1 / 32
【G章:紐づくもんぜるっぜ】
1、2「天使どもに祝福されたお前」
しおりを挟む
1
「お待たせしました! 二時間並んでようやく買えましたよ~」
義吟はやけに誇らしげな様子で、助手席に乗り込んできた。
「なにを買ったんだ」
「〈もんぜるっぜ〉です」
そう云って掲げた金ぴかの紙袋からは、甘ったるい匂いが放たれている。
「なんだそれ。お菓子?」
「そうですよ。スイーツ界の超新星。二か月前にオープンしてから、話題沸騰しっぱなしなのです。戴天京に来てから、買う機会を伺っていたのですよ」
「ふうん。それよりシートベルトしてくれ。あと三十分で依頼人と約束した時間だ」
車を発進させる。戴天京は首都だけあって交通量が多く、この巨体では難儀する。
「丁度、お一人様三つまでだったので央くんと亜愛ちゃんの分もありますよ~」
「俺が食いたいのは餃子なんだよね」
「餃子て! スイーツの話をしてますのに!」
義吟は振り返って「亜愛ちゃんは〈もんぜるっぜ〉食べますよね?」と訊いたが、返事はなかった。読書を止めてまで答えるに値しないと思われたのだろう。
「もお。なんで二人とも義吟のセンスを信用してくれないのですか~。三つとも食べちゃいますからね?」
それから義吟は「めちゃ美味しい! ねえ央くん、めちゃ美味しいですよ! 悶絶しちゃうこんなの!」と騒ぎながら俺の肩を揺らして運転を妨げたが、事故は起こさず目的地の区立公園に到着できた。
駐車場に停車し、いちいち外に出るのも面倒なのでシートを乗り越えて生活空間に移る。
運転席、助手席と背中合わせになっているのがセカンドシート。その半分はテーブルを挟んでサードシートと向かい合っている。もう半分は通路に面していて、通路を進むと右手にドア、キッチン、クローゼット、左手にテーブル、サードシート、トイレが並び、奥の二段ベッドに突き当たる。もうひとつ、運転席の上もベッドになっていて、セカンドシートからよじ登れるようになっている。
このキャンピングカーが俺達の住居であり、事務所だ。車体の側面には〈移動型探偵事務所GAO〉と書いたマグネットを貼ってある。
「『GAOなら、どんな難問もドライブスルー』――こんな凡庸なキャッチコピーで、よく依頼が来たものね。相応にくだらない依頼なんでしょうけど」
サードシートに腰掛けている亜愛が、タブレット端末から顔を上げて嫌味を云った。先週からホームページに載せているコピーを気に入っていないらしい。
「お前の案はなんだっけか」
「『ブレーキ? ドジ? どちらも踏んだことがありませんなあ』」
「そっちの方が嫌だわ。なんか恥ずかしい」
「優れた芸術は観る者を測る。分からないなら、央はその程度ということね」
「え~。やっぱり義吟の『犯人なんて轢き殺してやる!』が一番だと思いますよ」
「それで義吟、そのお菓子――なんて名前だっけ」
「〈もんぜるっぜ〉ですって」
「ひとつもらうよ」
「本当ですか! どうぞどうぞ、スイーツ革命をご体験ください!」
差し出された紙袋を受け取ろうとしたとき、ドアが外からノックされた。
開けてやると、セーラー服を着た女子高生が遠慮がちに顔を覗かせた。
「あのォ……こんにちは。依頼した暦ですが……」
約束の五分前だが、既に近くで待っていたようだ。
暦宇久。都内の私立マグノリア高等学校に通う十七歳。額を露わにした三つ編みおさげで、スカート丈も膝下という今どき珍しい優等生ルックである。
「やあ、遠慮しないで這入ってくれ」
「お邪魔します……」
丁寧にお辞儀して、ステップに足を掛ける。そこで彼女の動きが静止した。
かと思えば突然「ひわああああっ!」と叫び声を上げ、相撲取りに張り手されたかのような勢いでアスファルトの地面にひっくり返った。
「さっ、殺人鬼いいいいいいいいい!」
恐怖に染まった表情。見開かれた両目が見上げているのは、俺の隣に立つ義吟だ。
