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【G章:紐づくもんぜるっぜ】
3、4「3WD」
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3
〈もんぜるっぜ〉を売っているのは天橋通りにある〈えんぜるはあぷ〉という店で、定休日はなく、十一時から十八時までが営業時間だ。商品は今のところ〈もんぜるっぜ〉のみであり、店頭で買う以外に入手方法はない。
天橋通りは終日歩行者天国なので、キャンピングカーを遠くの駐車場に停め、俺と義吟は十五分ほど歩いて店の前までやって来た。現在時刻は十六時。〈もんぜるっぜ〉を求める者達の列は店内に収まらず、通りの中央を貫くように長く続いている。
「迷惑な店だな。整理券でも配って、順番まで散らしておいたらどうなんだ」
「それはそれでトラブルとか起きそうじゃないですか?」
「しかし夏場になったら死人が出るだろ、これは」
店の中も人でギュウギュウだ。店内に飲食用のスペースはなく、ひとつしかないカウンターで金ぴかの紙袋を受け取った客は、幸せそうな表情で店から出てくる。
「そんなに有難がるものかね。そっちの北京ダックの方が美味しそうだぜ」
俺も義吟からひとつもらったが、甘すぎて駄目だった。血糖値が上がって気怠い。
「む~。若い女の子は央くんとは味覚が違うのですよ」
「亜愛も『醜悪な味だわ。人類もここまで堕ちたのね』って評してたぞ」
「わっ、亜愛ちゃんの真似そっくりです!」
「『私のように高潔に生きる者の口には合わない。家畜向けよ』」
「あはははは!」
亜愛はキャンピングカーで留守番中だ。SNSを利用して、未余子が在籍していたマグノリア高校の生徒にコンタクトを取ってもらっている。
「注文から受け取りまでにも、少し待つみたいだな」
「お店のこだわりで、〈もんぜるっぜ〉は常にでき立てほかほかなんですよ」
「ふうん。道理で列が進まないわけだ」
店内の様子は観察できたので、隣の路地へと這入った。
店の裏口と防犯カメラの有無を確認し、そのまま路地を抜けて別の通りに出る。
「央くん、なにか分かりました?」
「別に。なにも分からん」
「じゃあ次は未余子ちゃんのアパートですかね」
「いいや、そっちは行かなくていい。夜まで時間を潰そうか」
面白そうな店を探しながら通りを歩くが、若者向けのアパレルや雑貨屋、飲食店ばかりだ。成人男性の気を惹くにはファンシー過ぎる。
「夜まで待って、なにをするのですか?」
「義吟、どうして犯行現場から〈もんぜるっぜ〉の紙袋が消えたと思う?」
「う~ん。やっぱり食べたかったからですよ」
「まあそれが主目的じゃなくても、ついでにもらっていった可能性はあるな。他には?」
「他ですか……」
「たとえば、もとから犯人のものだったとしたら、どうだろう」
「あ! もしかして、取り返したということですか?」
義吟の表情がパッと明るくなった。
「犯人が並んで手に入れた〈もんぜるっぜ〉を、未余子ちゃんが強奪したのです。犯人は未余子ちゃんを家まで追いかけました。激怒していたなら、刃物でめった刺しにするのも自然ですものね!」
「不自然だろ。人殺しのハードルを低く設定しすぎだ」
「え~。じゃあ、なんですか?」
俺のシャツの裾を引っ張る義吟。
訓練にならないが、これ以上焦らすと彼女はへそを曲げそうだ。
「つまり情報が不足しているせいで、方針を決められないんだよ。だから確認する。〈もんぜるっぜ〉を買ったのは未余子なのかとか、他にも色々とな」
俺は義吟のうなじを軽く撫でた。
彼女はくすぐったそうにしながら、「なるほど~」と笑った。
4
義吟が気になった雑貨屋を一緒に回っているうちに十八時となり、俺と彼女は〈えんぜるはあぷ〉の裏口を望める路地の入口で、気長に待機することにした。
表のシャッターが閉まっても、従業員の帰りがいつになるかは分からない。まず十八時半に四人が、裏口から出て帰っていった。それからも断続的にひとりか二人ずつ退勤し、二十時を回ったけれどまだ誰か残っているようだ。
「央くん、退屈ですよ~。お腹も減りましたよ~」
