亡霊が思うには、

田原摩耶

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03

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 ――屋敷、ロビー。
 仲吉と別れ、屋敷へと戻ってきた俺は取り敢えず藤也にカメラのバッテリーを渡しに行くことにした。
 階段を登り、二階客室へと続く通路を渡って藤也の部屋へと向かっていたときだ。
「準一さん!」と、階段下から呼び止められる。奈都だ、珍しく慌てている。

「どうした?何かあったのか?」
「あの、さっき森の方で仲吉さんと会ったんですけど、その……大丈夫ですか?一人でうろうろされてたので」
「あー……」

 それで俺をわざわざ探しに来てくれたということか。俺は先程喧嘩別れのような形で別れた仲吉のことを思い出し、思わず言葉に詰まる。

「その……あいつの方から、帰るって言い出してな」
「え?」
「たまにあるんだよ、気分屋っつーかすぐ臍曲げるから」

 喧嘩しました、なんて恥ずかしい話ではあるが心配してくれてここまできたのだ。奈都には素直に話しておくべきだろう。
 そう説明するが、口にして余計ガキかよってムカついてきた。対する奈都は益々心配そうな顔をする。

「……でも、いいんですかね。仲吉さん、あんなに準一さんに会いたがっていたのに」
「気にすんなって。あいつから帰るって言ったんだし」
「……そうですか、まあ、準一さんがそう言うなら……」
「……っ、あー……っと、そういや、俺がいない間あいつの相手してくれたみたいだってな。……悪かったな、あいつ迷惑かけなかったか?」

 なんとなく居心地悪くて、咄嗟に話題を変えれば奈都は慌てて首を横に振る。

「いえ、そんなことないですよ。寧ろその逆です。……色々お話できてとても楽しかったです」
「そうか、ならよかった」

 そして、沈黙。せっかく空気は変えられたと思ったがどうやっても仲吉のことが気がかりだった。
 ええい、たかが帰るくらいだ。一人でも大丈夫だろう。そう自分に言い聞かせるが脳裏に仲吉の顔がちらちら映るのだ。
 そんなとき、「そういえば」と奈都の方から話題を振ってきた。

「その……僕はあまり詳しいこと聞いてなかったんですけど……南波さんの記憶の中に入ったって本当ですか?」

 奈都の方からこうやって聞かれたのは初めてだった。

「……あぁ、そうだな。……花鶏さんから聞いたのか?」
「いえ、南波さんに。……あまりにも人が変わったようだったので最初はびっくりしたんですが、あの人ってあんな風にまともに会話できたんですね」

 随分な言われようだが、確かに以前の南波はまともに話すことすらできなかった。奈都が驚くのも無理ないかもしれない。

「南波さんからなんて聞いたんだ?」
「一応僕が聞いたのは、二人がいない間は南波さんの精神世界に入ってたって……僕、そこからよくわからないんですけど、それってどういう事なんですかね?」
「ど、どういうことって……」
「だって、もしその状態で南波さんが消滅したら……準一さんもいなくなってたかもしれないってことですよね。そして、二人共ここではない別の空間にいた」

「前の仲吉さんと以心伝心した準一さんの話を聞いたときも思いましたけど、なんだな御伽話みたいですよね」と、奈都は考え込む。
 確かに言葉にしてみると荒唐無稽な話だ。

「……そう、だな。正直、俺もまだ信じられないよ。……なんか夢見てるような、けど、現実だし……」
「もし、僕が準一さんの頭の中を覗きたいと思ったらできるんでしょうか」

 ふと、奈都は思いついたように口にするのだ。
「え」と固まるこちらをじっと二つの目が覗き込んでくる。深い夜のような二つの目が、こちらを。

「……っ、な、奈都……?」

 時間が止まったのかと思うほど長い数十秒間だった。目のやり場に困り、咄嗟に視線を外したとき、奈都は観念したように俺から顔を離した。

「……やっぱ、そんな上手くはいきませんよね。僕には無理そうです」

 いきなり無言で見つめてくるから何事かと思ったら、なるほどそういうことか。
 奈都が俺の頭の中を覗きたいと思っても、俺はそれを簡単に許せないだろう。口では許したつもりでも、心が拒めばそれは成立しない。……そう考えると、家族でもない相手と二人も繋がったのはすごいことなのかもしれない。そう、実感が沸いてくる。
 とはいえ、南波のときは剣崎の幻影というイレギュラーもあった。……あのときは南波を殺させないことで必死だったのだ。

