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第6章 運命の時は近い

197話 救出作戦 ~ 冥暗

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「そのお嬢ちゃんもスクナのご指名だよ。アイツが信用出来んと判断した輩を送り込むとは思えんだろう。今は抑えろ」

 しゃがれたイスルギの説得にルミナの意識が逸れた。白川水希への不信、疑念に満ちた眼差しは吸い寄せられるように老兵へと向かう。

「大丈夫です」

「そう見えんから言っておる」

 大丈夫と、そう即答するルミナの言をイスルギは即座に否定した。そう。なまじ真面に受け答えしているから誰もそう思わなかっただけで、彼女の精神は当に限界を超えていても不思議ではない。

 艦長職を追われ、市民からは敵意を向けられ、拠り所になる筈だった祖母を目の前で殺されたところに唯一と言って良いほど心を通わせた伊佐凪竜一の逮捕、黄泉への拘束という最悪の報せ。焦燥。疑念。平時の彼女ならば抑え込んでいるであろう感情の度重なる表出は、大いに揺らぐ彼女の精神状況を反映している。

「過去か?」

 しゃがれた太い声が、今度は静かに問いかける。イスルギの指摘にルミナは殊更に驚き狼狽え、何も言えず、遂には黙り込んだ。

「過去……ですか?」

 過去。そう聞いた白川水希は反射的に喰いついた。何かに縛られているのは自分だけではないと知った驚きが鉄面皮の下から僅かに滲み出す。

「それは……はい」

 力なく答えたルミナの雰囲気は先程までとは明らかに違う悲壮な気配を漂わせる。白川水希もアックスも、それ以外の全員も黙って彼女を見つめる中、彼女は漸く口を開いた。

「また親しい誰かを失う……そう考えたら……」

 そう絞り出した彼女は後ろの椅子に体重を預けた。長い銀色の髪がサラサラと揺らめく。重厚な刺繍が施されたソファは見た目からは想像出来ない相当の重量のルミナを受け止めると大きく沈み込む。さながら、まるで包み込むようだ。

 彼女はしばらくそのままの体勢でぼんやりと地面を眺め続けた。無言の間。誰もが何かを言いたいが何を言えばよいかと思案する、そんな微妙な空気が誰も口を開かない状況に加わり周囲の空気をより一層澱ませる。

「過去なんてモンはさ、誰にだって優しかねぇよ」

 不意に、誰かがそう呟いた。投げかけた言葉にルミナが反応し顔を上げる。視線には1人の男が映る。

「過去は変えられない。過ちも消せない。ああすれば良かった、しなければ良かったなんて悔やんでも"今この瞬間"は何一つ変わらない。だけど、その過去があるから今この瞬間がある。今の自分を作るのは過去であると言う事だ。正しい事も間違った事も全部"今この瞬間"の土台になって自分を支えている」

 淡々と、優しく言い聞かせるように語り続ける男に1人また1人と視線が集まり、遂には全員がその男に注ぐ。

「過去も、その結果である"今この瞬間"も変えられない。だけど……これから先は変えられる。コレ、尊敬する叔父さんの言葉なんだがね。その先は終ぞ教えて貰えなかったんだけど、今ならその先が分かる様な気がする。きっとさ、今も未来もいずれは過去になる。そうなった時に後悔しないように、ってな。だからよぉ、何があったのか知らねぇしどんな気持ちかもさっぱり分からんが、だけどアンタ今の有様で未来の自分に顔向け出来るかい?」

 視線の中心に立つアックスは長い台詞の最期を質問で結んだ。目深に被る帽子を取り、素顔を晒し微笑むその様子は飄々としながらも酷く達観した大人の雰囲気を纏う。つい先ほどまでとはまるで違う雰囲気に誰もが戸惑い、吞まれる。

「良い言葉ですね」

「だろう?もっと褒めていいぞ?」

「褒めるならその叔父さんであってアナタではないでしょう?」

「手厳しいね。ま、言葉や文字なんて誰かに何かを伝える手段でしかないけど、それをどう受け取るかは相手次第。これも叔父さんの言葉だが。で、どうする?時間は無いが大事な事だ、ゆっくり考えてもいい」

 私も、この場の全員もアックスへの評価を改めた。同時、彼が見つめる先を辿る。

「正直、何が正しいのか分かっていない。今の状況、守護者達が姫を思うあまり暴走していたと説明されれば納得してしまう位には」

 無言で俯くルミナだったが、やがて抱え込んだ心中を吐露し始めた。弱気、あるいは不安に満ちた本音を聞いた全員の表情がジワジワと強張り始めるが……

「だけど彼はそう思っていないし、私もそう思えない。だから……先ずは彼を助ける。彼が何を見てきたのか、感じたのか。騒動の中心にいる彼の口から直接聞きたい」

 一転、強い口調で己の決意を語った。周囲の全員を見つめる眼差しとても強く輝いており、先程まで見せた失意は微塵も感じない。自然、その光は周囲へと伝播する。

「情報ねぇ。ならさ、先ず俺に聞くべきでしょ?こう見えてもファイヤーウッド滞在中、ほぼずっと行動を共にしていたんだぜ?」

 彼女の視線に表出する決意に真っ先に反応したのはアックス。その顔はココに姿を見せた頃と同じ程度には頼りなく見えるのだが、何方かと言えば漸く役に立てる歓喜に支配されているようにも見える。