「ええっ! 義吟がですか!」
彼女は彼女で鳩が豆鉄砲を食ったような顔となっている。
「誰か殺したの?」
「まさか。酷い云いがかりですよ」
首をブンブンと横に振る。
もう一度宇久を見ると、彼女は両目に涙をいっぱいに溜めて訴えた。
「嘘をつくな! その〈もんぜるっぜ〉は、私の友達を殺して手に入れたんだ!」
2
「すみません。取り乱しました。本当すみません……」
宇久はテーブルに額をこすりつけながら謝罪した。
「まあ頭を上げてよ。なにか勘違いがあったんでしょ」
「そのォ……ノイローゼになっていまして。〈もんぜるっぜ〉を持っている人を見ると、殺人鬼なんじゃないかと疑ってしまうんです……」
「友達が殺されたと云っていたよね。依頼もそれについて?」
「はい。あのォ……改めまして、よろしくお願いします。暦宇久です」
恐縮しているのか、普段からなのか、伏し目がちなうえに猫背気味だ。
「よろしく。俺が所長の荻尾央です。隣が探偵見習いの郷義吟」
「義吟でえす」
ダブルピースする彼女。頭には猫耳のついたカチューシャを嵌めているし、宇久からは既に馬鹿だと思われているだろう。パステルピンクのパーカーにホットパンツというお決まりのコーデで、サードシートの上に膝を立てて座っている。
「分かります? 名前がGGGになっているのです。央くんはOOO、亜愛ちゃんが――」
「あー云うなよ! それはさあ、お客さんから指摘されたときだけ『ええ、まあ』って苦笑いする程度が一番良いんだよ!」
「わ~ごめんなさい。央くんのこだわりに反しちゃいましたか!」
向かいの宇久は黙って目を丸くしている。俺は咳払いを挟む。
「奥に引っ込んでいるのが、もうひとり探偵見習いの天亜愛だ。この三人で各地を回りながら、GAOという探偵事務所をやってる。みんな歳は若いが――」俺が二十一、義吟と亜愛が十九。「――実績もあるし、プロ意識を持っている。信頼してくれていいよ」
「はい。ご活躍は知っています……難事件をたくさん解決してる、すごい人達だって」
「ありがとう。なにか飲む? 烏龍茶、紅茶、珈琲、オレンジジュースがあるけど」
「あのォ……お水で大丈夫です」
「そうか。おい義吟、お前だよ」
動く気配のない義吟を小突くと、「あっ、そうでした」と舌を出して席を立った。
俺は話を進める。
「ホームページで確認しているかも知れないが、依頼の相談は無料だ。基本的には、法に触れない範囲でどんな依頼でも受け付ける。ただしこちらが提示する依頼料と解決時の追加報酬額、場合によってはその他条件について宇久ちゃんが同意できなければ、取引は不成立。同意できれば、まず依頼料を受け取って取引成立となる。いいね?」
首肯する宇久。そこに義吟が、水を注いだコップを三つ持ってきた。
「じゃあ早速、依頼内容を聞かせてくれるかな。もちろん、取引が不成立となる場合にも俺達は守秘義務を負う。足らない情報があれば後で質問するから、宇久ちゃんが話したいように話して。慌てる必要もないし、まずは水を飲んで、ゆっくりでいいよ」
彼女は俺が云ったとおり水をひとくち飲んでから、もじもじと話し始めた。
「そのォ……皆さんには、私の友達を殺した犯人を見つけてほしいんです……」
引っ込み思案の宇久にとって唯一の友達が、同じ高校に通う百世未余子だった。
六日前――六月六日(土)の十四時ごろ、宇久は未余子が一人暮らししているアパートを訪れた。約束はしていなかったが、それは二人にとってよくあることだった。
階段で三階に上がり、未余子の部屋のインターホンを鳴らす。しかし反応はない。試しにドアノブに手を掛けたところ、錠は掛かっておらず、ドアが開いた。
玄関に、全身を刃物でめった刺しにされた未余子が仰向けで倒れていた。
