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第4章 凶兆

98話 出発 其の1

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 ――惑星ファイヤーウッド タートルヴィレッジ内ホテル一室

「何が……」

 何事かを呟きながら毛布を跳ね除けた伊佐凪竜一が目覚めたのはまだ始発列車が動きだしたばかりの時間帯。余程寝覚めの悪い夢でも見たのか、彼は呆然と窓の外を眺めると一瞬だけ驚いた表情を浮かべ、次に枕元に置いた端末の時刻を確認すると溜息を漏らしながらベッドに体重を預けた。この星の生活圏は常に夕日であるので、慣れない人間は彼の様に寝過ごしたと勘違いする。

「大丈夫ですか?」

 不意に掛けられた声に彼は再び驚いた。誰もいないと思っていた部屋の中から聞こえた心配そうな声色の方へと伊佐凪竜一が振り向けば、ソコには青い髪を靡かせるツクヨミの姿。

 式守シキガミと紹介されなければ誰もが人類と判断するであろう位に人と区別がつかない柔らかなボディラインに、一般的な人型式守とは一線を画す感情豊かな表情を見せるツクヨミは、夢にうなされた彼の身を案じるかの如く彼の傍に近寄りその顔を覗き込んだ。どうやら本気で彼を心配しているようだが、少々過保護では無いだろうか。

「あぁ。大丈夫だ」

「そうですか」

 今もなお柔和な顔で見つめるツクヨミは彼の答えを聞くと一転して柔らかな笑みを浮かべ、続けて"おはようございます"と丁寧に挨拶した。が、対する伊佐凪竜一は妙にぎこちない。

 あぁ、そういえば彼がツクヨミの姿を直に見たのはコレが初めてだったか。それまでの彼はずっと丸い球体状のツクヨミと行動を共にしており、人間と見紛うに止まらず非常に美しい容姿をした本当の彼女を映像越しでしか見たことが無かったのだ。

 機械に美醜を問うのは少し不思議な気もするが、歴史を学べばば容姿が人の印象を決定づける大きな要因となっている例など履いて捨てる程に見つかる。彼女が自らの容姿を決定した理由に積み重なった歴史が何らの影響も与えなかったとは考え辛いし、つい最近の例で言えばタケミカヅチ二号機も同じだ。

 美醜も才能の一つ。それを維持し向上に努めた結果、人生を歪め国を傾けた例もまた数多く存在する。地球を戦いへと導き、旗艦アマテラスを敗北間際まで追い込んだに止まらず、今もその傷跡から立ち上がれず苦境の中を彷徨う両者の現状を鑑みれば、ツクヨミは正しく傾国の美女と呼ぶに相応しい。

 そう、傾国だ。ツクヨミの姿は且つて地球の神として君臨し、清雅財閥を支配していた当時と変わらない。その頂点たる清雅源蔵は、地球の神として世界の調和維持という鎖に縛られたツクヨミを解放するというたったそれだけの為に、本心を頑なに隠したまま旗艦アマテラスに戦いを仕掛けた。

 愛情か、独占欲か。その原動力の奥底は死亡した為に窺い知れない。その清雅源蔵はツクヨミの解放というたったそれだけの為に金も地位も全て投げ捨て旗艦アマテラス簒奪に力を振るったが、その全てを伊佐凪竜一とルミナに否定された末に死亡した。

 A-24はこう語っていた。彼は正気では無かった、自らの願いが叶うと知り暴走していた、と。自らの内に作りだした幻想のツクヨミに囚われてしまっていた。自分の中に思い描いた幻想を追いかけ、現実に存在するツクヨミが見えなくなっていたが、一方で歪みながらも"ツクヨミを神という呪われた座から解放する"という意志だけは最後までブレなかった。だからは最後まで彼に力を貸し続けた、と。

「どうされました?」

 そんな絶世の美女が傍で心配そうにしている訳だが、好意を向けられている当人の反応は何ともそっけない。何事かを考えているのか、ベッドから天井をボケっと眺めてばかりの伊佐凪竜一は漸く間近まで迫ったツクヨミに"大丈夫"と反応を返すと、気のない生返事に彼女は酷く嬉しそうにはにかんで見せた。

 地球では決して見せなかったという傾国の笑みを見れば、清雅源蔵の願いは叶ったと考えてよいだろう。

「では今後の予定ですが……」

「よう、起きたかい?」

 彼女が説明を始めた矢先、客室の扉が開かれ帽子をかぶった男がひょいと姿を見せた。

「ええ、丁度起きたところです」

「なら話しても大丈夫か。アンタ達と姫様が搭乗してた"大雷"って機体なんだが、流石に大きすぎるって事で今ようやく線路まで運びえ終えたそうだよ」

「迅速な対応に感謝します」

「お、おう。だが問題が出た。いざ出発しようとしたんだが流石に重いらしく到着予定時間を大幅に超える、だとさ。で、俺達が取る手段は2つ。待つか向かうか」

 アックスはツクヨミからの礼にやたらと驚きながらも大雷の現状を説明し始めた。当然と言えばそうだが、この星の貨物列車はあれ程の大きさを運搬する想定などしていない。

 予定通りとはいかなかったのだが、それでも最善を尽くした事を理解した2人は感謝の言葉をアックスに掛けると互いを見つめ、無言で頷いた。

「迎えに行きましょう。このまま待ちぼうけは危険すぎますから」

「流石ツクヨミさん。そう言うと思ってもう準備は済ませてある。列車の旅は安全といやぁ安全だが逃げ場がねぇ。って事で次の駅までは列車で、其処を降りたら線路沿いを車で突っ走る。部下に車を用意させたが流石に急すぎてココにまでは来れないって言われたんでね」

