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第二章「さらばリーンベイル」
第二十七話「男爵自慢の庭、大改造計画」
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ビンツ男爵は馬車に乗って、まるで嵐のように去っていった。
冒険者ギルドのホールで、ぽかんと立ち尽くすフィンたちだったが、ともかく動かなければ始まらない。
「ビンツ男爵の庭とやらを見に行こう」
「はい! 旦那さま!」
ふたりで領主の館へと向かう。
「どうなってるのか、楽しみですね!」
「俺はあんまり楽しみじゃないなあ……」
辿り着いてみると、館の前には人だかりができている。
塀によじ登って中の様子をうかがっている者もいた。
しかし彼らもフィンを見ると、まるで逃げるようにさっと道を開ける。
フィンは未だに、街の人々に怖れられていた。
“ドブイタチ”壊滅の噂は、いまだに大きく尾を引いている。
“盗っ人のフィン”と呼んであざ笑ったことへの復讐が、いつ自分に襲いかかってくるのかとびくびくしているのだ。
「………………」
フィンは構わず、空いた道の先を見た。
「こいつはひでぇ……見物人が来るわけだ」
高い塀と、開かれた門のその向こう。
領主の館は、湯気を立てる巨大な池の真ん中に建っていた。
どこからどこまでが庭なのかも、さだかではない。
なにもかもが湯に押し流され、そこかしこに泥が堆積していた。
残された数少ない足場も〈治癒の薬草〉に覆われている。
もしこの景色を一言で表すならば“湿地帯”だ。
ここがかつて美しい庭園だったなどと、いったい誰が信じるだろうか。
「この惨状を、いったいどうしろと……」
フィンはため息をついた。
「フィン、クレイ、あんたらも来てたのかい!」
「マーガレットさん……」
宿屋のムキムキ女主人、マーガレットも見物に来ていた。
「この庭を明日までになんとかしろと言われていまして」
「そりゃ無茶ってもんさね!」
マーガレットはきっぱりと言い切った。
宿屋の女主人にすらわかる道理が、ビンツ男爵には通じないらしい。
「ご安心ください旦那さま、わたくしの力を使えばこんなの一発です!」
「一発で吹っ飛ぶだろ」
クレイの力を借りることも考えたが、彼女の力は戦闘を除くとかなり大雑把だ。
それに“美しい庭園”というものを見たことがあるかどうかすら怪しい。
ここで魔王の力を使った結果、状況をさらに悪化させることもあり得る。
かろうじて残っている館まで木っ端みじんに吹き飛ばされては、ビンツ男爵が憤死しかねない。
「ようするに、あの肉にふさわしい“ねぐら”を作ればいいんですよね【アーーース……」
「待て待て待て待て! みんなも見てるから!」
フィンは慌ててクレイを取り押さえる。
美的センスについてもそうだが、なにより人目があるというのが一番の問題だ。
ただでさえいい目で見られていないというのに、ここでクレイの正体がバレてしまっては、フィンは弁解の余地もなく絞首台行きだ。
目の前の状況は最悪の一言に尽きる。
絶えず野次馬が押しかけているせいでクレイの力も使えない。
となると、庭の修繕は完全に手詰まりかと思われた。
いよいよもってフィンが頭を抱えていると。
「しかしこりゃあ、まるで温泉だね!」
湯気の上る池を眺めて、マーガレットが言った。
「温……泉……」
フィン自身は実物を見たことはないが。
温泉とは、一般的には湯治のために用いられる浴場施設だ。
フィンは池に手を入れてみる。
良い具合に温かい。
そして湯の底では〈治癒の薬草〉が、ゆらゆらと揺れている。
浴場としてはありえない規模だが、これは立派な薬湯だ。
「よし、美しい庭、なんて無茶を考えるのはやめよう」
「え? いいんですか? じゃあ旦那さまを害すると言っていたあの肉に、“摂理”わからせちゃってもいいですか?」
「いや、そういうことじゃない。ビンツ男爵は言っていただろう『どうにかしろ』って。庭を元通りにしろって言ったわけじゃない。だったら庭にこだわる必要はないだろう」
「なるほど!」
