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世界共有共感願望
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雨の音がしとしとと響く部屋の中。
肌に纏わりつくこの空気は湿気のせいだけではないだろう。
「それで、私のところへ来たと」
部屋の主は、目の前で固まる俺を見据えたままそう静かに口を開いた。
突然やってきた俺を邪険にすることなく、ただ、どうしたものかと言うかのような目。
俺だって、それは同じだ。
南波に記憶を探す協力を求められ、二つ返事で承諾したものの俺の手札は何が起きるかわからない指輪だけだ。
助けはしたい。けれど、無闇やたらに傷つけるようなこともしたくないと思うのは藤也の言うとおりお節介なのだろうか。
結果、俺は一番付き合いが長いであろう花鶏の元へと再びやってきていた。南波には「俺なりに少し調べてみます」と伝え一旦別れた。
他力本願でも、俺にはこれしかなかった。
少なくとも指輪に覚えがある花鶏に縋る思いで訪ねたわけだが。
「……それで、どうしたらいいのかと思って」
「その手のことなら以前のように仲吉さんにお願いして過去の事件を調べてもらったらいいのではありませんか?」
「でも、今回は訳が違うじゃないですか。……いくら昔とは言え、……ヤクザ絡みのことをあいつに任せるのは……」
「本当に貴方は心配性というか……友達思い、というのでしょうか。……とはいえ私の生きていた時代と南波の生きていた時代は勝手が違う。役座者についての知識で言えば貴方の方がご存知では?」
「……俺が聞きたいのは南波さんと会ったとき……その前後で何があったのか覚えてませんか」
「何が、ですか」と、言葉をなぞるように花鶏は復唱する。上の空、というわけではないだろうが何故だろうか。この男と対峙しているというのにまるで手応えを感じない。
空々しい。暖簾を手押しするかのような、違和感。
故意に躱されてる気がしてならなかった。
ならば、と俺は膝を掴んだ。
「屋敷から離れた墓地に南波さんの死体が埋まってると聞きました。――南波さんの死体を埋めたのは花鶏さんじゃないんですか?」
直球勝負だ。
この男相手に駆け引きで勝つ自信はない。そんなまどろっこしい真似をするよりももっと、確実な道がほしかった。強引だろうが、愚直だと言われようがそうするのがこの男には効果的だと思ったからだ。
案の定、花鶏の纏う空気が一変して重苦しいものになるのを肌で感じる。表情は変わらない。いつもと同じ穏やかな微笑を浮かべてるものの、こちらを見据える目には温もりを感じなかった。
「なぜ、そう思うのですか」
「今でも手入れされているから。……奈都から聞いた話だから奈都は違うし、幸喜も藤也も南波さんより後に来たって話だし……なんでまあ……消去法ですけど」
「そこはもっと自信を持って欲しかったんですが……貴方らしいと言えば貴方らしい」
そう、口にした花鶏の目が細められる。くく、と喉を鳴らして笑う花鶏は「正解です」と手を叩いた。
「仰る通り、南波を埋めたのは私です」
顔色を変えることなく花鶏は白状した。
あまりの潔さに逆に騙されてるのではないかと思うほどのはっきりとした口調だった。
それでもよかった、何か手がかりを手に入れることができるのなら。
「……っ、なら、その時の南波さんの死体の状況とか覚えてないですか?」
「それを南波が知りたいと言ったんですが?」
変わらない調子で聞き返され、思わず言葉に詰まる。
ぐ、と息を飲み、俺は「そう、ですけど」と咄嗟に答えるが口にしてからしまったと思う。
……流石に、分かりやすすぎたか。
「それで、その本人は」
「……今は、休んでもらってます」
「なるほど。そういうことですか」
何がなるほどというのか。
まるで心の奥底まで見透かしたような目が嫌で、俺は目を反らしたまま何も答えられなかった。
