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教(おしえる)

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 ――早く、早く助けてくれ!!

 ――お願いだ、早くしてくれぇ!!

 ――嫌だ。このまま消えたくない……
  
 何かが頭の奥深くから浮かび上がってくる。夢……コレは夢だろうか?夢の中の声は初めこそ幾つもの声だけだったが、やがて闇の向こうにうっすらと、ボンヤリと何かの光景が浮かび上がってくる。アレは……
 
『今はまだその時ではない。何れ全てを知る時が来るその日まで……ただ、今は微睡の中に沈むがいい。』
 
 直後、誰かの声が聞こえた。穏やかで静かで、心を落ち着かせるような低い男の声が聞こえると同時、俺の意識は再び真っ暗な闇の中に消えた。

 ※※※
 
 目を覚ませば薄暗く冷たい部屋の中にいた。ココはドコだ?と考えるのは2度目だな。最初は森の中で次は地下室の様な場所。頭を動かして辺りを見回してみれば、床も壁とも天井も一面の灰色。石を敷き詰めて作られた部屋だ。そんな見ているだけで気分が滅入る位の灰色に周囲を取り囲まれた部屋の端には申し訳程度のベッドと簡易トイレが見え、その上部には鉄格子が嵌った小さな窓がある。嫌な予感がした俺が次に反対側へと視線を移せば、ソコには予想通り大きな鉄格子が見えた。

 今いる場所がどうやら牢屋らしいと気付いた俺は酷く嘆きたい気分に襲われた。以前よりも状況が悪化しているじゃないか。森ならばどこまででも逃げられたのだが、牢屋に閉じ込められては何も出来やしない。

 ハァ、と大きなため息を付いた俺は眠る前の事を思い出した。大きな鬼は意識を失うその直前に牙の破片を飛ばした。当たれば身体など残らない位の大きさと勢いで吐き出されたソレは瞬く間に俺の元まで来た。が、ほんの少しだけ狙いが逸れていた。破片の向かう先は俺じゃなくて恐らく金髪の女を狙っていると、そう直感的に察した。

 だからしゃがんでいれば大丈夫だと、頭はそう判断した。何も知らない世界で大怪我したところで助けて貰える補償なんて何処にもない。ソレに何より、ココに居る連中は揃いも揃って俺より強いんだ。コレが最善、一番賢い選択肢。そう理解した、

 だけど、なのに身体はそれとは真逆の行動を取っていた。気が付けば俺は狙われている女目掛けて走り出していた。女も俺の行動に気づいたが、しかし全く危機感を持っていないのか茫然と俺を見つめるばかりで何もしようとしない。しかもソレは他の連中も同じで、まるでこの女がどうなろうが知ったコトかといった様子どころか更にごく一部に至ればクスクスと笑ってさえいた。

 俺はそんな光景に酷く苛立っていて、だからだろうか……気が付けばその女を助けていた。どうしてそうしたのか、今になってもさっぱりわからない。冷静にあの時を思い返してみれば……と、そこで自分の身体の異変に気づいた俺は身体のアチコチを触ってみた。

 俺は自分の腕が吹き飛ばされ、肩口が吹き飛ばされた光景と痛みを覚えている。なのに、今この身体の何処を見てもそんな気配はない。吹き飛ばされた筈の腕はくっついていて、色々と動かしてみても何らの違和感もない。ならばとYシャツのボタンを外して傷口を確認してみれば、ソコには傷らしい傷も何一つ無かった。

 どうなってるんだ?アレは夢だったのか?いや、そんな筈はない。あの痛みも、女の驚く顔も鮮明に記憶として残っている。

『オイ。聞こえてるかァ?』

「は?」

 声が聞こえた。しかもこの変な世界に来てから初めて聞く日本語だ。驚いた俺が声が聞こえた方向を振り向けば、鉄格子の向こうに女が立っていた。銀色の長い髪に褐色肌で長身の女の姿は忘れたくても忘れられない程度にインパクトが強い。俺が最初に会った女だ。
 