雑談にも指相撲にも肩揉みにも飽きて、義吟はぐでーっと寄り掛かってきた。
「もう音を上げるのか。亜愛なら平気な顔で耐えられるんだけどな」
「む。冗談です。全然平気です」
そのとき、また裏口が開いて女性が出てきた。彼女こそ、待っていた最終退勤者だ。なぜなら裏口を施錠している。俺は義吟に目配せして、歩き出した。
この路地に防犯カメラはない。あっても義吟に破壊させたが、ないに越したことはない。
裏口を施錠した女性従業員はこちらに背を向けて、天橋通りの方へ歩いて行く。俺は彼女に追いついて、用意しておいた適当な鍵を足元に放る。カチャーンというわずかな音。
「すいません、鍵――落としたみたいですよ?」
「え?」と振り返る女性従業員。まだ二十代だろう。若くて綺麗な人だ。
俺は鍵を拾って、渡そうとする。彼女は少し不思議そうにしながらも、受け取るために手を伸ばす。すべて自然な行動だ。大抵の人間は、必ずこの流れに乗ってくる。
鍵の先が彼女の手に触れて、彼女が握ろうとした瞬間、俺はすかさずもう片方の手で彼女の手首を掴んで止めさせる。
「眠る!」
彼女の意識がスコーンと落ちる。崩れ落ちそうになるのを義吟が受け止めて支える。俺は首を垂れた女性従業員の頭頂部を人差し指で軽く叩きながら、耳元で繰り返し囁く。
「ぐっすり、眠る……ぐっすり、眠る……ぐっすり、眠る……ぐっすり、眠る……ぐっすり、眠る……ぐっすり、眠る……ぐっすり、眠る……」
ハンドシェイク・インダクションの応用からタッピング法への接続。瞬間催眠を深化法によって補うこの手法は、一流の催眠術師である俺にとって造作もないことだ。
前後を確認するが、目撃者はいないので芝居を打つ必要はない。すっかり眠ってしまった女性の鞄から本物の鍵を見つけ出し、〈えんぜるはあぷ〉の裏口へ引き返す。
「央くんの能力は、いつ見てもすごいですね~」
「ちょっとした技術だ。現象としては当たり前のことだよ」
人間には意識と無意識がある。無意識は疑うことを知らず、云われたことをなんでも受け入れるのだが、代わりに疑うことを知る意識の方がそれを防いでいる。ならば、意識の妨害を受けないようにして無意識に働きかければよい。その技術が催眠術だ。
たとえば先ほどの瞬間催眠は、混乱法に分類される。鍵を受け取ろうとしたのを唐突に阻止することで意識に空白を生じさせて、その瞬間に「眠れ」と命じれば、拒否する意識は存在せず、無意識は即座にそれを受け入れるというわけだ。
「さあ、次は義吟の番だぞ。負担を掛けてすまないが」
「気にしないでください。このために義吟はいるのですから」
裏口を這入って電気を点けると、其処は事務所だった。まさに目当ての品がある部屋だ。
義吟は背負っていた女性を椅子に座らせて、机に突っ伏す格好とする。それから俺のもとまで来て、くるりと後ろを向いた。
俺は彼女の肩のところで切り揃えられた髪を持ち上げて、うなじを露わにさせる。そこには三桁のダイヤル錠が埋め込まれている。無作為な数字とされていたそれを、ひと桁ずつ指で回して『006』に合わせる。びくっと身体が震える。
「――義吟、開きます」
抑揚のない声がそう告げるが、最初だけだ。彼女は振り返ると、いつもの調子で笑った。
「早速始めますね~」
「ああ。まずは六月六日の記録だ。未余子ちゃんを探してくれ」
義吟は隅のラックまで進む。そこには店内に設置された防犯カメラの映像を映すモニターや録画機などの機材が収められている。彼女は髪に混じって垂れ下がった複数本のコード類を機材に接続していく。これで脳内のCPUにより情報を処理できるようになる。
義吟は犯罪組織によって改造を施された改造人間だ。二年前、俺はある事件で彼女と出逢い、組織から救出した。それがGAOという探偵事務所をつくる契機にもなった。
「いましたよ、央くん。見てください」
手を触れることなくモニターが点灯し、店内から通りを捉えた録画映像が映し出される。行列の中、義吟が指し示したところに、ワンピースを着た未余子らしい人物がいる。荒い映像でも、宇久から預かった写真のとおり清楚で整った容姿が窺えた。
「殺されたのが悔やまれるなあ。こんなに良い子なのに」