驚いた宇久は逃げ出した。通路を駆け戻って階段を駆け下りてアパートの外に出て、乱れた呼吸や早まった鼓動を落ち着けようとした。それからやっと、こうしてはいられないと考えた。泣きそうになりながら救急車を呼んだ。
そして救急車を待つ間に、逃げてしまったことに罪悪感を覚え、部屋まで引き返した。彼女が逃げたのは未余子をめった刺しにした犯人がまだ近くにいるかも知れないという危険を本能的に感じ取ったためだったが、このときの彼女はとても混乱していた。
玄関には変わらず、明らかに事切れている友達が倒れていた。救急車ではなく警察に通報すべきだったのではと思ったけれど、それよりも気になることがあった。
最初に見たときには、死体の傍に紙袋が置かれていた。金ぴかの袋に大きなロゴステッカー。宇久は買ったことがなかったものの、テレビや雑誌でこのごろよく見る〈もんぜるっぜ〉の紙袋だとは分かった。それが戻ってきたときには、消えていた。
その意味を、彼女は今度は本能でなく頭で理解した。彼女が部屋を訪れたとき、まだ未余子を殺した犯人が中にいたのだ。宇久が逃げ出した後、犯人もまた部屋から逃げて行ったのだ。〈もんぜるっぜ〉を持って。
「それが犯人の狙いだったんです。大人気のスイーツを手に入れることが……」
宇久は迫真めかして云った。義吟も「それなら二時間も並ばずに済みますもんね!」と納得している。
「いやいや、二時間並びたくないからって人は殺さないでしょ。路上でひったくるならまだしも、家まで尾行して刃物でめった刺しなんて、まったく釣り合ってない」
「央くんは食べてないから云えるのですよ~。この美味しさのためなら、何人死んだって不思議はありません」
義吟は例の紙袋を頭上に掲げた。宇久が「ひいっ!」と表情を引きつらせる。
「そのォ……警察にもそう云われてしまいました。最初に未余子ちゃんの遺体を見たときはすぐに逃げ出しちゃいましたし、紙袋があったなんて記憶違いに決まっていると……」
「じゃあ警察は、その証言を無視して捜査しているんだね」
「はい。明日で一週間になりますけど、犯人は捕まっていません。〈もんぜるっぜ〉が消えたことを無視しているからですよ。きっと犯人に繋がる大事な手掛かりなのに……」
それで〈もんぜるっぜ〉を持っている人が殺人鬼に見えるまで追い込まれ、俺達に依頼しようと思い立ったわけだ。
「だけど〈もんぜるっぜ〉は一日に千個以上も売れるのですよ? 〈もんぜるっぜ〉を持っている人が容疑者だとしても、一週間したら何千人になるんでしょう?」
「そもそも既に食ったか、処分しただろうな。そいつは何日間もつんだ」
「買った日のうちに食べないと駄目ですよ。そうでした! これで義吟の容疑は完全に晴れますよ。さっき買った証拠にまだ温かいですし、レシートもあります!」
「すみません……やっぱり私の記憶違いだって仰るんですよね……」
肩を落とす宇久。俺は「そんなこと云わないよ」と否定した。
「え?」
「〈もんぜるっぜ〉を並ばずに手に入れるための殺人だったとは思わないが、現場からその紙袋が消えたことには、宇久ちゃんの云うとおり意味があるだろうな」
俺は頭の中で試算する。解決への筋道、必要な経費、負担し得るリスク。
「依頼内容は百世未余子を殺した犯人の特定。期日の指定はある?」
「えっとォ……なるべく早くがいいですけど、指定は別に……」
「依頼料は五万。解決時の追加報酬額は十五万。想定外の経費が発生した場合は明細を付けて別途請求するけれど、今回その心配はなさそうだ。あとは宇久ちゃん次第だよ」
どうせ相手にされないと思っていたのだろう。宇久は呆気に取られて俺を見つめている。
「どうする?」
訊ねると、死んだ魚のようだったその目にはじめて輝きが宿った。
「は、払います! アルバイトして貯めたお金があります! あとママのお金も!」
「お待たせしました! 二時間並んでようやく買えましたよ~」
