亡霊が思うには、

田原摩耶

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世界共有共感願望

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 暗転。
 そして、再び舞台の幕が開いた。

「準一、お前……っ」

 どこからだ、どこにいる、俺は。
 見失いそうになる自分を見つけ、手のひらに目を向ける。そこには確かな重みがあった。
 先程の続きなのか。呼吸が浅くなる。震える手のひらをぐっと握り締め、そのまま剣崎の死体を確認しようと近付いたとき。
 床の上、仰向けに倒れていた剣崎の体が大きく痙攣する。

「っ、え」

 おかしい、と思ったときには遅かった。剣崎は凡そ人間離れした動きで置き上がるのだ。背骨を無視し、まるで軟体動物かなにかのように大きく伸びをし、何事もなかったかのように起き上がる剣崎――だったものに、南波は「嘘だろ」と呟いた。
 そのまま気だるそうに首を鳴らす剣崎はゆっくりと辺りを見渡して……そして、上半分を大きく欠けたその顔で、確かにこちらを見たのだ。

「あー……やっぱ、アンタから殺すべきでしたね」

 そこにいたのは剣崎ではない、剣崎の姿をした亡霊だ。
 わかっていたはずだ、ここは南波の精神世界だ。この男を俺が殺したところで、南波の恐怖心が消えない限り何度も蘇ると。
 実際こうして目の当たりにすると怯みそうになる。
 それは、南波も最上も同じだ。
 けれど、これではっきりとわかったはずだ。ここは最早過去ではない。

「……ッ、クソ……!」

 とにかく足止めしなければ。その一心で剣崎の心臓を狙って胸を打つが、照準がずれてしまう。胴体を掠めるだけの弾、その反動にびりびりと痺れる腕。剣崎の動きが止まった空きに近くにあった椅子を掴み上げ、思いっきり投げ付けた。

 そして、狙撃された方とは正反対の窓をサイドボードで叩き割る。ベランダから降りれば、丁度下には停車したままの車を見つけた。柔らかいクッションまでとは行かないが、地面に直接降りるよりはましだ。
「ここから逃げましょう」と南波と最上を呼び、俺はベランダの柵を乗り越えて先に飛び降りる。勿論高いところは嫌いだし落下するのなんて真っ平ゴメンだが、それよりもここで剣崎に殺されるのだけは避けなければならない。そう直感が叫んでいたのだ。ならば、手段を選んでる暇はない。
 南波も今のを見て異常事態には気付いたはずだ。
 なんなんだ、と狼狽える最上を抱え、「少し響くかもしれねえっす」とだけ言えば、南波はそのまま車のルーフに飛び降りた。流石に大の男二人をもろに受け止めた天井部分は凹んだが、幸いフレームまでは曲がっていない。
 剣崎はすぐに追い付くだろう。南波の精神世界である限りどこまでも。それでも一度やつから離れ、対処法を考える方が先だ。俺は二人を車に押し込め、この場から一旦離れることを優先させる。

 車内。どこを走ってるのかもわからない。ただ、とにかくあの男・剣崎を撒く必要がある。来てきた道を戻りながら、俺はとにかくあの別荘から離れる。

「どういうことだよ、これ、準一……剣崎は……っ」
「ここは、南波さんの頭の中です」
「なに……言って……」
「俺は……南波さんに呼ばれてここに来ました、本来なら俺はこの時代には生まれてません」

 どこからか説明すべきか迷った。
 けれど、ずっと逃げてても何も変わらない。南波には、にわか受け入れられないであろう現実を伝えるべきか迷った。けれど、恐らく、あの男の呪縛から逃れられるには俺ではなく南波自身が変わる必要がある。

「……ここは南波さんの頭の中で、現実の南波さんはあの、剣崎という男のせいで……苦しんでる」

 殺された、なんて言えなかった。
 何言ってんだコイツという顔をしてる南波だったが、俺が真剣だということに気付いたのだろう。それに、先程の人間離れした剣崎を見て流石におかしいとわかったはずだ。

「……あの男は南波さんと最上さんを殺す気でいます。そして、剣崎を殺すことが出来るのは南波さんだけです」

 酷なことを言ってる自覚はあった。俺は、南波に剣崎を殺させようとしている。けれど、そういうことなのだ。恐らく。南波があの男を化物だと、恐怖の対象だと本能的に植え付けられてるからこそその概念をどうにかしなければならない。

「っ、……そんな話を信じれって言うのかよ……」
「……南波さん、俺のこと信じられないっていうのはわかります、けど……本当なんです」

 俺が南波なら、同じ反応をするだろう。現に、俺が死んだときもすぐに信じられなかった。

「っ……宗親……そいつは、嘘は吐いてない……」

 そんな困惑と怒りが入り混じった空気の中、言葉を発したのは最上だった。南波によって止血を施されていた最上だが、右手首から下を失ったほどの重症にはあまり効果がないだろう。現に、完全に止血まではできず顔色は悪い。それでも、呻き声を殺し、南波に声を掛ける最上に南波は「親父」と心配そうに顔を顰めた。

