GAOにえもいわれぬ横臥

凛野冥

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【O章:表ラブホの裏ビジホ】

1「羅豚に迷う子羊はラム」

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 六月一日、俺達GAOが首都・戴天京にやって来た日のこと。

「愛に生きる?」

 犬屋は俺の言葉を鸚鵡返おうむがえしにした。区立図書館の駐車場に停めたキャンピングカーの前、マウンテンバイクに跨って、ハンドルに両肘をついている。彼女はいつもその愛車で国内の都市を回っているが、この日は偶然に戴天京を訪れていた。まあ次の滞在先として戴天京を勧めてきたのも彼女だ。

 黒のコーチジャケットに短パン。茶髪にキャップ。背中には毒々しいデザインのバックパック。本人は成人していると云うけれど、とてもそうは見えない。

「ああ。俺って、まともに恋愛しないでこの歳になっちまったんだよ」

「いま何歳だっけ」

「二十一歳」

「まだ若いじゃん」

「十代を無駄にしたんだぞ? 信じられるか?」

「恋愛がすべてじゃないし。荻尾さん、波乱万丈な人生送ってると思うけど」

「愛がなければ、無に等しい。愛がなければ、わたしになんの益もない」

「コリントの使途への手紙?」

「見かけによらず学があるよな、きみ」

「探偵小説のオタクはみんな博識だよ」

 実際のところ、俺はなにをしようが虚しいばかりだ。特に近ごろはそう感じることが多くなった。悩んだ結果、俺には愛が足りないのだという結論に行き着いた。

「それで、これからは愛に生きるってわけね。ナンパでもしまくるの?」

「そんなのは愛と云えない」

「めんどくさー。てゆーか、亜愛ちゃんと義吟ちゃんがいるじゃん」

「違う。あいつらは家族みたいなものだからな」

 だが、たしかに難しい問題だ。俺はどうやって愛を見つけたらよいだろう?

 意外と根が真面目なのか、依頼人をそういう目で見るのは気が進まない。

「そういえば、きみって彼氏いるの?」

「いるよ」

「え、いるの。ああそう……」

 めちゃくちゃ普通に返されてしまった。

「そいつと別れて俺と付き合う予定はある?」

「ないよ。てゆーか、荻尾さん私のこと好きなの?」

「だいぶ好き」

 これまで意識していなかったが、口に出したら本当にそんな気がしてきた。

「疑わしいなー」

「その彼氏がどんな奴か知らんけど、俺より良いってことはないだろ」

「ハート弱いくせにナルシストだよね、荻尾さん」

「いや、客観的な事実として。俺ほどの男ってなかなかいないよ」

「客観的って云うか、基準は人それぞれじゃない?」

「探偵と付き合えるぞ。探偵小説オタクだろ、きみは」

「じゃあ、荻尾さんはストックね。今の彼氏と別れたら付き合うかも」

「その彼氏のこと、そんなに好きなの?」

「それほどじゃないけど、不満もないんだよね。安パイって感じ」

 色々な考え方がある。なんにせよ、俺はやんわりと振られたようだ。


 その後は長時間運転の疲れから、話しているうちに眠ってしまった。目覚めると犬屋は去った後だった。もっと強く押したらいけたかな等と思いながら、いつもどおり義吟と亜愛と雑談しているうちに夜となり、仕事の依頼は来なかった。

 せっかく戴天京に来たというのに、初日から早くもやることがない。俺は云いようのない無力感や寂しさに襲われ、義吟と亜愛が眠ってから、都内随一の歓楽街として知られる茜条斎へ車を走らせた。

 適当な場所に駐車して街に出ると、眠らない街と云うだけあって、目が痛くなるくらいギラギラと灯りを放つ店が並び、通りは若者から中年までバカ騒ぎする人々で溢れていた。

 とりあえず歩いてみたが、しかしどの店に這入ってなにをしたらよいかも分からず、賑やかな周囲とは裏腹に俺の孤独感は増していくだけだった。やがて中心部から離れて少し落ち着いた区画に入ると、足も疲れて、車まで引き返す気が起きなくなってしまった。

