虚無式サマーバニラスカイ

凛野冥

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首切り魔の動機に関する考察

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 さて次の日なんだが、〈愛の巣〉へ向かって自転車を漕ぎだしたところで背後からクラクションを鳴らされて、振り返ると海老川さんの車が徐行してきて真隣でアイドリング。

「丁度良かったわ……それとも悪かったのかしら。出掛けるところ? 今から連続通り魔殺人四件目の現場に行くんだけど、一緒にどう?」

 いつの間にか二段階ほど気安くなった感じで、ちょっと呆れたな。親戚のお姉さんじゃあるまいし……いや、親戚のお姉さんってのがどんなふうなのかも知らないけどさ。

 とはいえ「長く時間取りますか?」と訊くと「全然」、「そのまま火津路駅まで送ってくれますか?」と訊くと「もちろんいいわよ」とのことだったから、自転車を庭に戻して助手席に乗り込んだ。〈愛の巣〉から帰る片道くらいなら、まぁ歩いてもいいかなと思ってね。この日もクラクラするほど暑かったし、直射日光にさらされる昼間を自動車で移動できた方が総合するとお得そうだって判断したわけだ。

 ただし僕は忘れていた。この車、煙草臭いんだよ。お馴染みの騒々しい音楽も流れてるし……今日の海老川さんは音量を絞るだけで、停止ボタンは押さなかった。

「連続首切り殺人の話をしましょうか。蟹原くんは何か推理してることはあるの?」

「特には何も。ニュースでちらちら見たのと、一般人の会話が何度か耳に入ってきたくらいの知識しかありませんし」

「そう。とは云っても、脳姦殺人と比べてこちらは秘密の情報みたいなのも全然ないわ。ひとつだけ微妙な問題が浮かんでるんだけど、この話は後にしましょう……ええ、まったく無駄のない犯行なのよ。火津路町内で、深夜――二件目から四件目はいずれも午前零時から二時の間で、ただし一件目だけは日付が変わる前の午後十時頃だったわね――そのくらいの時間に、人目のない場所を通りがかった人間を殺害する……実はどれも絞殺なの。背後から細い紐状のもので首を絞めて、絶命した後に物陰に移動、紐の痕に沿って首を切り、持ち去る。絞殺だから被害者が声を上げることはないし、いちおうは死後に切断するから出血も派手にはならないってわけ。目撃者はなし。現場近くの防犯カメラにも引っ掛からない」

「なるほど。そんなふうに整理されると、事務的でさえありますね。犯人像がまったく見えないからですけど……」

 この時、僕ははじめてこの事件にある奇妙な印象を抱いた。それが何かと云えば、まるで首を回収することだけが目的で淡々とこなされているかのような……。

「切断面を観察するに、その手際もスマート極まりないそうよ。使用されてるのは、おそらく肉切り包丁だろうって話。それらの道具に生首が加わっても、まぁ普通のリュックサックに収まるくらいよね。近頃では他県からも大勢の捜査官が投入されてるけど、未だ不審な人物が職質に引っ掛からないのも仕方ないでしょう」

 そう、昼間でもパトロール中の警官の姿は目に見えて多くなっていた。注意喚起の目的もあるんだからまったく無駄とまでは云わないけど、それで萎縮したり捕まったりするようなトンマな犯人じゃないのは明白なのにな。ご苦労なことだよ。

 車は十五分ほど走行して目的地に着いた。連続首切り殺人四件目の現場。何の変哲もない住宅地の片隅で、民家と民家の間を通ってる細い抜け道めいた場所だった。通り抜けられなくても問題ないところなんだろう、端と端にそれぞれ〈KEEP OUT〉の黄色いテープが貼られて、完全に這入れないようになっていた。

 でも入口近くに車を停めて降りた海老川さんは、驚くことに躊躇せずテープを潜って這入って行ったんだ。一日経って捜査官ははけていたけれど、訊き込みで近隣を回ってるだろうし、そうでなくともあまりに大胆だった。