「あいつは、最初、俺が十河組から情報を引き抜くために手配した男だった。……十河はそれを知らずに、俺たちの、天恩会の情報を引き抜くためにスパイとして送り込んできた」

 無理しないでくださいと言いたげな南波に構わず、声を振り絞る最上。その口から飛び出した事実に、思わず俺は口にした。つまり、剣崎は――。

「っ、……二重スパイ」
「俺は、最初に出会ったときのあいつのままだと信用し過ぎていた。……全ては、俺の責任だ」
「……っ、親父……」

 南波も知らなかったのだろう。最上と剣崎、二人と行動することが多かった南波の戸惑いは俺以上のはずだ。
 恐らく、剣崎を南波に任せたのも信頼に値すると判断したからということか。けれど、最上は気付いた。剣崎が十河に情報を売ったと。
 だからこそ、自ら剣崎の懐に踏み込むことを選んだのだろう。一人でも、十河に復讐するために。

 南波は、何かを考えてるようだった。深夜の山道、おまけに古い車種での運転は必要以上に神経を擦り減らす。
 けれど、今は逃げる他ない。南波がこの事実を受け入れられるまでは、向き合うことはできないだろう。
 重い沈黙が流れる。湿気と血の匂いを含んだ生温い空気が絡み付いてくるようだった。窓の外では虫の鳴き声がジリジリと響いている。木々の隙間から覗く真っ赤な月だけがやけに不気味にハッキリと俺たちを照らすのだ。
 そんな中、南波が「なあ」と口を開いた。

「……準一、お前はここは現実じゃねえって言ったよな」
「……はい」
「けど、俺からしてみりゃ現実だ。親父が傷付いてんのも、……勿論お前のこともだ、準一」
「……はい」
「ここが俺の夢だろうが、剣崎は、あいつは親父を裏切った。……なら、テメェに言われなくても落とし前つけさせるのが道理ってもんだろ」

「南波さん」と、思わず振り返りそうになった。
 その言葉に、胸の奥が熱くなる。こうして南波が俺のことを信じてくれたのは何度目だろうか。真っ直ぐで、たまに真っ直ぐ過ぎて空回りすることもある人だが、人一倍情に厚い。やっぱり、記憶があろうが無かろうが、南波は南波だ。
 よかった、と安堵する。南波が拒否すれば、俺達の結末はまた在るべき舞台に戻るだけだ。それを避けることができただけでも大きい。

「っ、そうと決まれば……とにかく、最上さんを安全な場所に……」

 身を隠しましょう、と言い掛けたときだった。
 ドン、と、天井部に何かが落ちてくる。岩とかそんなものではない、明らかにもっと重量もあるそれに車体全体が揺れ、思わず声をあげそうになる。全身に汗が滲む。ハンドルを切りそうになったが、寸でのところで堪えた。
 ……厭な予感がする。
 ずる、ずる……とルーフの上でなにかが這いずるような音が聞こえる。そしてそれは次第に俺の方へと近付いてくるのだ。心臓が、今にも破裂しそうなほど鼓動を刻む。喉が酷く乾いた。手汗で滑りそうになるハンドルをしっかりと握りしめ、震えを誤魔化した。

 ――来る。
 そう、息を飲んだ瞬間だった。

 頭が割れるような音ともにフロントガラスが白く染まる。――否、白く見えたそれは細かいヒビだ。まるで蜘蛛の巣のように大きく入る亀裂の向こう側、赤い満月を背に、覗き込んでくる剣崎は確かに俺を見て笑った。
 剣崎に気を取られ、車体がガードレールに掠める。

「ぅおッ、やべ……っ!」
「準一、そのまま走れ!」
「え、ちょ……っ!待っ、南波さんっ!」

 何を考えてるのか、銃を取り出した南波はそのまま窓から頭を出すのだ。危ない、と言い掛けたが南波なりに考えがあるのだろう。とにかく、信じる他無い。
 南波が障害物に当たらないようにガードレール際に車を走らせたとき、頭上で銃声が響く。鼓膜を揺らすほどの空気の振動。しかし、剣崎はただ鼻で笑うだけで苦しんでる様子はない。

「っ、冗談だろ……っ!!」

 南波の声が聞こえ、厭な予感がし倒れは咄嗟に、南波さん、と俺は片方の手で服を掴んでを車体へと引き戻す。

「っ、準一……あいつバケモンだ!ビクともしねえ!」
「……っ、ビクとも……」

 どうしてだ、俺の予想では南波の弾ならダメージを負うことができると思ったのに。なにかが間違ってるのか。窓を閉めようとしたとき、開いた窓から赤く染まった剣崎の腕が伸びてくる。そして、助手席の窓からにょきっと顔を出すのだ。

「っ、……お前……ッ!!」
「悪いけど、アンタに俺は殺せねえっすよ」

 どうやって車体にしがみついてるのだ。そんなこと考えてる場合ではないとわかっていたが、歯を剥き出しに笑う頭半分失った男に血の気が引く。そして、そのまま車内に入り込もうとしてくる剣崎にどうすれば、と辺りを見渡し――見つけた。

