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「篠崎」
「ん?」
 篠崎はまだ書類を読みこんでいた。やはり忙しそうだ。
 振り返った篠崎が驚いた顔をしている。パジャマではなく私服を着ているからだろう。
「別れてください」
「諒……?」
「荷物はまた後日取りに来ます」
 篠崎に何かを言われれば――例えば引き止めて貰えたら、縋りたくなってしまう。引き止めてもらえなくても、篠崎の顔を見たらやっぱり別れたくないですと言ってしまう。踵を返し、ドアに向かう。
「諒!!」
 左手首が痛い。強く握られている。
「どういうことだ」
「だから、別れてほしいんです」
「今日、何があった」
「何もありません」
「寝る前は」
「夜だったし、お酒が入っていたからです。気の迷いですよ」
「諒」
「……放してください」
「ダメだ」
「やだ」
「諒」
 引き止められて、嬉しいと思ってしまう。その手を放さないで欲しい。ずっとそうしていて。そして引き寄せて抱きしめてほしい。
「景山か」
「っ……」
「会ったのか」
「……」
「諒」
「……電話、来た」
「連絡先を交換していたのか」
 首を横に振る。
「アイツ……」
 篠崎の手が離れ、身体が自由になってしまった。どうしたらいいのだろう。いや、出て行くべきだと分かっているのに。
「諒。ここにいなさい」
 篠崎の鋭い視線。怒っている。ひどく怒っている。でも確かに――約束したからなのか声を荒げることはしないでくれている。でもその視線が怖かった。
「俺だ」
 通話が始まった。相手は景山だろう。
「諒と別れるつもりはない」
 景山の声は聞こえない。
「異論があるなら直接聞こう。部屋に来い」
 言いきってすぐに携帯をしまった篠崎に手を引かれる。安西に逃げる気がないと思ったのか、その手は優しかった。
「おいで」
 ソファの隣に座り、手を広げられる。でも飛び込む気にはなれなくて下を向いた。
「諒……」
 悲しそうな声。先ほどまでの怒りは消えているようだ。
「諒、本気で別れるなんて思っていないよな」
「だってっ……」
「うん」
 篠崎が穏やかに先を促す。言ってもいいのだろうか。
「僕は篠崎と結婚できないし、子供だって」
「男女の関係だって入籍しない人もいるし、子供ができない家庭だってあるだろう。作らないという選択をする家庭だってある」
「けど、篠崎は奥さんと子供作って家族で幸せに」
「諒。違う。俺が誰かと結婚したって子供を作ったって俺は幸せにはなれない」
「なんで……」
「諒のことを愛してるのにどうして他の人と結婚して幸せになるんだ。それとも諒はその辺の女と結婚して子供作れば幸せになるのか」
「ならない……」
「そうだろう。諒。頼むから別れるなんて言わないでくれ」
 篠崎のすがるような言葉に涙が零れた。そうだ。幸せは第三者が決めるものじゃない。
「ごめんなさいっ……」
「いいんだ。わかってくれて良かった」
「ごめんなさいっ」
「いいんだ。ほら、泣かないでくれ。もうすぐ景山が来る。そんな可愛い顔を奴に見せるな」
 変な嫉妬に、泣きながら笑ってしまった。だっておかしなことを言っているのに篠崎は真剣だったのだ。
「そうだ。その可愛い顔を見せてくれ。昨日の、養ってくれると言ってくれたときの男らしい表情も可愛かったが」
「男らしいのに可愛いんですか」
「可愛い。君はなんでも可愛い」
 笑っているのに止まらない涙を指で優しく拭ってもらっていると部屋のドアが叩かれた。
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