そんな俺に南波は怒るわけでもなく、ただ愉快そうに笑う。
「貴方は薄々考えついてるのではありませんか。南波の身に何があったのかくらいは。……だから、あの男を置いて単身で私の元へとやってきた」
「そうでしょう、準一さん」そう幼子を諭すかのような優しい声に、居たたまれなくなって俺は余計顔を上げることができなかった。
花鶏の言う通りだ。南波が本当のことを知りたいというのに、花鶏に会わせなかったのはもしものときのためだった。
俺は、南波がろくな死に方をしていないというのは想像ついていた。殺された、というのもあるが、南波が生前の南波も死後の南波も二人共共通して死亡時の記憶を失ってる。
それは幸喜たちでいうところの防衛本能が働いた結果だとすると、下手したら自我が崩壊するほどの何かがあったということだ。
それに、俺が知ってる南波が常日頃極端に男を怖がっていた。しかし生前のなんばにはそんな様子は一切感じられない。
南波の男性恐怖症には間違いなく死亡時の何らかの出来事が関わってるはずだとわかったから。
だから、その現実をいきなり南波に突きつける前に、俺が確認しておきたかった。
……それはエゴなのだろうが、それでも南波を連れてくることができなかった。そんな卑怯な俺に気付いてるのだろう、この男は。
「貴方がそのつもりなら私は構いませんよ。……その代わり、あの男の分まで受け止めることができる覚悟があるのなら、の話ですが」
そう、袂から何かを取り出した花鶏。
その指先には、件の錆びた指輪が握られていた。
「まず、これだけは伝えておきましょうか。私が今まで黙っていたのは、あの男がそれを望んでいなかったからです。恐れ、忘却し、それでも無意識下で見えない過去の亡霊に重ねては怯えていた。……過去を振り返ろうとしなかった」
だから私も黙っていました、そう花鶏は静かに続けた。
その言葉には、目には、何も感じさせない。懐かしむような色すらもない、ただじっと指先の指輪を見つめ、淡々と続ける。
「さて、どこから説明をしましょうか」と、まるで絵本か何かを読み聞かせる親のように。
覚悟は決めていた。ずっしりと胸に、背中に伸し掛かる重苦しいものを感じながら、俺は背筋を伸ばした。
しとしとと雨の音が静かに響く。ただでさえ湿気た部屋に、重苦しい空気が広がっていた。そう感じるのはもしかしたら俺だけなのかもしれない。
現に、花鶏は涼しい顔をしていた。
「あの頃は……よく山に死体が捨てられていました。この辺もまだ開拓されていなくて、街灯もない。この樹海は夜になると何も見えなくなる。そして昼間も暗い。一度足を踏み入れれば二度と出れない、なんて噂、肝試しでくるような貴方も耳にしたことあるんではないですか?」
「……はい」
「ええ、その通りです。それを逆手にとって利用する人間が居たことも確かです。当時この山では死体がよく捨てられていた。身投げする人間もいたし、首を吊るのに丁度いい木を探しにやってきた自殺者も少なくはありませんでした。……そして、私が初めて出会ったとき南波はこの山に死体を捨てに来ていました」
その話は、南波にも聞いたことがある。
昔はここは死体を捨てるのにうってつけだと。
けれど、そのときにはもう花鶏と南波が出会っていたのは初耳だ。
「勿論私はこの身。南波は気付いてなかったでしょうが、私は生前の彼のことを知っていました。……南波ともう一人、同業者らしき男も連れていましたね。彼らはよく黒い袋にぐるぐるに包まった人間の死体を捨てに来ていました」
「……」
「その時の私は話し相手に飢えてましてね、仲間が増えるのは喜ばしいと思っていたので自殺者については寧ろ歓迎していたのですが……死んだあとの魂が抜けきった死体を捨てられてもただの肉塊ではありませんか。……寧ろ山を汚されて憤りを覚えることも勿論あったのですが……たまにまだ息のある人間を落としてくれるので止めることはしませんでした」