「……すみません、突然失礼な真似を。」
「いや、大丈夫だ」
「……けど、ずっと心配してたんです。もし準一さんの身に何かあったらと思ったら……」
「と、そうだ。こっちは大丈夫だったのか?俺がいない間、何か変なこととかなかったか?」
「平和も平和ですよ。……退屈でした」

 静かな時間を好む奈都がそんな風に言うなんてよっぽどなのかもしれない。そんなとき、そういえば、と奈都は思い出したようにあげた。

「何度か外からの人間は来てたみたいですよ」
「……外から?」
「ええ、仲吉さんじゃない……見たことない人でしたね。暗かったのでよく覚えてないですけど、どうせまたいつもの暇人ですよ。……本当、くだらない」

 相変わらず歯に衣を着せぬ物言いをする奈都に思わず苦笑する。それ、是非仲吉にも言ってやってくれないだろうか。

「それにしても、外からのやつか」
「翌朝には姿は見かけなかったのですぐ帰ったんでしょうね。特に気にはしませんでした」
「そうか、でも何もなかったんなら良かったよ」

 そんな会話をしてる内に外からは雨の音が聞こえてくる。どうやら花鶏の予報通り雨が振り始めたようだ。

「……僕、念の為仲吉さんが帰れたか確認してきます」
「なんか、悪いな。こんな真似ばっかさせて」
「気にしないでください。僕も仲吉さんと話したいことはあったので」

 どんなことを話してるのか気になったが、奈都はあまり過度に踏み込まれることを嫌がるのを思い出し「そうか」という当たり障りのない返事だけしておくことにする。

 奈都と別れて藤也の部屋へ向かう。
 しとしとと窓の外から聞こえてくる雨の音を聞きながら俺は奈都との会話を思い出していた。
 訪問者、か。何事もなければいいがどうしてもいい予感がしなかった。


 ――藤也の部屋の前。

「藤也」

 丁度部屋の前の通路。その奥に見慣れた背中を見つけて名前を呼べば、藤也はゆっくりとした動作でこちらを振り返る。

「……準一さん、なにか用?」
「いや用ってか……渡したいものがあって」

 渡したいもの?と小首傾げる藤也に、俺は先程仲吉から預かったカメラのバッテリーを差し出す。藤也はそれを受け取り、しげしげと眺めるのだ。

「仲吉からもらったんだ、カメラのバッテリー。もう切れてるだろ?よかったら使ってくれ」

 そう説明すると、「ああ」と藤也は思い出したように小さく頷く。

「俺が持ってていいわけ?」
「え?」
「元はといえばあいつが準一さんに渡したのなんだろ。……俺はもう別にいい。飽きたし」
「飽きたのかよ……」

 待ってて、とだけ言い残し自分の部屋へと引っ込んだ藤也はカメラを手に戻ってくる。

「これ」
「……本当にもういいのか?」
「いい、返す」

 本当に飽きたのか知らないがマイペースで頑固な藤也のことだ、また使いたくなったら俺に言ってくるか。渋々カメラとバッテリーを受け取る。これで色々遊んだのだろう、所々乾いた血痕の様なものがこびりついていたのが引っ掛かったが敢えて触れないでおく。
 案の定バッテリー切れていたので早速新しいものに入れ替えてみれば、真っ暗だった画面が点いた。そして藤也が撮った写真たちを見ようとしてると横から藤也が覗いてくる。

「……もう変なものは撮れてないな」
「そう何度も映り込まれても困るしな。……藤也って自然ばっか写してるよな」
「自然以外に撮るものないし、ここ」
「まあ……そうだな」