「僕は遠慮しますよ。此処からでも見えます」

「なに、心配いらないわよ。火津路警察署には繋がりをつくったって云ったでしょう? 見つかっても電話一本でお咎めなしにできるから、君も這入ってきなさい」

 自信満々だったから、じゃあそうなのかな……と思って僕も渋々続いた。「繋がりをつくったっていうのは、どういうことなんです?」と訊ねてみると、

「ふふ……高校生にはちょっと早い話よ。私は自分が女探偵であることを武器にしてるの。色々あるのよ、大人の世界には」

 ほとんど云ってしまってるに等しかった。いやぁ、でも見る目が変わったねぇ。もちろん、悪い意味で。いっそ自慢げに話してるところがまた軽蔑するじゃないか。相手からしたら馬鹿で都合の良い女くらいにしか思われてないに決まってる。嫌な気持ちになったなぁ、うん……。実はね、僕はちょっとした性的な仄めかしでさえも、いちいち唾を吐きたくなってしまうたちなんだよ……。

 海老川さんは通路の真ん中あたりで立ち止まった。アスファルトには大きな黒い染みが残っていて、チョークで人の形が描かれてもいた――首から上だけを除いてね。こういうのを見ると確かに首切り殺人は起きているんだって実感が湧いたけれど、生々しさって点なら脳姦殺人の被害者を直接目にしたときと比べてそりゃあ遙かに劣る。

 そう云えば百合莉が前日、時折あの光景がフラッシュバックするとか洩らしていたな。「嫌だよぉ……忘れたいのに、忘れたいのに……刹くんとの幸せな思い出でいっぱいにすれば、追い出せるかな? あの……死体の映像だけじゃなくて、他の嫌な記憶も全部……いつか忘れられるのかな?」だなんて、暗い表情を浮かべてさ。ああいう思い詰めた顔がよく似合うよ、百合莉は。

「ご覧なさい。両隣は民家の塀で、角度的に表の街灯の明かりも届かない。夜には真っ暗よ。どうぞ通り魔殺人に使ってくださいって云わんばかりだけど、こうした場所は意識して探せばいくらでもあるのよね」

「今回殺されたのはどんな人なんです?」

「ホームヘルパーをしてた若い女性よ。このすぐ近くのアパートに一人暮らししてて……さっき通り過ぎたコンビニがあるでしょう?……あそこにちょっと買い物しに行った帰り、此処で殺されたってわけ」

「不用心ですね」

「でも分かるわよ、仕方ないことだわ。きっとストックしてた食料が切れたのね。一人暮らしってそうなの。夜中に小腹が空くと、どうにもならないんだから」

 よく分からないところで力説された。

「海老川さんも一人暮らしなんですか」

「こうして連続殺人が起きてる土地に出掛けてばかりだから、あまり帰らないけどね。ホテルで寝泊まりする日の方が圧倒的に多いわ。いっそ根無し草になろうかしらと考え中……さて、見るものは見たし戻りましょう」

 本当にただ見るだけで、検証らしきものは一切しない海老川さんだった。小説と違って現実じゃあ警察の見落とした証拠や手掛かりを発見するなんて、それもこういう通り魔殺人の現場では望めないんだろうが、それでも少しは頑張ってもらいたかったな。

 それからは車でゆっくり近辺を見て回りながら、海老川さんはまた語りだした。

「ひとつだけ微妙な問題が浮上してるって云ったわよね? 私も昨日の夜に聞いたばかりなんだけど、四件目の首切り殺人……もしかしたら今までとは別人による犯行かも知れないのよ」

「結構、重大な問題ですね」

「ええ、ただし微妙って云うのは、その根拠なの。手口はもちろん、使われた凶器もおそらく同一……ただ切断面がね、少しぎこちなかったらしいわ。上達することはあっても、下手になるとは考えにくいでしょう?」

「……暗かったからじゃありませんか? 前回までは多少の明かりがあったのに、今回はそれがなくて作業しにくかったとか。僕は今の現場しか見てませんから、実際どうかは分かりませんけど」

「いえ、たしかにその通りよ。でもね、あとひとつ、身長の問題もあるの。遺体に索状痕の一部が残ってて……」

 そこで一度、手帳を確認した。

「……今回の被害者は身長が一五九センチなんだけど、索状痕は下へ引っ張るように付いていた。なのに、ひとり目の被害者の遺体にも索状痕が残ってて、こっちは上へ引き上げるように付いていた――身長は一六八センチだった。被害者の身長が逆だったなら分かるけど、これじゃあ犯人の身長が大きく縮んじゃったみたいでしょう?」

「うーん……何とも云えなくないですか、それは」

 そのときの状況によって、絞め方が変わっても不思議はないだろう。引き上げるように絞めるのが思ったよりやりにくくて、何人目かから変更したという場合だってあり得る。高身長ならば、どちらも可能なんだから。

