月の神に寵愛されし私を追放? 本当によろしいのですか? 〜聖女は神の古城で愛される〜

柴野

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前編

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 ――『月の聖女』。

 日が暮れてから夜が明けるまでの間祈り続け、二大神のうちの一柱、月の神マーニーの力を地上へ届けるのがその役目だ。
 今代の『月の聖女』は私。たとえ月の見えない新月の夜でもひたすらに手を合わせ、誰にも感謝されないながらも精一杯務めを果たしてきたのに。

「ドロレス・ヘルキャット! お前は『陽の聖女』に悪虐非道の限りを尽くしたそうだな。そのような者を傍に置き続けるなど考えるだけでもおぞましい。よって、お前との婚約を破棄する!」

 パーティーの真っ最中、私を睨みつけながらそう言い放ったのはこの国の王太子であり私の婚約者――いや、たった今までそうだったコーネリアス殿下。
 彼は私ではない女性をエスコートしている。陽光を思わせる柔らかな金髪に、美しい蒼穹の瞳。輝かんばかりの純白のドレスを纏ったその令嬢は、皆に広く知られる『陽の聖女』だった。

 この国で王家の次に力を持つ筆頭公爵家の令嬢。誰もに傅かれながら何不自由なく過ごしてきたであろう彼女は、笑顔だけで人々を虜にするほどの魅力があった。

 けれどそれにしたって、何をしても許されるということではないと思う。

「婚約破棄ですか。この婚約は王命で結ばれたものであったはずですが」

 十歳の頃、子爵夫妻であった両親を馬車事故で失って身寄りをなくした。
 『月の聖女』である私がどこかの貴族家に養女として入るのは、色々と政治的に都合が悪い。それならいっそのこと王太子の婚約者にしてしまえと、そういう理由で成った婚約だった。

 宵闇色の髪と漆黒の瞳。『月の聖女』の衣装である闇夜を思わせるドレスを纏っている黒づくめな私は、王太子妃として見栄えが悪かったのかも知れない。

 それでもこの七年間、妃になるべく覚悟を決めていたし、それなりに努力もしていた。
 それを今更なかったことにするどころか、正面から破り捨てようだなんて信じられない。しかも私は『陽の聖女』にひどい仕打ちなど一切していないのだし。

 しかし。

「次期国王であるわたしの決定は、王命に等しい。醜い言い逃れはするな!」

 コーネリアス殿下にはどうやら何を言っても無駄らしかった。

「ドロレス、謝ってくれるならワタクシ、あなたを許せると思うの。だって人には誰しも間違いはあるでしょう?」

 さもいいことを言っているかのような顔で、『陽の聖女』――ヘレン・チャーチル様が言う。
 彼女は私の真逆で、昼間にのみ力を現す、陽の女神に愛された存在。

 だがどうやら陽の女神様は見る目がないようだ。
 それともわざと彼女の本性を知り、その上で選んだのだとすれば余程悪質だが。

「ヘレン様。私はそのようなことはしておりません。月の神マーニーに誓って」

 けれど、王太子コーネリアス殿下は、さらに私へ言いがかりをつけてきた。

「ヘレン嬢から前々より話は聞いていたのだ。陽の女神ソールーが、お前を闇の力を持つ魔女だと言っていたとな。そしてこの度の悪行の数々でそれが明らかになった」

「魔女? 悪行? あなたがたは一体、何をおっしゃっているのですか」

「何度も何度もヘレン嬢を暗殺しようとしたことに決まっているだろう。目撃者は大勢いるのだから否定しても無駄だぞ。『月の聖女』を騙り、『陽の聖女』を亡き者にしようとした悪女め」

 そして、宣言される。

「二度とヘレン嬢に近づけぬよう、お前を国外追放処分とする!」

「……残念だわ、ドロレス。話せばわかり合えることもあったと思ったのに」

 自分の行いが正しいと信じて疑わないコーネリアス殿下。うっすらと涙を滲ませ悲しそうに顔を歪めながら、しかし腹の中では私を嘲笑っているに違いないヘレン様。
 ああ、この二人はいつもそうだった。

