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 無数の視線に睨みつけられた俺に出来る事は何もなかった……いや、出来なかった。一方、息を殺して様子を窺う俺など眼中にない一団はバラバラに行動を始めた。大半は懐から取り出した小さく光る何かに向けて話しながらも手際よく鬼を鎖で縛っていく。

 時折ピクピクと痙攣する鬼は瞬く間に拘束される光景のボケっと見つめていると、急に視界の中央に大きな影か映った。女だ。あの大きな鬼を仕留めた女は遠くから真っ直ぐに俺を見ていたかと思えば、次の瞬間には目の前に立っていた。動いた瞬間が見えなかった。辛うじて理解できるのはタンッ、という音と背後に小さく映る白い火花だけ。女が桁違いの速さで移動してきたという証拠だ。

『※※。※※※※?※※※※※※?※※※※※※※※※※※?』
(オイ。お前誰だ?どこから来た?なんでこんな場所に居る?)
 
 こうして近づけば女の姿がよく分かる。見上げる形になっていて正確に分からないが、それでも俺より確実に背が高いし胸もデカい。その女は俺を冷たく見下ろしながら何かを喋ったが……何を言っているか理解できない。辛うじて何かを聞いているんだろうという程度がイントネーションから推測できる程度だ。

『※※?※※※※※※?※※※?※※※※※※※※※?※※※、※※※※※※※※※?』
(オイ?聞いてんのか?なんだ?オイどうなってんだ?コイツ、言葉分かってないぞ?)
 
『※※※※?※※※※※※※※※?』
(嘘でしょ?じゃあドコの誰なの?)
 
『※※※※※。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※。※※※※、※※※※※※※※※※※※。』
(知らねぇよ。とにかくコイツに反応が無いって事は質問内容を理解してねぇって事だ。仕方ねぇ、面倒な荷物が増えちまうな。)
 
 相変わらず何の話をしているか分からないが、長身の女は次に眼鏡を指差しながら仲間に何か声を掛けた。

『※※。※※※※※※※※※※※※。※※※※※※※※。』
(オイ。じゃあお前連れてくからな。抵抗したら死ぬぞ。)
 
『※※※※※※※※※※?※※※※。』
(伝わってないんでしょ?律儀ねぇ。)
 
『※※※※※※※。』
(仕事だからだよ。)
  
 女はもう1度俺を見下ろしながら、何かを伝えた。先程までとは違う、冷たい仲に少しだけ困惑の色が見える眼差しで俺を見つめるところから判断すれば、少なくともあの鬼とは違って即座に殺したりする訳ではなさそうだ。女は何か言い終えると片手で軽々と俺を引っ張り上げ、その手に錠を嵌めた。これじゃまるで犯罪者みたいだが、こんな状況では贅沢は言えない。

 生きているだけでも儲けものだと、そう思おう。そもそも言葉どころか常識さえ通じない、自分の居た世界とは何もかも違う世界でどうやって生きていけばいいのか。このまま何も知らずに彷徨い化け物と出会ったった挙句に喰い殺されて人生終わる位ならばいっそ狭い牢屋の方がマシ……と思った辺りで、引っ張りあげられていた片手がストンと落ちた。

 アレ、と女の方に視線を合わせれば、その女は何時の間にか片膝をついていた。良く見れば彼女だけじゃない、一団の全員がそれまでの行動を全て中断すると片膝を付いた姿勢で一方向をジッと見つめていた。

 直後、カツンという音が響き……

『※※※※※※※※※※※※※?』
(何故こんな場所に人間が居る?)
 
 背後から声が聞こえた。落ち着いたその声色から女だと分かるが、だけど動けない。またしても俺は動けなくなった。さっきの鬼と視線を合わせた時と同じ感覚が背中から内臓を突き刺し身体を硬直させる。

 怖い。恐怖だと、そう直感した。背後にいる何かは容易く仕留められた青い肌の巨人とは比較にならない程に強いと本能が告げる。命の危機が再び訪れたが、今度はさっきとは比較にならない。動けない、僅かでも機嫌を損ねれば殺される。そんな気配を背中から感じる。

『※※※※※※。※※※※※※※※※※※※?』
(誰か説明しろ。どうしてここに人間が居る?)

