婚約者に捨てられた聖女ですが、素敵な騎士団長に見初められました。

ハリネズミ

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番外編:失われた光

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 粗末な机の上に投げ出された新聞紙。
 滲んだインクの匂いが、薄暗い部屋の中に広がっていた。

 ――《聖女イザベル、グランディア国の騎士団長フェルナンドと結婚。盛大な祝福のうちに》

 その見出しが目に飛び込んだ瞬間、レオンハルトは硬直した。
 手が震え、紙を握りつぶしてしまう。

「……イザベル……」

 声は掠れ、虚ろに響いた。

 亡命先のこの小さな港町で、彼はもう王太子ではなかった。
 かつての栄華も威厳もなく、ただ名前を隠して暮らす一介の流浪人にすぎない。
 祖国は、あの時から完全に滅んだ。
 偽りの聖女を担ぎ上げた王宮は崩壊し、妹マリアを信じた愚かな選択が国を奈落へ突き落としたのだ。

 レオンハルトは毎夜悪夢に苛まれた。
 燃え盛る街、泣き叫ぶ民衆、血に染まる兵士。
 彼の名を呪いながら死んでいった臣民たちの顔が、眠りのたびに蘇る。

 ――だが、その中で最も鮮烈に浮かぶのは。
 涙を流し、絶望に震えながら水へと身を投げたイザベルの姿だった。

「私は……間違った……」

 呟いた声が空気に吸い込まれる。
 なぜ、あの日あの場で、彼女を信じ切れなかったのか。
 幼い頃から彼女の祈りに救われ、優しさに触れてきたはずだった。
 それなのに、嫉妬に狂った妹の言葉を信じ、彼女を裏切った。

 新聞の紙面には、微笑むイザベルの姿があった。
 白いドレスに身を包み、フェルナンドの腕に抱かれながら輝いている。
 その笑顔は、かつて自分の隣にあったはずの光。
 もう二度と手が届かない場所に行ってしまったのだ。

 胸を掻きむしるような痛みが広がる。
「イザベル……許してくれ……」

 しかしその声は、誰にも届かない。
 彼女はもう振り返らない。
 フェルナンドの隣で、未来を歩んでいく。

 レオンハルトは窓辺に歩み寄り、港を見下ろした。
 海鳥が飛び交い、波が穏やかに寄せては返す。
 その光景は、かつて彼が知っていた王都の喧騒とはまるで違う。
 静けさに包まれながら、彼は孤独を噛みしめるしかなかった。

 金も地位も失った彼を、この町の人々は同情で雇っているに過ぎない。
 漁師の手伝いとして働き、日銭を稼ぎ、安宿で夜を過ごす。
 かつて未来の王と称えられた自分が、このざまだ。

 新聞の一面を見つめるたびに、胸の奥で何かが崩れていく。
 イザベルは幸福を手に入れた。
 ならば、それでいいはずなのに――。
 どうしてこんなにも悔しく、哀しいのだろう。

 いや、それは悔しさではない。
 これは、取り返しのつかない過ちへの悔恨。

 もし、もう一度だけ時間を巻き戻せるのなら。
 彼女を信じ、守り抜くだけの勇気を持ちたかった。
 婚約破棄などという愚行をせず、彼女を伴侶として迎えていれば――。

「だが……もう遅い」

 唇から零れたその言葉は、まるで判決の鐘のように重く響いた。
 過去は決して戻らない。
 彼の傍らには誰もいない。
 イザベルを失ったあの日から、ずっと空虚な日々が続いていた。

 風が窓を揺らし、新聞が床に落ちた。
 写真の中で笑うイザベルの顔が、揺れる灯火に照らされる。
 その微笑みは遠く、どこまでも優しく、どこまでも残酷だった。

 レオンハルトは目を閉じ、深く息を吐いた。
「……せめて、遠くからでも幸せを祈ろう。俺にできるのは、それだけだ」

 彼女を失った代償は、永遠の孤独。
 だが、それすら自らが選んだ道。

 夜の闇が深まり、港に灯がともる。
 彼はただその光を見つめながら、静かに椅子に身を沈めた。

 ――光を失った男の、長い悔恨の夜が続いていく。
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