今更花鶏相手に道徳がどうとかだとか倫理がどうとか言うつもりはないが、それでも実際にこの場所であった話だと思うと気分がいいものではない。
そして、南波もそれに関わっているということもだ。
根っからの善人と思っていたわけではないが、死体遺棄は紛うことなき犯罪だ。ということは殺人に少なからず関わっていたことも間違いないだろう。
けれど、俺は黙って花鶏の話を聞いていた。
南波の代わりに全てを受け止める覚悟はできていたから。そう、俺が自分で決めたからだ。それが責任だと思ったから。
花鶏はそんな俺に気にせず、言葉を紡ぐ。
「……それから暫く南波は見なくなり、その代わりに南波と一緒にいた男一人で捨てに来ることが多くなりました。その度私は捨てられた死体を埋めていたのですが、その頃からでしょうか。死体の損傷が激しいものが多くなったのは」
「……っ、……」
「南波が捨てる死体は身なりのいいものから浮浪者まで色々な者が多かったが、どれも共通して成人した男ばかりでした。しかし、その男が捨てるものは女だったり子供だったり……それこそ様々でした。この年になると死体を見ると大抵解るんですよね、どういう意図で傷つけられたのか」
「まあ早い話、南波の側に死体で遊んでいる者がいたのでしょう」想像して、気分が悪くなる。
ヤクザと言えば任侠映画の存在でしかなかったが、恐らく南波が所属していた先が悪いだけだと思いたかった。
「おや、顔色が悪いですね」
「……続けてください」
「ふふ、わかりました」
そう笑う花鶏は少しだけ楽しそうだった。
悪い予感は最初からしていた。これが事実だと花鶏の口から語られることだけで。
花鶏は続ける。
ある日、いつものように南波の連れの男が死体袋を捨てに来た。
それを雑に捨てる。同じくいつものように花鶏はそれを拾い、中身を確認したという。
「久しぶりの再会がまさかこのような形になるとは……私も思いませんでした」
「……まさか」
「ええ。黒い袋の中に詰められた南波の身体は解体されたあとでした」
ああ、と思った。思わず目を瞑る。想像してしまった。想像ついてしまった。袋の中に詰まった肉片を。
その過程を。得体の知れない恐怖や怒りとも付かない感情が腹の底から込み上げてくる。
「そしていつものように死体を埋めたとき、見つけたんですよ。墓地の傍で漂っていた思念体を。……驚いたことに南波はまだその時自我を失いつつも生きようとしていた」
本当しぶとい男ですね、と口にする花鶏は言葉とは裏腹に少し嬉しそうだった。
それで先刻聞いた霊体南波との出会いに繋がるのか、と納得しかけたが……違和感を覚える。
「待ってください。南波さんは……その、バラバラになってて、そのときにはもう死んでるとしたら結界で霊体はこの敷地内に立ち入ることはできないんじゃ……」
そこまで言い掛けて、一抹の可能性に気付いてしまう。
それは、できることなら考えたくなかった。
けれど、それを可能にすることが一つだけあると。
「まさか、ここでバラバラにされたってことですか」
その言葉を口にしたとき、その恐ろしさに血の気が引いた。俺の言葉を黙って聞いていた花鶏は、「御名答」と楽しげに手を叩いた。
「貴方の考える通り、彼はまだ辛うじて生きてる状態でこの山へと運ばれ、そして解体されたのでしょう。――まあ、私はその現場を見ていませんが警察の方がそう話していましたね」
「警察?警察ってことは、犯人は……」
「捕まってはいません。……正確には、逮捕されるよりも先に死にました」
「え……」
「南波を捨てようとした際、足を滑らせて崖から落ちたんですよ。……それで、あなたと同じように即死ですね」
山の近くには南波を運ぶために犯人が使ったという車が乗り捨てられていて、それを見つけた何者かが通報したらしい。
そして駆けつけた警察が中を調べたら血痕が残っていて、そこから事件に発展したという。
