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【G章:悪魔の私と私の神様】
6「デ于ス・エ区ス・マ木ナ」
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6
戴天京タワーは艶やかな橙色にライトアップされ、星の見えない暗い夜空を突き刺すように聳えている。その頂点を、首が痛くなるくらい見上げなければ視界に捉えられない位置まで、俺と亜愛はやって来た。
大勢の人々で賑わうなか、マウンテンバイクに跨っている女子がいる。直接会うのは戴天京にやって来た六月一日以来、二十九日ぶりだ。
「へい、お二人さん」
相変わらずフットワークの軽そうな佇まいで、片手を上げる犬屋。
「さっきの続きだ。まずは認めろ」
「あー、私が〈悪魔のイケニエ〉だって話のこと?」
「そうだ。〈悪魔のイケニエ〉には関わらないなんて云っておきながらな」
もっとも、自分が構成員だからこそ、組織の不利になる情報は流せなかったのだろうが。
しかし犬屋はまだ首を縦には振らず、腕を組んだ。
「答え方に困るなー。私は微妙な立ち位置なの。メンバーとして所属はしてない」
「協力しているなら同じことだ。俺に催眠を掛けただろ」
「うん。荻尾さんが知ってのとおりだよ。私は探偵小説のオタクだから」
「それが、なにか関係あるのか」
「あるよ。荻尾さんにこの話をするのは何回目だろうね?」
どの話だ。犬屋はさっきの韋吹と違って、本性を露わにするような兆しはない。いつもどおりの低血圧気味な彼女なのに、それがなによりもふざけているように見える。
「探偵小説に登場する探偵は、どうして事件を解決できるんだと思う?」
「さあな。そういうふうに、つくられてるからだろ」
「そうそう! って荻尾さん、睨まないでよ」
「雑談に付き合ってる場合じゃないんだ」
距離を詰める。だが犬屋は飄々として、俺を見上げる。
「じゃあ荻尾さんは、自分がどうして事件を解決できるんだと思う?」
「俺?」
「急いでるみたいだから答えを云うけど、そういうふうに、つくられてるからだよ」
「……なにが云いたい?」
「百世未余子の事件。乱れ☆まいかの事件。〈オケアの巣〉の事件。〈死霊のハラワタ〉西戴天京支部の事件。全部、ただ巻き込んだってだけじゃない。〈悪魔のイケニエ〉は解決までのシナリオをちゃんと用意したうえで、荻尾さんをそれに乗せていたんだよ」
「ああ……?」
駆け巡る。
この一ヶ月間、俺が体験したそれらの事件の顛末が、一挙に。
「はじめから、そのために事件を起こしていたと云ってもいい。たとえば、百世未余子も〈悪魔のイケニエ〉と媚薬の取引をしてた。一方で彼女は、媚薬を使って気持ち良くなれる相手を探してた。そこで、〈えんぜるはあぷ〉でわざと遊丸の後ろに並んで、声を掛けるように云ったの。遊丸が其処へ行くことは、乃野矢リサ経由で仕向けた。二人の関係からして、〈悪魔のイケニエ〉がお膳立てしたんだね。あとは私に勧められた荻尾さんが戴天京に来たら、殺人を実行して、その解決を依頼する。真相を導くために必要な情報はすべて、荻尾さんに提供されるようになってた。事件の関係者だけでそれが難しければ、荻尾さんが頼る先として情報屋の私がいる。これって、まさに探偵小説だよね」
俺は立ち眩みがした。
全部だ。
思い返せば全部の事件が、そんな要領だ。
「現実は探偵小説とは違う。探偵小説に登場するような探偵は、現実には存在しない。なら、同じにすればいい。現実でも、探偵に解決されるように事件をつくればいい。そうすれば私は、この現実で探偵の活躍を楽しむことができるでしょ? それが、私が〈悪魔のイケニエ〉に協力する理由。荻尾さんの活躍は、余すところなく見てるし聞いてるよ。いつも楽しませてくれて、ありがとね」
犬屋は「ふー」と息を吐いて、キャップのつばを持ち上げた。
俺は、頭の中を滅茶苦茶に掻き回されたかのようだ。
「……他の連中も、そうなのか?」
「んー?」
「〈悪魔のイケニエ〉はそんな、探偵小説オタクの集まりなのか?」
そうでなければ、わざわざ手間を掛けて、なぜそんなことをする?