『お。やっぱ聞こえてんじゃねぇか。よぉ。アレから3日振りだが、覚えてるか?』

 3日。どうやら俺はこの窮屈な部屋で3日も寝ていたらしい。が、今はそれよりも確認しなければならないことがある。

「こ、ここは何処なんだ?あんた達は一体誰で、俺はどうしてココに居るんだ?って、そもそもなんで言葉通じてるの?」

 矢も楯もたまらず、俺は矢継ぎ早に質問を繰り出した。理由は分からないが、言葉が通じるならば色々と聞きたい事がある。

『色々と教えてやるよ。だから早く出な。動けんだろ?オイ、鍵開けろ。』

『はっ。』

 女が何処かに向けて指示を出すと、直ぐに看守らしき誰かがやってきて鉄格子の鍵を開けた。錆びたキィキィという耳障りな音と共に鉄格子は開くと、俺は女に促されるままに石畳の通路を進んだ。

 ※※※
 
 どうやらこの場所が牢獄である事は間違いないようで、石畳の通路の左右には一定間隔おきに鉄格子が嵌っていた。中には人が居なかったりいたりとマチマチだが、牢屋の数にしては入っている人間は少ないところを見れば治安は良い部類なのだろう。

 やがて牢獄の端へと到着、更にソコから階段を上り続けた先には大きな鉄格子と小さな部屋。奥には看守が数人控えていたが、誰もが隣の女をみるや直立不動で敬礼している。その看守の更に奥には奥に鉄製の大きな扉が見えた。多分、外に繋がっているのだろう。

『コチラで管理しておいたアナタの私物ですが、でも用途不明の物ばかりです。コレ、一体何なんです?特にこの奇妙な板っぽい物。』

 手前の部屋に通された俺を見た看守は中央に置かれた木製の机の上に籠をドサッと置くと、その中からスマートフォンを摘まみ上げながら俺にそんな事を訪ねてきた。よく分からない物だから怖いのだろうか。が、しかし……説明したところで理解できるかどうか怪しい。

『言えない理由でもあるのか?』

 俺の背後から様子を窺っていた女の声が背中から聞こえた。

「あー。いや、その遠くの人と連絡を取ったりするのに使う道具。で、あの、同じヤツが無いとダメなのでココでは使い物にならないです。」

『コレが?嘘でしょ?』

『どうやらオレ達とは全く違う場所から来たって話は本当みたいだな。』

 俺の説明に看守は怪訝そうな表情を浮かべながら、同時に机の上に置いたスマホを指で突いた。一方、俺は女がボソッと口にした言葉に酷く驚いた。やはり、ここは地球と違うらしい。

「やっぱり、ここは俺の居た場所とは違うんですか?」

 今度は俺が質問した。

『オレ達の連絡手段はコイツだからな。』

 すると、女はそういうや大きく開いた服の胸元に手を突っ込み無造作に何かを取り出した。ソレは……小さな瓶?いや、その中に小さな何かが居る。俺が驚く中、女は瓶の蓋を開け放ち、その中にいた何かを解き放った。ソレは瓶から飛び出ると、大きく背伸びをした。同時、"ふあー"という力の抜けるような甘ったるい声が検査室に響いた。何だコレは?

『連絡用の人工妖精エアリーって奴だ。原理は落ち着いたらでいいだろう?』

 女はぶっきらぼうにそう説明してくれたが、何が何だか分からない。が、ソレは向こうも同じだ。携帯の機能を説明したところで向こうも同じく分からないと匙を投げるだろう。だから説明を飛ばしたようだ。この銀髪の女性、一見すればワイルドでガサツっぽく見えるだけで結構繊細で人の心の機微をよく分かっているようだ。

『じゃあ過不足なく受け取ったか?問題ないの確認したらボスのところに向かうからな。』

「はい。あの、ボスって?」

『言わずとも理解しているだろ?無謀にもお前が助けたヤツだよ。馬鹿だねぇ、力の差は理解出来てただろう?』

 その言葉に俺は何も言えなかった。やはり助けたのは無意味だったようだ。まぁ、身体が勝手に動いていたのだから強かろうが弱かろうが、知っていようがいまいが同じ行動を取っただろうけど。

『ま、そう落ち込みなさんな。ボスもそこまで冷血じゃない。』

『嘘……』

 看守がそう呟きかけると慌てて言葉を呑み込んだ。

『まぁちょっと位は、な。で、だ。ボスはお前に興味が出たそうだ。良かったな。本来ならば極刑でその場で消し炭になるところだったんだぞ。』

「消し……嘘でしょ?」

 冗談だとは思えなかった。あのゾッとする目を見れば、確かにその程度はし兼ねない冷酷さを感じた。

『嘘だと思うか?なら後でお前と会った場所、見せてやるよ。周辺一帯に何も残ってないぞ。あのデカブツがボスを怒らせのが原因でな。ま、とにかく今は運が良かった事を喜びな。本題だ。ボスはお前の世界の話を聞きたがっている。勿論、見返りもあるぞ。ボスが満足すれば最低限だがここでの生活は保障してやるし、ここで生きる為の情報も教えてやる。』

