透明令嬢は、カジノ王の不器用な溺愛に、気づかない。

秋津冴

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プロローグ

奪われた遺産

 伯爵は手を打ち鳴らすと、場内を鎮めた。ついでにエルメスを見据えて命じる。
 その声はアイネに向けたものとは打って変わって明るいものだった。

 新たに王太子妃補となったエルメスに、希望を感じているのだろう。アイネはそれを耳にしてさらに胸が締め付けられるような痛みを感じた。
 
「お前たち、静かにしなさい。エルメスもだ。姉に対して、侮辱は良くない。いいな」
「はいお父様。でも、いつかは壊れそうね」
「その時はお前にでも与えるとしよう。さて、アイネ。話の続きだ」

 伯爵は娘に言い聞かせるように言葉を続けた。
 しかし、親としての愛情はなく、アイネにとっては地獄の亡者が語っているように聞こえた。

「兄夫婦はお前を遺して死んだ。だからこそ私は、兄夫婦の残した財産をお前に託そうと思い、色々なチャンスを与えてきた。しかしこれはどうだ? 王家から断りがきた、アイネは殿下に相応しくないと。仕方ないからお前の代わりにエルメスを殿下と婚約させることにした。何の問題がある?」
「いえ‥‥‥王家がそうお決めになったのなら。問題、は。あり、ません‥‥‥」
「そうだな。それでいい。ついでにお前は失態を犯した」
「――えっ?」
「伯爵家と王家の信頼関係に、もう少しで亀裂を入れるところだった。何が原因かは知らん。国王陛下がそうおっしゃって怒っておられた。しかし、王の御意思だ、こちらから理由を伺うような真似はできない。我々はただ受け入れることしかできないのだ、現実を、な」

 伯爵は、新しくいれなおさせたワインの盃をちょっとだけ掲げた。エルメスに向けられていて、アイネからには距離が空いていた。
 伯爵家の危機を救う新しい救世主、エルメスに褒美を与えるように、伯爵は大きく杯を傾ける。

 アイネは自分の敗北を悟った。人生で幸せな瞬間が終わったのだと思えた。
 この屋敷での、特別扱いが終わった。

 ……この妹は私から、最愛の人まで奪っていくのか。
 アイネの心がぐっと見えない手に掴まれ、胃や内臓までもがそれに押しつぶされそうになって吐きそうだった。

 だが、ここで黙っていては何も始まらない。
 アイネにはまだ、譲り受ける権利を持っているあるものを、伯爵の手から奪い返す必要があった。

「では、私はこれからどうすればよろしいのですか。お父様は殿下からの返事を待つように、とおっしゃいました。私はその通りにいたしました。これからどうしろとお望みなのですか」
「ああ、それだ。そのことについて、今から話そうと思っていた。お前には新しい婚約者を用意した。来週、あちらの屋敷にお前を預けることになっている。出て行く準備をしておけ」
「では――遺産‥‥‥は」

 それを受け継ぐために王家との結婚を引き受けたのに、とアイネは嘆息する。自分の継承すべきそれを受け取り、家を出て行くことになるのだろう、アイネはそう思っていた。しかし、返事は酷いものだった。

「売った」
「なっ‥‥‥なんで、そんなこと、を。お父様、冗談でしょう……? あれは、私のものになるはずです! お父様は、私が成人するまでの遺産管理をする監督責任だけを負っていたはず!」

 亡き父親は、この伯爵家から独立していた。
 男爵位だったが、王国の東側にそこそこ広い荘園を所有していた。

 そこは、王都からすれば北側に当たり、辺境と呼ばれている土地だ。
 馬車で二週間はかかり、近隣にはさまざまな異種族も住むという危険な土地だ。

 誰も欲しがらないそんな場所であってもアイネにとっては大事な両親と繋がる唯一の土地だった。

「冗談でこんなこと言うわけがない。お前を嫁入りさせるための金が必要だった」
「結納金代わりにした、とおっしゃいましたか」
「その通りだ」

 絶望に近い思いで、その返事を受け取った。どうすればいい。これからどこか他家に嫁入りをしたとしても、夫婦の財産は別々に管理されるのが、王国の法律だ。

 アイネにとって、亡き両親の遺産は、自分の自由を手にすることができる、最後の砦だったのに……この世に神はおられないのか? 伯爵は満ち足りた顔で詳細を語った。

「あの土地はそこそこ良い値段で売れたぞ。購入してくれた相手はどこか外国の貴族だそうだ。よかったなお前の新しい人生を、お前の両親が残してくれた遺産で買い取ることができて」

 最悪だ。
 何もかもが最低で最悪の形で終わりそうだ。

 そして、もうこの場所に自分の居場所はなくなってしまった。
 それだけはアイネにも理解ができた。

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