車がヤクザのものだとわかると本格的に警察が捜査することになり、それが切っ掛けで人が通れるような道が整備されたりガードレールや、立入禁止の看板に街灯などが設置されたりと今のように少しはましな造りになったという。
「これが、私が知ってることです」
おしまいおしまい、そんな声が聞こえてきそうなほど花鶏の言葉はどこか他人行儀な語り口だった。
「これを聞いて、貴方の口からこの事実を南波に伝えることができそうですか?」
「……わかりません」
「おや、随分と無責任ですね」
「けれど、……南波さんはそれを知りたがってる」
「本当に難儀な方ですね。準一さん、貴方はいつも自分から茨道へと進んでるようですが程々しなければいつか貴方自身にも災いが降り注ぎますよ」
長生きはしたいでしょう、と揶揄する花鶏に俺は何も言えなかった。
それを言うなら、こんな場所で漂ってる時点でもう手遅れだろう。
そんな俺に、小さく呆れたように溜息をついた花鶏は「準一さん」とちょいちょいと手招きをする。
何事かと思えば手を出せ、ということらしい。言われるがままに手を開いたとき、花鶏に例の指輪を握らされた。
「……この指輪は、南波を捨てた男が落としたものです。あの男の指に合っていない指輪は落下とともに手を離れ、落ちてたんです。私はそれを拾い、南波と同じ墓に埋めました」
「……っ」
それは、俺にだけ聞こえるような声だった。二人しかいないこの部屋で、まるで内緒話でもするかのように耳打ちする花鶏に、俺は思わず顔を上げた。
「あの男に見せてみれば何か思い出すのではないでしょうか。……勿論、それが吉と出るか凶と出るかはわかりませんが」
花鶏は、南波の死体を捨てたという連れの男のことを知ってる。けれど、最後までその男が何者かを言わなかった。
忘れている、というわけではないだろう。そんな花鶏が教えてくれた唯一の犯人に関する手がかり。
錆びた指輪が血で汚れてるように見えてならない。
俺は、それを手にしたまま暫く指輪から目を離せなかった。
肌に纏わりつくこの空気は湿気のせいだけではないだろう。
「それで、私のところへ来たと」
部屋の主は、目の前で固まる俺を見据えたままそう静かに口を開いた。
突然やってきた俺を邪険にすることなく、ただ、どうしたものかと言うかのような目。
俺だって、それは同じだ。
南波に記憶を探す協力を求められ、二つ返事で承諾したものの俺の手札は何が起きるかわからない指輪だけだ。
助けはしたい。けれど、無闇やたらに傷つけるようなこともしたくないと思うのは藤也の言うとおりお節介なのだろうか。
結果、俺は一番付き合いが長いであろう花鶏の元へと再びやってきていた。南波には「俺なりに少し調べてみます」と伝え一旦別れた。
他力本願でも、俺にはこれしかなかった。
少なくとも指輪に覚えがある花鶏に縋る思いで訪ねたわけだが。
「……それで、どうしたらいいのかと思って」
「その手のことなら以前のように仲吉さんにお願いして過去の事件を調べてもらったらいいのではありませんか?」
「でも、今回は訳が違うじゃないですか。……いくら昔とは言え、……ヤクザ絡みのことをあいつに任せるのは……」
「本当に貴方は心配性というか……友達思い、というのでしょうか。……とはいえ私の生きていた時代と南波の生きていた時代は勝手が違う。役座者についての知識で言えば貴方の方がご存知では?」
「……俺が聞きたいのは南波さんと会ったとき……その前後で何があったのか覚えてませんか」
「何が、ですか」と、言葉をなぞるように花鶏は復唱する。上の空、というわけではないだろうが何故だろうか。この男と対峙しているというのにまるで手応えを感じない。
空々しい。暖簾を手押しするかのような、違和感。
故意に躱されてる気がしてならなかった。
ならば、と俺は膝を掴んだ。
