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【G章:悪魔の私と私の神様】
7「The Furfur Chain Saw Massacre」
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7
近くでキャンピングカーを停めて亜愛のことは車内で待たせ、俺はひとりで〈悪魔のイケニエ〉茜条斎支部の拠点にやって来た。一階から六階まで、窓にはカーテンが掛かっており、内部の明かりが一条も漏れていない。
思えば、フルフルというのは悪魔の名前だ。男女の愛を引き起こし、雷や嵐を呼び寄せるとされている。二十六の軍勢を率いる地獄の大伯爵。
建物内に足を踏み入れる。エレベーターのボタンを押すが、なかなか扉が開かない。パネルを見ると、どの数字も光っていない。いつもガコガコと不安な音を立てていたけれど、ついに壊れたのだろうか。
階段を使うことにして、奥にあるスチール製の扉を開けた。そこで俺は、階段の上に横たわっている死体と対面する。知らない女だ。腹に大きな穴が開いて、中身が全部こぼれてしまっている。壁に取り付けられた蒼白い蛍光灯が、それを照らしている。
既になにかが起きて、もしかすると終わっているらしい。
俺はズボンの後ろポケットに仕舞っていた拳銃を手に取る。もとはミヤが持っていたものだ。警察には渡さず、今日までキャンピングカー内の金庫に保管していた。
死体を踏まないようにして、酷いにおいが充満する階段をのぼる。二階の扉が薄く開いて、灯りが洩れている。覗き込むとエレベーターホールで、其処でもひとり身体を縦に裂かれて死んでいた。
さらに別の扉が開きっぱなしとなっていたので這入る。事務所らしき部屋に、やはり複数人の死体が転がっている。頭が潰れたり、上半身と下半身が引き千切れたり、全身が滅茶苦茶に折り曲げられたり。室内にあるデスクや棚は破損し、ひっくり返り、蛍光灯のひとつは天井から外れてコードでぶら下がっている。
また階段に戻ると、上の方から声が掛かった。
「お……ぎお、さん……」
三階へと通じる階段の踊り場に、今度は知っている女が座り込んでいる。暦宇久だ。百世未余子を殺したロビンちゃん。もう必要ないだろうに、マグノリア高校のセーラー服を着ている。ただし血まみれで、左腕があり得ない方向にひん曲がっている。まともな方の右腕で押さえている脇腹はえぐられ、あばら骨がはみ出している。
「これをやったのは義吟か?」
宇久は頷く。口からはヒューヒューと変な呼吸音がしている。
「ダイヤル錠を『666』にしたのか?」
また頷く。本当に馬鹿な奴らだ。
義吟の三桁の番号は、一桁目の6が脳内のCPUとその付随機器、二桁目の6が全身の駆動系、三桁目の6が暴力性の解放に割り当てられている。悪魔の数字『666』を揃えてしまった彼女は制御が効かない。本物の悪魔のように、破壊の限りを尽くす。
「義吟はどこにいる」
これには首を横に振った。まぶたを開けているのも限界みたいだ。こいつはもう助からない。
俺はさらに階段を上がっていく。
三階の部屋は、二階よりも酷い有様だった。まるで嵐が通り過ぎたかのように荒れ果て、壁や床はへこんで亀裂が入っている。蛍光灯がひとつだけ、バチバチと火花を散らしながら明滅を続け、死屍累々の室内を照らしている。
そのなかには、鵜足コムラの死体もあった。残骸と云った方がいいかも知れない。真っ二つになったデスクの上に仰向けとなって残っているのは、胸から上だけだ。その下は骨と肉と機械類がごちゃ混ぜとなった醜いかたまりでしかない。
同じ改造人間でも、義吟を止めることはできなかったようだ。もっとも、この部屋の惨状は二人の戦闘の痕と思われ、それなりにやり合ったことも示している。さぞかし壮絶な光景だっただろう。
いま、建物の中は完全な静寂に支配されている。
夜の歓楽街の喧騒が、外から、遠い世界のことのように聞こえているだけ。
俺は四階と五階はスルーして、六階まで階段を上りきった。エレベーターホールに出ると、〈CLOSE〉の札が掛かった鉄扉が閉じている。それを開いて、中に這入る。