「弾、返しますね」

 そう、銃を南波の額に突きつける剣崎。その引き金が引かれる前に、アクセルを踏み込んだ俺はそのままハンドルを大きく切り、咄嗟に岩壁に向かって思いっきり突っ込んだ。なにかが潰れる音すらもしなかった。剣崎の手から離れた銃はあらぬ方向へ向かって発砲される。
 他人の車だ、大きく壊れてるだろう。下手したら助手席の南波も危ないが、そんなことを言ってる場合ではない。やばい音がして、煙に血、ガソリンと硝煙。それらが入り混じったような異様な匂いが車内に広がる。

 摩擦に巻き込まれたのか、窓の外張り付いていた剣崎の姿はなくなっていた。代わりに残った肉片を見るからに、少なくともやつも無傷では済んでいないだろう。
 直にまた追いつかれるはずだ。
 それに、俺のせいではあるがこの車も損傷が激しい。それまでに対策を考えなければ。

「準一、お前……」
「……っ、なにも、言わないでください」

 こうするしかなかった、そうしなければ、もし二人の身になにかが遭ったらと思うと居ても立ってもいられなかったのだ。
 タイヤになにか挟まってる感覚が嫌にリアルなのが余計に恐ろしかった。
 今ので死んでくれるのが一番いいのだろうが、死んでなさそうだ。何かが背後から近づいてくるような、剥がしても剥がれないような焦燥感。恐らく、時間の問題だ。

「っやっぱり、普通の方法じゃ駄目なのか……」
「どうすりゃ良いんだ、あの化物野郎……っ!」

 苛ついたように髪を掻き毟る南波。ストレスも多いのだろう。ちらりと最上の方を確認するが、大分出血が酷いようだ。……どうするべきか。考えろ、俺。明らかに今、何かが欠けてる。それをどうにかしないと、このままでは……。
 と、そこまで考えてるとき、どんどん車のスピードが落ちていることに気づいた。ぐ、とアクセルを踏み込むが、なにかが引っかかったように進まない。
 まずい、このままでは落ちるかもしれない。崖から離れるように林側に車を寄せ、限界まで走らせる。

「準一、なんかやべえ匂いがするんだけど……」
「……南波さんもそう思いますか」
「大丈夫なのかよ、これ……っ!」
「多分、そろそろ限界です。これ以上は、引火の危険性があります、一旦降りましょう」
「降りるって……車でも登ってくるやつだろ!追い付かれるぞ!」
「……そもそも、あいつから本当に逃げることは不可能だと思います」
「なんだと……っ?」

 不意に、視線の先に小屋を見つける。大分古ぼけた心元ない木製の倉庫みたいな建物だ。それでもよかった。とにかく最上を安静できる場所へ、その一心で車を停める。

「……ッ南波さん、最上さんをそこの小屋で休ませましょう」
「親父、動けそうですか」
「……心配いらねえよ、それよりも……あいつは……」
「今のところ姿は見えません、けど……恐らく時間の問題かと……」

「そうか」と口にする最上はそのまま車を降りる。……平気、なはずがないだろう。あの失血量、それに、なくなった腕の先を見る。……頼りの綱だった車もこの調子だ、本来ならば長くは持たないだろう。
 けれど、ここは南波の世界だ。諦めるわけにはいかない。
 なにかがあるはずだ。

 ベコベコに凹んだ車は一部変色してる。ガソリンや血の匂いで吐き気を覚えた。深い森に月すらも隠され、何も見えない。一気に静まり返った周囲に、俺たちは物音に集中しながら足を進めた。

 とにかく最上を安静にして、俺と南波で剣崎を見張ればなんとかなるのではないだろうか……。手探りだ。なにもかも、どうなるかもわからない現状。できることは全部やるしかない。

 不意に最上が蹌踉めく。これを支える南波だったが、最上はそれを断った。
 その代わり、最上は「宗親」と南波を呼ぶ。

「親父、無理して動いたら……」
「これくらい問題ねえ。それよりも、お前……弾ねえんだろ」
「……親父」
「俺が持ってるより、お前が持ってる方がいい。……使え」

 そう、左手で動きづらそうにスーツから何かを取り出す最上。四角いそれは恐らく銃弾が入ってる箱か。何故そんなもの持ち歩いているのかと驚いたが、そうだ、この男たちは元々人間を殺すために来ていたのだ。

「……親父」

 ありがとうございます、とか何かを言いかけたのだろう。最上の方へと近付こうとした南波。その奥、最上の背後で影が動いたのを見た。

「待て、南波さん!」

 嫌な予感がして、咄嗟に南波の腕を掴み引き止める。
 次の瞬間だった。
 南波に向かって手を差し出した最上の頭部が、文字通り弾け飛んだ。そして、遅れて乾いた銃声が大きく響く。
 何かを言い掛けた最上の口からは空気の抜けるような音とともに次の瞬間、がぽりと赤黒い血の塊がこぼれた。

「お、やじ……?」

 そのまま前へと傾くように倒れる最上の背後、現れたそいつと、その手にしたものを見て言葉を失った。
 人間の形を取り戻した剣崎は、手にした拳銃を突き付けたままへらりと笑ったのだ。

「弾、返しますよ。……最上サン」
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