 そこへくると、なんでもいい――むしろ静かなくらいがいいと思い、俺はまだしばらく営業中の店がないか見回した。真横にあるビルは一階から六階まで店や事務所が入っているが、その六階が丁度そうだった。〈FURFURふるふる〉というダイニング・バーだ。

 ガコガコと不安な音を立てるエレベーターで六階に上がり、〈OPEN〉の札が掛かった鉄扉を開ける。店内はこじんまりとしているものの、綺麗で洒落ていた。間接照明でぼんやりと照らされ、落ち着ける雰囲気だ。ドア鈴の音を聞いてキッチンから現れた金髪の若い男が、カウンターの向こうで「いらっしゃいませ」と爽やかに笑う。

 カウンターが六席とテーブルが二席。他の客がいないので、テーブル席にした。革のソファーに座ってメニューを開くと、豊富な酒の種類が書き連ねられている。俺はジントニックと、それからつまみとして生タコのカルパッチョを注文した。

 慣れないことをしようとするものじゃないな……そんなことを考えながらちびちび飲んでいると、暇らしい金髪男が話し掛けてきて、他愛ない世間話が続いた。軽薄そうな外見だけれど、話してみると結構しっかりしている男だった。

 もっとも、朝まで持つほど会話が弾むわけもない。半時間が経って、時刻はそろそろ午前一時。帰ろうかと思い始めたとき、ドア鈴が鳴った。

「おはよーっす韋吹いぶきクン」

 這入ってきたのは、髪を緑色に染めてパーマをかけた女性だ。赤色のアイシャドウが印象的に映え、服装はベアトップにジーンズ。口元には冷やかすような笑みを浮かべている。

「うっわガラガラ。きみのバイト代、ちゃんと出んの?」

「終電前は満席なんですよ。鉛さん、こんな時間にしか来ないから」

「あっそう。ジジイは女の子んとこ? あの店主なんとかした方がいいよホント」

 どうやら常連みたいだ。カウンター席に腰掛けて、金髪男の韋吹と親しげに話している。

「ミスロペスの新作、マンゴーだっけ? 入れてくれた?」

「入れてないです」

「はあー? 使えな!」

「メロンとチェリーがありますから。鉛さん好きでしょ」

「お前さあ、あたしのこと舐めてるよな?」

 女性はそこで席を立つと、俺のもとへ近づいてきた。

「ごめんなさい、おひとりで飲まれてるんですか?」

 打って変わって丁寧だ。腰を屈め、少し困ったふうに眉を寄せている。

 近くで見ると、驚くほど綺麗な顔をしていると分かった。

「静かに飲まれてるなら、騒いでたらご迷惑ですよね……?」

「いえ、気にしないでもらっていいですよ」

「そうですか! よかったあ!」

 彼女は口元をほころばせ、元のカウンター席へ引き返していく。

 なんだ、一緒に飲もうと誘われるのかと思って緊張してしまった。

「韋吹クン、メロンでいいから箱で出して。あとトランプ」

「ぼく、今日はもうアルコール入ってんですけど……」

「口答えすんな。自分のことをホストだと思え」

 女性は韋吹とゲームを始めた。勝敗に一喜一憂し、負けた方が小さな瓶を一気飲みするのを繰り返している。気になって眺めていると、女性が振り向いて、片手を口に添えた。

「お兄さん、よかったらご一緒にどうですかあ?」

 誘いが掛かった。別に待っていたわけじゃないけれど……。俺はほとんど残ってないジントニックのグラスを持って立ち上がり、カウンターに向かう。

「あ。いきなり声掛けちゃって、ご迷惑じゃないですか……?」

 また困ったふうに眉を寄せる。先ほどより頬に赤みが差している。

「全然問題ないです。貴女の方こそ、いいんですか?」

「いいですよお。どうぞどうぞ」

 促されて、左隣の席に腰を下ろす。

「わ、お兄さんめちゃイケメンですね?」

「そうですか?」

「え、云われません? 彼女とかいるんですか?」

「いないです」

