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異国の風
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「この文の差出人……『憂士組』のことは見聞きしておろう?」
知らぬな、と、英次郎は首を横に振った。
「彼奴らは、ずいぶん粗暴で手荒な真似をする連中だ。もとは、大身旗本の次男坊らが徒党を組んだのがはじまりだそうな」
「退屈しのぎの悪さがどんどん苛烈になった口か」
「うむ。こやつらは、我ら同業の間でもすこぶる評判が悪い。最早手に負えぬ」
困ったものだな、と、英次郎は小さくため息をついた。
いわゆる冷や飯食い、家の厄介者である武家の次男坊、三男坊が身を持ち崩す例は枚挙に暇がない。
英次郎の友人にも、お縄になった者や江戸所払いになった者、悪くすれば命を落とした者もある。太一郎はそんな連中を英次郎以上によく知っているためか、折に触れて英次郎に「よくぞまっすぐに育った」と妙な褒め方をする始末である。
「粗暴である故、奴らと相対するときは護衛が必要ということか、親分」
「理解が早くて助かる。間の悪いことにうちの組の腕利きの半分が江戸を離れている。この戦力ではカピタンの一行を到底守りきれぬ。そこで、御先章伝先生の愛弟子で御先一刀流免許皆伝である英次郎の腕が、頼りなのだ」
話を聞き終わった英次郎は、じっと腕を組んで思案しはじめた。何を考えているのかは、わからない。
沈黙の降りた庭先で、鶏たちが餌の残りを啄む長閑な時間が流れていく。
太陽が太一郎の肥えた体をほかほかとあたため、汗がじんわり滲む。だが太一郎は文句ひとつ言わず、年下の友人である英次郎の思案を見守った。
ただ、太一郎は、英次郎の瞳が爛々と輝いていくことに気が付いていた。
「親分、一つ頼みがある」
「何かな」
「阿蘭陀人を近くで見てみたい。むろん、親分や長崎屋を困らせるような振る舞いはせぬ」
「ほう、ならばクルチウスたちに面会できるよう、取り計らおう」
「よし、決まりだな。母上、親分の手伝いで長崎屋まで行ってきます」
いつの間にか、お絹が英次郎の愛刀を持ってすぐそばまできていた。息子と親分のやり取りを聞いていたらしい。
「太一郎親分、英次郎、しっかり見聞を広めていらっしゃい」
「おや。母上は異人が怖いとは思わないのですか」
「思いませんよ、英次郎。許されるならこの母も長崎屋へ同行して、阿蘭陀国や亜米利加国の話を聞きたいと思います」
これにはさすがの太一郎も驚いたらしい。目を丸くしている。
「お絹さまは奴らの何に興味をお持ちかな?」
「親分、彼らは何を食べるのでしょう。どんな着物を着るのでしょう。飲み物は、履物は、屋敷は……興味は尽きません」
合点承知、と叫んだのは太一郎だった。
「お絹さま、この太一郎がクルチウス商館長と直に話して色々と仕入れて参りましょう! ささ、英次郎、日本橋へ急ぐぞ」
しからばこれにてご免、と、太一郎は枝折戸へと突進していった。
「あっ、親分、待ってくれ」
あわただしく出かける二人の背後に、お絹の「気を付けて」という声が重なった。
急ぐぞ、と掛け声だけは立派だが、太一郎はどうみても太りすぎである。
太一郎が走れたのは佐々木家をでてほんの少しの距離だった。武家屋敷がならぶ本所を抜けきらないうちに、呼吸が荒くなって足が止まってしまったのだ。
「え、英次郎、もう無理じゃ……」
「何を言うか、振り返れば我が破れ屋が見える距離だぞ」
ひぃひぃ、と、顎が突き出て手は垂れ、膝が危なっかしい。ついに見かねた英次郎が駕籠を拾い、太一郎を無理やり押し込み、ようやく日本橋にある長崎屋に到着した。
すると既に騒ぎは起こっていた。
「ここが長崎屋か……」
「英次郎、感慨にふける暇もないぞ」
町人姿の若い男が太一郎のところへとすっとんできた。
「親分! 襲撃です。白昼堂々、長崎屋の店先と二階に火矢を射かけてきやがりました」
「やはりな。して、怪我人はおるか?」
「一階は長崎屋の娘御がすぐに火を消したので大事には至らず怪我人はなし、二階は、どこぞの大名家お抱え蘭学者の先生とちょうど商売に来ていた越後屋が負傷。ライター先生が診てくれましたが、命に別状はないとのこと」
「クルチウスたち阿蘭陀人は無事なのだな?」
「へぇ。傍にいたどこかのお侍が庇ったそうです」
その話を聞きながら、英次郎は既に刀の鯉口を切っていた。長崎屋に向けられた殺意がいくつもある。
「……親分、その……。どん……く、くる……しまった、名を忘れたぞ」
「クルチウス商館長」
「うむ。クルチウス商館長たちに警戒を怠らぬよう伝えてくれ。襲撃の本番はこれからだぞ」
太一郎が何かを言う前に、若い衆が飛ぶように長崎屋に駆け戻る。それを見送りながら足元の小石を拾った英次郎は、素早くそれを背後に投げた。
たかが小石だが、剣術の達人である英次郎が投げた石だ。それなりの破壊力がある。
太一郎は、鼻を押さえて地面に崩れ落ちる武家を視界の端にとらえた。
「英次郎、あやつは本当に襲撃者か? 通りすがりの者ではないのか?」
