本所深川幕末事件帖ー異国もあやかしもなんでもござれ!ー

鋼雅 暁

文字の大きさ
4 / 56
異国の風

しおりを挟む
「この文の差出人……『憂士組』のことは見聞きしておろう?」
 知らぬな、と、英次郎は首を横に振った。
「彼奴らは、ずいぶん粗暴で手荒な真似をする連中だ。もとは、大身旗本の次男坊らが徒党を組んだのがはじまりだそうな」
「退屈しのぎの悪さがどんどん苛烈になった口か」
「うむ。こやつらは、我ら同業の間でもすこぶる評判が悪い。最早手に負えぬ」
 困ったものだな、と、英次郎は小さくため息をついた。
 いわゆる冷や飯食い、家の厄介者である武家の次男坊、三男坊が身を持ち崩す例は枚挙に暇がない。
 英次郎の友人にも、お縄になった者や江戸所払いになった者、悪くすれば命を落とした者もある。太一郎はそんな連中を英次郎以上によく知っているためか、折に触れて英次郎に「よくぞまっすぐに育った」と妙な褒め方をする始末である。
「粗暴である故、奴らと相対するときは護衛が必要ということか、親分」
「理解が早くて助かる。間の悪いことにうちの組の腕利きの半分が江戸を離れている。この戦力ではカピタンの一行を到底守りきれぬ。そこで、御先章伝先生の愛弟子で御先一刀流免許皆伝である英次郎の腕が、頼りなのだ」
 話を聞き終わった英次郎は、じっと腕を組んで思案しはじめた。何を考えているのかは、わからない。
 
 沈黙の降りた庭先で、鶏たちが餌の残りを啄む長閑な時間が流れていく。
 太陽が太一郎の肥えた体をほかほかとあたため、汗がじんわり滲む。だが太一郎は文句ひとつ言わず、年下の友人である英次郎の思案を見守った。
 ただ、太一郎は、英次郎の瞳が爛々と輝いていくことに気が付いていた。
「親分、一つ頼みがある」
「何かな」
「阿蘭陀人を近くで見てみたい。むろん、親分や長崎屋を困らせるような振る舞いはせぬ」
「ほう、ならばクルチウスたちに面会できるよう、取り計らおう」
「よし、決まりだな。母上、親分の手伝いで長崎屋まで行ってきます」
 いつの間にか、お絹が英次郎の愛刀を持ってすぐそばまできていた。息子と親分のやり取りを聞いていたらしい。
「太一郎親分、英次郎、しっかり見聞を広めていらっしゃい」
「おや。母上は異人が怖いとは思わないのですか」
「思いませんよ、英次郎。許されるならこの母も長崎屋へ同行して、阿蘭陀国や亜米利加国の話を聞きたいと思います」
 これにはさすがの太一郎も驚いたらしい。目を丸くしている。
「お絹さまは奴らの何に興味をお持ちかな?」
「親分、彼らは何を食べるのでしょう。どんな着物を着るのでしょう。飲み物は、履物は、屋敷は……興味は尽きません」
 合点承知、と叫んだのは太一郎だった。
「お絹さま、この太一郎がクルチウス商館長と直に話して色々と仕入れて参りましょう! ささ、英次郎、日本橋へ急ぐぞ」
 しからばこれにてご免、と、太一郎は枝折戸へと突進していった。
「あっ、親分、待ってくれ」
 あわただしく出かける二人の背後に、お絹の「気を付けて」という声が重なった。

