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その右手はあたたかかった...............
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203号室に入る一人の青年。その奥、窓際にはベッドがあり、窓の外には穏やかな海が広がっていた。
ベッドには一人の老人が横たわっていた。目は空いているが焦点はどこにもあっていない。
見えているかどうかもわからない。その老人に対し、青年はそっと声をかけた。
「どうも。愛子さん。失礼しますねお身体のケアをさせていただきます。」
青年の名は白河洋輝。この施設で介護士として働き続けて3年がたつ。
彼は返事がない愛子に対しても、変わらぬ笑顔と声で接した。
「それでは、ズボン降ろさせていただきますね...............失礼します。」
排泄介助という行為にも、彼は敬意と優しさを込める。だがその最中後方から声が飛んできた。
佳代「洋輝くん、何時間かけてるの?まだほかの仕事山ほどあるんだから、急いで!」
振り返ると、同僚の佳代が少しいらだったように立っていた。
ーー理想と現実の溝。
洋輝はできるだけひとりの人に丁寧に向き合いたいと思っていた。だが、この現場は時間との闘い。職員の手の数も手も足りない。彼の理想は時に「非効率」と映ってしまうのだった。
(仕事じゃなくて、「人生の一場面」として関わりたいんだけどなぁ.....。)
それでも彼は変わらず丁寧に関わる。認知症で過去と現在が混じってしまっている人、見えない存在と会話してしまう人。現実ときおっくのはざまを生きる人たちにーー。
トメ「洋輝さん家に帰らなくちゃならないの。ここは私のいる場所じゃないの。」
トメと名乗る女性が、廊下で彼に話しかけてくる。洋輝は微笑み、手を差し伸べた。
洋輝「じゃあ。入り口まで一緒に行きましょうか?」
二人で入り口の長椅子に二人で腰掛け、他愛のない話をする。
洋輝「トメさんの息子さんはどんな方でしたか?」 トメ「医者になるって言って毎晩夜遅くまで勉強してたの。夜食を作らないとね。」
洋輝「そうなんですね。トメさんの得意料理はなんですか?」
とめ「肉じゃがです。白滝を入れてめんつゆを入れて、砂糖とみりんをいっぱい入れるのが息子は好きなんです。」
トメの息子は会社員で、もう定年も近い。それでも息子の話をする彼女の笑顔が洋輝には愛おしかった。
やがて彼は愛子の部屋に戻る。今度は罪悪感を胸に秘めながら、彼女の右手をそっと握った。
洋輝「ごめんね。愛子さん。こんどは丁寧にやるからね。」
返事はない。目も動かない。だがほんの一瞬ほほ笑んだように見えた。
(........気のせいか)
その時ドアが乱暴に開く。
女性「いい加減にしてよ。佳代さんに仕事押し付けるつもり?もう3年目でしょ。
しっかりしてよ。」
声の主は一ノ瀬詩織。洋輝と同時期に入った同期だった。小柄な体格にショートヘアー、きびきびした性格で、どこか距離を感じさせる女性。
詩織「一人にかける時間が長すぎるの。もっと効率を考えて。」
洋輝「わかってるんだけどさ........。つい。ね。」
愛子と手を離し、洋輝は詩織の後を追う。その直後ーーふと振り返った。
洋輝(......笑った?)
ほんの一瞬確かに見えた気がした。
その場を後にしながら、洋輝の目にはじんわりとしたぬくもりが残っていた。
愛子は、動けない.......だが、意識はある。五感は確かに残っている。
記憶がよみがえるーー
・・・陽菜「お母さん・・・病院行きましょ。」・・・・
スーパーの帰り道転倒して電柱に頭をぶつけた。
愛子「また。たんこぶ..............。最近躓くことが増えたわね.....。」
団地の5階。エレベーターはない。階段を上る。息を切らして登った。
制服姿の娘、陽菜が心配そうに迎えに来た。
陽菜「もう5回目よ、お母さんやっぱり病院行こうよ」
愛子「大丈夫よ。年のせいかしら、疲れやすくなってきたわ。」
その夜、キッチンはカレーの材料。だが体が動かず、陽菜に代わりに作ってもらった。
愛子(私、いつからこんなに...............)