 なんて他愛ない会話を交えながら俺はカメラを仕舞った。

「じゃあこれは俺が預かっておくな」

 こくりと頷く藤也。相変わらず物静かなやつだ。

 藤也と一緒にいるとただでさえゆっくりとした時間が更に遅く感じる。リラックスできているということなのかもしれないが……。
 なんて考えていたときだ。いきなり外で大きな雷鳴が響いた。音のした方、窓に張り付くように屋敷の外を見れば窓の外は黒く分厚い雲に覆われ、大粒の雨が降り注いでいた。遠くでは雷が光っている。

「ひでえな……雷今の落ちたか?」
「嵐が来そうだな。……準一さん、戸締まりに気をつけた方がいい。掃除面倒だから」
「あ、そうか……俺の部屋窓閉めたっけか」
「知らないよ。けど、もし開けっ放しだったら今頃……」
「……ちょっと部屋見てくるわ」

 花鶏にネチネチ小言を言われるのは嫌だ。
 一度藤也と別れた俺は自室へと戻った。
 ゴロゴロと遠くの方で地鳴りのような音が響いている。悪天候の中、屋敷内の温度もいくらか下がったようだ。けれども湿気を孕んでいる分肌にじっとりと絡むような気候は正直気持ち悪い。

 自室の扉を開き、窓が閉まっているのを確認する。
 ……仲吉のやつ、ちゃんと旅館まで帰られただろうか。そんなことを考えながら俺はガタガタと揺れる窓ガラスを眺めていた。
 窓の外では木々が強風に煽られ揺れている。昼なのか夜なのかも分からない悪天候。
 ただでさえ事故が起こりやすい山道だ。気にはなったが確認する術もない。

 俺はカメラを取り出した。
 容量はまだある。なんとなく、俺はカメラを手にし窓の外に向けたのだ。撮りたいものを写し、見せたいものまでも写してしまう摩訶不思議なカメラ。
 シャッターを切った瞬間、薄暗い部屋の中が一瞬眩い光に包まれた。それはカメラのシャッター音ではないとすぐに気付いた。
 雷だ。屋敷のすぐ側で落ちたのだろう。
 窓の外が白く光ったと思えば、カメラに先程シャッターを切った瞬間の画像が表示される。そこに表示されたものを見て俺は息を呑んだ。
 確か俺は窓を、窓の外を撮ったはずだ。けれどそこには何も、窓枠すらも写っていない。ただの暗闇が映り込んでいた。

「あまり窓の側にいては危険ですよ」

 そのとき、静かな声が背後から聞こえてきた。
 雷鳴の音が遠く聞こえるほど、透き通る艶やかな声。

「もし石でも飛んできて窓が割れてしまいその破片が貴方にでも刺さったらと思うと肝が冷えます」
「……花鶏さん」
「この屋敷にいると嵐などそう珍しいものではないでしょう」

「それとも、貴方も幸喜と同じで悪天候だと外に飛び出したい性質なんですか?」そう音もなく現れた和装の男――花鶏は静かに微笑むのだ。
 いつの間に。神出鬼没だとわかっていてもこうもぬるりと背後に立たれると心臓に悪い。

「……なんか用ですか」
「用がなければ会いに来るなと仰るのですか、貴方は」

 くすりと笑う花鶏。そのまま俺の隣までやってきた花鶏は手元のカメラを指差した。

「……取り返したんですね、それ」
「ああ……まあ」
「ですが、画面が真っ暗ですね。……壊れてしまったのですか?」
「これは……」

 確かに今シャッターを切ったはずだ。
 もう一度手元のカメラに目を戻すが写ったものは変わらない。枚数にも反映されてる。
 それを伝えようとして、俺は口を継ぐんだ。

「……わからないです、俺、あんま機械に強くないんで」

 咄嗟に誤魔化した。
 機械が不得意なので嘘ではないが、それでも本当のことを花鶏に言っていいのか迷ってしまったのだ。花鶏はそのことに気付いているのかいないのか「そうですか」とただ微笑んだまま俺を見るのだ。