「荻尾クン!」
友餌が手足にガムテープを巻かれて、ソファーの上にいた。白いベアトップが血で汚れているけれど、彼女に怪我はないようだ。誰か別の奴の血を浴びたのだろう。
手前の床には韋吹の死体がうつ伏せで倒れており、しかし首が百八十度曲げられているため顔は天井を向いている。手には拳銃を握っているが、役には立たなかったらしい。
他にも二人が、カウンターと床でそれぞれ惨殺されていた。
「生きているのは、友餌さんだけか」
「うん。そこに倒れてる人の血が掛かって、死んだふりをしたから……荻尾クン、助けに来てくれたの?」
絶望から一転、感激の涙に瞳を光らせて、友餌は俺を仰ぎ見る。
俺は彼女の隣まで行くと、血と汗で濡れた顔をハンカチで拭い、乱れた緑色の髪を指で整えてやる。それから手足のガムテープを、痛くないように慎重に剥がした。
「遅くなってごめんね」
友餌はなにか答えようとして、胸がいっぱいになったようだ。俺に思いきり抱き着いて、わんわんと泣き出した。俺はその頭を撫でて、背中をさする。
そうしていると、どこかでガコン! と音がした。友餌がびくりと跳ね上がる。
耳を澄ませば聞こえる。奇妙な歩調で、階段を上がってくる音。ずるずるとなにかを引きずるような音。まるで焦らすみたいに、だが確実に、近づいてくる。
階下から、俺と友餌――生きている者の声を聞きつけたのだろう。
騒々しい音とともに、店の扉が弾け飛んだ。
現れたのは、全身に返り血を浴びた義吟だ。
表情はない。言葉もない。今の彼女はただの殺戮兵器だ。その視界は俺を捉えたが、ただの破壊対象としてしか認識していないだろう。
「荻尾クン……あ、あの子が、みんなを……」
俺に抱き着いたまま、声を震わせる友餌。歯がカチカチと音を立てている。
義吟はゆっくりと、ぎこちない動きで歩み寄ってくる。すべての制御を開放された彼女はもっと俊敏な動きをするはずだが、コムラとの戦闘で怪我を負ったみたいだ。片足を引きずっているし、一歩進むたびに首がかくんかくんと揺れる。それでも破壊の意思は消えていない。扉が弾け飛んだのを見るに、パワーも弱ってはいない。
「む、無理……逃げられないよ、荻尾クン!」
「そうだね。横を駆け抜けるのは、ちょっと無謀だろう」
店内は狭い。いくら義吟のスピードが遅くなっていても、リーチの範囲内だ。その腕をちょっと薙ぐだけで、俺や友餌の身体はバラバラに飛び散る。
義吟との距離は、もう二メートルもない。
「それ……荻尾クン、ピストル!」
「ああ、これか」
俺が手に持っている拳銃のことを、友餌は云っているようだ。
たしかにこの距離で、この義吟のスピードなら、撃ち抜くことは容易に思える。
「荻尾クン早く! 殺されちゃうよ!」
友餌が俺の身体を揺する。必死の訴えだ。
「なるほど。そういうことか」
「どうしたの? 諦めちゃったの? ねえ!」
義吟は目前まで迫っている。怪物的な力を籠めた右腕が振り上げられる。
俺はなにもしない。拳銃は握っているだけで、どこにも向けたりしない。
「荻尾クン!」
その右腕が俺達に向かって振り下ろされる寸前、
「郷義吟、止まれ!」
友餌が続けて叫んだ。義吟の動きは瞬時にピタリと停止する。
そのまま、動こうとしない。
電源の切れた機械のように。
友餌を見れば、彼女は見開いた両目で俺のことを凝視している。
「どうして、撃たなかったの?」
「支部のリーダーになれば、義吟の制御コードくらいは知っているだろ」
義吟は改造人間なのだ。まったく制御ができないものを造るわけがない。『666』の状態でも、制御コードを音声入力した者の声には必ず従う。
「わざとらしすぎるよ、友餌さん。きみだけが生きていて、俺が駆け付けたタイミングで義吟がやって来て、俺が銃で撃ちさえすれば助かるなんて状況は」
「ねえ、勘違いしないで、荻尾クン。あたしは、聞いただけなの。あたしを攫った人達があの子に云った番号を聞いて、それを使えば止められると思って……」
「もう遅い。殺される寸前まで止めようとしない意味が分からない」
「それは……」
「この状況は、きみが義吟を制御してつくり出したものだろ。これでハッキリした。茜条斎支部のリーダーはきみだ」