最近の不調、物忘れ、倦怠感ーーそれが何なのか。まだ誰もわかっていない。
でも陽菜は、何かがおかしいと気づき始めていた。
スマホで検索した病院。メモに残した問診項目。
陽菜(明日、一緒に行こう)
愛子の頭の中で、あの日の記憶が波のように押し寄せる。
目の前には海。命の始まりを思わせる優しく穏やかな景色。
そのときーー右手にぬくもり。
洋輝「ごめんね。愛子さん。今度は丁寧にやるからね。」
耳元で響いた、優しく柔らかな声・・・
周囲には事務的な職員や、なれなれしすぎる職員もいる。でもこの人は違った。
そのぬくもりに包まれて、愛子の心がふと反応する。
愛子「....白河洋輝さんって言うのね。......」
動かないはずの顔がかすかに、動いた。
ーー笑っていた。
その出会いが、奇跡を生み、そして物語を大きく動かすことになる。
けれど今はまだ、その理由も、その名も、ーー海の底に、静かに沈んでいた。
【次回予告】
203号室の扉を開ける詩織...............
がらっ!!一ノ瀬詩織「...............えっ!!ちょっと佳代さん!!」
そこには驚きの光景が...............
佳代さん「まさかこんなことって...............。」洋輝「どうすればいいですか?」
身体の動かない愛子から次々と思い出される過去の記憶...............
病院の待合室で名前が呼ばれるのを待つ。陽菜と愛子...............。
愛子「病院くるのなんて何年振りかしらね............。若いころから健康だけは取柄だったから大丈夫...............」
陽菜「...............」心配そうに見つめる陽菜。
看護師「...............久保田愛子さーん...............」
看護師に呼ばれ、席を立つ二人。
主治医の前の丸椅子に座る。
主治医「お母さんは...............」
陽菜・愛子「..............えっ...............」
静かに告げられる。残酷な事実...............、洋輝の優しさに起こる奇跡。
すべてが交錯して、物語は進んでいく。
洋輝「愛子さん...............」
次回 愛子さんのキセキ 「愛子の名が呼ばれるとき」 お楽しみにー。
ベッドには一人の老人が横たわっていた。目は空いているが焦点はどこにもあっていない。
見えているかどうかもわからない。その老人に対し、青年はそっと声をかけた。
「どうも。愛子さん。失礼しますねお身体のケアをさせていただきます。」
青年の名は白河洋輝。この施設で介護士として働き続けて3年がたつ。
彼は返事がない愛子に対しても、変わらぬ笑顔と声で接した。
「それでは、ズボン降ろさせていただきますね...............失礼します。」
排泄介助という行為にも、彼は敬意と優しさを込める。だがその最中後方から声が飛んできた。
佳代「洋輝くん、何時間かけてるの?まだほかの仕事山ほどあるんだから、急いで!」
振り返ると、同僚の佳代が少しいらだったように立っていた。
ーー理想と現実の溝。
洋輝はできるだけひとりの人に丁寧に向き合いたいと思っていた。だが、この現場は時間との闘い。職員の手の数も手も足りない。彼の理想は時に「非効率」と映ってしまうのだった。
(仕事じゃなくて、「人生の一場面」として関わりたいんだけどなぁ.....。)
それでも彼は変わらず丁寧に関わる。認知症で過去と現在が混じってしまっている人、見えない存在と会話してしまう人。現実ときおっくのはざまを生きる人たちにーー。
トメ「洋輝さん家に帰らなくちゃならないの。ここは私のいる場所じゃないの。」
トメと名乗る女性が、廊下で彼に話しかけてくる。洋輝は微笑み、手を差し伸べた。
洋輝「じゃあ。入り口まで一緒に行きましょうか?」
二人で入り口の長椅子に二人で腰掛け、他愛のない話をする。
洋輝「トメさんの息子さんはどんな方でしたか?」 トメ「医者になるって言って毎晩夜遅くまで勉強してたの。夜食を作らないとね。」
洋輝「そうなんですね。トメさんの得意料理はなんですか?」
とめ「肉じゃがです。白滝を入れてめんつゆを入れて、砂糖とみりんをいっぱい入れるのが息子は好きなんです。」
トメの息子は会社員で、もう定年も近い。それでも息子の話をする彼女の笑顔が洋輝には愛おしかった。
やがて彼は愛子の部屋に戻る。今度は罪悪感を胸に秘めながら、彼女の右手をそっと握った。
洋輝「ごめんね。愛子さん。こんどは丁寧にやるからね。」
返事はない。目も動かない。だがほんの一瞬ほほ笑んだように見えた。
(........気のせいか)
その時ドアが乱暴に開く。
女性「いい加減にしてよ。佳代さんに仕事押し付けるつもり?もう3年目でしょ。
しっかりしてよ。」
声の主は一ノ瀬詩織。洋輝と同時期に入った同期だった。小柄な体格にショートヘアー、きびきびした性格で、どこか距離を感じさせる女性。
詩織「一人にかける時間が長すぎるの。もっと効率を考えて。」
洋輝「わかってるんだけどさ........。つい。ね。」
愛子と手を離し、洋輝は詩織の後を追う。その直後ーーふと振り返った。
洋輝(......笑った?)
ほんの一瞬確かに見えた気がした。
その場を後にしながら、洋輝の目にはじんわりとしたぬくもりが残っていた。
愛子は、動けない.......だが、意識はある。五感は確かに残っている。
記憶がよみがえるーー
・・・陽菜「お母さん・・・病院行きましょ。」・・・・
スーパーの帰り道転倒して電柱に頭をぶつけた。
愛子「また。たんこぶ..............。最近躓くことが増えたわね.....。」
団地の5階。エレベーターはない。階段を上る。息を切らして登った。
制服姿の娘、陽菜が心配そうに迎えに来た。
陽菜「もう5回目よ、お母さんやっぱり病院行こうよ」
愛子「大丈夫よ。年のせいかしら、疲れやすくなってきたわ。」
その夜、キッチンはカレーの材料。だが体が動かず、陽菜に代わりに作ってもらった。
愛子(私、いつからこんなに...............)
最近の不調、物忘れ、倦怠感ーーそれが何なのか。まだ誰もわかっていない。
でも陽菜は、何かがおかしいと気づき始めていた。
スマホで検索した病院。メモに残した問診項目。
陽菜(明日、一緒に行こう)
愛子の頭の中で、あの日の記憶が波のように押し寄せる。
目の前には海。命の始まりを思わせる優しく穏やかな景色。
そのときーー右手にぬくもり。
洋輝「ごめんね。愛子さん。今度は丁寧にやるからね。」
耳元で響いた、優しく柔らかな声・・・
周囲には事務的な職員や、なれなれしすぎる職員もいる。でもこの人は違った。
そのぬくもりに包まれて、愛子の心がふと反応する。
愛子「....白河洋輝さんって言うのね。......」
動かないはずの顔がかすかに、動いた。
ーー笑っていた。
その出会いが、奇跡を生み、そして物語を大きく動かすことになる。
けれど今はまだ、その理由も、その名も、ーー海の底に、静かに沈んでいた。
【次回予告】
203号室の扉を開ける詩織...............
がらっ!!一ノ瀬詩織「...............えっ!!ちょっと佳代さん!!」
そこには驚きの光景が...............
佳代さん「まさかこんなことって...............。」洋輝「どうすればいいですか?」
身体の動かない愛子から次々と思い出される過去の記憶...............
病院の待合室で名前が呼ばれるのを待つ。陽菜と愛子...............。
愛子「病院くるのなんて何年振りかしらね............。若いころから健康だけは取柄だったから大丈夫...............」
陽菜「...............」心配そうに見つめる陽菜。
看護師「...............久保田愛子さーん...............」
看護師に呼ばれ、席を立つ二人。
主治医の前の丸椅子に座る。
主治医「お母さんは...............」
陽菜・愛子「..............えっ...............」
静かに告げられる。残酷な事実...............、洋輝の優しさに起こる奇跡。
すべてが交錯して、物語は進んでいく。
洋輝「愛子さん...............」
次回 愛子さんのキセキ 「愛子の名が呼ばれるとき」 お楽しみにー。
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