「何を撮ろうとされたのかは存じませんがこの嵐です、どうです?……少しだけ、私に付き合っていただけませんか?」
「……花鶏さんに?」
「ええ、書庫の整理をしようと思ったのですが思ったよりも大変な作業でして……なに、ただの暇潰しです。貴方さえよければどうか協力をお願いしたいのですが……」
「まあ……それはいいっすけど」

 咄嗟に机代わりのダンボールの上にカメラを置く。花鶏は「ありがとうございます」と微笑んだ。

「花鶏さん、それ……藤也も呼んでいいですか?」
「藤也?……別に構いませんが」

 なぜ?と聞かれ、言葉に詰まる。
 正直なところ花鶏と二人きりになるのが嫌なだけなのだけれども、そのまま伝えるのは気が引ける。

「さっき会ったとき、あいつも暇そうだったんで」
「そんなこと言って、本当は私と二人きりなのが嫌だというだけではないのですか?」
「…………」
「ふふ、否定してくださらないんですね」

「まあ構いませんよ、人の手は多いに越したことはありません」言葉に詰まったままの俺にさして傷つくわけでも怒るわけでもなく、花鶏はそのまま部屋を出ていこうとする。
 最後まで言い訳すら言えずにいた俺の方へと振り返った花鶏は薄い唇を歪め、微笑むのだ。

「藤也には私から声をかけておきましょう。書庫の場所はご存知ですか?」
「……と、確か何度か通りかかったことは……」
「ならば問題ありませんね。一足お先にお待ちしております、準一さん」

 そして、次に瞬きをしたときには既にそこに花鶏の姿はなかった。相変わらず何を考えているのかわからない人だ。
 ……なんで俺に頼むのだろうか。人手がほしいのなら皆を呼べばいいのに。

 ――貴方なら、私のことも救ってくれるのでしょうか。

 花鶏の言葉が蘇る。何を企んでるつもりなのか、救うってなんだ。ぐるぐると巡る思考を振り払い、俺は花鶏に言われたように一階にある書庫へと向かった。

 悪天候のお陰がじっとりと湿気を孕み、日すらも差し込まない薄暗い館内の至るところに不安を増長させるものが漂っているような気がしてならなかった。


 ◆ ◆ ◆


 一階・書庫。
 応接室の更に奥、ただでさえ人通りのないその入り組んだ廊下の突き当りに書庫は存在していた。

 花鶏が何を考えてるのか、なんて考えながら歩いていた俺は書庫の前にいる人影に気付き思わず「あれ?」と声をあげる。

「奈都?……どうしたんだ、こんなところで」
「準一さん……?えと僕は花鶏さんに声を掛けられて……」
「お前も?」
「も……ということは、準一さんもですか?」

「ああ」と頷けば、「そうだったんですね」とほっと安堵したように僅かにその頬を和らげさせた。
 手当たり次第声を掛けてるのか、わからないが二人きりよりましか、と安堵してると。

「……そこに立たれると邪魔なんだけど」

 背後から声をかけられる。聞き覚えのあるその鷹揚のない声、振り返ればそこには先程別れたばかりの藤也がいた。

「藤也!」
「……準一さん、俺のこと売っただろ」
「う、売ったって……花鶏さんになんか言われたのか?」
「……『聞きましたよ、藤也。貴方暇らしいですね』って、花鶏さんに引っ張られてきた」

 あ、と思わず口ごもる。

「悪い、けど……ほら人は多い方がいいだろうし、こんな天気じゃ暇だろ?……って思ったんだ」

 悪い、ともう一度謝れば「まあいいけど」と藤也はそのまま俺たちの間を通り過ぎ、そのまま書庫の扉を開いた。瞬間、むわりとホコリとカビ、そして湿気を多く孕んだ嫌な風が吹いたのだ。
 壁一面本棚になったその書庫はちょっとした図書館だ。いくつかの本棚で仕切られたその奥、俺たちを呼んだ張本人はいた。分厚い革の本を手にしていた花鶏は俺たちが覗いてるのを見るなり「お待ちしておりました」と微笑む。

「……と、幸喜と南波はきてないんですね」
「まさかあの二人にも声をかけたんですか?」
「ええ、準一さんの言っていた通り人数は多い方がいいと思い一応お声掛けしたのですが……まあ、三人もいれば十分でしょう」