「屋敷から離れた墓地に南波さんの死体が埋まってると聞きました。――南波さんの死体を埋めたのは花鶏さんじゃないんですか?」
直球勝負だ。
この男相手に駆け引きで勝つ自信はない。そんなまどろっこしい真似をするよりももっと、確実な道がほしかった。強引だろうが、愚直だと言われようがそうするのがこの男には効果的だと思ったからだ。
案の定、花鶏の纏う空気が一変して重苦しいものになるのを肌で感じる。表情は変わらない。いつもと同じ穏やかな微笑を浮かべてるものの、こちらを見据える目には温もりを感じなかった。
「なぜ、そう思うのですか」
「今でも手入れされているから。……奈都から聞いた話だから奈都は違うし、幸喜も藤也も南波さんより後に来たって話だし……なんでまあ……消去法ですけど」
「そこはもっと自信を持って欲しかったんですが……貴方らしいと言えば貴方らしい」
そう、口にした花鶏の目が細められる。くく、と喉を鳴らして笑う花鶏は「正解です」と手を叩いた。
「仰る通り、南波を埋めたのは私です」
顔色を変えることなく花鶏は白状した。
あまりの潔さに逆に騙されてるのではないかと思うほどのはっきりとした口調だった。
それでもよかった、何か手がかりを手に入れることができるのなら。
「……っ、なら、その時の南波さんの死体の状況とか覚えてないですか?」
「それを南波が知りたいと言ったんですが?」
変わらない調子で聞き返され、思わず言葉に詰まる。
ぐ、と息を飲み、俺は「そう、ですけど」と咄嗟に答えるが口にしてからしまったと思う。
……流石に、分かりやすすぎたか。
「それで、その本人は」
「……今は、休んでもらってます」
「なるほど。そういうことですか」
何がなるほどというのか。
まるで心の奥底まで見透かしたような目が嫌で、俺は目を反らしたまま何も答えられなかった。
そんな俺に南波は怒るわけでもなく、ただ愉快そうに笑う。
「貴方は薄々考えついてるのではありませんか。南波の身に何があったのかくらいは。……だから、あの男を置いて単身で私の元へとやってきた」
「そうでしょう、準一さん」そう幼子を諭すかのような優しい声に、居たたまれなくなって俺は余計顔を上げることができなかった。
花鶏の言う通りだ。南波が本当のことを知りたいというのに、花鶏に会わせなかったのはもしものときのためだった。
俺は、南波がろくな死に方をしていないというのは想像ついていた。殺された、というのもあるが、南波が生前の南波も死後の南波も二人共共通して死亡時の記憶を失ってる。
それは幸喜たちでいうところの防衛本能が働いた結果だとすると、下手したら自我が崩壊するほどの何かがあったということだ。
それに、俺が知ってる南波が常日頃極端に男を怖がっていた。しかし生前のなんばにはそんな様子は一切感じられない。
南波の男性恐怖症には間違いなく死亡時の何らかの出来事が関わってるはずだとわかったから。
だから、その現実をいきなり南波に突きつける前に、俺が確認しておきたかった。
……それはエゴなのだろうが、それでも南波を連れてくることができなかった。そんな卑怯な俺に気付いてるのだろう、この男は。
「貴方がそのつもりなら私は構いませんよ。……その代わり、あの男の分まで受け止めることができる覚悟があるのなら、の話ですが」
そう、袂から何かを取り出した花鶏。
その指先には、件の錆びた指輪が握られていた。
「まず、これだけは伝えておきましょうか。私が今まで黙っていたのは、あの男がそれを望んでいなかったからです。恐れ、忘却し、それでも無意識下で見えない過去の亡霊に重ねては怯えていた。……過去を振り返ろうとしなかった」
だから私も黙っていました、そう花鶏は静かに続けた。
その言葉には、目には、何も感じさせない。懐かしむような色すらもない、ただじっと指先の指輪を見つめ、淡々と続ける。
「さて、どこから説明をしましょうか」と、まるで絵本か何かを読み聞かせる親のように。