 コーネリアス殿下は私のことを何もしない無能聖女だと思い込んでいる。
 満月の夜のみ『月の神』と言葉を交わしてひっそりこっそり国を守る『月の聖女』を、ヘレン様はずっとずっと馬鹿にしていた。

 別に何を言われてもいいからと、放置していたのだけれど。
 まさか追放されることになるなんて。

「月の神に寵愛されし私を追放? 本当によろしいのですか?」

「構うものか、即刻出て行け!」

 その言葉に正気を疑う。
 どうして『月の聖女』が必要なのか、考えたこともないのだろうか。『陽の聖女』が健在な時はいつも『月の聖女』も同時にいるからこそ、平穏は保たれていたというのに。

 だが、さすがにそこまで言うのならお望み通り出て行ってやろうという気持ちも湧いてくる。
 あとで彼らが、そしてこの国がどうなろうと私の知ったことではないのだし――。

「承知しました。ですが一言だけ。私は魔女などではありません。マーニーは『月の聖女』を貶めたあなたがたに失望し見捨てるでしょう、と」

 忠告はした。これ以上はもう、関わらない。
 コーネリアス殿下の指示で私の両脇に衛兵がずらりと並び、抑えられる。抵抗はしない。むしろ笑顔で美しく退場してやろう。

「さようなら、お二人とも。どうか後悔なさってくださいね」

 コーネリアス殿下はただひたすら私を侮蔑の目で見つめ、ヘレン様を庇うようにするばかりで何も答えない。
 それが彼との、生涯の別れとなった。



 馬車に揺られ、国境の向こうへと送り届けられる。
 身一つで放り出された私は、ヒールを脱ぎ捨て生足ですたすたと歩き、とある地を目指していた。

 この世界は複数の国がそれぞれ分け合い、または奪い合ってほとんどの土地を治めているが、唯一どこの国にも属さない場所がある。
 普通の人間では到底登れない、想像を絶するほどの高山。人々はそこを聖地と呼んでいる。

 はもしも私に困りごとがあれば頂へ来るようにと言っていた。

 放り出された先、名も知らぬ国の国境を跨いで聖地の麓に着くと、休むことなく山へ踏み入る。
 神の加護を受ける私は肉体的な疲れを知らない。急な斜面を行き、岩肌をよじ登ってもなお、進み続けた。

「さすが聖地。険しい道のりですね。よいしょ、よいしょっ……と」

 さて、一体どれほどの時間が経っただろう。
 陽が昇り、沈んで、夜になるのを三度くらいは見た気がする。そしてとある夜更け、私はとうとう開けた場所に出た。

 そこに広がっていたのは、夜空の頂点に輝く半月に照らされた幻想的な風景。
 一体何年前に建てられたのか知れない、蔦の絡まる古城が堂々と私を待ち構えていた。

「綺麗……」

 王城の方が大きいが、こちらの方がずっと美しい。

 両開きになった城の門の左側に陽の紋様が、右側には月の紋様が施されている。
 それを見た私が迷わず右の紋様に手をかざすと、ギィィと軋んで音を立てながら門が自然に開いた。

 城の中はがらんとしているのに、神聖な空気が漂っていて不思議と少しも恐ろしくは思わなかった。むしろかつてないほどに心が安らいで感じるのは、きっと私が『月の聖女』だからだろう。

 ひたひたと私の足音が響く。廊下をただひたすらまっすぐ突き進み、中央のホールへ。
 ステンドグラスの天井から降り注ぐ月光。それを全身に浴びる。

 ――その瞬間、の声が聞こえてきた。

『待っていたよ、ドロレス。今君の前に姿を現そう』

 途端に私の目の前が輝き出し、光の粒が人型を作っていく。
 そして光が晴れたあと、立っていたのは一人の青年だった。

 神秘的な白髪に輝く銀色の瞳、月の紋様が刻まれた薄黄色の衣装。
 まるで夢のように美しい彼の名を、私は知っている。銅像という形で常に見ていたし、月に一度、その声を聞いていたから。

「マーニー……!」
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