 確かにそうだが、幸喜と奈都と南波を一箇所に集めようだなんて危険すぎないか。花鶏のことなのでわかっててやってるのだろうから質が悪い。

「……で、俺たちは何したらいいわけ?」

 そんな花鶏にも慣れているのか変わらない様子で尋ねる藤也。花鶏はそうですねと思い出したように本を閉じ、近くにあった本の山、そのてっぺんにそっと置いた。

「貴方がたにはここにある不要な本を仕分けし、処分するのを手伝っていただきたいと思ってます」
「処分……?」
「ええ、燃やします」

 そう、花鶏はただにっこりと微笑んだ。

「も、燃やすって……いいのか?」

 あまりにもあっけらかんと言ってのける花鶏に俺は逆に戸惑った。
 しかし、花鶏の表情は変わらない。薄く微笑んだまま答えるのだ。

「ええ、どうせもう不要な物です。ここにある書物は全て読み尽くしてしまいましたので」
「勿体無いだろ、でも」
「……おや貴方は随分と貧乏性なのですね、準一さん」

 意外そうに口にする花鶏。
 ただでさえ娯楽のない場所だ、そう急に片付ける必要もないはずだ。
 ――俺の感覚がおかしいのか?
 そう戸惑ったときだ。

「僕も準一さんに同意です。……燃やすくらいなら何冊か貰ってもいいですか?」

 俺の横、奈都の言葉に内心ほっとする。
 ……どうやら奈都も不審に思ったようだ。俺たち二人に言われて花鶏は特に狼狽えることもない、「ええ、構いませんよ」と微笑む。

「でも、これだけの量せっかく集めたのに思い切ったことをしますねか」
「ええ。ですが、足の踏み場がなくなってしまっては困るでしょう。時には断捨離も必要不可欠なんですよ、何事も」
「……」

 そういうものなのだろうか。言いたいことは分かるだけに何も言えなかった。

 それから本棚からぽいぽいと処分予定の本を抜き取っては積み重ねていく花鶏。
 それを一旦廊下に出し、空いた本棚をついでに埃取りをする。せっせと奈都と俺が掃除してる横、当たり前のように座り込んで本を読み出している藤也にはもう突っ込む気にすらならなかった。


 そうこうしてる間にあっという間に時間は経過する。
 最初から本棚に入りきれず床の上に置かれていた本の山たちもなくなり、しっかりと一部変色した床が姿を現した。

「……あとは床を磨いて……っ、て……ゲッ、ここ腐ってないか……?」

 湿気やらのせいもあるだろう。
 明らかにホコリじゃないそれを見て思わず顔を顰める。

「長年ここは放置していましたからね。……最後に整理したのはいつだったでしょうか。まだ南波も来てない頃ですかね」

 ……聞かなきゃよかった。
 思わず口元を抑え、俺はそろりとその場を離れた。
 そんな中、本を並べ直していた奈都が不思議そうに花鶏を振り返った。

「でも、どうして急に掃除なんて?」
「身辺整理ですね」

 さらりと答える花鶏に、「え」と俺と奈都の声が重なった。身辺整理というのは、死ぬ前に片付けるというあれじゃないのか。
 確かにここ最近花鶏の様子はおかしかったが。

「あの、それって……」
「というのは冗談で。前々から気にはなっていたんですよ。理由と言えばそれくらいですかね」
「……そ、そうですか……」

 流石の奈都も言葉に迷っているようだ。
 無理もない、亡霊ジョークのつもりだろうがこの世界では笑えない。
 花鶏に限ってそんなことはない――そう漠然と考えていたが言われてみれば俺は花鶏のことを何も知らない。何故ここにいるのか、この屋敷のことだって散々はぐらかされてきた。

「さあ、最後の磨き上げですね。これが終わったら一度応接室で休憩を取りますか。……お礼と言ってはなんですがお茶菓子くらいは用意しますよ」

 いつもと変わらない花鶏の笑顔に余計もやもやしながら、ひとまず俺は目先のお茶休憩のためにラストスパートに入る。
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