門君の顔に血の気が戻ってきている。ねだるような、待てをされた犬のように所在なさげにしながらも僕から離れようとしない慈門君に小さく息を吐いた。
状況が状況だし、それに、今後のことを考えたら今くらいは優しくするべきなのかもしれない。
「手でいいなら。……いいよ」
「え、お……折」
「そこ、座って」
僕だって慈門君に意地悪をしたいわけではない。
僕と慈門君が恋人として付き合っていくためには必要なことだった。
誰かが手綱を取るしかないのだ。
慈門君を壊さないために、お互いが駄目にならないために、慈門君が大切だから。
……僕は、僕にできる最善を尽くすしかない。
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