「感謝します、ですが良いのですか?追撃は貴方のお父上が関わっているようです。仲が余り宜しくない様子は理解出来たのですが、これ以上関係が悪化すれば修復困難では?」

「それ以上は言ってくれるな、俺も親父も覚悟の上だ」

 ツクヨミはその返答を聞き、逡巡したがやがて立ち上がり部屋の外へと向かった。

「では姫を起こして来ます。ナギ、出発の準備をお願いしますね」

 そう伝えるとツクヨミは隣の部屋へと向かい、後に残ったのは男2人だけとなった。伊佐凪竜一はベッドから身体を持ち上げると大きく背伸びをし、アックスはただそれを呆然と見つめていたが、やがて彼が落ち着くと待ってましたとばかりに声を掛けた。

「いやぁ、なかなか綺麗だねぇ」

 こりゃあ駄目だな。悪い癖が出始めた。彼は美醜や年齢に拘わらず余程神経を逆撫でする様な対応を取らない限り(つまり性格が悪くなければ)"女性には常に優しく"を座右の銘としている。

 フォルトゥナ=デウス・マキナの一件は、まさかあの少女がそんな真似をするとは予想出来なかった事と、口には出さない自らの好意を無下にされたと勘違いされた怒りが生んだ馬鹿げた行動だろうが、基本的に彼は女性に対しては常にそう立ち回ってきた。

 男とは単純なもので、美女が近くにいれば浮かれるしはしゃぎもする。そしてそれを責める事は誰にもできない。

「突然何を言い出すんだ?」

「いや、仕事は真面目にするさ。だけどまぁそれはソレ、コレはコレって事で」

 伊佐凪竜一はまるで調子のいい男だとでも言いたげに冷めた視線を向けているが、しかしそんな表情も直ぐに変わった。コレまでの短い旅を経て、アックス=G・ノーストを信用しても良いと判断したようだ。

「多分また襲われるから銃は貸しておく。だけどちゃんと返してくれよ。管理責任があるからな」

「任せとけ、というか今の俺からコイツを取り上げられたら何も出来んからな、大切に使わせてもらうさ」

 釘を刺すような言葉に対し、アックスはそう言うと貸してもらった銃をまるで使い慣れた自分の愛銃の様に軽やかに捌き始めた。くるくると回し、そして壊れた愛銃の代わりにホルスターに納める姿は実にサマになっている。

「どうしました?」

 再び1人だけとなった伊佐凪竜一はカーテンを開け放ち、美しい赤色で周囲を染める鮮やかな夕陽をぼうっと眺め始めた。が、すぐさま背後から声を掛けられると入り口側を振り向けば、ソコには赤い光に染まる部屋とは対照的な青い髪が揺らめいている。姫を起こしたツクヨミが部屋の入口から中の様子を窺っていた。

「何が起こっているんだろうって考えてた。襲って来たヤツ等は敵である事に間違いはない。だけどどうして俺達を狙うのか、そもそも標的は俺と姫のどちらなのか。俺が標的で姫はオマケか、それとも逆なのか。俺はまだしも彼女が狙われる理由が分からないけど、アマテラスオオカミと拮抗する位に凄い力を持ってる連合の頂点を狙うなんて無謀過ぎる。となると姫狙いは考え過ぎでやっぱり狙われているのは俺なのか?心当たりがあるとすればハバキリという力だけ。だとするならば旗艦に居るルミナも標的となっているに違いない。彼女は俺よりもかなり強い上にその立場上から護衛が常に貼りついているけど、今俺を守る護衛は普段よりもも少ない。だから俺の方を狙ってきた。ここまで考えたんだけどどう思う?」

 ベッドに腰を下ろし大きく溜息をついた伊佐凪竜一は、恐らくこれまで感じていたであろう疑問を全て吐き出した。彼なりに色々と考えてるようだったが、問題の根っこが何処にあるのか測りかねており混乱しているようだ。

 彼は考えるよりも直感的に行動する性格であるとA-24は評価していたが、そんな彼だからこそ一向に答えが出せない不可解な現状に苛立っているのかもしれない。

「先ず、狙われるとするならば私もその可能性があります。神魔戦役と名付けられたかの戦いに於いて、私はオオゲツ達の標的となっていたからです。回収しろという指示を出したのが何者であるかもその真意も一切分からないのですが、しかし結果的に君達が戦いを止めた事で私の回収は不可能になりました」

「あぁ、それもあったか……」

「現状では誰が狙われているか全く予想がつきません。君の中に眠るカイン博士の遺産"ハバキリ"である可能性も捨てきれませんし、姫の命を狙っている可能性も否定出来ません。ですが数日前に見せたアックスとのカードゲームにおけるイカサマを全く見破れなかった出鱈目な能力から判断すれば、姫を亡き者にするという企みは余りにも無謀と考えるのも不自然ではないでしょう。今日までの出来事から予測するならば、"狙いは私と君の何方かであり、偶然同行する事となった姫は私達の行動を制限する枷"と考えるのが妥当ですね」

「なるほど……流石にソコまで思いつかなかったよ」

 伊佐凪竜一はツクヨミが出した現時点の結論を聞いて感心すると再びベッドに体重を預け、そのままボケっと天井を眺め始めた。が、直後に聞こえたギシッという音と共に大きく沈み込んだベッドに中断されてしまった。

 寝そべる彼の傍にツクヨミが寄って来ると、彼女は伊佐凪竜一の横に腰を下ろし、彼の頭を優しく撫で始めた。その突飛な行動の理由、恐らく彼女なりに慰めているのだろうが……逆効果では無いだろうか。

 幾ら何でも頭を撫でられて喜ぶ年齢でも、と思ったが彼もまんざらではない様子だった。一方、そんな雰囲気を部屋の外からアックスが恨めしそうに眺めていた。何をしているんだ君達は……
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