義吟はやけに誇らしげな様子で、助手席に乗り込んできた。
「なにを買ったんだ」
「〈もんぜるっぜ〉です」
そう云って掲げた金ぴかの紙袋からは、甘ったるい匂いが放たれている。
「なんだそれ。お菓子?」
「そうですよ。スイーツ界の超新星。二か月前にオープンしてから、話題沸騰しっぱなしなのです。戴天京に来てから、買う機会を伺っていたのですよ」
「ふうん。それよりシートベルトしてくれ。あと三十分で依頼人と約束した時間だ」
車を発進させる。戴天京は首都だけあって交通量が多く、この巨体では難儀する。
「丁度、お一人様三つまでだったので央くんと亜愛ちゃんの分もありますよ~」
「俺が食いたいのは餃子なんだよね」
「餃子て! スイーツの話をしてますのに!」
義吟は振り返って「亜愛ちゃんは〈もんぜるっぜ〉食べますよね?」と訊いたが、返事はなかった。読書を止めてまで答えるに値しないと思われたのだろう。
「もお。なんで二人とも義吟のセンスを信用してくれないのですか~。三つとも食べちゃいますからね?」
それから義吟は「めちゃ美味しい! ねえ央くん、めちゃ美味しいですよ! 悶絶しちゃうこんなの!」と騒ぎながら俺の肩を揺らして運転を妨げたが、事故は起こさず目的地の区立公園に到着できた。
駐車場に停車し、いちいち外に出るのも面倒なのでシートを乗り越えて生活空間に移る。
運転席、助手席と背中合わせになっているのがセカンドシート。その半分はテーブルを挟んでサードシートと向かい合っている。もう半分は通路に面していて、通路を進むと右手にドア、キッチン、クローゼット、左手にテーブル、サードシート、トイレが並び、奥の二段ベッドに突き当たる。もうひとつ、運転席の上もベッドになっていて、セカンドシートからよじ登れるようになっている。
このキャンピングカーが俺達の住居であり、事務所だ。車体の側面には〈移動型探偵事務所GAO〉と書いたマグネットを貼ってある。
「『GAOなら、どんな難問もドライブスルー』――こんな凡庸なキャッチコピーで、よく依頼が来たものね。相応にくだらない依頼なんでしょうけど」
サードシートに腰掛けている亜愛が、タブレット端末から顔を上げて嫌味を云った。先週からホームページに載せているコピーを気に入っていないらしい。
「お前の案はなんだっけか」
「『ブレーキ? ドジ? どちらも踏んだことがありませんなあ』」
「そっちの方が嫌だわ。なんか恥ずかしい」
「優れた芸術は観る者を測る。分からないなら、央はその程度ということね」
「え~。やっぱり義吟の『犯人なんて轢き殺してやる!』が一番だと思いますよ」
「それで義吟、そのお菓子――なんて名前だっけ」
「〈もんぜるっぜ〉ですって」
「ひとつもらうよ」
「本当ですか! どうぞどうぞ、スイーツ革命をご体験ください!」
差し出された紙袋を受け取ろうとしたとき、ドアが外からノックされた。
開けてやると、セーラー服を着た女子高生が遠慮がちに顔を覗かせた。
「あのォ……こんにちは。依頼した暦ですが……」
約束の五分前だが、既に近くで待っていたようだ。
暦宇久。都内の私立マグノリア高等学校に通う十七歳。額を露わにした三つ編みおさげで、スカート丈も膝下という今どき珍しい優等生ルックである。
「やあ、遠慮しないで這入ってくれ」
「お邪魔します……」
丁寧にお辞儀して、ステップに足を掛ける。そこで彼女の動きが静止した。
かと思えば突然「ひわああああっ!」と叫び声を上げ、相撲取りに張り手されたかのような勢いでアスファルトの地面にひっくり返った。
「さっ、殺人鬼いいいいいいいいい!」
恐怖に染まった表情。見開かれた両目が見上げているのは、俺の隣に立つ義吟だ。
「ええっ! 義吟がですか!」
彼女は彼女で鳩が豆鉄砲を食ったような顔となっている。
「誰か殺したの?」
「まさか。酷い云いがかりですよ」