覚悟は決めていた。ずっしりと胸に、背中に伸し掛かる重苦しいものを感じながら、俺は背筋を伸ばした。
しとしとと雨の音が静かに響く。ただでさえ湿気た部屋に、重苦しい空気が広がっていた。そう感じるのはもしかしたら俺だけなのかもしれない。
現に、花鶏は涼しい顔をしていた。
「あの頃は……よく山に死体が捨てられていました。この辺もまだ開拓されていなくて、街灯もない。この樹海は夜になると何も見えなくなる。そして昼間も暗い。一度足を踏み入れれば二度と出れない、なんて噂、肝試しでくるような貴方も耳にしたことあるんではないですか?」
「……はい」
「ええ、その通りです。それを逆手にとって利用する人間が居たことも確かです。当時この山では死体がよく捨てられていた。身投げする人間もいたし、首を吊るのに丁度いい木を探しにやってきた自殺者も少なくはありませんでした。……そして、私が初めて出会ったとき南波はこの山に死体を捨てに来ていました」
その話は、南波にも聞いたことがある。
昔はここは死体を捨てるのにうってつけだと。
けれど、そのときにはもう花鶏と南波が出会っていたのは初耳だ。
「勿論私はこの身。南波は気付いてなかったでしょうが、私は生前の彼のことを知っていました。……南波ともう一人、同業者らしき男も連れていましたね。彼らはよく黒い袋にぐるぐるに包まった人間の死体を捨てに来ていました」
「……」
「その時の私は話し相手に飢えてましてね、仲間が増えるのは喜ばしいと思っていたので自殺者については寧ろ歓迎していたのですが……死んだあとの魂が抜けきった死体を捨てられてもただの肉塊ではありませんか。……寧ろ山を汚されて憤りを覚えることも勿論あったのですが……たまにまだ息のある人間を落としてくれるので止めることはしませんでした」
今更花鶏相手に道徳がどうとかだとか倫理がどうとか言うつもりはないが、それでも実際にこの場所であった話だと思うと気分がいいものではない。
そして、南波もそれに関わっているということもだ。
根っからの善人と思っていたわけではないが、死体遺棄は紛うことなき犯罪だ。ということは殺人に少なからず関わっていたことも間違いないだろう。
けれど、俺は黙って花鶏の話を聞いていた。
南波の代わりに全てを受け止める覚悟はできていたから。そう、俺が自分で決めたからだ。それが責任だと思ったから。
花鶏はそんな俺に気にせず、言葉を紡ぐ。
「……それから暫く南波は見なくなり、その代わりに南波と一緒にいた男一人で捨てに来ることが多くなりました。その度私は捨てられた死体を埋めていたのですが、その頃からでしょうか。死体の損傷が激しいものが多くなったのは」
「……っ、……」
「南波が捨てる死体は身なりのいいものから浮浪者まで色々な者が多かったが、どれも共通して成人した男ばかりでした。しかし、その男が捨てるものは女だったり子供だったり……それこそ様々でした。この年になると死体を見ると大抵解るんですよね、どういう意図で傷つけられたのか」
「まあ早い話、南波の側に死体で遊んでいる者がいたのでしょう」想像して、気分が悪くなる。
ヤクザと言えば任侠映画の存在でしかなかったが、恐らく南波が所属していた先が悪いだけだと思いたかった。
「おや、顔色が悪いですね」
「……続けてください」
「ふふ、わかりました」
そう笑う花鶏は少しだけ楽しそうだった。
悪い予感は最初からしていた。これが事実だと花鶏の口から語られることだけで。
花鶏は続ける。
ある日、いつものように南波の連れの男が死体袋を捨てに来た。
それを雑に捨てる。同じくいつものように花鶏はそれを拾い、中身を確認したという。
「久しぶりの再会がまさかこのような形になるとは……私も思いませんでした」
「……まさか」
「ええ。黒い袋の中に詰められた南波の身体は解体されたあとでした」
ああ、と思った。思わず目を瞑る。想像してしまった。想像ついてしまった。袋の中に詰まった肉片を。
