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第三話 翌朝
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わたくしは寝起きに弱い。
翌朝、陽がすっかり昇りきった昼前になってようやく目を覚ますと、遠くに長椅子にもたれかかるようにしてこちらを見ているヒューパート様の姿があって首を傾げる。
どうして彼がわたくしの部屋にいるのだろう、と。
「遅過ぎるぞ、ジェシカ。侍女を呼んできてやるから早く着替えろっ」
当然のようにおはようの一言さえなく、なぜか怒りに顔を赤くし、激しく足音を立てながらヒューパート様が部屋を出て行ってしまった。それからやっと、彼の元に嫁いで自分が皇太子妃になったことを思い出す。
「それにしてもどうしてヒューパート様はあれほど怒っていらっしゃったのでしょう。眠っている間にわたくしが不敬な行いをしてしまったのかしら」
けれどヒューパート様が些細な事象で怒るのはいつものこととも言えるので、あまり気にしないことにした。
さて、そんなことを考えながらベッドの上で体を起こしているうちにドアがノックされ、侍女がやって来る。
背が高めなわたくしより頭二つ分ほど低身長の、薄青の髪に柔らかな黄色の瞳の少女だった。
「――おはようございます、ジェシカ様。本日よりジェシカ様の専属侍女として仕えさせていただきますクロエ・ミューアと申します」
礼儀正しく頭を下げる侍女に、わたくしはつられて背筋を正し、「よろしくお願いしますわね」と微笑みかけた。
ミューア家といえば確か、地方にある伯爵家の名である。
所作からはきちんと教育を受けているのがわかって、安心する。ヒューパート様が嫌がらせでろくでもない侍女をつけたらどうしようかと思っていたが杞憂だったようだ。
「では、早速お着替えを手伝わせていただきます」
そう言いながらわたくしから初夜の衣装を剥がすように脱がせるクロエ。しかし言葉の途中で一瞬だけ彼女の視線がベッドのシーツへ向けられたことに気づき、わたくしはその方に目をやった。
そこにあったのは、少し乾いて変色しつつある血の跡。
まるで本当に初夜を行ったかのような痕跡に、わたくしは目を見張る。
けれど昨晩わたくしと彼はそういう行為を一切しなかった。
これは白い結婚で、だからこそ同じベッドで眠っていなかったのだから、それは確かだ。
まさか、ヒューパート様がわざわざ、事前にわずかな血液を用意しておいてわたくしの就寝後にベッドへ垂らした? それとも指をナイフで傷つけるなどして出血させたのだろうか。
昨晩はそこまで考えが至らなかったが、確かに血の跡がなければ怪しまれるのは必至。ヒューパート様にほんの少しだけ感謝した。
クロエがゆるりと裾の広がった若草色のドレスを着せていく。
簡単に髪を結い、薄く化粧を施せば、支度は簡単に済む。その間に夜のことについてクロエに訊かれることは最後までなかった。
「朝食ができておりますのでお運びしますね」
「……食堂へ向かうのではなく?」
「ジェシカ様はお身体がおつらいでしょう。ここでごゆっくりなさってください」
確かに初夜の後はつらいものだと聞いたことがある。それに配慮してのことだろう。
「ありがとう」
当たり前だが体調はまったくもっていつも通りだったけれど、わたくしは部屋で食事を摂ることになった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
朝食はたいへん美味しかった。嫌がらせで毒などは入れられていないようで、体調を崩すこともない。
その後、午前中は読書をして過ごした。どこへ行ったのか、ヒューパート様は全く戻ってこなかった。
そして午後。
一日中部屋にこもっているのも暇なので、もう体調が良くなったと言って、クロエに部屋を出て城の中を案内してもらった。
「こちらが衣装室。そしてこちらは王族の方々の職務室です。あちらが食堂、居間……」
城は三階建てで、東棟と西棟の二つに分かれている。わたくしたちの部屋や食堂があるのが東側、ホール等が西側だ。