首をブンブンと横に振る。
もう一度宇久を見ると、彼女は両目に涙をいっぱいに溜めて訴えた。
「嘘をつくな! その〈もんぜるっぜ〉は、私の友達を殺して手に入れたんだ!」
2
「すみません。取り乱しました。本当すみません……」
宇久はテーブルに額をこすりつけながら謝罪した。
「まあ頭を上げてよ。なにか勘違いがあったんでしょ」
「そのォ……ノイローゼになっていまして。〈もんぜるっぜ〉を持っている人を見ると、殺人鬼なんじゃないかと疑ってしまうんです……」
「友達が殺されたと云っていたよね。依頼もそれについて?」
「はい。あのォ……改めまして、よろしくお願いします。暦宇久です」
恐縮しているのか、普段からなのか、伏し目がちなうえに猫背気味だ。
「よろしく。俺が所長の荻尾央です。隣が探偵見習いの郷義吟」
「義吟でえす」
ダブルピースする彼女。頭には猫耳のついたカチューシャを嵌めているし、宇久からは既に馬鹿だと思われているだろう。パステルピンクのパーカーにホットパンツというお決まりのコーデで、サードシートの上に膝を立てて座っている。
「分かります? 名前がGGGになっているのです。央くんはOOO、亜愛ちゃんが――」
「あー云うなよ! それはさあ、お客さんから指摘されたときだけ『ええ、まあ』って苦笑いする程度が一番良いんだよ!」
「わ~ごめんなさい。央くんのこだわりに反しちゃいましたか!」
向かいの宇久は黙って目を丸くしている。俺は咳払いを挟む。
「奥に引っ込んでいるのが、もうひとり探偵見習いの天亜愛だ。この三人で各地を回りながら、GAOという探偵事務所をやってる。みんな歳は若いが――」俺が二十一、義吟と亜愛が十九。「――実績もあるし、プロ意識を持っている。信頼してくれていいよ」
「はい。ご活躍は知っています……難事件をたくさん解決してる、すごい人達だって」
「ありがとう。なにか飲む? 烏龍茶、紅茶、珈琲、オレンジジュースがあるけど」
「あのォ……お水で大丈夫です」
「そうか。おい義吟、お前だよ」
動く気配のない義吟を小突くと、「あっ、そうでした」と舌を出して席を立った。
俺は話を進める。
「ホームページで確認しているかも知れないが、依頼の相談は無料だ。基本的には、法に触れない範囲でどんな依頼でも受け付ける。ただしこちらが提示する依頼料と解決時の追加報酬額、場合によってはその他条件について宇久ちゃんが同意できなければ、取引は不成立。同意できれば、まず依頼料を受け取って取引成立となる。いいね?」
首肯する宇久。そこに義吟が、水を注いだコップを三つ持ってきた。
「じゃあ早速、依頼内容を聞かせてくれるかな。もちろん、取引が不成立となる場合にも俺達は守秘義務を負う。足らない情報があれば後で質問するから、宇久ちゃんが話したいように話して。慌てる必要もないし、まずは水を飲んで、ゆっくりでいいよ」
彼女は俺が云ったとおり水をひとくち飲んでから、もじもじと話し始めた。
「そのォ……皆さんには、私の友達を殺した犯人を見つけてほしいんです……」
引っ込み思案の宇久にとって唯一の友達が、同じ高校に通う百世未余子だった。
六日前――六月六日(土)の十四時ごろ、宇久は未余子が一人暮らししているアパートを訪れた。約束はしていなかったが、それは二人にとってよくあることだった。
階段で三階に上がり、未余子の部屋のインターホンを鳴らす。しかし反応はない。試しにドアノブに手を掛けたところ、錠は掛かっておらず、ドアが開いた。
玄関に、全身を刃物でめった刺しにされた未余子が仰向けで倒れていた。
驚いた宇久は逃げ出した。通路を駆け戻って階段を駆け下りてアパートの外に出て、乱れた呼吸や早まった鼓動を落ち着けようとした。それからやっと、こうしてはいられないと考えた。泣きそうになりながら救急車を呼んだ。