「美少女贔屓よくないです。見た目では分かりませんよ」
「内面は見た目に出るとも云うぜ。時刻は十一時半か」
「早いですね。間違いなく開店前から並んでいます」
未余子はひとりだ。早送りで時が過ぎていき、店内に這入ったところで別のカメラに切り替わる。何事もなくカウンターに到着したところで「止めてくれ」と頼む。
「ピースしているな。二つ注文したようだ」
「一倍速にします。はい、店員さんも袋に二つ入れてますよ」
「未余子ちゃんは一人暮らしだぞ。ひとりで二つ食べるのかも知れんが」
「全然あり得ますよ。ずーっと並んでひとつでは寂しいですもの」
未余子は紙袋を提げて店を出て行く。時刻は十二時三分。彼女の自宅の位置なら、真っすぐ帰ったとして十二時半には着くだろう。宇久が死体を発見したのは十四時だから、犯行時刻はその間の一時間三十分に絞られる。
「じゃあ次は、六月五日以前に未余子が来ていないか調べてくれるか」
「もう洗い出してます。これの前は五月三十日――土曜日ですね」
店先の行列を映した映像。時刻は十一時四十三分。ブラウスを着た未余子の姿が見とめられる。この日もひとりで〈もんぜるっぜ〉を二つ買い、十二時十四分に店を出た。
「続きまして五月二十三日――土曜日です」
この日の未余子も、ひとりで〈もんぜるっぜ〉を二つ買い、十二時九分に店を出た。
さらに十六日の土曜日、九日の土曜日、二日の土曜日と遡っていく。いずれも開店前から並び、十二時から十二時半には〈もんぜるっぜ〉を二つ買って店を出ている。
「これが最後です。四月二十五日の土曜日ですが、これまでと様子が違います」
セーター姿の未余子が、前に並んでいる男と会話をしている。ロン毛で、気障なファッションに身を包んでいる男だ。
「このホスト崩れみたいな奴は誰だ」
「う~ん。彼氏さんはいなかったと話してましたよね、宇久ちゃんは」
「女子高だしな。異性の友達もいなかったという話だ」
それに相手は高校生でなく、成人男性のように見える。
「なら、お兄さんでしょうか。いたとは聞いてませんけど」
店内に這入っても二人は会話を続けている。男の方から積極的に話をしているように見受けられる。カウンターに着くと、しかし二人は別々に注文をした。
「一緒に来たなら、まとめて注文するものじゃないか? いくつ買ってる?」
「未余子ちゃんはひとつ、男の人は二つですね」
「どうも怪しいな。店を出た時刻も十五時四十分だ」
この最初の日だけが、以降のパターンと異なる。一緒に来ている男の存在。〈もんぜるっぜ〉をひとつだけ、あるいは男の分を含めると三つ注文。それから時刻が遅い。
「この男が映っている日が他にもないか、洗い出しを頼む」
「十八秒待ってください。画質が荒いので精度が下がっています」
「大丈夫だ。充分早いよ」
こういう場合、義吟は顔認証のプログラムを使い、全量データに検索を掛けている。
「出ました。四月十一日と四月十八日です」
「未余子ちゃんと二人でいた日の一週間前と二週間前だな」
映像を確認したところ、たしかに同じ男だった。いずれの日もひとりで来ており、〈もんぜるっぜ〉を二つ購入している。店を出た時刻は、十八日が十七時十六分、十一日が十四時二十三分だ。
「この店がオープンしたのは何日だっけ」
「四月三日の金曜日です」
謎の男と未余子が現れるのは決まって土曜日。オープン翌週の土曜日にはじめて男が現れ、その二週間後にはじめて未余子が現れる。その翌週から男は現れなくなり、未余子だけが必ず開店前から並ぶようになった。
「義吟、ここでの調査は以上にしよう」
「は~い」
義吟が機材に繋いでいたコード類を外すと、巻き取られて頭の中に格納される。俺はうなじのダイヤル錠をまた無作為な並びへと戻した。
「ふう……ちょっと疲れました~」
少しふらつく彼女。身体は風呂上がりみたく熱を帯び、額には汗が浮き出ている。
「俺に捕まりながら歩いていいぞ」
「義吟、お役に立ちましたか?」
「立ったよ」
「本当ですか? もっと褒めてください~」
「偉い偉い」
女性従業員が突っ伏しているテーブルに鍵を置く。目覚めても、彼女は俺達のことを憶えていないだろう。そのまま俺達は店を出た。
〈もんぜるっぜ〉を売っているのは天橋通りにある〈えんぜるはあぷ〉という店で、定休日はなく、十一時から十八時までが営業時間だ。商品は今のところ〈もんぜるっぜ〉のみであり、店頭で買う以外に入手方法はない。
天橋通りは終日歩行者天国なので、キャンピングカーを遠くの駐車場に停め、俺と義吟は十五分ほど歩いて店の前までやって来た。現在時刻は十六時。〈もんぜるっぜ〉を求める者達の列は店内に収まらず、通りの中央を貫くように長く続いている。
「迷惑な店だな。整理券でも配って、順番まで散らしておいたらどうなんだ」
「それはそれでトラブルとか起きそうじゃないですか?」
「しかし夏場になったら死人が出るだろ、これは」
店の中も人でギュウギュウだ。店内に飲食用のスペースはなく、ひとつしかないカウンターで金ぴかの紙袋を受け取った客は、幸せそうな表情で店から出てくる。
「そんなに有難がるものかね。そっちの北京ダックの方が美味しそうだぜ」
俺も義吟からひとつもらったが、甘すぎて駄目だった。血糖値が上がって気怠い。
「む~。若い女の子は央くんとは味覚が違うのですよ」
「亜愛も『醜悪な味だわ。人類もここまで堕ちたのね』って評してたぞ」
「わっ、亜愛ちゃんの真似そっくりです!」
「『私のように高潔に生きる者の口には合わない。家畜向けよ』」
「あはははは!」
亜愛はキャンピングカーで留守番中だ。SNSを利用して、未余子が在籍していたマグノリア高校の生徒にコンタクトを取ってもらっている。
「注文から受け取りまでにも、少し待つみたいだな」
「お店のこだわりで、〈もんぜるっぜ〉は常にでき立てほかほかなんですよ」
「ふうん。道理で列が進まないわけだ」
店内の様子は観察できたので、隣の路地へと這入った。
店の裏口と防犯カメラの有無を確認し、そのまま路地を抜けて別の通りに出る。
「央くん、なにか分かりました?」
「別に。なにも分からん」
「じゃあ次は未余子ちゃんのアパートですかね」
「いいや、そっちは行かなくていい。夜まで時間を潰そうか」
面白そうな店を探しながら通りを歩くが、若者向けのアパレルや雑貨屋、飲食店ばかりだ。成人男性の気を惹くにはファンシー過ぎる。
「夜まで待って、なにをするのですか?」
「義吟、どうして犯行現場から〈もんぜるっぜ〉の紙袋が消えたと思う?」
「う~ん。やっぱり食べたかったからですよ」
「まあそれが主目的じゃなくても、ついでにもらっていった可能性はあるな。他には?」
「他ですか……」
「たとえば、もとから犯人のものだったとしたら、どうだろう」
「あ! もしかして、取り返したということですか?」
義吟の表情がパッと明るくなった。
「犯人が並んで手に入れた〈もんぜるっぜ〉を、未余子ちゃんが強奪したのです。犯人は未余子ちゃんを家まで追いかけました。激怒していたなら、刃物でめった刺しにするのも自然ですものね!」
「不自然だろ。人殺しのハードルを低く設定しすぎだ」
「え~。じゃあ、なんですか?」
俺のシャツの裾を引っ張る義吟。
訓練にならないが、これ以上焦らすと彼女はへそを曲げそうだ。
「つまり情報が不足しているせいで、方針を決められないんだよ。だから確認する。〈もんぜるっぜ〉を買ったのは未余子なのかとか、他にも色々とな」
俺は義吟のうなじを軽く撫でた。
彼女はくすぐったそうにしながら、「なるほど~」と笑った。
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義吟が気になった雑貨屋を一緒に回っているうちに十八時となり、俺と彼女は〈えんぜるはあぷ〉の裏口を望める路地の入口で、気長に待機することにした。
表のシャッターが閉まっても、従業員の帰りがいつになるかは分からない。まず十八時半に四人が、裏口から出て帰っていった。それからも断続的にひとりか二人ずつ退勤し、二十時を回ったけれどまだ誰か残っているようだ。
「央くん、退屈ですよ~。お腹も減りましたよ~」
雑談にも指相撲にも肩揉みにも飽きて、義吟はぐでーっと寄り掛かってきた。
「もう音を上げるのか。亜愛なら平気な顔で耐えられるんだけどな」
「む。冗談です。全然平気です」
そのとき、また裏口が開いて女性が出てきた。彼女こそ、待っていた最終退勤者だ。なぜなら裏口を施錠している。俺は義吟に目配せして、歩き出した。
この路地に防犯カメラはない。あっても義吟に破壊させたが、ないに越したことはない。
裏口を施錠した女性従業員はこちらに背を向けて、天橋通りの方へ歩いて行く。俺は彼女に追いついて、用意しておいた適当な鍵を足元に放る。カチャーンというわずかな音。
「すいません、鍵――落としたみたいですよ?」
「え?」と振り返る女性従業員。まだ二十代だろう。若くて綺麗な人だ。
俺は鍵を拾って、渡そうとする。彼女は少し不思議そうにしながらも、受け取るために手を伸ばす。すべて自然な行動だ。大抵の人間は、必ずこの流れに乗ってくる。
鍵の先が彼女の手に触れて、彼女が握ろうとした瞬間、俺はすかさずもう片方の手で彼女の手首を掴んで止めさせる。
「眠る!」
彼女の意識がスコーンと落ちる。崩れ落ちそうになるのを義吟が受け止めて支える。俺は首を垂れた女性従業員の頭頂部を人差し指で軽く叩きながら、耳元で繰り返し囁く。
「ぐっすり、眠る……ぐっすり、眠る……ぐっすり、眠る……ぐっすり、眠る……ぐっすり、眠る……ぐっすり、眠る……ぐっすり、眠る……」
ハンドシェイク・インダクションの応用からタッピング法への接続。瞬間催眠を深化法によって補うこの手法は、一流の催眠術師である俺にとって造作もないことだ。
前後を確認するが、目撃者はいないので芝居を打つ必要はない。すっかり眠ってしまった女性の鞄から本物の鍵を見つけ出し、〈えんぜるはあぷ〉の裏口へ引き返す。
「央くんの能力は、いつ見てもすごいですね~」
「ちょっとした技術だ。現象としては当たり前のことだよ」
人間には意識と無意識がある。無意識は疑うことを知らず、云われたことをなんでも受け入れるのだが、代わりに疑うことを知る意識の方がそれを防いでいる。ならば、意識の妨害を受けないようにして無意識に働きかければよい。その技術が催眠術だ。
たとえば先ほどの瞬間催眠は、混乱法に分類される。鍵を受け取ろうとしたのを唐突に阻止することで意識に空白を生じさせて、その瞬間に「眠れ」と命じれば、拒否する意識は存在せず、無意識は即座にそれを受け入れるというわけだ。
「さあ、次は義吟の番だぞ。負担を掛けてすまないが」
「気にしないでください。このために義吟はいるのですから」
裏口を這入って電気を点けると、其処は事務所だった。まさに目当ての品がある部屋だ。
義吟は背負っていた女性を椅子に座らせて、机に突っ伏す格好とする。それから俺のもとまで来て、くるりと後ろを向いた。
俺は彼女の肩のところで切り揃えられた髪を持ち上げて、うなじを露わにさせる。そこには三桁のダイヤル錠が埋め込まれている。無作為な数字とされていたそれを、ひと桁ずつ指で回して『006』に合わせる。びくっと身体が震える。
「――義吟、開きます」
抑揚のない声がそう告げるが、最初だけだ。彼女は振り返ると、いつもの調子で笑った。
「早速始めますね~」
「ああ。まずは六月六日の記録だ。未余子ちゃんを探してくれ」
義吟は隅のラックまで進む。そこには店内に設置された防犯カメラの映像を映すモニターや録画機などの機材が収められている。彼女は髪に混じって垂れ下がった複数本のコード類を機材に接続していく。これで脳内のCPUにより情報を処理できるようになる。
義吟は犯罪組織によって改造を施された改造人間だ。二年前、俺はある事件で彼女と出逢い、組織から救出した。それがGAOという探偵事務所をつくる契機にもなった。
「いましたよ、央くん。見てください」
手を触れることなくモニターが点灯し、店内から通りを捉えた録画映像が映し出される。行列の中、義吟が指し示したところに、ワンピースを着た未余子らしい人物がいる。荒い映像でも、宇久から預かった写真のとおり清楚で整った容姿が窺えた。
「殺されたのが悔やまれるなあ。こんなに良い子なのに」
「美少女贔屓よくないです。見た目では分かりませんよ」
「内面は見た目に出るとも云うぜ。時刻は十一時半か」