「ずっと、俺に挑戦してるつもりかと思っていた。だが、それなら解決まで誘導することはしない。これじゃあ、俺が接待を受けているみたいなものじゃないか」
「そうだね。ま、実際に動く構成員がどこまで自覚的かは怪しいよ。大体はただの快楽主義者だし。上から指示を受けて、面白そうだからやってるだけじゃない?」
「じゃあ、その上ってのがきみ?」
「違う。私は読者であって、作者じゃない。荻尾さんが戴天京に来てから起きた事件は、すべて茜条斎支部によるものだよ。いま起きている連続殺人もそう。其処のリーダーは、私とは違う動機だろうね。会って話したことがあるけど、天才だよ。茜条斎を任されるくらいだから」
「そいつは誰だ?」
「それを今から、確かめに行くんじゃない?」
右の掌を開いて、俺の眼前に掲げる犬屋。
「義吟ちゃんと鉛友餌も、其処にいる。茜条斎支部の場所は、五万でいいよ」
どうして払わないといけない?
だが時間がないし面倒だ。俺は財布から一万円札を五枚抜いて手渡した。
「いつものやり取り、やってくれないんだね」
「場所を云え」
「〈FURFUR〉が入ってる建物が丸ごとそうだよ」
まさか、そんな大胆な。最初から自分達の拠点に俺を通わせていたとは。
「あと、そっちの立体駐車場の一階に、これが停めてある。だから来てもらったの」
彼女はコーチジャケットのポケットから、キャンピングカーのキーを取り出した。俺は奪い取って、さっさと駐車場の方に向かう。
犬屋は最後に、俺ではなく亜愛に対して云った。
「亜愛ちゃん、今回もよろしくね」
なんのことかは分からない。亜愛も返事をしない。黙って頷いたのかも知れないが、俺はそちらを見ていなかった。
キャンピングカーはすぐに見つけられた。
運転席に乗り込もうとして、後ろから亜愛に「待って」と声を掛けられる。走ったわけではないものの、引きこもりの彼女なので息遣いが荒くなっている。
「ああ、悪い。歩き回るのもここまでだよ。助手席に乗ってくれ」
「そうじゃないの。一度、後ろに這入りましょう」
「どうして?」
「必要なことなの。見せるものがあるわ」
亜愛は後ろのドアを開き、俺に手招きをした。ひどく思い詰めた表情だ。彼女はさっきからずっと、そんな顔をしている。
なにを見せようと云うんだ?
