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第3章 邂逅

42話 地球 其の4

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「ホタル狩りなんてどうかな?」

 何の気なしに"ホタル狩り"と答えてみたものの、正直なところ自信は全くなかった。彼女はゆうに五百年以上を生きた元清雅の神様だから一般的な感性は持ち合わせていない。女性をどこに連れて行けばいいかという知識は俺に全く無いとは言え、少なくとも花火とか夜景で喜ぶようなロマンチストには見えないという程度くらいは見分けがつく。今日ここまで過ごしてきた中で散々に見た合理的な思考から推測できる性格だけど、多分間違っていないだろう。そもそも花火や夜景なんてのはデートだ……と雑誌に書いてあったような気がする。そういうのはもっと近しい相手じゃないと意味が無い。

 じゃあ何をすれば喜んでもらえるのか、そんな自問自答の中でふと思いついたのが遠い昔の光景だった。人目につかず、更に神の関心を引くという両方を満たせるだろうし、何より暗い夜空を蛍が飛び交う光景は彼女が見たであろう遠い昔の記憶と変わらない筈だ。

「蛍……確かに良いですね。確か奥地には観光スポットもあった筈です」

 良かった。半分以上は思い付きだが思いのほか喜んでくれたみたいで、彼女はそれまでの仕事を放り投げると近隣の地図を開くと幾つもの鑑賞スポットを映し始めた。その中には半年以上前に県内をアチコチ逃げ回った際に通り過ぎたり、あるいは立ち寄った場所もあった。でも、確かに清雅が保護した自然には県の固有生物の保護も含まれていて、毎年夏場になれば県内の複数の場所で蛍を見る事が出来ると雑誌に乗っていた記憶があるのだけど、こういった事に興味は無かったのだが改めて見ると意外と多いことに驚いた。

「最先端の都市って聞いてたけど、意外と自然残ってるんだね?ウチと同じだ」

 まるで子供のようにはしゃぐツクヨミが車内に広げた画像に、クシナダは驚きながらも素直な感想をこぼした。

「はい。私がそう指示しましたから」

 だろうな。清雅一族は文明と自然の融和を図って来た事実がある為に蛍は今現在でもこの県のアチコチで見る事が出来る。世界最先端を行く都市なのに山を削ったり川を埋め立てたりといった真似は極力行わず、極力自然を残した都市づくり街づくりを標榜した事に世界中が疑問を持ったものだが、清雅の神だったツクヨミが指示を出したのならば納得がいく。

「昔見た景色が無くなるのが何となく嫌だった。そんな単純で独善的な理由でしたけど、でも今はソレで良かったと思います」

 ツクヨミはしんみりとした口調で言葉を重ねた。もしかしたら、彼女は昔の思い出に残る景色を映像越しに眺めていたのかもしれない。直接見ることが出来ない、清雅一族との思い出の場所を……そんな気がした。
 
 過去と今を繋ぐ思い出の景色という選択は正解な気がした。そう思いながらツクヨミの方向を見てみれば、何を考えているかさっぱりわからないが俺をじっと見ていた。何を見つめているのかと暫く黙って見ていると、今度はカタカタと身体を震わせ始めた。壊れた?

「分かりました。では後日改めてココに来ましょう、約束ですよ?そうと決まれば早速予定を調整しますね」

 大丈夫だったようだ。彼女は未だに身体を震えさせながらも勢いよく返事を返した。

「でもさぁ、ホタル狩り?狩りって……翻訳不具合じゃ無ければ手伝おうか?」

 ツクヨミが大体が特訓で埋まっている俺の今後の予定を調べ始め始めた辺りで対面に座るクシナダが疑問交じりの声を上げた。ちょっと紛らわしい表現をしたせいで何をしに行くのか上手く伝わらなかったみたいだ。

「蛍とは発光する特性を持つ夜行性の昆虫の総称で、夏場になると尾部を発光させながら森林部を飛び交います。その幻想的な光景は遥か昔から今に至るまで多くの日本人を魅了したようで、様々な文献にその姿を確認する事が出来る程度に高い知名度と人気を誇るのです。蛍狩りとは別に捕まえたり殺したりする訳では無く、蛍を鑑賞する行為を日本ではそう表現します」

 取り立てて怪しい事をする訳では無いと教えようと口を開こうとした直後、ツクヨミが言葉の意味を正しく説明した。狩りなんて物騒な呼び名が就いているけど、要は観光に行くだけ。ツクヨミの後に続けた俺の言葉を聞くと、彼女は驚きつつも"じゃあ覚えておく"と、実に楽しそうな笑顔をこっちに向けてきた。

 コレは、後で私もって意味だな。そう言えばタガミが彼女について何か言っていたのを思い出した。確か地球を案内しろ、だったか。でも彼女、主に容姿のせいで目立つんだよなぁ。ただ歩いているだけで周囲の視線を攫って行くのを自覚している上でホタルが見たい、と言うならばソレは彼女なりの思慮なのかも知れない。

