透明令嬢は、カジノ王の不器用な溺愛に、気づかない。

秋津冴

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プロローグ

始まり

 アイネの婚約者、第四王子オリビエートは十五歳。
 兄たちはそれぞれ側室の子であり、正室の息子は彼のみだ。
 だからこそ、王位継承権の第一位を国王陛下から賜っている。

 オリビエートの素行は悪く、王族や貴族だけでなく、一般市民にまで粗野で乱暴者だと知られていた。
 王弟にあたり、ヤクザ大公とも称されるブラック大公の血が混じっているのではないか、と揶揄されるほどだ。

 彼の婚約者であるアイネは十六歳のある日、ちょっとしたことから、オリビエートの不興を買い、自宅での謹慎を命じられてしまう

 しかし、気分屋の彼がすることはいつも理由などなく、今回も突発的な気まぐれで終わるのだろうと、アイネの家族は思っていたから、娘に注意はすれど、叱りつけることはなかった。
 
 いずれ、オリビエートの機嫌が直れば、彼はやってくる。そう信じて待つこと数週間。
 現実は彼女にとって最悪の形で、牙をむいた。
 
 家族全員と家臣がそろった伯爵家の朝食の席。
 妹のエルメスが、辛く味付けたドレッシングをサラダにかけたのを見て、アイネはちょっと驚いた。

「あら、エルメス。それ……辛いわよ。あなた、辛い物は苦手ではなくて?」

 そう問いかけたら、妹はまんざらでもない顔をして、サラダを食していた。  

「これがどうかしたの、お姉様?」
「いえ、貴方が辛い物をかけるなんて意外だったから」

 そう訊かれて、エルメスは手元を見「ああ、これね」と頷いた。
 妹の瞳に、アイネの姿が映る。

 後ろに赤毛の侍女を侍らせたアイネは、艶やかな亜麻色の髪をアップにまとめていて、瞳の色は薄い水色。
 知的な雰囲気を醸しだした落ち着きのある少女だった。
 何も知らない姉の顔を見て、妹はふふんっと鼻を鳴らして小馬鹿にする。

「知らないのは罪ですね」
「どういうこと……?」

 エルメスの形の良い、小さな卵型の顔が上下に動いた。
 白い透き通るような肌に深い緑の瞳、金色一色に混じり気のないブロンドが、彼女の胸元まで垂れていてこれから登校する学院の緑色の上着に、黄金の波をうねらせていた。

 まだ十五歳と若いエルメスは、神から与えられた外観と魔法の才能に溺れ、自身を特別な存在だと捉える節がある。
 その考えは態度にまで現れており、エルメスは傲慢な振る舞いをする、とアイナは家人からよく耳にしていた。
 今がまさにそうだった。

「いえ、お姉様は世間に疎いわと。そう思っただけです」
「やめなさい、エルメス」
「はい、お母様。でも……お姉様があまりにも、世間知らずだから」

 エルメスは姉を見下すようにしてそう言うと、母親のたしなめる視線を感じたのか、慌てて口を閉じた。
 辛いドレッシングをサラダにかける理由を思いつかないなんて、駄目な姉だわ。そう罵るような口ぶりで。

 姉としてはいつかきつく叱らなければ、と思いつつも、妹は母のお気に入りだ。
 口を酸っぱくして言えば、こちらが母親から叱責を受けかねない。
 そんなことを考えてしまい、妹に対してアイネはいつも、強気になれずにいた。

「まだ、私の質問に答えてないわよ、エルメス」
「だから、お姉様は鈍感……いいえ、それがどうかいたしまして?」

 エルメスは豪奢な容姿の自分と違い、見た目もこれといって特徴のない姉を下に見ている気風がある。
 いつものことだが、いまはなぜか無性に腹が立った。

 学年を飛び級して自分と同じ六年生に上がってきたその賢さは、他者に敬意を払うという視点に欠けている。
 妹は、有り余る才能に、振り回されている愚かなヒキガエルのような存在だった。

「知らないのは罪、その下りの説明をなさい」

 アイネは姉として、威厳も保ちながら、妹を叱りつける。
 随分と長い間、我慢してきたが、もう限界だった。
 はいはい、とエルメスは面倒くさそうに説明を始めた。

「ここ二週間ほど、よく口にするようになりました」
「そうだったかしら。どこで覚えたの」
「殿下に直接、教えていただきました。学院の食堂で、先月くらいから提供されるようになりましたよ。わたしも少し頂いて、それから好きになったのです。いつも食べているレモンなどをかけた物や、調味料を混ぜ合わせたドレッシングも美味しいですが、これもピリッとしていて好きになりました」
「へえ‥‥‥」

 アイネは王太子の婚約者で、彼の使う王室専用の食堂に、赴くことがほとんどだった。
 朝、夜と屋敷でとる食事の席は共にするが、昼間に学院でとる食事は身分の違いもあって別々になる。

 その意味では、エルメスの言う世間は、「王族以外のすべて」に限定されることになる。
 いま、アイネは寝る以外に日々の時間をほとんど、王太子と共に過ごしていた。

 まるで行き来はするけれど、別々の家に住んでいるようなものだ。
 他家の常識など、王族に近しいアイネが知るはずもない。

「お姉様はご存じありませんでした?」
「知らないわ。お昼は殿下と共にすることが多いし、食堂も貴族、平民とそれぞれ分かれているから。王族の食べる食堂は更に別だし」
「そういえば、そうでしたわね。殿下がお好きということで、一般貴族のメニューにも載るようになったと聞いています」

 今度はアイネが思い出す目になった。
 自分の婚約者。この国の王太子であるオルビエートも、同じような味付けが好きだったことを。
 しかし、彼がそんな提案をしたと聞いたことは、これまで一度もなかった。
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