探偵・渦目摩訶子は明鏡止水

凛野冥

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【鏡の章:バラバラにされた海獣】

9(1)「渦目摩訶子による再解決編/上」

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 時計の針が零時半を指し示す。

 食堂には俺、夕希、林基、稟音、史哲、秋文という顔ぶれが揃えられていた。随分と人数が減ったものだ。瑞羽と圭太は相変わらず倉庫に閉じ込められており、廊下の側から掛けられた錠にも異常はないと確認されている。

 摩訶子は母親の死体が横たわる使用人室をひとりで検めた後、一同の前に姿を現した。目線はしっかりと正面を向き、背筋はピンと伸び、その凛とした佇まいに変化はない。俺の目には少し無理をしているようにも見えたけれど……本来であればそれが当然なのだ……おそらく、気のせいではないと思う。

 一昨日――日付としてはもう一昨昨日さきおとといか――の〈解決編〉と同じ位置に立つと、彼女は深く頭を下げた。

「推理を誤ったこと、謝罪いたします。益美、未春、名草、菜摘を殺害したのは山野部瑞羽でなく、私の母・渦目かしこでありました」

 そして頭を上げる。堂々として、意志の強さが窺える態度。声のトーンこそ下がってはいるが、ネガティブな調子というほどではない。立派なものである。本当に。

「これらは館内から発見されたものです」

 彼女はそう云って、手に提げていたボストンバッグをテーブルの上で逆さにした。バラバラと落ちたのは小さな黒い電子機器の群れだった。俺は、ああ……と納得した。

「盗聴器です。今のところ調べましたのは私が使用している客室、東西の廊下、食堂、娯楽室、使用人室――そのすべてからこれを見つけることができました。皆さんの部屋や他の場所にも洩れなく仕掛けられているでしょう。森蔵の葬儀を執り行うにあたって皆さんが館に集う以前からあったと見て間違いありません。椅子やテーブルの下部、絵画が収められた額縁や衣装箪笥の裏、壁につけられた装飾の隙間、花瓶の中、通風孔――いずれも盗聴器と分かって探さなければまず見ることのない箇所です。何度か行われた館内の調査は身を潜めている人間を探してのものでしたから、このような箇所に注意が払われなかったのも仕方ありません。

 これら大量の盗聴器が拾う音声を自由に切り替えて聞ける受信装置は、使用人室にある化粧台の三面鏡を開いた中から発見できました。音声はすべて録音までされており、好きな場所の好きな時間のそれを後から確認することも可能なようです。今、簡単に確かめてまいりました。若干くぐもってはいるものの、会話を聞き取るには問題ありません。

 もう皆さんお分かりでしょう。そのノンフィクション推理小説『渦目摩訶子は明鏡止水』は、これらの機器を活用して書かれたのです」

 くだんの原稿もテーブルの上に置いてある。これについては俺が先程、林基たちに説明をした。分からないことだらけで、説明にはなっていなかったかも知れないが。

 しかし、そうだ、俺でも摩訶子でもない人物がこんなものを書いたなら、盗聴器でも使わなければ無理だったじゃないか。どうして俺は思い付かなかったのだろう……不可解な事象があまりに多く、頭の中でこんがらがっていたせいか……。

「裏を返せば『渦目摩訶子は明鏡止水』を執筆するためにこそ、あらかじめ盗聴器が仕掛けられたのだと云えます。いくら館の家事はかしこがすべて請け負っていたとはいえ、これらが長年、誰にも気付かれずに設置され続けていたとは考えにくいでしょう――住人たちの会話を盗み聞くことがこの使用人の常からの愉しみだったというわけではないのです。それは盗聴器が客室などにも例外なく仕掛けられていた事実からも補強されます。

 であるのなら、かしこは今回、殺人事件が起きることを知っていたのだという推測が立ちますね。少なくとも益美の死体が発見されて以降は、盗聴器を全部屋に仕掛けて回れるような隙はありませんでしたし、そもそも盗聴器は事前に外で買い揃えておく必要があります。したがって、彼女は事件が起きてから執筆を思い立ったのではない。そして事件を予見し得た理由につきましては、彼女こそが犯人だったからと考える他ありません――つい先程、そう考える他なくなったのです。

 かしこは三酸化二砒素を用いて服毒自殺しました。遺書の字は本人のものであり、現場の様子からも偽装の形跡は見られません。遺書に記されていたのは父と母と娘への謝罪です。もし彼女が単に〈あみだくじの殺人〉を小説化したのみであったなら、どうしてこのような結末に至るでしょうか?