ここ一年、妃教育で幾度も通った王城だけれど、いつも行っていたのは西棟なので東棟には一度も足を踏み入れたことがなかった。それに昨晩は披露宴の後は夜着への着替えに大忙しでまともに見る余裕がなく、知らない場所ばかりだった。
城は鮮やかで幻想的、とても美しく彩られている。二年限りとはいえここで暮らすのだと思うと少しばかり胸が弾んだ。
――たとえ大嫌いなヒューパート様の妻としてだったとしても。
東棟を出ればそこに広がるのは芳しい薔薇の咲き乱れる庭園だ。
庭園を横切った先にある西棟へ向かおうとし――わたくしはふと足を止めた。
「クロエ、少し失礼してよろしいかしら」
「どうしました?」
「いえ、大したことではないのですけれど……」
そう言いながら薔薇の茂みの中を突き進み、そこでうずくまる男へ声をかける。
「ヒューパート様」
男――皇太子でありわたくしの仮初の夫のヒューパート様が顔を上げ、ギョッとした様子でわたくしを見つめる。
だがすぐに冷たい声で言った。
「お前、どうして私の居場所がわかった?」
「薔薇の花の中に赤い双眸を見つけてしまったものですから。隠れ忍んでいるおつもりでしたら申し訳ございません」
「それは私への嫌味か」
もちろん嫌味だったが、すぐ近くにクロエがいるので頷くのは躊躇われた。
代わりに小声で問いかける。
「どうしてわたくしを監視なさっていらっしゃいましたの?」
「な、何か怪しげなことをしないか否かをこの目で見届けたかったのだ。決してお前が心配だったからではないぞ!」
当然のことをわざわざ声高に言わなくても。
心配しているなら真正面から言えばいいのだ。こそこそしている時点でわたくしを疑っているのは確実。
しかしこの程度のことには慣れている。胸の中に湧き上がる嫌悪感を淑女の笑みの中に容易く押し隠した。
「ご心配には及びませんわ。クロエにでも監視を任せればよろしいのです。ヒューパート様はお忙しいでしょう?」
「……ぐっ」
なんだか一瞬ヒューパート様が嫌そうな顔をしたが、すぐに「そうだな」と言って足早に庭園を去っていく。
その一部始終を見て――幸い何を話していたかは聞こえなかったらしい――クロエが首を傾げ、わたくしに何があったのかと尋ねてきたか、適当に誤魔化しておいた。
結婚翌日から早速これでは、先が思いやられますわねと思いながら。
翌朝、陽がすっかり昇りきった昼前になってようやく目を覚ますと、遠くに長椅子にもたれかかるようにしてこちらを見ているヒューパート様の姿があって首を傾げる。
どうして彼がわたくしの部屋にいるのだろう、と。
「遅過ぎるぞ、ジェシカ。侍女を呼んできてやるから早く着替えろっ」
当然のようにおはようの一言さえなく、なぜか怒りに顔を赤くし、激しく足音を立てながらヒューパート様が部屋を出て行ってしまった。それからやっと、彼の元に嫁いで自分が皇太子妃になったことを思い出す。
「それにしてもどうしてヒューパート様はあれほど怒っていらっしゃったのでしょう。眠っている間にわたくしが不敬な行いをしてしまったのかしら」
けれどヒューパート様が些細な事象で怒るのはいつものこととも言えるので、あまり気にしないことにした。
さて、そんなことを考えながらベッドの上で体を起こしているうちにドアがノックされ、侍女がやって来る。
背が高めなわたくしより頭二つ分ほど低身長の、薄青の髪に柔らかな黄色の瞳の少女だった。
「――おはようございます、ジェシカ様。本日よりジェシカ様の専属侍女として仕えさせていただきますクロエ・ミューアと申します」
礼儀正しく頭を下げる侍女に、わたくしはつられて背筋を正し、「よろしくお願いしますわね」と微笑みかけた。
ミューア家といえば確か、地方にある伯爵家の名である。
所作からはきちんと教育を受けているのがわかって、安心する。ヒューパート様が嫌がらせでろくでもない侍女をつけたらどうしようかと思っていたが杞憂だったようだ。
「では、早速お着替えを手伝わせていただきます」
そう言いながらわたくしから初夜の衣装を剥がすように脱がせるクロエ。しかし言葉の途中で一瞬だけ彼女の視線がベッドのシーツへ向けられたことに気づき、わたくしはその方に目をやった。
そこにあったのは、少し乾いて変色しつつある血の跡。
まるで本当に初夜を行ったかのような痕跡に、わたくしは目を見張る。
けれど昨晩わたくしと彼はそういう行為を一切しなかった。