俺が中に這入ると、彼女は奥でベッド下の引き出しを開けている。シャンプーのボトルが大量に収められている中から、なにかを探しているらしい。
「おい、亜愛――」
「央は何度忘れても、必ず真実に到達してしまう。これがなんだか分かる?」
振り返った彼女が手にしているのは一本のロープだ。等間隔に結び目がつくられている。
「自己暗示用のロープじゃないか?」
エミール・クーエが体系化した、ひもによる自己暗示。ひもを手繰りながら、結び目のたびに暗示を唱える。本来は自己の生活の調子を整えることが目的だが、その他にも応用性が高い手法だ。
しかし、俺にはそれと同様のロープをつくった憶えなんてない。
「亜愛がつくったのか?」
「よく見ていて」
彼女は一番端の結び目の両側を持ち、左右に引っ張る。結び目が解ける。そういう結び方をしていたようだ。
「あっ」
口から声が漏れた。亜愛は次の結び目でも同じようにする。
この手順を繰り返して結び目がすべて解けたとき、俺はすべてを思い出していた。
戴天京タワーは艶やかな橙色にライトアップされ、星の見えない暗い夜空を突き刺すように聳えている。その頂点を、首が痛くなるくらい見上げなければ視界に捉えられない位置まで、俺と亜愛はやって来た。
大勢の人々で賑わうなか、マウンテンバイクに跨っている女子がいる。直接会うのは戴天京にやって来た六月一日以来、二十九日ぶりだ。
「へい、お二人さん」
相変わらずフットワークの軽そうな佇まいで、片手を上げる犬屋。
「さっきの続きだ。まずは認めろ」
「あー、私が〈悪魔のイケニエ〉だって話のこと?」
「そうだ。〈悪魔のイケニエ〉には関わらないなんて云っておきながらな」
もっとも、自分が構成員だからこそ、組織の不利になる情報は流せなかったのだろうが。
しかし犬屋はまだ首を縦には振らず、腕を組んだ。
「答え方に困るなー。私は微妙な立ち位置なの。メンバーとして所属はしてない」
「協力しているなら同じことだ。俺に催眠を掛けただろ」
「うん。荻尾さんが知ってのとおりだよ。私は探偵小説のオタクだから」
「それが、なにか関係あるのか」
「あるよ。荻尾さんにこの話をするのは何回目だろうね?」
どの話だ。犬屋はさっきの韋吹と違って、本性を露わにするような兆しはない。いつもどおりの低血圧気味な彼女なのに、それがなによりもふざけているように見える。
「探偵小説に登場する探偵は、どうして事件を解決できるんだと思う?」
「さあな。そういうふうに、つくられてるからだろ」
「そうそう! って荻尾さん、睨まないでよ」
「雑談に付き合ってる場合じゃないんだ」
距離を詰める。だが犬屋は飄々として、俺を見上げる。
「じゃあ荻尾さんは、自分がどうして事件を解決できるんだと思う?」
「俺?」
「急いでるみたいだから答えを云うけど、そういうふうに、つくられてるからだよ」
「……なにが云いたい?」
「百世未余子の事件。乱れ☆まいかの事件。〈オケアの巣〉の事件。〈死霊のハラワタ〉西戴天京支部の事件。全部、ただ巻き込んだってだけじゃない。〈悪魔のイケニエ〉は解決までのシナリオをちゃんと用意したうえで、荻尾さんをそれに乗せていたんだよ」
「ああ……?」
駆け巡る。
この一ヶ月間、俺が体験したそれらの事件の顛末が、一挙に。
「はじめから、そのために事件を起こしていたと云ってもいい。たとえば、百世未余子も〈悪魔のイケニエ〉と媚薬の取引をしてた。一方で彼女は、媚薬を使って気持ち良くなれる相手を探してた。そこで、〈えんぜるはあぷ〉でわざと遊丸の後ろに並んで、声を掛けるように云ったの。遊丸が其処へ行くことは、乃野矢リサ経由で仕向けた。二人の関係からして、〈悪魔のイケニエ〉がお膳立てしたんだね。あとは私に勧められた荻尾さんが戴天京に来たら、殺人を実行して、その解決を依頼する。真相を導くために必要な情報はすべて、荻尾さんに提供されるようになってた。事件の関係者だけでそれが難しければ、荻尾さんが頼る先として情報屋の私がいる。これって、まさに探偵小説だよね」
俺は立ち眩みがした。
全部だ。
思い返せば全部の事件が、そんな要領だ。
「現実は探偵小説とは違う。探偵小説に登場するような探偵は、現実には存在しない。なら、同じにすればいい。現実でも、探偵に解決されるように事件をつくればいい。そうすれば私は、この現実で探偵の活躍を楽しむことができるでしょ? それが、私が〈悪魔のイケニエ〉に協力する理由。荻尾さんの活躍は、余すところなく見てるし聞いてるよ。いつも楽しませてくれて、ありがとね」
犬屋は「ふー」と息を吐いて、キャップのつばを持ち上げた。
俺は、頭の中を滅茶苦茶に掻き回されたかのようだ。
「……他の連中も、そうなのか?」
「んー?」
「〈悪魔のイケニエ〉はそんな、探偵小説オタクの集まりなのか?」
そうでなければ、わざわざ手間を掛けて、なぜそんなことをする?