どのみち、まともに庭など作っていては、どうあがいても明日の朝には間に合わない。
「今からこの池を、立派な浴場に仕立て上げるぞ」
できないことを無理やり押し通すのではなく、現状を見て最善の手を打つ。
これは狩人としてだけでなく、冒険者としての鉄則でもある。
「もちろん、あたしにも手伝わせてくれるんだろう?」
「ありがとうございます、マーガレットさん」
「そのかわり一番風呂はあたしがいただくからね!」
マーガレットは力こぶを作って快活に笑う。
正直、とても心強い。
「となると、さっそく手をつけないといけないのは……」
湯の外に放り出された土砂の除去。
そして、着替える場所を用意することだ。
庭師の人たちにも協力してもらう。
シャベルを借りて、土砂を台車に積んでいく。
「旦那さま! ここはわたくしの力で!」
すがりつくようにクレイは言った。
地道な協力作業というのは、いかにも苦手そうではある。
「気持ちは嬉しいけど、君の力をここにいる人たちに見せたくない」
「旦那さまはつまり、ふたりきりでわたくしの全てをご覧になりたいと……! でしたら今夜にでも……その、お見せするのは少し恥ずかしいですが……」
「イチャついてる暇があったら手を動かしなア!」
いつの間にやら現場監督と化したマーガレットの喝が飛ぶ。
「いいか、魔法はナシだ。ここからは手作業でいく」
「なるほどそういうことでしたか! 承知しました旦那さま、肉体労働もお任せください!」
そう言うとクレイは猛烈なスピードで土砂を掘り始めた。
むしろ土砂を捨てにいく台車のほうが間に合わないぐらいだ。
あんな可愛らしい姿をしていても、その正体はやはり魔王なのだと、フィンは改めて実感する。
無限の体力は、はっきり言ってありがたい。
しかし作業に加わっているのはフィンたちと、庭師が数名、あとはマーガレットだけだ。
それに対して男爵の館の庭はあまりにも広大だった。
いかにクレイとマーガレットが20人分働いているとはいえ、この少人数では、なかなか仕事は捗らない。
「マズいな。わかってはいたけど、これじゃキリがない」
なにせ、明日の朝までに仕上げないといけないのだ。
働きながら、どうしたものかと思案していると――。
「フィン・バーチボルト。私たちも、ぜひ力になりたい」
「こういった仕事は初めてですが……」
「ゴチュウモンヲ、ウケタマワリマス」
やってきたのは、ギルド長と、ギルド職員の面々だった。
「事務仕事を終わらせてきた。それにもとはと言えば私の責任だ。冒険者ほどの足腰はないが、なんでも言いつけてくれ」
「助かります……! ではまず泥の除去と、それから……」
ギルド長たちに作業内容を伝えつつも、フィンはそろそろ疲れを感じ始めている。
しかしやるべきことは、まだまだ残っていた。
フィンは袖で額の汗を拭う。
ギルド長たちが加勢に来たとはいえ、まだまだ人数が足りない。
本当にこの作業は、明日までに終わるのだろうか。
「しかし、君はまじめだな」
顔中を泥と汗まみれにしながら、ギルド長がフィンに話しかける。
「ビンツ男爵のあんな横暴に、わざわざ義理立てする必要もないだろう」
「それはまあ……そうかもしれません」
「最悪の場合、君がこの街から逃げる時間ぐらいは稼ぐつもりでいた。むしろいますぐ上手く逃げてくれとさえ思っていたんだが」
フィンは泥をすくう手を止めずに言った。
「逃げたく、なかったんだと思います。この街から」
作業をしながら言葉を続ける。
「たしかに居心地は、良いとは言えませんけど。それでもこのリーンベイルには、いろんな思い出があって、お世話になった人もいる。ギルド長、あなたもそのひとりです」
そう言って、フィンは少しだけ笑った。
「だから、もし逃げ出すなら、自分にやれることをやってから逃げようかなって」
お互いに視線は手元に向けたままだったが、フィンにはギルド長がうなずくのがわかった。
「そうか。いささか優しすぎるとは思うが、それも君のいいところだ。この町が抱く君への誤解が、一刻も早く解けることを願っているよ」
「ありがとうございます……ん?」
ザク、ザク、ザク――
フィンがふと隣を見ると、ギルド職員でも庭師でもない、ひとりの憲兵がシャベルで泥をすくっていた。