そして救急車を待つ間に、逃げてしまったことに罪悪感を覚え、部屋まで引き返した。彼女が逃げたのは未余子をめった刺しにした犯人がまだ近くにいるかも知れないという危険を本能的に感じ取ったためだったが、このときの彼女はとても混乱していた。
玄関には変わらず、明らかに事切れている友達が倒れていた。救急車ではなく警察に通報すべきだったのではと思ったけれど、それよりも気になることがあった。
最初に見たときには、死体の傍に紙袋が置かれていた。金ぴかの袋に大きなロゴステッカー。宇久は買ったことがなかったものの、テレビや雑誌でこのごろよく見る〈もんぜるっぜ〉の紙袋だとは分かった。それが戻ってきたときには、消えていた。
その意味を、彼女は今度は本能でなく頭で理解した。彼女が部屋を訪れたとき、まだ未余子を殺した犯人が中にいたのだ。宇久が逃げ出した後、犯人もまた部屋から逃げて行ったのだ。〈もんぜるっぜ〉を持って。
「それが犯人の狙いだったんです。大人気のスイーツを手に入れることが……」
宇久は迫真めかして云った。義吟も「それなら二時間も並ばずに済みますもんね!」と納得している。
「いやいや、二時間並びたくないからって人は殺さないでしょ。路上でひったくるならまだしも、家まで尾行して刃物でめった刺しなんて、まったく釣り合ってない」
「央くんは食べてないから云えるのですよ~。この美味しさのためなら、何人死んだって不思議はありません」
義吟は例の紙袋を頭上に掲げた。宇久が「ひいっ!」と表情を引きつらせる。
「そのォ……警察にもそう云われてしまいました。最初に未余子ちゃんの遺体を見たときはすぐに逃げ出しちゃいましたし、紙袋があったなんて記憶違いに決まっていると……」
「じゃあ警察は、その証言を無視して捜査しているんだね」
「はい。明日で一週間になりますけど、犯人は捕まっていません。〈もんぜるっぜ〉が消えたことを無視しているからですよ。きっと犯人に繋がる大事な手掛かりなのに……」
それで〈もんぜるっぜ〉を持っている人が殺人鬼に見えるまで追い込まれ、俺達に依頼しようと思い立ったわけだ。
「だけど〈もんぜるっぜ〉は一日に千個以上も売れるのですよ? 〈もんぜるっぜ〉を持っている人が容疑者だとしても、一週間したら何千人になるんでしょう?」
「そもそも既に食ったか、処分しただろうな。そいつは何日間もつんだ」
「買った日のうちに食べないと駄目ですよ。そうでした! これで義吟の容疑は完全に晴れますよ。さっき買った証拠にまだ温かいですし、レシートもあります!」
「すみません……やっぱり私の記憶違いだって仰るんですよね……」
肩を落とす宇久。俺は「そんなこと云わないよ」と否定した。
「え?」
「〈もんぜるっぜ〉を並ばずに手に入れるための殺人だったとは思わないが、現場からその紙袋が消えたことには、宇久ちゃんの云うとおり意味があるだろうな」
俺は頭の中で試算する。解決への筋道、必要な経費、負担し得るリスク。
「依頼内容は百世未余子を殺した犯人の特定。期日の指定はある?」
「えっとォ……なるべく早くがいいですけど、指定は別に……」
「依頼料は五万。解決時の追加報酬額は十五万。想定外の経費が発生した場合は明細を付けて別途請求するけれど、今回その心配はなさそうだ。あとは宇久ちゃん次第だよ」
どうせ相手にされないと思っていたのだろう。宇久は呆気に取られて俺を見つめている。
「どうする?」
訊ねると、死んだ魚のようだったその目にはじめて輝きが宿った。
「は、払います! アルバイトして貯めたお金があります! あとママのお金も!」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
2
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる