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序章:福音
1「環楽園への誘い」
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「觜也、一緒に環楽園に行こうよ」
昼休みが始まって間もなく、舞游はいつもどおりに僕の教室にやって来ると開口一番そう云った。
「環楽園? 知らないな」
「そりゃあ知らないさ。内輪ネタだもん」
彼女は得意そうに笑いながら空いている席を引っ張ってきて、僕と机を挟んで向かい合うかたちで座った。
「お兄ちゃんが冬休みに別荘に行くの。その別荘の名前が環楽園。お兄ちゃんがそう呼んでるんだ」
僕の他に友人のいない舞游にどんな内輪があるのかと疑問だったが、なるほど、お兄さんだったらしい。彼女に大学二年生の兄がおり、いまは首都で生活しているのだとは何度か聞いている。
「ん、別荘? 舞游の家庭って別荘なんて持てるほど裕福だったっけ」
「ううん、正確にはお兄ちゃんのお友達って云うか、元生徒さんのご家庭の別荘。お兄ちゃん、あっちで前に家庭教師のアルバイトしてたから、その縁でさ、貸してもらえるんだって」
「へえ。でも僕は遠慮するよ」
「えー、なんでだよー」
舞游はコンビニで買ったパンの包装を破る手を止めて、批難するような視線を向けてきた。
「だって兄妹水入らずのバカンスみたいなもんだろ? それに僕は舞游のお兄さんに会ったこともない」
「馬鹿、違うよ。お兄ちゃんは彼女さんも連れてくるし、さっき話した元生徒さんも一緒。觜也が来てくれないと、むしろ私が孤立するの」
「ああ、そういうことか」
ようやく話が掴めてきた。舞游の話は大抵が突拍子もないばかりでなく、その話し方もなんだか要領を得ないのである。
「そう。誘いってよりお願いね」
そう云ってメロンパンを頬張る舞游。僕も鞄から自分の弁当を取り出す。
「お願いってより強要だな」
「なにが不満なんだよー」
「面識のない人が三人だぞ。僕が入ったら向こうだって面食らうだろ。それで変な空気にでもなったらいかにもまずい」
「甲斐性なし。私だってそう変わらないよ。彼女さんっていうのもお兄ちゃんがあっちで知り合った人だから会ったことないし、元生徒さんなんて尚更だ。お兄ちゃんも私に友達を連れておいでって云ったんだよ」
「つまり僕か」
「うん、他にいない」
舞游は食べかけのメロンパンを机の上に置くと、両手を顔の前で合わせた。
「ね、お願いだよ。来年は受験生だし、この冬休みがラストチャンスじゃんか」
「あれ、受験とか考えてるんだな。意外だ」
「あー、あんまり考えてないけど……。だけどほら、私達って全然外で遊んだ思い出とかもないしさ、お泊りとかしてみたいなー」
精一杯の訴えかけなのだろう、眉を悩ましげに寄せて上目遣いで僕の反応を窺っている。
「……分かったよ。そう云われると、意固地になって断る理由もない」
「あは、ありがとう」
一変してご機嫌な笑顔を浮かべ、またメロンパンを齧り始める舞游を見ると、どうしたって僕は彼女の頼みを断れないのだろうと改めて思わされる。
「でも環楽園だっけ、随分と大仰な呼び名だな」
「そうでしょ。ぞくぞくするよね。真先に連想される単語はクローズド・サークル」
「環……CIRCLEねえ」
クローズド・サークルとはミステリ小説なんかでもてはやされる舞台の一種で、たしか外部と遮断された閉鎖的な空間のことだったか。舞游はその手の話を愛好しているから馴染み深いのかも知れないが、僕としては少なくとも真先に連想されるなんてことはない。
「いやいや、字面もそうだけど、実際にその別荘は誂え向きなんだよ。岩手の山中にあってさ、雪で閉じ込められちゃったりするもんだから、その元生徒さんのご家庭でも真冬には利用しないんだって。だから私達が使えるんだよ。家ってのは放置してると意外にすぐ駄目になっちゃうものだから毎年物好きな――」
「ちょっと待て。それって結構危険じゃないか?」
「ふふ、面白そうでしょ? でもそう危険でもないんじゃないかな。行く日は天候と相談しながら決めるみたいだし、予定では三泊四日なんだけど、下山が無理そうだったら少しくらい伸ばしても問題ないじゃん。家の中は暖かいんだし、まさか飢え死にとかの心配もないでしょ。いざとなったら助けを呼べばいいよ」
「まあそんな大事には至らないと思うけど……そうか、そのくらいの方がただのバカンスと趣が違って面白いのかも知れないな」
話を聞く限り舞游のお兄さんが発案者なのだろうが、舞游の兄だけあって少なからず酔狂な人らしい。他人の別荘に環楽園なんて奇妙な呼び名をつけるあたりからもそれは察せられる。
「うんうん、まさに吹雪の山荘だよ。これで凄惨な殺人事件なんて起きてくれたら欣喜雀躍」
「阿鼻叫喚だろ」
「詳しいことが分かり次第、追って連絡するね。年越し前には帰ってくるつもりって云ってたから、二十五から三十らへんを空けといてもらえれば」
「分かった。僕も暇だから合わせられると思うよ」
「ああ、楽しみだなあ」
舞游は自分の腕を抱いて身悶えしながら、今月末の予定に想いを馳せているようだった。
「觜也、一緒に環楽園に行こうよ」
昼休みが始まって間もなく、舞游はいつもどおりに僕の教室にやって来ると開口一番そう云った。
「環楽園? 知らないな」
「そりゃあ知らないさ。内輪ネタだもん」
彼女は得意そうに笑いながら空いている席を引っ張ってきて、僕と机を挟んで向かい合うかたちで座った。
「お兄ちゃんが冬休みに別荘に行くの。その別荘の名前が環楽園。お兄ちゃんがそう呼んでるんだ」
僕の他に友人のいない舞游にどんな内輪があるのかと疑問だったが、なるほど、お兄さんだったらしい。彼女に大学二年生の兄がおり、いまは首都で生活しているのだとは何度か聞いている。
「ん、別荘? 舞游の家庭って別荘なんて持てるほど裕福だったっけ」
「ううん、正確にはお兄ちゃんのお友達って云うか、元生徒さんのご家庭の別荘。お兄ちゃん、あっちで前に家庭教師のアルバイトしてたから、その縁でさ、貸してもらえるんだって」
「へえ。でも僕は遠慮するよ」
「えー、なんでだよー」
舞游はコンビニで買ったパンの包装を破る手を止めて、批難するような視線を向けてきた。
「だって兄妹水入らずのバカンスみたいなもんだろ? それに僕は舞游のお兄さんに会ったこともない」
「馬鹿、違うよ。お兄ちゃんは彼女さんも連れてくるし、さっき話した元生徒さんも一緒。觜也が来てくれないと、むしろ私が孤立するの」
「ああ、そういうことか」
ようやく話が掴めてきた。舞游の話は大抵が突拍子もないばかりでなく、その話し方もなんだか要領を得ないのである。
「そう。誘いってよりお願いね」
そう云ってメロンパンを頬張る舞游。僕も鞄から自分の弁当を取り出す。
「お願いってより強要だな」
「なにが不満なんだよー」
「面識のない人が三人だぞ。僕が入ったら向こうだって面食らうだろ。それで変な空気にでもなったらいかにもまずい」
「甲斐性なし。私だってそう変わらないよ。彼女さんっていうのもお兄ちゃんがあっちで知り合った人だから会ったことないし、元生徒さんなんて尚更だ。お兄ちゃんも私に友達を連れておいでって云ったんだよ」
「つまり僕か」
「うん、他にいない」
舞游は食べかけのメロンパンを机の上に置くと、両手を顔の前で合わせた。
「ね、お願いだよ。来年は受験生だし、この冬休みがラストチャンスじゃんか」
「あれ、受験とか考えてるんだな。意外だ」
「あー、あんまり考えてないけど……。だけどほら、私達って全然外で遊んだ思い出とかもないしさ、お泊りとかしてみたいなー」
精一杯の訴えかけなのだろう、眉を悩ましげに寄せて上目遣いで僕の反応を窺っている。
「……分かったよ。そう云われると、意固地になって断る理由もない」
「あは、ありがとう」
一変してご機嫌な笑顔を浮かべ、またメロンパンを齧り始める舞游を見ると、どうしたって僕は彼女の頼みを断れないのだろうと改めて思わされる。
「でも環楽園だっけ、随分と大仰な呼び名だな」
「そうでしょ。ぞくぞくするよね。真先に連想される単語はクローズド・サークル」
「環……CIRCLEねえ」
クローズド・サークルとはミステリ小説なんかでもてはやされる舞台の一種で、たしか外部と遮断された閉鎖的な空間のことだったか。舞游はその手の話を愛好しているから馴染み深いのかも知れないが、僕としては少なくとも真先に連想されるなんてことはない。
「いやいや、字面もそうだけど、実際にその別荘は誂え向きなんだよ。岩手の山中にあってさ、雪で閉じ込められちゃったりするもんだから、その元生徒さんのご家庭でも真冬には利用しないんだって。だから私達が使えるんだよ。家ってのは放置してると意外にすぐ駄目になっちゃうものだから毎年物好きな――」
「ちょっと待て。それって結構危険じゃないか?」
「ふふ、面白そうでしょ? でもそう危険でもないんじゃないかな。行く日は天候と相談しながら決めるみたいだし、予定では三泊四日なんだけど、下山が無理そうだったら少しくらい伸ばしても問題ないじゃん。家の中は暖かいんだし、まさか飢え死にとかの心配もないでしょ。いざとなったら助けを呼べばいいよ」
「まあそんな大事には至らないと思うけど……そうか、そのくらいの方がただのバカンスと趣が違って面白いのかも知れないな」
話を聞く限り舞游のお兄さんが発案者なのだろうが、舞游の兄だけあって少なからず酔狂な人らしい。他人の別荘に環楽園なんて奇妙な呼び名をつけるあたりからもそれは察せられる。
「うんうん、まさに吹雪の山荘だよ。これで凄惨な殺人事件なんて起きてくれたら欣喜雀躍」
「阿鼻叫喚だろ」
「詳しいことが分かり次第、追って連絡するね。年越し前には帰ってくるつもりって云ってたから、二十五から三十らへんを空けといてもらえれば」
「分かった。僕も暇だから合わせられると思うよ」
「ああ、楽しみだなあ」
舞游は自分の腕を抱いて身悶えしながら、今月末の予定に想いを馳せているようだった。
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