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「失礼します」
「諒と別れる気はない」
 篠崎が後頭部の髪を梳くように撫でた。気持ちいい。でも泣いてすぐの顔を景山には見られたくなくて俯く。
「お言葉ですが、日本にお住まいになられるべきではありません」
「なら日本支社を作ればいい。本社の社長を副社長にしろ。俺が日本支社を見る」
 経済に詳しくない安西でも篠崎が無茶苦茶を言っていることだけは分かった。でも怖いのは、篠崎ならやりかねない気がするところだ。
「社長……」
 景山ももはや呆れている。
「冗談だ。俺は会社を辞める」
「……何を」
「辞めるよ。そしてこのまま日本に住む」
「社長」
 景山の雰囲気が一気に鋭くなった。
「会社を辞めてどうされるんですか」
 景山は篠崎が投資や自分の会社を持っていることを――いや、知らないはずはないだろう。けれどそれで生活する、と篠崎に言わせるのは憚られた。
「……僕が養います」
 見向きもしなかった景山の目が安西を見た。まるで安西がいることに今気付いたかのような視線。
「……本気で言っているんですか」
 安西は頷いた。
「社長は生まれたときから裕福な家庭で育っています。庶民の生活なんて、最初は好奇心で楽しむかもしれませんがすぐに飽きて耐えられなくなります」
 確かにそうかもしれない。けれど。
「不自由させるかもしれませんが、楽しく暮らします」
 お金がなくても、楽しく過ごす術を安西は知っている。安西が育った施設は決して裕福ではなかった。誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントもお年玉もない。けれどみんなからの誕生日おめでとうの言葉や、イベントで一緒に食べる、少しだけ豪華な食事は楽しかった。安西にとっての幸せにお金は関係のないものだった。
「だから、会社のこととか、ご両親のこととか、篠崎さんを待っている女性……には申し訳ないですが、篠崎さんと居させてください」
 お願いします、と頭を下げた。ドキドキする。
「……社長」
「そういうことだ。もうアメリカに帰っていい」
 絶対に粘られると思ったのに、呆気ないほどすんなりと景山は部屋を出て行った。
「……認めてくれたんでしょうか」
「まぁ、そうなんじゃないか」
 篠崎もそれほど気にしていないように見える。安西だけが気張っていて、もしかしたらこういう篠崎の我儘のようなものは日常なのかもしれない。――それはちょっと困るけれど。でもとりあえずよかった。篠崎も日本でやりたいことをできる方がいい。新しいことを始めるときは失敗だってあるのだし、篠崎の投資収入などはないものと考えて、あとは安西が仕事を頑張るだけだ。そうすれば篠崎の仕事がどうなろうと支えていける。
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