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第7章 平穏は遥か遠く

278話 終幕への前奏 其の8

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 物事は常に予定通りに運ぶとは限らない。その真理に綿密な計画の有無も、敵味方の区別もなく。

「チッ、イライラする!!ナギは少し引っかかったって話なのにテメェはホントにムカつくなぁオイ!!」

 ルミナの意志を削り取る為に製造した偽の伊佐凪竜一は何らの役目も果たせず、即座に看破された挙句にアッサリと破壊された山県大地の苛立ちが言葉と共に噴出する。

「まぁイライラしなさんなよ。どの道アンタが嘘ついてるってのはバレてるんだからな」

 千歳一隅、正に降って湧いた幸運に誰かが乗じた。怒りに滲む山県大地が声の主へと顔を向ければ、圧倒的な実力差を知ってなお、飄々と笑うアックスの姿。

「ンだとッ!!」

「これでも嘘を見抜くのは得意でね。例えば人間って嘘つくとき目線が少しだけ右上を向くって話、知ってるか?それにアンタに限ればほんの少しだけだが右手の人差し指が動くみたいだ。それまでそんな事なかったの、"本当にそう言えるのか?"って言った瞬間、ほんの少しだけ動いてたぜ」

「はぁ!?」

 反射。講釈に驚いた山県大地の視線はアックスを離れ、滑る様に自分の右腕へと向かう。癖の存在を知らなかったか、あるいは知っていたが無意識故に制御出来なかったと知った為か。

「人を騙すってなァ、やってみると分かるが意外と繊細で面倒なんだぜ?」

 ほんの僅か、瞬きする程に短い時間。その間にアックスは銃を抜き、引き金に手をかけていた。表情からは僅かに前まで見せた笑みは消え失せ、感情を一切見せない冷めた瞳が標的を睨む。

「クソがッ、どいつもこいつもッ!!」

 状況の悪化に失態が重なった山県大地が感情を剥き出す。その行動は実に分かりやすく、怒り心頭のままに青い龍に指示を飛ばした。長い胴体を鞭のようにしならせ、地面に叩きける。撒き上がる土煙は視界を遮断し、同時発生した衝撃にアックスと白川水希は足を掬われ、ルミナは後方に飛び退いた。

 刹那、煙が爆ぜた。全員が攻撃できぬ僅かな時間を、今度は山県大地が見逃さなかった。精神を切り替えた山県大地が土煙の向こうから龍をけしかけると、砲弾の如き速度で突き進む龍が煙を吹き飛ばしながら突撃する。

「なッ、何処!?」

 が、霧散した土煙の向こうにルミナの姿はない。搦め手よりも実力行使を好む直情径行な性格が繰り出す攻撃が虚しく空を切ると、男は驚き辺りを見回す。

 ドン――

 焦りから苛立ちへと変化する心境を口から漏らす暇さえ与えられないまま、山県大地は大きな衝撃と共に派手に吹き飛ばされ、ゴロゴロと転がりながら庭園の壁に激突した。しかしその動きは止まらず、即座に飛び起きると数瞬前に立っていた場所を睨み付ける。

「てンめぇ!!」

 その目に、言葉に怒りがほとばしる。視界に映るのは闇の中に流星の如く尾を引く銀色の髪、誰の視界にも止まらない出鱈目な速度で蹴り飛ばしたルミナ。その姿に、男は咆えた。

「私に気を取られていいのか?」

「ンだとォ!!」

 不意打ちを真面に受けた痛みと苦痛、何より身を焦がさんほどの怒りに男の思考が一点に集中する。いや、元より思考が完全に復讐に固定されているのだから、寧ろ必然に近く。

「グッ、ガアッ!?」

 故に、己の背後からの別の気配に気付かなかった。意識が逸れた状況に油断の重なった山県大地の背後から細い手が伸びる。白川水希だ。彼女は義手を全力で稼働、前腕で相手の頸部を絞め上げた。対する山県大地は振りほどく為に必死で抵抗、手に持つ刀を逆手に持ち換えると背後に突き立てようとした。

 バン――

 闇夜に響く銃声。一発、その後に立て続けて何度も重なった直後、カチンと軽い音を最後に音は止んだ。山県大地の手から刀が滑り落ちた。アックスが撃ち出した弾丸は、その全てが刀を握る手、あるいは指に命中した。時を同じく、空中を踊る龍が霧散した。制御装置を兼ねた刀を手放した為だろう。

「いい加減に諦めなさい!!」

「切り札はもう切っちまったんだろ?素直になれよ!!」

 背後にはかつての仲間が、前方には並外れた銃の腕前を持つ男がそれぞれが降伏を迫る。圧倒的な優勢。

「ハ、ハハハハハハッ」

 その空気が、一変した。ジタバタと見苦しく暴れていた山県大地は不意に抵抗を止めると、それはもう不気味な位に笑い始めた。しかし切り札は喪失し、白川水希にも絞め上げられたまま。常人ならば当に首がへし折れていてもおかしくない力を加えられながら、それでも男は高らかに笑う。

