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第1章 その世界は天国(ジゴク)でした

第6話 新たなる火種

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 その日の放課後。
 俺はひとり、机に片肘ついてぼんやりと窓から夕焼けを眺めていた。
 このやり方で、果たして正しかったのだろうか……。
 確かに茜の貞操を守るという意味では、他に方法が思い浮かばなかったのでやむを得まい。
 だが。
 なにか、大事なことを見落としている気がしてならない。

「おい、晴人」

 声を掛けられて振り返ると、そこには健太の姿があった。

「おまえ、帰らねえの?」
「ああ、茜の部活が終わるのを待ってるんだ」

 そう、俺はこれから毎日、茜の登下校にぴったり付き添うと決めたのだ。
 俺の作戦により、しばらくの間、学校では茜が男子から誘われることはないであろう。
 だが、行き帰りの道すがらは危険に満ち溢れている。
 どこぞの他校生やらサラリーマンやらが、誘ってくるとも限らない。
 俺は茜に張り付いて、近づく男どもを排除する騎士ナイトとなるのだ。
 だが、そんなことを健太が知るはずもない。

「なんで茜ちゃんを?……ああ、怪我させたから責任感じて送ってくのか」
「まあ……そんなところだ」
「しかし、驚いたよ」
「なにが?」
「おまえのアレが、そんなにデカいなんて……」

 健太がしげしげと俺の股間を見つめてくる。

「今までどうしてたんだよ、スル時」
「いや、それは……」

 俺は必死に理由を考える。

「……実は俺、大きくしたり小さくしたりする特殊なスキルを持ってるんだ」

 やっと出てきたのは、あまりにバカバカしいデマカセだ。
 だが健太は素直に信じたのか、へえーと感心したように頷いた。
 まずい。こんなこと言ってると、俺に関してとんでもない噂が飛び交いかねない。
 なんとか話題を変えないと。

「ところで健太は、草野彩夏とはシタのか? おまえにとってのセクシーアイドルだろ?」
「いや、それは……」
「なんだ、どうした?」
「だって好きな相手は、そういう対象で見れないし」

 ふーん、そういうものか。
 茜にシタいって言ったら怒ったのと、同じ理屈なんだな。
 なんとなく納得したその時、教室の入口から大声がした。

「あ、ここにいた!」

 見ると彩夏だ。
 彩夏は全身汗だくで、はあはあと息を荒げながらこっちを睨んでいる。

「もう! 学校中、探してたんだからねっ!」
「え、俺を?」

 ちょっと声を弾ませながら自分を指差す健太。

「キミじゃない、青空くんよ!」
「は、俺?」

 あっけにとられる俺に、彩夏はつかつかと歩み寄ってきた。
 そして腕組みをしながら、強烈な怒りに満ちた目を俺に向ける。

「親友の茜に、酷いことしたでしょ!」
「あ。いや、それは……」
「ホント、許せないっ!」
「……ごめんなさい」
「だから、ちょっと顔かしなさいよ!」
「はっ?」

 校舎の裏で、リンチでもしようってのだろうか。
 いやいや彩夏は、そんなヤンキー体質じゃなかったはず。

「えっと、どこに?」
「わからないかなあ。ベッドルームによ!」

 彩夏はイライラした様子で、とんでもないことを言いだした。

「アンタのアレがどんなもんか、調べさせてもらうからっ!」
「え、調べるって……なんで?」
「ああ、もうっ!!」

 地団駄を踏む彩夏の顔は、なぜかぽっと赤らんでいるように見える。

「そんな話聞くと、試しにシテみたくなっちゃうでしょうがっ!」
「ええっ!?」
「誘ってんのよ! そのくらい、察しなさいよ!」

 とんでもない事態に遭遇した。

「い、いや。ちょっと待て。俺のアレは危険だってさっき説明したでしょうが!」

 黙って様子をうかがっていた健太が、よりによって余計な口を挟む。

「でも、大きくしたり小さくしたりする特殊なスキルがあるんだろ?」
「ちょ、ちょっと健太。それを言うな……」

 彩夏は驚いたように、口をあんぐり開けた。

「まあ、そんなスキルも。それを聞いてますます興味が湧いたわ。さあ、立って!」

 そう言いながら無理やり俺の腕を引っ張り上げて、席から立たせようとする。

「い、いや。俺、茜を傷つけてしまったことで……そう、今はアレに関してトラウマになってるんだ。スルのは無理だって……」
「そんなトラウマ、私が一発で直してあげる」
「一発でって」
「これは親友を傷つけたアンタに対する……そう、いわば復讐なの! つべこべ言わずに付き合いなさいよ!」

 彩夏は力ずくで俺を立たせると、廊下へと腕を引っ張っていく。
 今や貞操の危機は、俺のほうだった。

「待って……」
「うるさい、黙って来なさいよ!」

 必死に抵抗したが、彩夏の力は思いのほか強く、ずるずると廊下のほうへと引きずられていく。
 
 と、その時。

 開いた扉から、茜が教室に入って来た。
 吹奏楽部の部活が終わったのか、手にはクラリネットケースを持っている。
 茜は俺と彩夏の様子を見て驚いたようだった。

「なに……してるの?」

 彩夏は掴んでいた俺の腕を放すと、茜に駆け寄る。

「茜! 具合はどう? 病院、行かなくていいの!?」
「え……うん、その、大丈夫だから」
「茜を傷つけるなんて、全く青空って酷いヤツだよねっ!」
「ああ、そ、そうね」
「これから私が、懲らしめてやるからっ!」
「懲らしめるって、どういうふうに?」
「目には目を。アレにはアレよっ!」

 茜は、呆然と立ちすくむ俺に目を向けた。

「彩夏がそう言ってるけど、どうする?」

 俺は、ぶんぶんと首を横に振る。

「なんか、彼は嫌がってるみたいだけど?」
「はあ? それって、モラル的におかしいじゃない!」
「とにかく彩夏、落ち着いて」

 茜はケースを机に置くと、彩夏の両肩にそっと手を添えた。

「彩夏の気持ちは嬉しいけど……復讐のためにスルっていうのは、間違ってるんじゃないかな?」
「うっ」
「所詮、アレって単なる生理現象でスルもんでしょ?」
「ま、まあ、そうね」
「こんなことしても意味ないじゃない? 私だって嬉しくないよ」

 茜に諭されて我に返ったのか、彩夏はしょんぼりしたように俯いた。

「……そうね。私、ちょっとカッとなっちゃって」
「ううん、彩夏の気持ちには感謝してる」
「じゃあ、私。頭冷やして帰るわ」

 そのまま、彩夏は肩を落として教室から出ていく。
 俺は、ほっと胸を撫で下ろしたんだが……。
 彩夏は扉の前で立ち止まり、俺のほうへと振り返った。

「だけど、青空くん」
「え、あ、はい」
「女子のネットワークを甘く見ないことね」
「は?」
「アンタの情報は今や、すでにこの学校に留まらず他校の女子にも知れ渡っている。みんな興味津々よ」

 思わず背筋がぞわっとした。

「おそらく刺客が大勢押し寄せることになる……注意することね」

 恐ろしい捨て台詞を言い残すと、彩夏はそのまま出ていった。
 呆気に取られたまま傍観していた健太は、あたふたしながら彩夏の後を追う。

 
 教室には、俺と茜だけが残された。

「茜……あの、助かったよ……」

 茜は俺の顔を見ずに、帰り支度を始めている。

「だって、しょうがないじゃない。晴人がヘンタイだってこと知られちゃまずいし」
「あ、そっちすか」
「シテいいのは愛する人だけなんでしょ、晴人のモットーは」
「う、うん」
「そんなの世間的には絶対許されないけど、そうは言っても晴人はカレシだから」

 帰り支度を終えた茜は、顔を上げ改めて俺の顔を見つめた。
 その目は、ちょっと険しい。

「でもね。さっきの嘘は、あまりにも酷すぎる」
「茜……ホントごめん」
「許さないから」
「土下座でもなんでもするから、許してくれ」

 茜はふうと、ため息をついた。

「……とにかく今日は一人で帰る」
「い、いや、送るよ」
「ちょっと、頭の中を整理したいの。そっとしておいて」
「し、しかし……」
「心配しないでも大丈夫。誰かに誘われたら、なんとか理由つけて断るから。今日のところはね」

 そこまで言われると、俺は何も言えない。

「じゃあ、また明日」
「ああ……」

 そうして茜は教室を出ていく。
 ひとり残された俺は、ふと……。
 窓に駆け寄るとそれを思いっきり開け放ち、夕陽に向かって叫んだ。
 
「俺を元の世界に帰してくれえ───っ!!」
 
 なぜか返事が返ってくる。

「うっせえよ!」

 ちょうど下を歩いていた鮫島が、俺を睨んでいた。
 
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