「つちおいしい」
「あんたは……!」
いや、ひとりではない。
気づけば何人もの憲兵たちが、作業を手伝っていた。
冒険者ギルドのホールで、ぽかんと立ち尽くすフィンたちだったが、ともかく動かなければ始まらない。
「ビンツ男爵の庭とやらを見に行こう」
「はい! 旦那さま!」
ふたりで領主の館へと向かう。
「どうなってるのか、楽しみですね!」
「俺はあんまり楽しみじゃないなあ……」
辿り着いてみると、館の前には人だかりができている。
塀によじ登って中の様子をうかがっている者もいた。
しかし彼らもフィンを見ると、まるで逃げるようにさっと道を開ける。
フィンは未だに、街の人々に怖れられていた。
“ドブイタチ”壊滅の噂は、いまだに大きく尾を引いている。
“盗っ人のフィン”と呼んであざ笑ったことへの復讐が、いつ自分に襲いかかってくるのかとびくびくしているのだ。
「………………」
フィンは構わず、空いた道の先を見た。
「こいつはひでぇ……見物人が来るわけだ」
高い塀と、開かれた門のその向こう。
領主の館は、湯気を立てる巨大な池の真ん中に建っていた。
どこからどこまでが庭なのかも、さだかではない。
なにもかもが湯に押し流され、そこかしこに泥が堆積していた。
残された数少ない足場も〈治癒の薬草〉に覆われている。
もしこの景色を一言で表すならば“湿地帯”だ。
ここがかつて美しい庭園だったなどと、いったい誰が信じるだろうか。
「この惨状を、いったいどうしろと……」
フィンはため息をついた。
「フィン、クレイ、あんたらも来てたのかい!」
「マーガレットさん……」
宿屋のムキムキ女主人、マーガレットも見物に来ていた。
「この庭を明日までになんとかしろと言われていまして」
「そりゃ無茶ってもんさね!」
マーガレットはきっぱりと言い切った。
宿屋の女主人にすらわかる道理が、ビンツ男爵には通じないらしい。
「ご安心ください旦那さま、わたくしの力を使えばこんなの一発です!」
「一発で吹っ飛ぶだろ」
クレイの力を借りることも考えたが、彼女の力は戦闘を除くとかなり大雑把だ。
それに“美しい庭園”というものを見たことがあるかどうかすら怪しい。
ここで魔王の力を使った結果、状況をさらに悪化させることもあり得る。
かろうじて残っている館まで木っ端みじんに吹き飛ばされては、ビンツ男爵が憤死しかねない。
「ようするに、あの肉にふさわしい“ねぐら”を作ればいいんですよね【アーーース……」
「待て待て待て待て! みんなも見てるから!」
フィンは慌ててクレイを取り押さえる。
美的センスについてもそうだが、なにより人目があるというのが一番の問題だ。
ただでさえいい目で見られていないというのに、ここでクレイの正体がバレてしまっては、フィンは弁解の余地もなく絞首台行きだ。
目の前の状況は最悪の一言に尽きる。
絶えず野次馬が押しかけているせいでクレイの力も使えない。
となると、庭の修繕は完全に手詰まりかと思われた。
いよいよもってフィンが頭を抱えていると。
「しかしこりゃあ、まるで温泉だね!」
湯気の上る池を眺めて、マーガレットが言った。
「温……泉……」
フィン自身は実物を見たことはないが。
温泉とは、一般的には湯治のために用いられる浴場施設だ。
フィンは池に手を入れてみる。
良い具合に温かい。
そして湯の底では〈治癒の薬草〉が、ゆらゆらと揺れている。
浴場としてはありえない規模だが、これは立派な薬湯だ。
「よし、美しい庭、なんて無茶を考えるのはやめよう」
「え? いいんですか? じゃあ旦那さまを害すると言っていたあの肉に、“摂理”わからせちゃってもいいですか?」
「いや、そういうことじゃない。ビンツ男爵は言っていただろう『どうにかしろ』って。庭を元通りにしろって言ったわけじゃない。だったら庭にこだわる必要はないだろう」
「なるほど!」
どのみち、まともに庭など作っていては、どうあがいても明日の朝には間に合わない。
「今からこの池を、立派な浴場に仕立て上げるぞ」
できないことを無理やり押し通すのではなく、現状を見て最善の手を打つ。
これは狩人としてだけでなく、冒険者としての鉄則でもある。