「なんてなぁ」

 まるで人を小馬鹿にしたような声と共に、山県大地はアッサリと拘束から抜け出した。力づくではない、白川水希の義手を突き抜けたのだ。締め付ける首の辺りがまるで泥人形の様に蠢くと、羽交い締めする彼女の義手をヌルリと、まるで液体か何かの様にすり抜けた。その挙動はまるで水か、さもなくば液体金属に見えた。

「一体、嘘ッどうして?」

「オイ、ってソレは!?」

 白川水希の肉体の異変に当人と、間近にいたアックスが同時に声を張り上げた。彼女の義手がくすんだ青色に変化し、溶け落ちた。人工の皮膚と中の特殊金属製の骨格を侵食、ものの数秒で変貌させる光景は悍ましく、且つての悪夢を垣間見せる。

「まさかアナタ!!」

「気付くのが遅いねぇ」

「おい、どういう事だ!?」

「つまり、あの男は最初からマジン製だった。恐らく本物はそう遠くない場所から操っているのだろう」

 ルミナが看破した通り、この場に現れた山県大地はナノマシンで巧妙に作り出された偽物だ。美しさなど微塵も感じないどころか嫌悪感すら引き起こすナノマシン群体が作り出す本物そっくりの模倣品、それがあの男の正体。

「オイ、全く人と区別付かねぇぞ反則だろ!?」

「驚くのも無理はねぇが、上手く制御出来ればこんな風に人間に化ける事も簡単さ。おっと、勘違いするなよ。そんな詰まらねぇ真似する為に使わねぇよ」

 思考を先回りする山県大地は詰まらない手段、偽物を使っての騙し討ちはしないと宣言した。その顔に先ほどまでの不快な笑みは無く、誰もが本心だと悟る。ある意味では己に正直な態度。だが、白川水希もルミナも険しい表情を浮かべる。宣言は同時に、死ぬか殺されるまで伊佐凪竜一を追い続けるという覚悟の表明でもあるからだ。

「あくまで、ナギとの決着に拘るのか」

「当たり前だろ。ソレが今の俺の全てでそれ以外の全部はオマケ。勝つ、その為なら主義も主張も信念も全部投げ捨るさ!!」

「今度は本当か、ってよぉ!!その為にヤベー連中と手を組むってか?正気かよお前ッ!!」

「正気も正気さ。奴らが俺達を利用してるってのも全部承知してるさ、だから俺も俺の目的の為に奴らを利用してる、所謂お互いさまってヤツだ」

「やはり、今日か」

 目的の為にそれ以外を躊躇いなく捨てる、悪い意味で極まった覚悟。狂気とはまた違う、歪な意志は伊佐凪竜一とは明確に対極的だが、一方でその目には彼と同じ強い光が宿る。歪んだ、昏い光だ。

「そうだ……後数時間もしない内に始めるソレが全ての合図だ。今日ッ、ココでッ、全部がひっくり返る!!止めたいんだろう?なら止めてみろよッ!!命掛けてッ、命捨ててッ、全部かなぐり捨てて止めてみろよッ!!」

「言われずとも!!」

「ハハハッ、身の程知らずだなァオイ。だがもうあの時みたいな奇跡は起きない。起こせない、だろ?」

「何でだよ?一度は起こしたんだ。もう一度位なら訳ないだろ?」

「無理さ、マガツヒ呼んじまうからなぁ。出来ないよなぁ?戦えないよなぁ?本気だしちまうとカグツチ濃度が危険水準越えちまう。で、今度来るのは半年前の奇跡の中でも人を殺せるように強くなったヤソマガツヒ。誰かを守りたいのに本気出せば連合絶滅の引き金を引く事になるんだ。更にお前を助けようってヤツ等はどんどん減っていき、残ってる奴らも疲弊していく」

 山県大地の言葉に誰も言い返せない。現状は既に最悪であり、真面な手助けは期待できない事など痛いほどに理解しているからだ。だからこそ、この先に待つ戦いが絶望的であると誰よりも理解出来てしまう。

 皮肉な事に、その元凶は良くも悪くも英雄の存在。全力を出せば事態を打開できるが、その対価として戦場にヤソマガツヒの襲来が確定する。半年前の奇跡はマガツヒの強化前という幸運に他ならない。奇跡は外的要因により封じられ、彼女達は自力で事態を打開しなければならない。なのに、状況に改善の兆しが無い。

 行く先には、夜の闇より深く昏い絶望が待つ。
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