これは白い結婚で、だからこそ同じベッドで眠っていなかったのだから、それは確かだ。
まさか、ヒューパート様がわざわざ、事前にわずかな血液を用意しておいてわたくしの就寝後にベッドへ垂らした? それとも指をナイフで傷つけるなどして出血させたのだろうか。
昨晩はそこまで考えが至らなかったが、確かに血の跡がなければ怪しまれるのは必至。ヒューパート様にほんの少しだけ感謝した。
クロエがゆるりと裾の広がった若草色のドレスを着せていく。
簡単に髪を結い、薄く化粧を施せば、支度は簡単に済む。その間に夜のことについてクロエに訊かれることは最後までなかった。
「朝食ができておりますのでお運びしますね」
「……食堂へ向かうのではなく?」
「ジェシカ様はお身体がおつらいでしょう。ここでごゆっくりなさってください」
確かに初夜の後はつらいものだと聞いたことがある。それに配慮してのことだろう。
「ありがとう」
当たり前だが体調はまったくもっていつも通りだったけれど、わたくしは部屋で食事を摂ることになった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
朝食はたいへん美味しかった。嫌がらせで毒などは入れられていないようで、体調を崩すこともない。
その後、午前中は読書をして過ごした。どこへ行ったのか、ヒューパート様は全く戻ってこなかった。
そして午後。
一日中部屋にこもっているのも暇なので、もう体調が良くなったと言って、クロエに部屋を出て城の中を案内してもらった。
「こちらが衣装室。そしてこちらは王族の方々の職務室です。あちらが食堂、居間……」
城は三階建てで、東棟と西棟の二つに分かれている。わたくしたちの部屋や食堂があるのが東側、ホール等が西側だ。
ここ一年、妃教育で幾度も通った王城だけれど、いつも行っていたのは西棟なので東棟には一度も足を踏み入れたことがなかった。それに昨晩は披露宴の後は夜着への着替えに大忙しでまともに見る余裕がなく、知らない場所ばかりだった。
城は鮮やかで幻想的、とても美しく彩られている。二年限りとはいえここで暮らすのだと思うと少しばかり胸が弾んだ。
――たとえ大嫌いなヒューパート様の妻としてだったとしても。
東棟を出ればそこに広がるのは芳しい薔薇の咲き乱れる庭園だ。
庭園を横切った先にある西棟へ向かおうとし――わたくしはふと足を止めた。
「クロエ、少し失礼してよろしいかしら」
「どうしました?」
「いえ、大したことではないのですけれど……」
そう言いながら薔薇の茂みの中を突き進み、そこでうずくまる男へ声をかける。
「ヒューパート様」
男――皇太子でありわたくしの仮初の夫のヒューパート様が顔を上げ、ギョッとした様子でわたくしを見つめる。
だがすぐに冷たい声で言った。
「お前、どうして私の居場所がわかった?」
「薔薇の花の中に赤い双眸を見つけてしまったものですから。隠れ忍んでいるおつもりでしたら申し訳ございません」
「それは私への嫌味か」
もちろん嫌味だったが、すぐ近くにクロエがいるので頷くのは躊躇われた。
代わりに小声で問いかける。
「どうしてわたくしを監視なさっていらっしゃいましたの?」
「な、何か怪しげなことをしないか否かをこの目で見届けたかったのだ。決してお前が心配だったからではないぞ!」
当然のことをわざわざ声高に言わなくても。
心配しているなら真正面から言えばいいのだ。こそこそしている時点でわたくしを疑っているのは確実。
しかしこの程度のことには慣れている。胸の中に湧き上がる嫌悪感を淑女の笑みの中に容易く押し隠した。
「ご心配には及びませんわ。クロエにでも監視を任せればよろしいのです。ヒューパート様はお忙しいでしょう?」
「……ぐっ」
なんだか一瞬ヒューパート様が嫌そうな顔をしたが、すぐに「そうだな」と言って足早に庭園を去っていく。
その一部始終を見て――幸い何を話していたかは聞こえなかったらしい――クロエが首を傾げ、わたくしに何があったのかと尋ねてきたか、適当に誤魔化しておいた。
結婚翌日から早速これでは、先が思いやられますわねと思いながら。
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