 背後からの声色は先ほどよりも若干だが力が籠っていた様な気がした。苛立ちだ。微動だに出来ず、だから一団が膝をついている光景を見つめるしか出来ない俺の視界に映ったのは、明らかに恐怖で震える大勢の姿。出で立ちも性別も全く違うが出鱈目に強いことだけははっきりと理解できる全員が一様に俺と同じく恐怖で震えている。

『※※※※※※※※?』
(宜しいでしょうか?)
 
 全員が恐怖していると、俺はそう思っていたが事実は少しだけ違った。ただ1人だけ、俺の傍にいる長身の女だけは違っていた。頭を動かさないように視線だけを落とせば、その女は平然と声の主を見つめながら何かを語り始めた。

『※※※。』
(構わぬ。)
 
『※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※。※※※、※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※。』
(恐らくつい先ほど観測された巨大な魔力反応の中心に居たのがこの男です。そして、少なくとも我らが交流を持っていない別の場所から飛ばされてきた可能性があります。)
 
『※※※?』
(根拠は?)
 
『※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※。※※※、※※※※※※※※※※。』
(偽りを見抜く心眼鏡しんがんきょうが私の質問に対し全く反応しませんでした。この男、言葉が通じていません。)
 
『※※。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※?』
(成程。つまりコイツは私達が情報を集めていない地域から来たと?)
 
『※※※※※※※※※※※※。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※。』
(正確にはからでしょう。この星に我らの手が及ばない地域はありませんから。)
 
 長身の女は俺の背後に立つ謎の女と何かを話し合っているが、やはりその内容は聞き取れないから何を言っているか皆目見当がつかない。が、多分俺の話だという確信はある。きっと俺の処遇を決めかねていると言ったところだろうか。逃げるべきか。このままついていくべきか。頭の中には先ほどの楽観的な結論が消え失せていて、どうにか生き延びる為の手段を模索し始めていた。

 しかし、逃げたところですぐに追いつかれるのは目に見えている。森の中に逃げれば生い茂る雑草に隠れる事も出来るだろうが、そもそもあの出鱈目な機動力を前にすれば逃げ始めた直後に捕まえられるのは明らか。やはりこのまま成り行きに身を任せるしかないのかと諦めかけた直後、俺の視界の端に動く何かが見えた。

 アレは……鬼だ。目の前にいる大柄な女の一撃を受け昏倒していた鬼が目を覚ました。が、誰もが俺の後ろの女に気を取られる余り気づいていない。千載一遇。その時の俺は無謀にもそう思った。アレが再び暴れ始めたその隙をついて逃げよう。

 大きな地響きが周囲を揺るがした。鎖を強引に引きちぎった鬼が勢いのままに地面を殴りつけた衝撃は大きく、誰もがその方向を見つめる。それは背後からの射殺すような視線も同じであり、全員の気が僅かにあの鬼に向かった。

 死にたくない。俺は気が付けばそう叫びながら後ろを振り向き……目が合った。視線を向けるというたったそれだけで俺を含む大勢を恐怖させた女と目が合った。白に近い金色の長い髪が腰まで伸び、ゆったりとしたローブの様な衣装を身に纏っているのにボディラインがくっきりと浮かび上がった女の顔を見た俺は驚いた。

 美人だった。ソレもある。だけど、それ以上に想像とは全く違っていたからだ。ソレは凡そ人に恐怖を抱かせるようなキツい顔つきではなく、何方かと言えばおっとりだったり穏やかだったりと表現できる、とても優しい顔をしていたからだ。だが……それは一見すれば、だった。

 目を見た俺は恐怖で竦んだ。その目は、俺も背後で暴れる鬼も気に留めていない。全てを等しくゴミか何かだと見下ろす冷たさに満ちていた。逃げるべきじゃなかった。そう気づいた頃には遅かった。

『※※※※※※※※※!?』
(まだ意識があるのか!?)
 