「よっしゃあチャンス! 韋吹クン、聞いたあ?」

 なんだか嬉しくなる言葉を連発される。

 いや、舞い上がるな。落ち着け……。

「この方、すごいお仕事されてますよ」と韋吹が云う。

「ええ、なんですか?」

 女性が俺の方へ身を乗り出して訊ねる。

「すごいかは分かりませんけど、探偵をしてます」

「探偵! それってあれですか、フィリップ・マーロウ的な?」

「まあ。キャンピングカーが事務所で、各地を回りながら依頼を受けているんです」

「ええ、なにそれ面白い。お兄さん――あ、お名前なんですか?」

「荻尾です」

「へえ。あたし、鉛友餌です。荻尾サン、今おいくつですか?」

「二十一ですね」

「わ、すっご。同い年ですよ」

「そうですか。え、十月に二十二になるけど」

「同じ! あたしは十二月です。ええ、すっごい」

 友餌はスマホを手に取ると「写真、いいですか?」と上目遣いで問う。

 写真? よく分からないが了承すると、ツーショットの意味だった。彼女は俺に身体を寄せ、携帯を持った手を高めに掲げて自分でシャッターを切った。撮れた写真を確認して「わあ、荻尾サン格好良いのに、あたしがブスだあ」と嘆く。

 超美女じゃんと思ったけれど、口には出せなかった。

「せっかくだからその写真、俺ももらえるかな」

「そうですね。えーっと、どうしよ……荻尾サン、〈ヘルメス〉やってる?」

 トントン拍子に〈ヘルメス〉のIDまで交換。その際に俺は、彼女の左手首にリスト・カットの痕があることに気付いた。だからなにということはないが。

「それじゃあ荻尾サン――ゲーム、しましょうか」

 ジャラジャラと、友餌は卓上に散らばった空き瓶を混ぜて音を鳴らした。

 まだ蓋が開いてない瓶もずらりと並んでいる。内容量二十ミリなので、ひとつひとつは掌に乗るほど小さい。目玉がついたメロンがハットを被っている可愛らしいイラストに、Ms.Lopezというポップな字が踊るラベルが特徴的だ。

「ハイ&ロー、分かるよね?」

「分かるよ。やったことはそんなにないけど」

 これは見栄張りで、俺はこういう酒の飲み方は一度もしたことがない。だが友餌と韋吹がやっているのを眺めてルールは把握した。トランプの山から一枚ずつめくっていき、次のカードの数字が前のカードよりも大きいか小さいかを当てるという単純なものだ。

「韋吹クン、シャッフル。順番は時計回りね」

「ぼくは解放されるんじゃないんですか?」

「んなわけねえだろ。あは、人数が増えて嬉しいなあ」

 韋吹がシャッフルを終えたカードを卓上に置き、一枚めくる。スペードの9だ。友餌が期待を込めた眼差しで「荻尾サンから」と俺を見る。

 既に何枚かめくられているならともかく、はじめは単なる確率論だ。俺は「ロー」を宣言したが、カードをめくると結果はジャック。友餌が「ざ~んね~ん」と嬉しそうに云って、俺の正面に小瓶を置いた。

 蓋を開けて、一気にあおる。見た目どおり甘くて、口当たりはよい――が、喉の奥がカーッと熱くなる。アルコール度数の表記は二十九度。

「あーっ、美味しいけど、あんまり馬鹿にできない度数だな!」

「飲むの初めて? ふふ。可愛い顔してちょっぴり凶悪なんだよね。次、韋吹クン」

 しかもこのハイ&ロー。すぐに順番が回ってくる。少なくとも三回に一回は外すので、ほどなくして全員べろんべろんになった。そりゃそうだ。

 しかし友餌はすごく楽しそうで、途中の記憶がほぼ欠落した俺も楽しかったことは憶えている。それからゲーム中の友餌の表情や、発言や、仕草をいくつか。そして朝日がのぼる少し前――別れ際に「また飲みましょうねえ」と云われて、頷いたこと。
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