 犯人は彼女です。瑞羽ではありません。もっとも、瑞羽は意図されたスケープゴートであり、私が彼女を犯人と推理したのもまた、かしこのシナリオに乗せられてのことでありました。かしこがなぜこのような事件を起こしたのか、その説明に入りましょう」

 残酷だと、俺は思う。自分の母親が人を殺した理由を、被害者の遺族の前で説明しなければならないなんて。探偵とは事実に忠実なもの――それがどんな事実であろうとも――しかし摩訶子に、そこまでの責任があるのか?

 まだ高校生。俺と同い年。彼女が闘っている姿から、俺は自分の無力を痛感する。助手なのに――助手を任されているのに、俺は彼女のために何もしてやることができない。

 ただ、その口から語られる真相を聞くだけのことしか。

「これほどの連続殺人をやったのですから、かしこが山野部家に好意を持っていなかったのは明白です。二十年ほどの奉公は、彼女に愛着や忠誠心でなく軽蔑や嫌悪、ともすれば憎悪を募らせるものだったのでしょう。そのことが彼女を此度の殺人に踏み切らせた理由の、決して小さくないひとつであったはずだとは断っておきます。はじめの段階ではこれが第一だったかも知れません。

 しかし彼女の目的、少なくともここで最も重要なそれは別にありました。結論から申しますと、彼女は娘であるこの私、渦目摩訶子を探偵として活躍させたかったのです。

 森蔵の葬儀に山野部家の血族とそれから私がやって来ることは事前に分かっていました。そして其処で殺人事件が起これば、探偵をしている私が解決に乗り出すことになるとも充分に予想できました。しかも警察などは登場せず解決が私ひとりにゆだねられるだろうとは、稟音などの性格からその公算が大きいですし、さらに館がクローズド・サークルにでもなればほぼ間違いない――ゆえに一日目の晩の吹雪の様子を見て皆が連泊することになるのを確信したかしこは、いよいよ吹雪が強くなり館が完全に外部と遮断される二日目の晩まで実行を待ったのでしょう。

〈あみだくじの殺人〉は私を〈探偵役〉に、そして瑞羽を〈犯人役〉にえて組まれたシナリオでした。かしこは私に解かせるための〈真相〉を設定し、そのために家系図などの〈伏線〉を配置し、殺人にあたっては少なくとも瑞羽にはアリバイが成立しないタイミングを盗聴器などを活用しながら狙いました。また当初の予定では、かしこは木葉の殺害まで自ら行うつもりであったと考えられます。実際にはあみだくじの意図に気付いた瑞羽当人が木葉を殺害しに行きましたが、これはかしこにとっても予想外であり、私がその現場を押さえたこととも相まって、結果からすれば理想的とも云える嬉しい誤算だったのではないでしょうか。

 ちなみに盗聴器を使えば、かしこには益美がひとりで風呂に入っていることなども知れたはずですね――九時半には調理室で皿洗いをしていたというかしこの証言には証人がいませんし、まだ探していませんけれどリアルタイムで盗聴するぶんには携帯もできるサイズの小型受信機を所持していたかも知れません。ともかく盗聴器は犯行そのものにおいても極めて実用的だったと云えます。

 さぞかし容易な犯行だったでしょう。使用人とはその家の事情に精通していながら、館内のどこで目撃されようと基本的に不自然には映らず、誰も気に留めたり警戒したりすることがない、いわば端役なのですから。〈ヴァン・ダインの二十則〉でも禁じられているように、この手の殺人事件で使用人ほど便利な立場はありませんよ」

 塗り替えられていく真相。脳が痺れているような感覚がする。

 瑞羽を犯人とする〈解決編〉はあの時点では完璧なように思われた――事件はこれ以上ないくらいに終わったと感じた。だがそれは真犯人・かしこによって仕組まれていた偽の真相であり、本物の真相が裏に隠されていた。あるいは高位か……いつかの摩訶子の言を思い出す……低い位置にいる者には、それよりも高い位置から臨む景色を見られるわけがないのだ。そしてその景色を拝むことは、決して幸福なばかりではない……。
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