「ずっと、俺に挑戦してるつもりかと思っていた。だが、それなら解決まで誘導することはしない。これじゃあ、俺が接待を受けているみたいなものじゃないか」
「そうだね。ま、実際に動く構成員がどこまで自覚的かは怪しいよ。大体はただの快楽主義者だし。上から指示を受けて、面白そうだからやってるだけじゃない?」
「じゃあ、その上ってのがきみ?」
「違う。私は読者であって、作者じゃない。荻尾さんが戴天京に来てから起きた事件は、すべて茜条斎支部によるものだよ。いま起きている連続殺人もそう。其処のリーダーは、私とは違う動機だろうね。会って話したことがあるけど、天才だよ。茜条斎を任されるくらいだから」
「そいつは誰だ?」
「それを今から、確かめに行くんじゃない?」
右の掌を開いて、俺の眼前に掲げる犬屋。
「義吟ちゃんと鉛友餌も、其処にいる。茜条斎支部の場所は、五万でいいよ」
どうして払わないといけない?
だが時間がないし面倒だ。俺は財布から一万円札を五枚抜いて手渡した。
「いつものやり取り、やってくれないんだね」
「場所を云え」
「〈FURFUR〉が入ってる建物が丸ごとそうだよ」
まさか、そんな大胆な。最初から自分達の拠点に俺を通わせていたとは。
「あと、そっちの立体駐車場の一階に、これが停めてある。だから来てもらったの」
彼女はコーチジャケットのポケットから、キャンピングカーのキーを取り出した。俺は奪い取って、さっさと駐車場の方に向かう。
犬屋は最後に、俺ではなく亜愛に対して云った。
「亜愛ちゃん、今回もよろしくね」
なんのことかは分からない。亜愛も返事をしない。黙って頷いたのかも知れないが、俺はそちらを見ていなかった。
キャンピングカーはすぐに見つけられた。
運転席に乗り込もうとして、後ろから亜愛に「待って」と声を掛けられる。走ったわけではないものの、引きこもりの彼女なので息遣いが荒くなっている。
「ああ、悪い。歩き回るのもここまでだよ。助手席に乗ってくれ」
「そうじゃないの。一度、後ろに這入りましょう」
「どうして?」
「必要なことなの。見せるものがあるわ」
亜愛は後ろのドアを開き、俺に手招きをした。ひどく思い詰めた表情だ。彼女はさっきからずっと、そんな顔をしている。
なにを見せようと云うんだ?
俺が中に這入ると、彼女は奥でベッド下の引き出しを開けている。シャンプーのボトルが大量に収められている中から、なにかを探しているらしい。
「おい、亜愛――」
「央は何度忘れても、必ず真実に到達してしまう。これがなんだか分かる?」
振り返った彼女が手にしているのは一本のロープだ。等間隔に結び目がつくられている。
「自己暗示用のロープじゃないか?」
エミール・クーエが体系化した、ひもによる自己暗示。ひもを手繰りながら、結び目のたびに暗示を唱える。本来は自己の生活の調子を整えることが目的だが、その他にも応用性が高い手法だ。
しかし、俺にはそれと同様のロープをつくった憶えなんてない。
「亜愛がつくったのか?」
「よく見ていて」
彼女は一番端の結び目の両側を持ち、左右に引っ張る。結び目が解ける。そういう結び方をしていたようだ。
「あっ」
口から声が漏れた。亜愛は次の結び目でも同じようにする。
この手順を繰り返して結び目がすべて解けたとき、俺はすべてを思い出していた。
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