「そうだったな。なら私達が知らない情報なら何でも良い、話してくれるか?」

「余程重要な情報を知ってイるようだな?」

「さて、重要かどうかまでは。先ず……俺達を襲撃した連中、10人以上はいた全員が防壁を使っていたって事だな」

 防壁。その単語に周囲は騒然とした。脳裏に浮かぶのは襲撃者の正体がスサノヲかヤタガラスである可能性、次いで楽園崩壊による情報流出。しかし何方の可能性がより現実的かと問われたならば後者だ。その予測に旗艦の実情を重ねれば、自ずと背後で糸を引く何者かの正体が浮かぶ。

 守護者。彼らが流出の元凶であるとの考えが私の、ルミナ達の脳裏に浮かんだ。今の彼らは旗艦のほぼ全域を掌握しているのだ。神の不在、そして度重なる不始末により今現在の旗艦の有様はかつてない程に不安定な有様と成り果てている。そう、全ての元凶が守護者であると仮定するならば、彼らが防壁を使い"襲撃者は旗艦アマテラスから来た何者か"だと誤認させる事に利はある。

 旗艦アマテラス内における影響力をより盤石にするならば、不祥事は多ければ多い方が良い。極めて低確率ではあるが、本当に連合の何処かが実用化させた可能性も無くはない。が、不可解な状況が連発するこの状況でその可能性を払いのける事は出来ない。膨れ上がる疑念は、その全てが彼らの利となる守護者へと向かうのは自明の理。

「ソイツは初耳だなァ。タガミからも聞いていないが、間違いないのか?」

「あぁ。襲撃犯は全員防壁装備してたってツクヨミちゃんが分析してた」

「だが現実にそんな情報はどこにも出ず、あの列車事故は伊佐凪竜一の単独犯だと喧伝された」

「ハ?オイオイ、どういう事だよ!?」

 アックスはタケルの情報を聞くや殊更大げさに狼狽した。報道が垂れ流す偽りの情報に彼は改めて現状を理解した。何の躊躇いもなく報道が偽の情報を垂れ流す事実は、膨れ上がった守護者の影響力を止め得る抑止力の不在、あるいは機能不全を物語る。

「もし防壁の存在が公になったのならば何らかの極秘作戦、例えば流出した防壁の行方を追ってイたと言い訳も出来ただろう。何れ見抜かれただろうが、しかし結果として僅かな隙さえ塞がれてしまった」

「僅かでも疑念を向けられたくなかった可能性もある。現実的な問題、守護者が防壁を手に入れていないとは考え辛いだろうし」

「でもよ、ならそもそも使わなきゃ良かったんじゃねぇか?」

「試験テストと情報収集を兼ねたのだろう。アレは習熟にはそれなりに時間を要するから、手に入れた瞬間から即座に使いこなせる代物ではなイ。ぶっつけ本番の実践投入を躊躇ったのでは?あるいは特兵研が何か仕掛けをしていると考えたか」

 防壁1つに全員が頭を痛めた。圧倒的な防御能力は敵に回ればこれ以上なく厄介だが、今はソレ以外の問題も山積している。誰がソレを所持しているか、だ。スサノヲとヤタガラス専用装備はほぼ確実に守護者にも流出している。

 その前提に立ったルミナは、惑星ファイヤーウッドの事件から防壁の件だけを隠蔽した理由に1つの筋道を立てた。防壁を持つ守護者が姫を奪還しようと密かに作戦を実行、失敗したと誤認されない為。数百名に上る犠牲者を助けられなかった、あるいは無視して帰還したという汚名から守る為。襲撃をスサノヲに擦り付けるのではなく自らに僅かな疑念も与えない為だと、彼女はそう考えたのだ。

 私の予測は甘かった。未だ姿の見えぬ敵は恐ろしく慎重でありながら、確実に且つ大胆に英雄の力を削ぐしたたかさを併せ持っている。異常な力を持つ英雄を相手に真面に正面からぶつかり合っては勝てないからと、だから少しずつ、少しずつ削り取る。戦力を、戦意を、そうして最後に意志を挫く、その為に淡々と冷酷に削り取る。

「防壁の件は一旦置イておこう。何れにせよ伊佐凪竜一は拘束された。姫の誘拐は汚名だが列車襲撃は紛れもなく事実とは違うのだな?」

「あぁ、当然だろ?しかし色男さんよ。そうまでして、なんでたかが1人を黄泉に拘束したいんだよ?」

「単純明快に邪魔だからでしょうね」

「そしてその為には彼に重罪を犯して貰わねばならない。彼の性格はよく知っている。謂われない罪状で拘束されたとしてもそうそう無茶をしないし、何より旗艦アマテラスで彼を助けようと思う人間も私より遥かに少ない。」

「つまり狙うにはうってつけ、全部計画ずくの行動だって事か?って事はアイツも俺達も正体不明の敵の掌の上って事じゃないか?」

「あぁ。今のところ、全てが敵の思う通りに進んでイる。特兵研は既に奴等の手に落ち、研究用に保管されていた幾つかの防壁は奪われたと考えるべきだろう。まとまった数の実戦投入が出来るかどうかは特兵研の対応次第だが、それでもエースクラスは確実に装備している筈だ」

「アイアース。オレステス。そして……」

「タナトス」

 厄介な問題がまた1つ増えた。底知れない強さを秘めるオレステスが防壁を所持するというソレだけでも厄介だと言うのに、まだ後2人も警戒せねばならない。状況が明るみになるにつれ希望が、勝てる見込みが少しずつ削ぎ落ちてゆく。

 進む道は何処までも暗く、更に濃い影が幾重にも重なり、やがて生まれる。希望を閉ざす暗い闇が道を阻む。
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