「親分、昼日中に抜刀しながら走ってくる武家が真っ当だと思うか」
抜いておったのか、と太一郎が驚いた顔をした。
知らぬな、と、英次郎は首を横に振った。
「彼奴らは、ずいぶん粗暴で手荒な真似をする連中だ。もとは、大身旗本の次男坊らが徒党を組んだのがはじまりだそうな」
「退屈しのぎの悪さがどんどん苛烈になった口か」
「うむ。こやつらは、我ら同業の間でもすこぶる評判が悪い。最早手に負えぬ」
困ったものだな、と、英次郎は小さくため息をついた。
いわゆる冷や飯食い、家の厄介者である武家の次男坊、三男坊が身を持ち崩す例は枚挙に暇がない。
英次郎の友人にも、お縄になった者や江戸所払いになった者、悪くすれば命を落とした者もある。太一郎はそんな連中を英次郎以上によく知っているためか、折に触れて英次郎に「よくぞまっすぐに育った」と妙な褒め方をする始末である。
「粗暴である故、奴らと相対するときは護衛が必要ということか、親分」
「理解が早くて助かる。間の悪いことにうちの組の腕利きの半分が江戸を離れている。この戦力ではカピタンの一行を到底守りきれぬ。そこで、御先章伝先生の愛弟子で御先一刀流免許皆伝である英次郎の腕が、頼りなのだ」
話を聞き終わった英次郎は、じっと腕を組んで思案しはじめた。何を考えているのかは、わからない。
沈黙の降りた庭先で、鶏たちが餌の残りを啄む長閑な時間が流れていく。
太陽が太一郎の肥えた体をほかほかとあたため、汗がじんわり滲む。だが太一郎は文句ひとつ言わず、年下の友人である英次郎の思案を見守った。
ただ、太一郎は、英次郎の瞳が爛々と輝いていくことに気が付いていた。
「親分、一つ頼みがある」
「何かな」
「阿蘭陀人を近くで見てみたい。むろん、親分や長崎屋を困らせるような振る舞いはせぬ」
「ほう、ならばクルチウスたちに面会できるよう、取り計らおう」
「よし、決まりだな。母上、親分の手伝いで長崎屋まで行ってきます」
いつの間にか、お絹が英次郎の愛刀を持ってすぐそばまできていた。息子と親分のやり取りを聞いていたらしい。
「太一郎親分、英次郎、しっかり見聞を広めていらっしゃい」
「おや。母上は異人が怖いとは思わないのですか」
「思いませんよ、英次郎。許されるならこの母も長崎屋へ同行して、阿蘭陀国や亜米利加国の話を聞きたいと思います」
これにはさすがの太一郎も驚いたらしい。目を丸くしている。
「お絹さまは奴らの何に興味をお持ちかな?」
「親分、彼らは何を食べるのでしょう。どんな着物を着るのでしょう。飲み物は、履物は、屋敷は……興味は尽きません」
合点承知、と叫んだのは太一郎だった。
「お絹さま、この太一郎がクルチウス商館長と直に話して色々と仕入れて参りましょう! ささ、英次郎、日本橋へ急ぐぞ」
しからばこれにてご免、と、太一郎は枝折戸へと突進していった。
「あっ、親分、待ってくれ」
あわただしく出かける二人の背後に、お絹の「気を付けて」という声が重なった。
急ぐぞ、と掛け声だけは立派だが、太一郎はどうみても太りすぎである。
太一郎が走れたのは佐々木家をでてほんの少しの距離だった。武家屋敷がならぶ本所を抜けきらないうちに、呼吸が荒くなって足が止まってしまったのだ。
「え、英次郎、もう無理じゃ……」
「何を言うか、振り返れば我が破れ屋が見える距離だぞ」
ひぃひぃ、と、顎が突き出て手は垂れ、膝が危なっかしい。ついに見かねた英次郎が駕籠を拾い、太一郎を無理やり押し込み、ようやく日本橋にある長崎屋に到着した。
すると既に騒ぎは起こっていた。
「ここが長崎屋か……」
「英次郎、感慨にふける暇もないぞ」
町人姿の若い男が太一郎のところへとすっとんできた。
「親分! 襲撃です。白昼堂々、長崎屋の店先と二階に火矢を射かけてきやがりました」
「やはりな。して、怪我人はおるか?」
「一階は長崎屋の娘御がすぐに火を消したので大事には至らず怪我人はなし、二階は、どこぞの大名家お抱え蘭学者の先生とちょうど商売に来ていた越後屋が負傷。ライター先生が診てくれましたが、命に別状はないとのこと」
「クルチウスたち阿蘭陀人は無事なのだな?」
「へぇ。傍にいたどこかのお侍が庇ったそうです」
その話を聞きながら、英次郎は既に刀の鯉口を切っていた。長崎屋に向けられた殺意がいくつもある。
「……親分、その……。どん……く、くる……しまった、名を忘れたぞ」
「クルチウス商館長」
「うむ。クルチウス商館長たちに警戒を怠らぬよう伝えてくれ。襲撃の本番はこれからだぞ」
太一郎が何かを言う前に、若い衆が飛ぶように長崎屋に駆け戻る。それを見送りながら足元の小石を拾った英次郎は、素早くそれを背後に投げた。
たかが小石だが、剣術の達人である英次郎が投げた石だ。それなりの破壊力がある。
太一郎は、鼻を押さえて地面に崩れ落ちる武家を視界の端にとらえた。
「英次郎、あやつは本当に襲撃者か? 通りすがりの者ではないのか?」
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