この一ヶ月間、俺はずっと筋書きどおりに動かされてきた。
しかし今ようやく、探偵は作者に辿り着いた。
近くでキャンピングカーを停めて亜愛のことは車内で待たせ、俺はひとりで〈悪魔のイケニエ〉茜条斎支部の拠点にやって来た。一階から六階まで、窓にはカーテンが掛かっており、内部の明かりが一条も漏れていない。
思えば、フルフルというのは悪魔の名前だ。男女の愛を引き起こし、雷や嵐を呼び寄せるとされている。二十六の軍勢を率いる地獄の大伯爵。
建物内に足を踏み入れる。エレベーターのボタンを押すが、なかなか扉が開かない。パネルを見ると、どの数字も光っていない。いつもガコガコと不安な音を立てていたけれど、ついに壊れたのだろうか。
階段を使うことにして、奥にあるスチール製の扉を開けた。そこで俺は、階段の上に横たわっている死体と対面する。知らない女だ。腹に大きな穴が開いて、中身が全部こぼれてしまっている。壁に取り付けられた蒼白い蛍光灯が、それを照らしている。
既になにかが起きて、もしかすると終わっているらしい。
俺はズボンの後ろポケットに仕舞っていた拳銃を手に取る。もとはミヤが持っていたものだ。警察には渡さず、今日までキャンピングカー内の金庫に保管していた。
死体を踏まないようにして、酷いにおいが充満する階段をのぼる。二階の扉が薄く開いて、灯りが洩れている。覗き込むとエレベーターホールで、其処でもひとり身体を縦に裂かれて死んでいた。
さらに別の扉が開きっぱなしとなっていたので這入る。事務所らしき部屋に、やはり複数人の死体が転がっている。頭が潰れたり、上半身と下半身が引き千切れたり、全身が滅茶苦茶に折り曲げられたり。室内にあるデスクや棚は破損し、ひっくり返り、蛍光灯のひとつは天井から外れてコードでぶら下がっている。
また階段に戻ると、上の方から声が掛かった。
「お……ぎお、さん……」
三階へと通じる階段の踊り場に、今度は知っている女が座り込んでいる。暦宇久だ。百世未余子を殺したロビンちゃん。もう必要ないだろうに、マグノリア高校のセーラー服を着ている。ただし血まみれで、左腕があり得ない方向にひん曲がっている。まともな方の右腕で押さえている脇腹はえぐられ、あばら骨がはみ出している。
「これをやったのは義吟か?」
宇久は頷く。口からはヒューヒューと変な呼吸音がしている。
「ダイヤル錠を『666』にしたのか?」
また頷く。本当に馬鹿な奴らだ。
義吟の三桁の番号は、一桁目の6が脳内のCPUとその付随機器、二桁目の6が全身の駆動系、三桁目の6が暴力性の解放に割り当てられている。悪魔の数字『666』を揃えてしまった彼女は制御が効かない。本物の悪魔のように、破壊の限りを尽くす。
「義吟はどこにいる」
これには首を横に振った。まぶたを開けているのも限界みたいだ。こいつはもう助からない。
俺はさらに階段を上がっていく。
三階の部屋は、二階よりも酷い有様だった。まるで嵐が通り過ぎたかのように荒れ果て、壁や床はへこんで亀裂が入っている。蛍光灯がひとつだけ、バチバチと火花を散らしながら明滅を続け、死屍累々の室内を照らしている。
そのなかには、鵜足コムラの死体もあった。残骸と云った方がいいかも知れない。真っ二つになったデスクの上に仰向けとなって残っているのは、胸から上だけだ。その下は骨と肉と機械類がごちゃ混ぜとなった醜いかたまりでしかない。
同じ改造人間でも、義吟を止めることはできなかったようだ。もっとも、この部屋の惨状は二人の戦闘の痕と思われ、それなりにやり合ったことも示している。さぞかし壮絶な光景だっただろう。
いま、建物の中は完全な静寂に支配されている。
夜の歓楽街の喧騒が、外から、遠い世界のことのように聞こえているだけ。
俺は四階と五階はスルーして、六階まで階段を上りきった。エレベーターホールに出ると、〈CLOSE〉の札が掛かった鉄扉が閉じている。それを開いて、中に這入る。
「荻尾クン!」
友餌が手足にガムテープを巻かれて、ソファーの上にいた。白いベアトップが血で汚れているけれど、彼女に怪我はないようだ。誰か別の奴の血を浴びたのだろう。