「もちろん、あたしにも手伝わせてくれるんだろう?」
「ありがとうございます、マーガレットさん」
「そのかわり一番風呂はあたしがいただくからね!」
マーガレットは力こぶを作って快活に笑う。
正直、とても心強い。
「となると、さっそく手をつけないといけないのは……」
湯の外に放り出された土砂の除去。
そして、着替える場所を用意することだ。
庭師の人たちにも協力してもらう。
シャベルを借りて、土砂を台車に積んでいく。
「旦那さま! ここはわたくしの力で!」
すがりつくようにクレイは言った。
地道な協力作業というのは、いかにも苦手そうではある。
「気持ちは嬉しいけど、君の力をここにいる人たちに見せたくない」
「旦那さまはつまり、ふたりきりでわたくしの全てをご覧になりたいと……! でしたら今夜にでも……その、お見せするのは少し恥ずかしいですが……」
「イチャついてる暇があったら手を動かしなア!」
いつの間にやら現場監督と化したマーガレットの喝が飛ぶ。
「いいか、魔法はナシだ。ここからは手作業でいく」
「なるほどそういうことでしたか! 承知しました旦那さま、肉体労働もお任せください!」
そう言うとクレイは猛烈なスピードで土砂を掘り始めた。
むしろ土砂を捨てにいく台車のほうが間に合わないぐらいだ。
あんな可愛らしい姿をしていても、その正体はやはり魔王なのだと、フィンは改めて実感する。
無限の体力は、はっきり言ってありがたい。
しかし作業に加わっているのはフィンたちと、庭師が数名、あとはマーガレットだけだ。
それに対して男爵の館の庭はあまりにも広大だった。
いかにクレイとマーガレットが20人分働いているとはいえ、この少人数では、なかなか仕事は捗らない。
「マズいな。わかってはいたけど、これじゃキリがない」
なにせ、明日の朝までに仕上げないといけないのだ。
働きながら、どうしたものかと思案していると――。
「フィン・バーチボルト。私たちも、ぜひ力になりたい」
「こういった仕事は初めてですが……」
「ゴチュウモンヲ、ウケタマワリマス」
やってきたのは、ギルド長と、ギルド職員の面々だった。
「事務仕事を終わらせてきた。それにもとはと言えば私の責任だ。冒険者ほどの足腰はないが、なんでも言いつけてくれ」
「助かります……! ではまず泥の除去と、それから……」
ギルド長たちに作業内容を伝えつつも、フィンはそろそろ疲れを感じ始めている。
しかしやるべきことは、まだまだ残っていた。
フィンは袖で額の汗を拭う。
ギルド長たちが加勢に来たとはいえ、まだまだ人数が足りない。
本当にこの作業は、明日までに終わるのだろうか。
「しかし、君はまじめだな」
顔中を泥と汗まみれにしながら、ギルド長がフィンに話しかける。
「ビンツ男爵のあんな横暴に、わざわざ義理立てする必要もないだろう」
「それはまあ……そうかもしれません」
「最悪の場合、君がこの街から逃げる時間ぐらいは稼ぐつもりでいた。むしろいますぐ上手く逃げてくれとさえ思っていたんだが」
フィンは泥をすくう手を止めずに言った。
「逃げたく、なかったんだと思います。この街から」
作業をしながら言葉を続ける。
「たしかに居心地は、良いとは言えませんけど。それでもこのリーンベイルには、いろんな思い出があって、お世話になった人もいる。ギルド長、あなたもそのひとりです」
そう言って、フィンは少しだけ笑った。
「だから、もし逃げ出すなら、自分にやれることをやってから逃げようかなって」
お互いに視線は手元に向けたままだったが、フィンにはギルド長がうなずくのがわかった。
「そうか。いささか優しすぎるとは思うが、それも君のいいところだ。この町が抱く君への誤解が、一刻も早く解けることを願っているよ」
「ありがとうございます……ん?」
ザク、ザク、ザク――
フィンがふと隣を見ると、ギルド職員でも庭師でもない、ひとりの憲兵がシャベルで泥をすくっていた。
「つちおいしい」
「あんたは……!」
いや、ひとりではない。
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