「へぇ。でもそのホタルって、なんかウチの人工流星と似てるね」

 なんだろうソレは。クシナダの言葉に今度は俺が疑問の声を上げると……
 
「あぁ。清掃用に散布されたとか、後は旗艦の天井部分を補修するナノマシンなんかが光を反射してキラキラと輝きながら地面へと落ちていく現象だよ。ウチでしか見れない割と珍しい景色よん」

 クシナダが嬉しそうに返答を寄越した。その顔を見るに、余程良い光景なのだろう。

「そうですね。しかしその蛍と言う生き物も素晴らしいですね。夜空を飛ぶ幻想的な景色、宜しければ是非その光景を録画してきて欲しいのですが」
 
「そう言う野暮な事は頼まないの」
 
「その通りです、せっかく2人で出掛けるのだから雑音は無い方が良いに決まっています」
 
「言っとくけど護衛は付けるよ、遠くからだけど」
 
「仕方ありません。2人きりで出掛けるのはもう少し情勢が落ち着いてからにするとしましょう」

「別に今日でもいいんだけど?」

 予定は早い方が良い。何せ次に纏まった時間が取れるか分からないのだから、と言おうとした矢先……

「おめかしがありますから、それ以上は秘密です」

 彼女は露骨なまでに嬉しそうな声でそう伝えると同時、特定の日付から見るうちに予定を消去してそれ以外の日にギュウギュウ詰めに詰め込んでいき、あっと言う間に丸一日を空白にしてしまった。

 時間は今から5日後。何とも嬉しそうに答えたところを見れば、この日に何かあるのは明らかだ。何となく予想はつくけど……ともかく、殆ど思い付きで言い出した提案を喜んでくれるのだから男冥利に尽きるし、喜んでいるところに水を差すのは野暮だ。その日が楽しみなのか、はたまた何か考える事でもあるのか、後部座席をコロコロと転がるその姿にかつての神の姿も性格も全く見えないツクヨミは、時折予定を見つめては震えるを繰り返しており、俺はそんな彼女を見つめながらスーツの内側から数珠を取り出した。漸く目的地が見えた。

 ※※※

 ――もしかしたら俺が記憶を失ったのは、コレを思い出したくなかったからなのかもしれない。

 手を合わせながら思い出すのはあの日あの時の事ばかり。冬の夜空、灰色の分厚い雲が覆い今にも雪が降りそうな寒さの中で穴を掘ったあの日。

 手に持った武器を持つ手からどんどんと熱が奪われ、覚束ない手つきで何とか人一人を埋められる穴を作り、そして俺が巻き込んでしまった人を丁重に埋めた。土を掘る感触と手がどんどんと冷えていく感触は忘れてしまってもあの日自体を忘れる事は出来ず、時折夢にうなされる。

 夢の内容は何時も同じだった、俺を助ける為に自ら命を捨てたその人が夢枕に立つ。冬の寒空の中で一人穴を掘る俺の前に現れたその人が何を言っているか最初の頃は分からなかったが、日を重ねるごとに次第にその言葉が鮮明になっていった。

 "もう苦しまなくていい"、"自分の幸せを考えなさい"、そうやって俺を許す様な言葉の数々は、一方で俺自身の願望が生んだ偽物じゃないかと思えてしまい素直に受け取る事がどうしてもできなかった。

 そして……気が付けば何時の間にか自分がすっぽりと埋まる位の竪穴の中で呆然としている事に気付く。次に何をしているのかと我に返りながら呆然と上を見上げれば、穴から俺を覗く一人の女性の姿が見える。満天の星空に浮かぶ青い月に照らされたその誰かは俺が手を掴むまで無言で手を差し伸べ続け、やがて穴から引き上げて貰うのだが、だけど不思議な事にその女性の顔に記憶がない。ないのだけど、でも何故か身近にいるような親近感を覚える。アレは……あの少女は一体誰だ?

 そんな風に全てが夢か幻か、あるいは狐につままれたような感覚でフワフワとしているのだが、一方で俺を引き上げながら掛ける言葉だけは何故かはっきりと、鮮明に聞こえるし覚えている。その言葉だけがまるで夢では無く現実であるかの様に……

『呆けている暇は無い、次が始まるぞ』

 墓前に手を合わせ目を閉じていた俺はハッとして目を開けた。今、確かに夢で聞いたあの声が再び聞こえたからだ。周囲を見渡せば小さな墓地には俺以外の姿は無い、少し離れた入口に二人、周囲を取り囲むように五人ほどのスサノヲのスーツ姿が確認できる位だ。

 疲れているのだろうか、夢と現実の境目が曖昧になる感覚だ。どれだけミーンと鳴き続けるセミの声と風が吹き抜ける音、そして耳の奥から響く耳鳴りしか聞こえない。空を見上げてみれば未だ好天の端から灰色の雲が見えた。

 次いで雨が降る直前の兆候ともいえる独特の占めっぽい匂いが鼻腔をくすぐる。"また来ます"、そんな言葉を物言わぬ墓石に掛けて俺はその場を後にした。
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