『※※※※※※。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※!!』
(信じられない。四凶しきょうの攻撃を受けてまだ立ち上がれるなんて!!)
 
 背後からは再び動き出した鬼に対応していると思われる声が聞こえた。一方、女の目を見た恐怖でそれ以上動けなかった俺は目の前をただ茫然と眺める。1人では無かった。冷酷に俺を見つめる女の側にはもう2人の女の姿があった。1人は肩辺りまで伸びた赤い髪に鋭い眼光、短めのスカートに半袖、腹部にはサラシの様な何かを巻いた軽装の女。もう1人は腰まで伸びた長い黒髪に杖を持った、髪色と同じ質素な黒を基調とした中世貴族風のドレスを着た女。今日見た中では一番優しそうな雰囲気をしていて、更に控えめに言って超が付く美人だ。

 そんな2人の存在に俺は全く気付かなかった。気配とかそんな物は分からないけど、でも少しくらいは息遣いとか聞こえてきても良い筈だったのに、振り返るその時までその存在に全く気付かなかった。見た目だけならば相当に若く見えるが、多分アレは後ろの連中よりも強いと思える。駄目だ。考えれば考える程に自分の浅はかさを呪いたくなる。

『※※※※※※※※※※※※※※※、※※※※※※※※?』
(どうやら何かしでかすようですが、如何なさいますか?)
 
『※※。※※※※※※※※※※※※※※※。』
(良い。この異物が何をするか興味がある。)
 
『※※※※※※※※※※※※※※※※※。』
(ではこのまま一旦様子を見ましょうか。)
 
 女達は何かを語ると、ただジッと俺を見つめ始めた。背後から鬼が暴れているが、そんなのお構いなしだ。動けない。蛇に睨まれた蛙という言葉を今思い出したが、そんな状況だ。

『※※※※?※※※※。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※。』
(どうした?駄目だな。やはり言葉が分らんというのは不便で仕方ない。)

 中央の金色の髪の女が何か俺に語り掛けた。が、言葉が通じないのがわかると呆れた様に溜息を洩らした。

『※※※※※※※※※※※。』
(では連れて帰りましょう。)
 
『※※※※※※※。※※※、※※※※※※※※。』
(致し方あるまい。しかし、今日も詰まらんな。)

 中央の金髪はそう言うと興味なさげに鬼へと視線をやった。直後、凄まじい衝撃が響いた。反射的に振り向けば、最初に俺と目が合った長身の女が倒れ込んだ鬼の腹部を蹴り込む姿が見えた。余りにも大きな衝撃は鬼を貫通しヒビどころか地面を陥没させている。

 出鱈目な一撃を受け、鬼は再び昏倒した。が……意識を手放そうかというその瞬間、大きな一つ目がギロリと此方を睨んだ。同時に口をモゴモゴと動かすと、何かを飛ばした。鬼の口から飛び出した白い何かはとても鋭く、尖っていた。牙の破片だ。そして狙っているのは……次の瞬間、俺は反射的に動いていた。なんで動いてしまったのか、考えても全く分からなかった。

 グルグルと目まぐるしく、だけどゆっくりと動く視界は色々な光景を捉えた。飛び散る血と肉、吹き飛ぶ腕。大半が呆然とする中で大柄な女が何をしているんだと驚く顔が映り、次に赤い髪をした女と黒い長髪の女が唖然とする顔が映り、そして最後……一番近くに映るのは金色の長い髪が揺れる中でひときわ驚く女の顔。

 その目ははっきりと俺を見ていたが、しかし先ほどまでの冷たさを全く感じなかった。吐息をすぐ傍に感じる程に近づいた女は何かを言っていたが、だが何を言おうが結局理解できず、そして俺は意識を失った。
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