 女は俺を安心させるためだろうか、笑顔でそう教えてくれた。好条件だと思う。今の俺はどうやって元の世界に戻ればよいか分からない状態。となれば、当面はこの世界で暮らさねばならない。言葉の壁が早々に取っ払われたのは幸いだが、ここにきて生活の保障と生きるのに必要な情報も教えて貰えるとなれば、僅かだが生きていける目途が立つ。俺の住む世界の事を教えるだけにしては十分すぎる見返りだ。

 とは言え少しだけ不安もあるし、もっと言えば余りにも俺に都合が良い条件に少々胡散臭い何かを感じ取ってもいるのも確かだが……やはり今の俺に選択肢は無い。記憶の一部は抜け落ちているが、地球での話ならば大抵のことは覚えている。

 選択肢は無い以上、今はこの提案に縋るしかない。彼女に提案を受け入れる旨を伝えると、彼女は満面の笑みと共に鉄製の扉を開け、外に出るよう促した。

 ※※※

 牢獄へと続く鉄製の門を潜った先に見えたのは、巨大な石の壁と先ほどよりも更に以上大きな鉄製の門。灰色と黒という重苦しい2色で構成された場所を後にすれば、次に飛び込んできた光景は一面を染める緑。山だ。木々は地球のそれとよく似ている物もあれば全く違う物もあったが、青々と繁る様子だけは地球と同じだった。懐かしい。そんな感情と共に、帰りたいという故郷への郷愁に支配された。

『お待たせ。』

『オウ。じゃあ行くか。』

 遠くの景色に見とれていれば、直ぐ傍から2人の女の声がした。片方は俺を迎えに来た長身の女だが、もう1人は?いや、そもそも門を抜けた時に辺りを見回したが、その時には俺とその女以外に誰も居なかった筈だ。

 視線を遠方から近場に戻せば……目に飛び込んできたのは零れ落ちそうに大きな胸と、黒い髪をした女。彼女は確か……

『どうしました?』

 其の丁寧な物腰と柔和な笑顔で俺を見つめるのは、彼女達のボスの隣に立っていた女の1人だ。忘れたくても忘れない顔立ちと身の丈ほどもある長い杖は記憶の底にこびりついて忘れたくても出来ない。まぁ、要は超絶美人という訳で。無論、長身の女の方もだ。ただ、こちらは格好良いとか美形という表現が適切な分類だが。

『あなたの世界の常識は私達とは違うのですね。今、私の足元に描かれている模様は長距離転送用の魔法陣。コレを使ってあなたをハイペリオンまでお運びします。』

「転移?それにハイ……?」

『転移とは一瞬で遠くまで移動する技能の事ですね。ハイペリオンは私達の都市の名前。この山の向こう側にそびえる巨大な神樹の周囲に作られた街です。』

 黒髪の女性はにこやかに説明すると俺の手を握り魔法陣に入るよう促した。暖かく柔らかい感触が手を伝い、何とも言えない良い香りが鼻腔をくすぐった。ソレがわかる位に距離が近い。

『ハイ、着きましたよ。』

 ん?もう?俺が黒い髪の女性に見惚れている内に転移とやらは終わってしまったらしい。それらしい光景と言えば、3人が魔法陣という模様の中に入った瞬間、灰色の光に包まれた位だが……しかし目の前に広がる景色は先ほどとは違っていた。"一瞬で遠くまで移動する技能"という説明をどこまで信じれば良いか分からないが、少なくとも今いる場所はついさっきまでいた山とは違う場所だった。

 一言で表現するならばドームに近いこの場所は、石畳の床に石造りの壁という構成こそついさっきまでいた牢獄と同じだが、広さは段違いでしかも明るい。そして天井は丸みを帯びている。これに一番近い建造物を俺は知っている、ギリシャのパンテオンだ。最もココはあそこまで豪奢ではなく、寧ろ酷く質素だが。

