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いい男とはどのような男でしょうか?

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 舞踏会からの帰りの馬車の中で、

「いい人は一人もいなかったの? 舞踏会は楽しくなかったの?」

 と、付添人である母が尋ねた。
 娘の――いくらベテラン転生者であるとはいえ――あまりの冷淡ぶりにさすがの母も驚いたのだ。
「楽しかったです、お母さま」
「よかったわ」
「こんなにたくさんのカードを頂きましたわ」
 リズは、無理矢理渡された山のような自己紹介カードを眺める。名前と一言メッセージが添えてあるが、残念ながらほとんど顔が思い浮かばない。思わずため息をついた。

「彼らは、この国で一番いい男ではないですわ、お母さま」

 母は何も言わずに娘を見つめる。

「名前を見てお顔が浮かばないんですもの。女性の印象に残らない男が、いい男のはずはないでしょう?」

 娘の訴えに、リズの母は思わず眉間をおさえた。忘れてたわ、と叫ぶ。

「リズ、それはね……」

 ごほん、と咳ばらいをして息を吸う。リズの興味が著しく偏っていること、興味がないことに関してはリズ自身の記憶力がかなり残念なことになること、渡された量が尋常ではなく多いことが原因であろう、と、母がこれまた冷淡に説明する。
 リズが目をぱちくりさせる。
「あなたはいつもそうだったわ。主演の脚本はどんなに分厚くても一度で覚えるのに好みのタイプではないアイドルや物事の名前をいつも間違える、そんな具合よ」
「……お母さま、興味がない男の顔と名前が覚えられないって、社交界では大問題ですわね」

 当然です、と、母が重々しく頷く。

「ですから……リズ、ここは魔法に頼りなさい」
「へ?」
 間抜けな声が出てしまい、慌てて扇子で口元を覆う。が、ぱちぱち、と、瞬きを繰り返してしまう。

「リサの時はどうやって凌いでしましたか? 思い出してごらんなさい」
 楽屋のプレートや、首から下げた社員証――。あれはなかなか便利アイテムだったと今更思う。それらの仕組みを、この国に持ち込むことは不可能だろう。ぽん、と、リズは膝を打った。

「魔法で、彼らの頭上にわたくしだけが読めるように名前を表示すればいいのね?」

 そうです、と母が頷くが、そのような『ズル』をしてもいいのかとリズの良心が若干疼く。ライバルの令嬢たちはみな、今頃必死で男たちの名前を覚え、ライバルたちの名前を覚え……。

「ならば、今宵は誰の顔と名前を覚えたのですか?」

 む、と、リズは眉根を寄せた。レディにあるまじき険しい表情だが、それでもリズの美しさは損なわれない。むしろ、絵画のようで様になる。

「えーっと……レオ……フルネームは……えーっと……レゲェ、レンコン……あ、そうそう! 侯爵家のレオンハルト・ゲーアハウス・シェーバー……だったかしら。それから……あー……」

 リズの視線が泳ぐ。こんなに人の顔と名前を忘れたままで社交界に出没しては大変である。結婚以前に、人付き合いがままならない。なんなら再会の相手に「はじめまして」と挨拶してしまいそうな勢いである。

「魔法を使いなさい、リズ。あなたは忘れているでしょうけれども、八度目と十二度目の転生のときに、あなたは言い寄ってくる男の顔と名前を覚えていなくて名前を間違え、絶望し怒った男に刺されて命を落としたのですよ」

 そんな目には遭いたくないでしょう? と、母が真剣に言う。

「わかりました。次回から魔法を使います」

 そうしてくださいな、と、母がやっと安心したように笑った。
「で、その、レオさまは? どんな方かしら?」
「普通の貴公子でしたわ。年は、わたくしと3つくらいしか変わらないと思いますわ。気さくでいいお友達になれそうよ」
「同世代のおともだちね。大切になさい」
 はい、と、リズは素直に頷いた。

 馬車は、軽快に夜の町を走る。お洒落な街灯がきらきらと輝き、道行く人々は楽しそうに笑っている。強盗も出ないし道端に転がる屍もない。つまりは国の政治がそれなりに安定し、国力もあり、民がある程度裕福であるということだ。

 過去の転生では、途中から難民になったり没落したり戦禍に巻き込まれたりいろいろあったが今回はその心配はなさそうである。

「お母さま、この世界で、 いい男ってどんな男のことかしら?」

 見た目が良くて地位のある男、だと思ったのだが、条件がこれだけではだめだった。社交界にはそんな男がゴロゴロしていた。ならば彼らの中からさらに『いい男』を選ぶ必要があるが、良し悪しをどうやって選別するか。

 なにせ、これまでの人生ほとんどすべて、男で失敗しているリズなのだ。いい男がいかなる男なのか、よくわからない。

 王に近い地位だろうか。
 それとも、剣術に長けた男、或いは豪商や芸術家?

「そうねぇ……ま、そのうちわかるでしょう。夜会の数をこなさないとね、リズ」
「はい、お母さま」

 夜会も大事だが、友人関係を広げていくのも大切だ。まずは、レオに友人を紹介してもらい、その友人からさらに友人を紹介してもらう。芋蔓式に知人が増えていき、その中には運命の相手がいるかもしれない。
 もちろん、いい相手を紹介してもらうからには、こちらもそれなりの友人を用意しなければならない。――のだが、友人と呼べる相手はリズには存在しない。寄宿学校の同級生はすべてライバルである。

「そうだわ! レディ・アンナベルを誘ってみましょう」

 友達を散歩に誘うなど、今生ではしたことがない。どうやって誘えばいいのかわからないが、そこは学友でもあるし、彼女も聡い。どうにかなるだろう。
 束にした自己紹介カードを、小さなバッグに無造作に突っ込んだ。この日のために作った、空色の生地で作られた小さなバッグは、ビジューが派手になりすぎない程度にちりばめてある。ただのビーズの中にクリスタルやダイヤモンドが入っているのだが、ぱっと見ただけではそうとはわからない。どうしてそんな造りなのか、謎だが……。

「……控えめな紳士の中にも、最高の宝石が隠れているかもしれないわね……。いい男とは……どこにいるどんな男のことかしらね……」

 ふと、そんなことを思った
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