 急ぐぞ、と掛け声だけは立派だが、太一郎はどうみても太りすぎである。
 太一郎が走れたのは佐々木家をでてほんの少しの距離だった。武家屋敷がならぶ本所を抜けきらないうちに、呼吸が荒くなって足が止まってしまったのだ。
「え、英次郎、もう無理じゃ……」
「何を言うか、振り返れば我が破れ屋が見える距離だぞ」
 ひぃひぃ、と、顎が突き出て手は垂れ、膝が危なっかしい。ついに見かねた英次郎が駕籠を拾い、太一郎を無理やり押し込み、ようやく日本橋にある長崎屋に到着した。
 すると既に騒ぎは起こっていた。
「ここが長崎屋か……」
「英次郎、感慨にふける暇もないぞ」
 町人姿の若い男が太一郎のところへとすっとんできた。
「親分! 襲撃です。白昼堂々、長崎屋の店先と二階に火矢を射かけてきやがりました」
「やはりな。して、怪我人はおるか?」
「一階は長崎屋の娘御がすぐに火を消したので大事には至らず怪我人はなし、二階は、どこぞの大名家お抱え蘭学者の先生とちょうど商売に来ていた越後屋が負傷。ライター先生が診てくれましたが、命に別状はないとのこと」
「クルチウスたち阿蘭陀人は無事なのだな?」
「へぇ。傍にいたどこかのお侍が庇ったそうです」
 その話を聞きながら、英次郎は既に刀の鯉口を切っていた。長崎屋に向けられた殺意がいくつもある。
「……親分、その……。どん……く、くる……しまった、名を忘れたぞ」
「クルチウス商館長」
「うむ。クルチウス商館長たちに警戒を怠らぬよう伝えてくれ。襲撃の本番はこれからだぞ」
 太一郎が何かを言う前に、若い衆が飛ぶように長崎屋に駆け戻る。それを見送りながら足元の小石を拾った英次郎は、素早くそれを背後に投げた。
 たかが小石だが、剣術の達人である英次郎が投げた石だ。それなりの破壊力がある。
 太一郎は、鼻を押さえて地面に崩れ落ちる武家を視界の端にとらえた。
「英次郎、あやつは本当に襲撃者か? 通りすがりの者ではないのか?」
「親分、昼日中に抜刀しながら走ってくる武家が真っ当だと思うか」
 抜いておったのか、と太一郎が驚いた顔をした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔
歴史・時代
江戸の長屋から、奇妙な事件を解き明かす! 発明家と世話焼き娘の、笑えて泣ける人情捕物帖! 江戸、とある長屋に暮らすは、風変わりな男。 名を平賀甚兵衛。元武士だが堅苦しさを嫌い、町の発明家として奇妙なからくり作りに没頭している。作る道具は役立たずでも、彼の頭脳と観察眼は超一流。人付き合いは苦手だが、困った人は放っておけない不器用な男だ。 そんな甚兵衛の世話を焼くのは、隣に住む快活娘のお絹。仕立て屋で働き、誰からも好かれる彼女は、甚兵衛の才能を信じ、持ち前の明るさと人脈で町の様々な情報を集めてくる。 この凸凹コンビが立ち向かうのは、岡っ引きも首をひねる不可思議な事件の数々。盗まれた品が奇妙に戻る、摩訶不思議な悪戯が横行する…。甚兵衛はからくり知識と観察眼で、お絹は人情と情報網で、難事件の謎を解き明かしていく! これは、痛快な謎解きでありながら、不器用な二人や長屋の人々の温かい交流、そして甚兵衛の隠された過去が織りなす人間ドラマの物語。 時には、発明品が意外な鍵となることも…? 笑いあり、涙あり、そして江戸を揺るがす大事件の予感も――。 からくり長屋で巻き起こる、江戸情緒あふれる事件帖、開幕!

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

徒花

勇内一人
歴史・時代
咲いても実を結ばない花。人はそれを徒花と呼ぶ……ある夫婦の形。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』

月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕! 自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。 料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。 正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道! 行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。 料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで―― お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!? 読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう! 香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない! 旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること? 二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。 笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕! さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!

半蔵門の守護者

裏耕記
歴史・時代
半蔵門。 江戸城の搦手門に当たる門の名称である。 由来は服部半蔵の屋敷が門の側に配されていた事による。 それは蔑まれてきた忍びへの無上の褒美。 しかし、時を経て忍びは大手門の番守に落ちぶれる。 既に忍びが忍びである必要性を失っていた。 忍家の次男坊として生まれ育った本田修二郎は、心形刀流の道場に通いながらも、発散できないジレンマを抱える。 彼は武士らしく生きたいという青臭い信条に突き動かされ、行動を起こしていく。 武士らしさとは何なのか、当人さえ、それを理解出来ずに藻掻き続ける日々。 奇しくも時は八代将軍吉宗の時代。 時代が変革の兆しを見せる頃である。 そしてこの時代に高い次元で忍術を維持していた存在、御庭番。 修二郎は、その御庭番に見出され、半蔵門の守護者になるべく奮闘する物語。 《連作短編となります。一話四~五万文字程度になります》

処理中です...