「早いですね。間違いなく開店前から並んでいます」
未余子はひとりだ。早送りで時が過ぎていき、店内に這入ったところで別のカメラに切り替わる。何事もなくカウンターに到着したところで「止めてくれ」と頼む。
「ピースしているな。二つ注文したようだ」
「一倍速にします。はい、店員さんも袋に二つ入れてますよ」
「未余子ちゃんは一人暮らしだぞ。ひとりで二つ食べるのかも知れんが」
「全然あり得ますよ。ずーっと並んでひとつでは寂しいですもの」
未余子は紙袋を提げて店を出て行く。時刻は十二時三分。彼女の自宅の位置なら、真っすぐ帰ったとして十二時半には着くだろう。宇久が死体を発見したのは十四時だから、犯行時刻はその間の一時間三十分に絞られる。
「じゃあ次は、六月五日以前に未余子が来ていないか調べてくれるか」
「もう洗い出してます。これの前は五月三十日――土曜日ですね」
店先の行列を映した映像。時刻は十一時四十三分。ブラウスを着た未余子の姿が見とめられる。この日もひとりで〈もんぜるっぜ〉を二つ買い、十二時十四分に店を出た。
「続きまして五月二十三日――土曜日です」
この日の未余子も、ひとりで〈もんぜるっぜ〉を二つ買い、十二時九分に店を出た。
さらに十六日の土曜日、九日の土曜日、二日の土曜日と遡っていく。いずれも開店前から並び、十二時から十二時半には〈もんぜるっぜ〉を二つ買って店を出ている。
「これが最後です。四月二十五日の土曜日ですが、これまでと様子が違います」
セーター姿の未余子が、前に並んでいる男と会話をしている。ロン毛で、気障なファッションに身を包んでいる男だ。
「このホスト崩れみたいな奴は誰だ」
「う~ん。彼氏さんはいなかったと話してましたよね、宇久ちゃんは」
「女子高だしな。異性の友達もいなかったという話だ」
それに相手は高校生でなく、成人男性のように見える。
「なら、お兄さんでしょうか。いたとは聞いてませんけど」
店内に這入っても二人は会話を続けている。男の方から積極的に話をしているように見受けられる。カウンターに着くと、しかし二人は別々に注文をした。
「一緒に来たなら、まとめて注文するものじゃないか? いくつ買ってる?」
「未余子ちゃんはひとつ、男の人は二つですね」
「どうも怪しいな。店を出た時刻も十五時四十分だ」
この最初の日だけが、以降のパターンと異なる。一緒に来ている男の存在。〈もんぜるっぜ〉をひとつだけ、あるいは男の分を含めると三つ注文。それから時刻が遅い。
「この男が映っている日が他にもないか、洗い出しを頼む」
「十八秒待ってください。画質が荒いので精度が下がっています」
「大丈夫だ。充分早いよ」
こういう場合、義吟は顔認証のプログラムを使い、全量データに検索を掛けている。
「出ました。四月十一日と四月十八日です」
「未余子ちゃんと二人でいた日の一週間前と二週間前だな」
映像を確認したところ、たしかに同じ男だった。いずれの日もひとりで来ており、〈もんぜるっぜ〉を二つ購入している。店を出た時刻は、十八日が十七時十六分、十一日が十四時二十三分だ。
「この店がオープンしたのは何日だっけ」
「四月三日の金曜日です」
謎の男と未余子が現れるのは決まって土曜日。オープン翌週の土曜日にはじめて男が現れ、その二週間後にはじめて未余子が現れる。その翌週から男は現れなくなり、未余子だけが必ず開店前から並ぶようになった。
「義吟、ここでの調査は以上にしよう」
「は~い」
義吟が機材に繋いでいたコード類を外すと、巻き取られて頭の中に格納される。俺はうなじのダイヤル錠をまた無作為な並びへと戻した。
「ふう……ちょっと疲れました~」
少しふらつく彼女。身体は風呂上がりみたく熱を帯び、額には汗が浮き出ている。
「俺に捕まりながら歩いていいぞ」
「義吟、お役に立ちましたか?」
「立ったよ」
「本当ですか? もっと褒めてください~」
「偉い偉い」
女性従業員が突っ伏しているテーブルに鍵を置く。目覚めても、彼女は俺達のことを憶えていないだろう。そのまま俺達は店を出た。
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