「そういうことよ、微妙なの。模倣犯にしては上手すぎるし、四件目が起きるタイミングとしても自然。きっと同一犯だろうというのが大多数の見方みたいだわ。それとも願望かしらね。警察からすれば、模倣犯なんて現れたらもっと大変になるもの」

 そりゃあ現状でもてんやわんやだろうからな。二つの連続殺人に、厄介な密室殺人。

「脳姦殺人の方は、新しい情報はないんですか?」

 水を向けてみた。だって僕の関心は実のところ、偶然に関わってしまった脳姦殺人だけなんだ。

 でも海老川さんは「ないわねぇ」と首を横に振った。その際にちらと僕を見た目つき……もしかしたら脳姦殺人の犯人として捜査の進展が気になって探りを入れてきた、とでも思ったのかも知れない。お生憎様、骨折り損のくたびれ儲け。

 それにしても、三人目が殺されでもしない限り脳姦殺人に進展はなさそうだ。僕は犯人を目にしてたし、その動機や目的にも見当が付いていたが……探し方という点で詰まってしまっていたんだよ。必要なのは人脈、そして噂だった。噂話蒐集家の知り合いなら阿弥陀承吉がいたけれど、どうだろう……めっきり付き合いがなくなってたし、彼はあくまで火津路高校内部の噂に限ってるふうに思われる……。

 そんなことを考えていると、海老川さんが「そろそろ離脱しましょうか」と云った。

「火津路駅まで送ればいいのよね? その前にどうかしら、ランチ一緒にする?」

 なんだこの人、寂しいのか?

「いえ、友人と会うんで」

「そう。火津路駅の、南口でいい? 北口?」

「南でお願いします」

 海老川さんは火津路駅へ向かいながら、また首切り殺人に話を戻した。

「四件目の犯人が別人なのかどうかはいといて、連続首切り殺人に関する私の考えをちょっと述べておくわね。もっとも、捜査関係者の間でもこの話はされてるし、ワイドショーでも触れてるところがあったから〈私の〉って云うのはおこがましいけど……憶えてるでしょう? 火津路町では一年前にも首切り殺人が起きたってこと」

「ああ、そう云えば」

 僕はこのときにはじめてそれを思い出した。

「ありましたね、そんなこと。割と近所でした。引っ越してきてすぐだったかな……」

「あら蟹原くん、昔から此処に住んでるんじゃないの。お父さんの転勤か何か?」

 ああ、僕としたことが失言だったな。食いつかれてしまった。でも家庭の話は本当に本当にしたくなかったし、この引っ越しにまつわる事情には姉さんが絡んでいたんだ。だから「そんなところです」と適当に茶を濁した。

「それで、一年前の首切り殺人が今回の事件と関係してるって話ですか?」

「ええ。でも知っての通り、一年前のそれは連続殺人じゃなくて単発だったわ。手口も異なる。被害者は農業高校に通ってた女子高生で、部活帰り、既に日は沈んだ時分に家の近くの通りで襲われた。後頭部を大きめの石で殴られて昏倒した後、雑草が伸びきって放置されていた空き地の中に引きずり込まれ、その中で首を切断されたのね。そして首が放置され、胴体の方は持ち去られた。結局、胴体は見つからず終いだったし、犯人も捕まらず終い――迷宮入り」

「……その犯人がいま、連続首切り殺人をおこなってると?」

「そうね。手口の変化は一年前の経験を生かしてのものとも考えられるし、それなら今回のスマートさに説明がつく。一年も沈黙を続けて、いきなりせきを切ったように犯行を重ねている点、それから持ち去る部位が胴体と首で逆になっているのが謎とはされてるんだけど……私はね、そこにこそ動機が潜んでるんだって睨んでるの。これは私オリジナルの推理よ」

 海老川さんは間をおいてから、声のトーンを一段下げて告げた。

「犯人は一年間、胴体を保存してたんじゃないかしら? そしていま、胴体とピッタリ合う理想の首を探してるんじゃないかしら? 『占星術殺人事件』には見劣りするけど、いわば〈アゾート〉の制作よ」



〈愛の巣〉に着くと、百合莉はリビングの床で四つん這いの姿勢を取っていて、その状態で僕を仰いで「あ、やっと来てくれたぁ。ちょっと遅かったよねぇ、刹くん」と笑った。

「何してるんだ?」

「蛇ちゃんを探してたんだよぉ。何だか急に、近くにいるような気がしたから……」

 僕は反応に窮した。すると百合莉はまた破顔した。

「はは、分かってるよ。もう見つかりっこないってことくらい。でもね、他にやることがなかったから……刹くんがいないとね、私は何もやることがないんだよぉ」

 うーん……伝わるだろうか? 決定的におかしいわけじゃないんだが、しかし明らかに、百合莉の振る舞いは奇妙だった。投げやりな〈あてつけ〉とでも云うべきか、自分でも何がしたいんだか分からずに空回りしてしまってるんじゃないだろうか?

 不穏だった。百合莉の精神のバランスが、いよいよ本格的に崩れ始めていた。その要因はたぶん、家出中ということに加えて、彼女にとって僕らの信頼関係みたいなものが揺らいでいるせいだと思われた。僕からすれば全然そんなことはなかったんだけどね、百合莉は一度疑いがきざすとそれをひとりで勝手に育ててしまう、ある種の神経症的な傾向を持っていたから……。

「ねぇ刹くん、刹くんは私と一緒にいないとき、何をしてるの?」「〈愛の巣〉に来てるときも、刹くん、私に何も教えてくれないで外に出ることあるよね?」「本当に私の話、聞いてくれてるのかな? 今もそう……刹くん、適当にあしらってるみたいなときあるもん」「私よりも気になってることがあるの? 何を考え事してるの?」「刹くん、隠してることがあるよね? 私にもそれくらい分かるんだよ?」

 とか何とかこんなふうな、どうでもいいことを執拗に、それも責めるように追及してくるんだ。かと思いきや、今度は急に泣き出して、

「ごめんなさい、刹くんこと疑ってるんじゃないんだよ?」「面倒臭いよね、私。分かってるの……分かってるんだけど……」「刹くんを困らせたくない。愛してるから……それだけは信じて?」「不安になっちゃうんだよ。私は刹くんの知ってる私で全部。私の全部は刹くん。でも刹くんの全部は私じゃないんだもん……」「私の知らない刹くんがいるでしょ? それは仕方のないことかも知れないけど、怖いの……全部知ってたいの、刹くんの全部になりたんだよぉ……」

 だの何だのと、耳にタコができるくらい何遍なんべんも聞かされたような台詞をまだ並べ立ててくるんだ。まぁいいけどね、百合莉がそういう子だってのは重々承知したうえで付き合ってるんだから……ただ、刹くん刹くんと何度も連呼するのはやめてほしかったな。僕は自分の名前が大嫌いなんだよ。なぜって、あの父親が付けた名前なんだからさ。反吐へどが出るってなもんだよ。

 それからもうひとつ。不安定になっていながらも、セックス・アピールだけはちゃっかり仕掛けてくるんだ。露骨なボディタッチ、肩まではだけたキャミソール、わざとらしい息遣いや上目遣い。僕は百合莉の不器用なところは愛おしく思うんだけど、こういう厭らしい打算を働かせたところは苛々するんだな。万年発情期かい、こいつは。

 あんまりしつこかったから、僕もとうとう頭にきてしまった。考える前に手が動いていて、百合莉の首を絞めていたんだ――いや、それほど強くではなかったから、掴んでいたって云う方が正しいんだが……僕はちょっと笑っていたと思うよ。

「なぁ百合莉、どうして分からないんだ? 僕は本当に君を愛してるんだよ?」

「っ…………」

 彼女は唇を噛み締めてぷるぷる震えていた。それから繰り返し頷いた。僕が手を離すと、咳き込みつつ、くだらない打算は捨ててしがみついてきた。

「ごっ、ごめんなさぁいっ……! 分かってるぅ、刹くんが愛してくれてるの、分かってるからぁっ……!」

 よっぽど怖かったんだろうな。僕がまた優しい声に戻って背中をさすってやると、そのギャップが胸に染みたらしく百合莉は陥落しちまった。こんなのは飽きるほど繰り返してきた工程だったけれど、一発で効果を発揮したところを見るに、たまには脅してみるのも良いかも知れないって僕は思ったね。いわゆる〈飴と鞭〉ってやつだよ。

 しばらくすると百合莉は嗚咽おえつを引っ込めて、何かしら窺うような表情で僕を見上げた。「へ、変だって思われるかもだけど、い、いいかな」と前置きして彼女は、

「もう一度、私の首、絞めてほしい……の。もっと強くしていい、から……さっきそうされたときね、愛されてるって、実感できたの……絞めて……ね?」

 まったく。馬鹿だなぁ本当に。でもまぁ絞めてやった。キツければキツいほど、彼女は喜んだ。
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