手前の床には韋吹の死体がうつ伏せで倒れており、しかし首が百八十度曲げられているため顔は天井を向いている。手には拳銃を握っているが、役には立たなかったらしい。
他にも二人が、カウンターと床でそれぞれ惨殺されていた。
「生きているのは、友餌さんだけか」
「うん。そこに倒れてる人の血が掛かって、死んだふりをしたから……荻尾クン、助けに来てくれたの?」
絶望から一転、感激の涙に瞳を光らせて、友餌は俺を仰ぎ見る。
俺は彼女の隣まで行くと、血と汗で濡れた顔をハンカチで拭い、乱れた緑色の髪を指で整えてやる。それから手足のガムテープを、痛くないように慎重に剥がした。
「遅くなってごめんね」
友餌はなにか答えようとして、胸がいっぱいになったようだ。俺に思いきり抱き着いて、わんわんと泣き出した。俺はその頭を撫でて、背中をさする。
そうしていると、どこかでガコン! と音がした。友餌がびくりと跳ね上がる。
耳を澄ませば聞こえる。奇妙な歩調で、階段を上がってくる音。ずるずるとなにかを引きずるような音。まるで焦らすみたいに、だが確実に、近づいてくる。
階下から、俺と友餌――生きている者の声を聞きつけたのだろう。
騒々しい音とともに、店の扉が弾け飛んだ。
現れたのは、全身に返り血を浴びた義吟だ。
表情はない。言葉もない。今の彼女はただの殺戮兵器だ。その視界は俺を捉えたが、ただの破壊対象としてしか認識していないだろう。
「荻尾クン……あ、あの子が、みんなを……」
俺に抱き着いたまま、声を震わせる友餌。歯がカチカチと音を立てている。
義吟はゆっくりと、ぎこちない動きで歩み寄ってくる。すべての制御を開放された彼女はもっと俊敏な動きをするはずだが、コムラとの戦闘で怪我を負ったみたいだ。片足を引きずっているし、一歩進むたびに首がかくんかくんと揺れる。それでも破壊の意思は消えていない。扉が弾け飛んだのを見るに、パワーも弱ってはいない。
「む、無理……逃げられないよ、荻尾クン!」
「そうだね。横を駆け抜けるのは、ちょっと無謀だろう」
店内は狭い。いくら義吟のスピードが遅くなっていても、リーチの範囲内だ。その腕をちょっと薙ぐだけで、俺や友餌の身体はバラバラに飛び散る。
義吟との距離は、もう二メートルもない。
「それ……荻尾クン、ピストル!」
「ああ、これか」
俺が手に持っている拳銃のことを、友餌は云っているようだ。
たしかにこの距離で、この義吟のスピードなら、撃ち抜くことは容易に思える。
「荻尾クン早く! 殺されちゃうよ!」
友餌が俺の身体を揺する。必死の訴えだ。
「なるほど。そういうことか」
「どうしたの? 諦めちゃったの? ねえ!」
義吟は目前まで迫っている。怪物的な力を籠めた右腕が振り上げられる。
俺はなにもしない。拳銃は握っているだけで、どこにも向けたりしない。
「荻尾クン!」
その右腕が俺達に向かって振り下ろされる寸前、
「郷義吟、止まれ!」
友餌が続けて叫んだ。義吟の動きは瞬時にピタリと停止する。
そのまま、動こうとしない。
電源の切れた機械のように。
友餌を見れば、彼女は見開いた両目で俺のことを凝視している。
「どうして、撃たなかったの?」
「支部のリーダーになれば、義吟の制御コードくらいは知っているだろ」
義吟は改造人間なのだ。まったく制御ができないものを造るわけがない。『666』の状態でも、制御コードを音声入力した者の声には必ず従う。
「わざとらしすぎるよ、友餌さん。きみだけが生きていて、俺が駆け付けたタイミングで義吟がやって来て、俺が銃で撃ちさえすれば助かるなんて状況は」
「ねえ、勘違いしないで、荻尾クン。あたしは、聞いただけなの。あたしを攫った人達があの子に云った番号を聞いて、それを使えば止められると思って……」
「もう遅い。殺される寸前まで止めようとしない意味が分からない」
「それは……」
「この状況は、きみが義吟を制御してつくり出したものだろ。これでハッキリした。茜条斎支部のリーダーはきみだ」
この一ヶ月間、俺はずっと筋書きどおりに動かされてきた。
しかし今ようやく、探偵は作者に辿り着いた。
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