 ※※※

 石造りのドームの外に広がる光景は牢獄の外で見た雄大な景色とはまた別の意味で絶景だった。豪奢な意匠が施された柱、大人が3、4人は横並びで歩いてもまだ余裕がある程度に広い廊下とその上に釣り下がるシャンデリア、窓の外を見れば木漏れ日の向こうに広がるのは一面の青色。ソレだけならば地球に現存する城と大差ないが、最も大きく違う点は廊下を行き交う兵士。規則正しく一定間隔で歩く鎧騎士の中身は空洞で、聞けばボスの魔力で動いているという。

 地球とよく似た中世の城を歩いているだけならば何も思うことは無いが、中身が空っぽ、伽藍洞の騎士がまるで人間と同じように動くその様を見れば、ここが地球とは違う場所なのだろうという感覚が沸々と湧き上がってくる。そんな騎士達に連れ添われながらしばらく歩いていると、やがて途轍もなく大きな門の前へとついた。

『お連れしました。』

 黒髪の女が扉にそう伝えると、ギギギといういかにも古めかしい扉にありがちな音を立てながら扉がひとりでに開いた。続いて銀髪の女が先んじて扉の向こうに入り、黒髪の女は俺の顔を見ると扉の向こうに行くよう促す。ココまで来て取って食われるなんてことは無い筈。覚悟を決めた俺は、扉の横に立つと剣を構えた姿勢のまま動きを止めた鎧騎士に見送られながら恐る恐る扉の向こうへと歩を進めた。
 
 部屋は廊下よりもいっそう豪華だった。やや細長い造りの部屋は、奥まで軽く2、30メートルはあり、横を見ればアーチ構造をした柱がいくつも並んでいる。天井もかなり高いが、コレはどうやら2階層で出来ているかららしかった。アーチ状の上には手すりが見え、その奥にも空間が広がっていた。

 そして……この場所には総勢で20人近い男女が集まっていた。気を失う前に見た顔、見ない顔もあったが、1つだけ分かるのは全員が相当に強いという事だけ。誰もがまるで殺さんばかりに睨みつけるその視線は、何時か経験した時と同じく俺の身体を貫き強張らせる。

『ようこそ。』

 が、そんな視線が一気に霧散した。部屋の一番奥の壁に彫られた巨大な樹木の意匠の手前に座った女が俺に言葉を掛ければ、全員が一様にオレから視線を逸らしその女を見つめた。助かった。あんな視線の中で何か話せと言われても……

『さて。道すがら話は聞いているでしょうから、さっそく話して貰いましょうか。』

 いきなり本題に来た。

「俺が住んでいた場所の話を聞きたいんですよね?」

『そうです。』

「何故です?そもそもどうして俺が別の場所から来たってわかったんですか?」

 素直に話しても良かったかもしれないが、先ず率直な疑問を口に出した。が、質問をし始めた辺りから周囲がわかにざわつき始めた。知らない顔も知った顔も一様に頭を抱えている。何か変な事を言ったか?失礼は無かったと思うのだけど。

『聞きたいのならば教えてあげましょう。私達は世界の情報を集め管理しているからですよ。だから君の情報も知りたい。それが別の次元、世界であったとしてもです。次に同じケースが発生した場合、何かの助けになるでしょう?』

 その人は意外と素直に教えてくれた。が、またもや周囲に動揺が広がった。その顔は唖然呆然としており、俺と中央の豪華な椅子に座る女を交互に見比べている。

『別の場所から来たと分かった理由もついでに教えてあげましょうか。君が眠っている間に特殊な魔法を使用して、過去の記憶を引き出しました。無論、本来の目的は翻訳です。意思疎通が出来なければ情報も引き出せないですから。もう聞きたい事は無いですか?』

 彼女の答えは丁寧で淀みなかった。どんな原理か分からないが、俺の頭から記憶を引き出したというならば信用するしかない。しかし……この世界は不思議だ。地球よりも明らかに文明が進んでいないのに、その代わりとばかりに発展した奇妙な技術は明らかに科学技術で出来る範囲を超えている。

 が、とにもかくにも次は俺の番だ。俺は促されるままに地球……取り分け俺が住む日本の事を話し始めた。文化、文明、風土、気候、その他にも色々。時折、中央に座る女や周囲から質問があればソレに答えながら、地球の情報を提供した。一部は怪訝そうに話を聞いていたが、次第に興味と関心に支配されてき、話が終わる事には誰もがアレやらコレやら議論し始めた。
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