その過程を。得体の知れない恐怖や怒りとも付かない感情が腹の底から込み上げてくる。
「そしていつものように死体を埋めたとき、見つけたんですよ。墓地の傍で漂っていた思念体を。……驚いたことに南波はまだその時自我を失いつつも生きようとしていた」
本当しぶとい男ですね、と口にする花鶏は言葉とは裏腹に少し嬉しそうだった。
それで先刻聞いた霊体南波との出会いに繋がるのか、と納得しかけたが……違和感を覚える。
「待ってください。南波さんは……その、バラバラになってて、そのときにはもう死んでるとしたら結界で霊体はこの敷地内に立ち入ることはできないんじゃ……」
そこまで言い掛けて、一抹の可能性に気付いてしまう。
それは、できることなら考えたくなかった。
けれど、それを可能にすることが一つだけあると。
「まさか、ここでバラバラにされたってことですか」
その言葉を口にしたとき、その恐ろしさに血の気が引いた。俺の言葉を黙って聞いていた花鶏は、「御名答」と楽しげに手を叩いた。
「貴方の考える通り、彼はまだ辛うじて生きてる状態でこの山へと運ばれ、そして解体されたのでしょう。――まあ、私はその現場を見ていませんが警察の方がそう話していましたね」
「警察?警察ってことは、犯人は……」
「捕まってはいません。……正確には、逮捕されるよりも先に死にました」
「え……」
「南波を捨てようとした際、足を滑らせて崖から落ちたんですよ。……それで、あなたと同じように即死ですね」
山の近くには南波を運ぶために犯人が使ったという車が乗り捨てられていて、それを見つけた何者かが通報したらしい。
そして駆けつけた警察が中を調べたら血痕が残っていて、そこから事件に発展したという。
車がヤクザのものだとわかると本格的に警察が捜査することになり、それが切っ掛けで人が通れるような道が整備されたりガードレールや、立入禁止の看板に街灯などが設置されたりと今のように少しはましな造りになったという。
「これが、私が知ってることです」
おしまいおしまい、そんな声が聞こえてきそうなほど花鶏の言葉はどこか他人行儀な語り口だった。
「これを聞いて、貴方の口からこの事実を南波に伝えることができそうですか?」
「……わかりません」
「おや、随分と無責任ですね」
「けれど、……南波さんはそれを知りたがってる」
「本当に難儀な方ですね。準一さん、貴方はいつも自分から茨道へと進んでるようですが程々しなければいつか貴方自身にも災いが降り注ぎますよ」
長生きはしたいでしょう、と揶揄する花鶏に俺は何も言えなかった。
それを言うなら、こんな場所で漂ってる時点でもう手遅れだろう。
そんな俺に、小さく呆れたように溜息をついた花鶏は「準一さん」とちょいちょいと手招きをする。
何事かと思えば手を出せ、ということらしい。言われるがままに手を開いたとき、花鶏に例の指輪を握らされた。
「……この指輪は、南波を捨てた男が落としたものです。あの男の指に合っていない指輪は落下とともに手を離れ、落ちてたんです。私はそれを拾い、南波と同じ墓に埋めました」
「……っ」
それは、俺にだけ聞こえるような声だった。二人しかいないこの部屋で、まるで内緒話でもするかのように耳打ちする花鶏に、俺は思わず顔を上げた。
「あの男に見せてみれば何か思い出すのではないでしょうか。……勿論、それが吉と出るか凶と出るかはわかりませんが」
花鶏は、南波の死体を捨てたという連れの男のことを知ってる。けれど、最後までその男が何者かを言わなかった。
忘れている、というわけではないだろう。そんな花鶏が教えてくれた唯一の犯人に関する手がかり。
錆びた指輪が血で汚れてるように見えてならない。
俺は、それを手にしたまま暫く指輪から目を離せなかった。
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