柑橘家若様の事件帖

鋼雅 暁

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◆第八記録◆ 記録者……仔細不明

其之壱

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記録者……家名姓名等一切不詳、詮索無用

 柑橘家の天守閣では、今日も宴――通常の食事が宴になってしまうのだ――が開かれている。
 ところが、珍しいことが出来していた。
 なんとお祭り男・蜜柑が、膳にも余興にも一切興味を示さず窓の外をひたすら眺めているのだ。蜜柑の性分を熟知した人々が、
(これは何かある! おかしい!)
 と思わないはずはない。

 じっと正座して外を眺め続ける蜜柑ほど不気味なものはない。嵐の前の静けさであるに決まっている。
 これに焦れたのは、「最も若い柑橘家の婿たち」だった。

――これはどういうことかというと、蜜柑の策略により、柑橘家の姫・柚姫は一夫多妻制ならぬ一妻多夫制度により日本全国津々浦々の有名な人々が柚姫の夫となっている。しかし柚姫がまだ年若いため、婿と言っても形ばかりおままごとのようなものである――
 
「政宗殿、それがしは修行が足らぬのでござろうか……?」
「いや、幸村。俺もさっきからうずうずして仕方がない」
 奥州の伊達政宗と、信濃の真田幸村の二人である。
 ちなみに二人は蜜柑と同い年であるため、蜜柑との仲も良い。
「……おい幸村、ちょっとその箸で蜜柑を突いて見ろ」
 心得た、と頷いた幸村がそっと移動し、手にした箸を素早く動かした。急所を狙った一撃、本来の蜜柑なら即座に反応して箸を叩き落とす場面だ。
 しかし箸は、何の抵抗もなく蜜柑の首筋に触れた。それでも蜜柑は微動だにしない。
「ぶ、不気味でござるな……」
 鳥肌が立ち申した、と腕をさすりながら幸村が自分の席へ戻る。
 今度は政宗がそっと忍び寄り、蜜柑の頭から、近頃蜜柑が愛用している格別に派手な羽飾りを抜き取った。普段なら、羽が痛むだの、貴重なものだから素手で触るなだの、大騒ぎする場面である。
 しん、と静まり返ったままである。
「……おかしい。六枚全部、俺の手の中だ。それどころか、顔の眼帯を外しても怒らないとは」
「政宗殿、どうにも恐ろしゅうござる。羽も眼帯も元に戻しておかれた方がよいのでは?」
「……そ、そうだな……」
 政宗がせっせと装飾品を元に戻す間も、やはり蜜柑の目は海に注がれたままだ。
 不思議に思った人々が、同じように海を眺めるが、穏やかな海面には何の変化もない。
「蜜柑、さっきから何を見てるんだい? 手にしている道具は、南蛮渡来の望遠鏡だよね?」
 婿其之参・前田慶次郎が蜜柑の隣に立った。
 慶次郎も奇抜な衣装、美麗な『傾奇者』である。蜜柑と慶次郎が二人並んだ様は絵になる。絵師が見たら涙を流して喜んだであろうが、生憎ここに絵師はいないし、絵心がある者もいない。
「ね、蜜柑? どうしたのさ? みんな不思議がって……」
「……む、来たっ!」
 突然、蜜柑が叫び、立ち上がった。
「な、何事でござるか!?」
「何が来たんだ!?」
 敵襲か、と、政宗と幸村が張り切る。
「父上、ちと大桟橋まで行って参ります。御免! 政宗殿、幸村殿、慶次郎殿、皆々様、楽しみにしていてくだされ!」
 疾風のごとく大広間を飛び出した蜜柑は、あっという間に城下町を駆け抜けて行った。
「聞いたか、幸村! 蜜柑が何をやるのか、楽しみだな」
 幸村も嬉しそうに頷く。が、蜜柑の父や柑橘家の家老、蜜柑よりも年を重ねた『大人の婿』たちはげんなりした顔で若者たちを見た。
 
――蜜柑が飛び出して行って『良いこと』が起こったためしはないのだから……

 その蜜柑が戻ってきたとき、傍らには妙な男がいた。
 色白で背が高く、細見の壮年の男……なのだが、その格好が奇妙なのだ。見た事のない帽子を目深にかぶっているため、表情が伺えないのだ。
「余は、単なる南蛮商人の晩白柚ばんぺいゆである」
 その場にいた人々の頭に、一斉に疑問符が浮かんだ。耳慣れない単語だったのだ。
 が、「あ!」と声をあげたのは四国の長曾我部元親だった。
「御一同、たしか晩白柚はこの世でもっとも大きな柑橘類の名だ。九州で作られていると聞いている」
 その言葉に、自称・南蛮商人は大きく頷いてみせた。
「しかと左様かな。よう存じておったな。その方は九州に詳しいのか?」
「まぁ、な。うちは四国、近隣諸国のことは一通り把握している。ところで、あんたは一体何者だ? 晩白柚なんて名の南蛮商人、聞いたことがない」
 晩白柚は、肩をひょいと竦めてわずかに口元をゆがめた。苦笑したらしい。
「余の事は気にせず、宴を続けるがよい。そうじゃな、余は酒は好まぬ。……犬千代! 茶を持て!」
 はっ、かしこまりました、と弾かれたように前田利家が動いたとき、居並んだ人々の反応は二種類にわかれた。
「前田様を幼名で呼ぶとは……! はて……どなたでござろうか?」
「はじめてお見かけする御仁だが……?」
 そう言って首をかしげるのは、比較的年齢の若い集団……政宗や幸村だ。
 そしてもう一つ……圧倒的にこちらの反応を示した人物が多いのだが……『驚愕』だ。
「ま、まさか……」
「生きておられたのか……!?」
「……あの業火のなかをどうやって……」
「そんなばかな!」
 その場にいるのは、猛者として名が響いていたり智将の誉れ高かったりするひとかどの人物ばかりである。そんなかれらの顔が、驚愕と恐怖で引き攣ってしまっている。
そんな一座をゆっくりと見渡した男は、目深にかぶっていた帽子をゆっくりと取り、
「お初にお目にかかる……と、申しておく」
と、甲高い声で挨拶をした。

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