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第三章
07
しおりを挟む全てはこの男への復讐のためだった。
俺はこの男を兄と呼び、抱かれた。言われるがまま、求められるがままにロールプレイする度に心は擦り減っていく。
それでも、辛うじて自我を保てたのはこの男の苦しむ顔を見るという明確な目的があった。
だから何をされても、どんな仕打ちをされても耐えられた。
耐えられたのに。
「また間人君が作ったおにぎりが食べたいな」
きっかけはそんな花戸の一言だった。
「作りますよ」と答えれば、花戸は少しだけ驚いたような顔をした。
「……いいの?」
「同じものができるかわかりませんけど……分からないけど」
何度敬語をやめろと言われても未だに敬語は抜けない。
そもそも誰が握ったところでそう大差があるわけでもないだろう。
軽い気持ちで返したのだが、そのときの花戸が大層喜んでいたので戸惑ったくらいだ。
「それじゃあ、甘えちゃおうかな」
昼下がりの花戸の部屋の中、俺は手足の拘束をあっさりと解いてもらった。
久し振りに性行為以外で四肢に自由を与えてもらえた。
拘束のなくなった手足を見て、俺は『これは使えるのではないだろうか』と考えた。
そして、俺の予想は当たった。
「食事、たまには俺も用意するよ。兄さん」なんて笑いかけたら面白いほどあの男は喜んだのだ。けど、流石に包丁を自由に使わせるつもりはないらしい。
俺の気が変わらないうちに花戸は子供用の先の丸い包丁をわざわざ車走らせて買ってきたのだ。
自分から言い出したものの、俺はおにぎりを丸めるのが精一杯だった。初めて包丁を握る俺の手を見て花戸は一から包丁の使い方を教えてくれた。
認めたくはないが、花戸の方が料理は上手いというのは明らかだ。それでも、この男は不満すら言わない。
「こうして並んでること自体が幸せなんだよ」なんて花戸は漏らしていたが、つくづく変な男だと思う。
それからちょこちょこ、夕飯時に花戸と一緒に料理を作る機会が増える。
俺が慣れてくると新しい調理道具を買い足していく花戸。俺が逃げないと判断したのか、リビングまでなら好きにしていいということになった。
相変わらず包丁の先っぽは丸いままだが。
「不思議な感じだね」
その日もまた、花戸に具材の切り方などについて教わったとき。歪な形のじゃがいもと食べやすいサイズのじゃがいもが混在したカレーを食べてると、俺を見つめたまま花戸はぽつりと漏らす。
「……なにが」
「誰かと料理を作って食べることがだよ。間人君、君は家でもこういう手伝いは……してなさそうだね」
「……皿洗いはしたことはある」
「そっか、偉いね」
俺の家での手伝いの様でも想像してんのか、微笑む花戸の視線に居心地が悪くなる。
「料理は好き?」
頬杖をつきながら問いかけてくる花戸に、思わず口ごもる。
どんな嘘も媚も慣れたつもりではあったが、本心を口にすることだけは慣れない。
「……好き」
この部屋を出るため、そして少しでも拘束を外してもらうための手段だった。それなのに。
花戸のことは相変わらず目障りだし隣に立たれると生きた心地はしないが、料理という行為自体は嫌いになれなかった。
そっか、と花戸は小さく頷く。
「それじゃあ、俺がいない間も料理していいよ」
胸の中で俺は『きた』と呟いた。
顔を上げ、それを悟られないように代わりに驚いた表情を顔面に貼り付ける。
「ほしい具材があれば言って。帰って来るときにでも買ってくるし」
驚く俺を他所に続ける花戸。それは願ってもない提案だった。
レシートでも見つければ花戸の帰宅通路や時間帯を割り出せることも可能になる。思わず喜びが顔に出てしまう俺だったが、花戸は都合よく解釈してくれたようだ。
「い、いいのか……?」
「勿論。俺も、間人君の料理が食べられるのは嬉しいからね」
「……ありがと、兄さん」
そうぎゅっと花戸の手を握る。花戸はなんだか妙な顔をして、そして誤魔化すように俺を抱き締めて頭をくしゃりと撫でるのだ。
「その代わり、危ない道具は使っちゃ駄目だからね」
「……ああ、わかった」
「うん。……うん、間人君が喜んでくれたのならよかったよ」
着実に、少しずつでもあるが歩みはしっかりと進んでる。
信頼させろ、そしてもっとこの男の懐に入り込むのだ。
頭の中、脳に刷り込みながら俺は花戸の胸に体を寄せた。
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