7 / 51
プロローグ
奪われた遺産
伯爵は手を打ち鳴らすと、場内を鎮めた。ついでにエルメスを見据えて命じる。
その声はアイネに向けたものとは打って変わって明るいものだった。
新たに王太子妃補となったエルメスに、希望を感じているのだろう。アイネはそれを耳にしてさらに胸が締め付けられるような痛みを感じた。
「お前たち、静かにしなさい。エルメスもだ。姉に対して、侮辱は良くない。いいな」
「はいお父様。でも、いつかは壊れそうね」
「その時はお前にでも与えるとしよう。さて、アイネ。話の続きだ」
伯爵は娘に言い聞かせるように言葉を続けた。
しかし、親としての愛情はなく、アイネにとっては地獄の亡者が語っているように聞こえた。
「兄夫婦はお前を遺して死んだ。だからこそ私は、兄夫婦の残した財産をお前に託そうと思い、色々なチャンスを与えてきた。しかしこれはどうだ? 王家から断りがきた、アイネは殿下に相応しくないと。仕方ないからお前の代わりにエルメスを殿下と婚約させることにした。何の問題がある?」
「いえ‥‥‥王家がそうお決めになったのなら。問題、は。あり、ません‥‥‥」
「そうだな。それでいい。ついでにお前は失態を犯した」
「――えっ?」
「伯爵家と王家の信頼関係に、もう少しで亀裂を入れるところだった。何が原因かは知らん。国王陛下がそうおっしゃって怒っておられた。しかし、王の御意思だ、こちらから理由を伺うような真似はできない。我々はただ受け入れることしかできないのだ、現実を、な」
伯爵は、新しくいれなおさせたワインの盃をちょっとだけ掲げた。エルメスに向けられていて、アイネからには距離が空いていた。
伯爵家の危機を救う新しい救世主、エルメスに褒美を与えるように、伯爵は大きく杯を傾ける。
アイネは自分の敗北を悟った。人生で幸せな瞬間が終わったのだと思えた。
この屋敷での、特別扱いが終わった。
……この妹は私から、最愛の人まで奪っていくのか。
アイネの心がぐっと見えない手に掴まれ、胃や内臓までもがそれに押しつぶされそうになって吐きそうだった。
だが、ここで黙っていては何も始まらない。
アイネにはまだ、譲り受ける権利を持っているあるものを、伯爵の手から奪い返す必要があった。
「では、私はこれからどうすればよろしいのですか。お父様は殿下からの返事を待つように、とおっしゃいました。私はその通りにいたしました。これからどうしろとお望みなのですか」
「ああ、それだ。そのことについて、今から話そうと思っていた。お前には新しい婚約者を用意した。来週、あちらの屋敷にお前を預けることになっている。出て行く準備をしておけ」
「では――遺産‥‥‥は」
それを受け継ぐために王家との結婚を引き受けたのに、とアイネは嘆息する。自分の継承すべきそれを受け取り、家を出て行くことになるのだろう、アイネはそう思っていた。しかし、返事は酷いものだった。
「売った」
「なっ‥‥‥なんで、そんなこと、を。お父様、冗談でしょう……? あれは、私のものになるはずです! お父様は、私が成人するまでの遺産管理をする監督責任だけを負っていたはず!」
亡き父親は、この伯爵家から独立していた。
男爵位だったが、王国の東側にそこそこ広い荘園を所有していた。
そこは、王都からすれば北側に当たり、辺境と呼ばれている土地だ。
馬車で二週間はかかり、近隣にはさまざまな異種族も住むという危険な土地だ。
誰も欲しがらないそんな場所であってもアイネにとっては大事な両親と繋がる唯一の土地だった。
「冗談でこんなこと言うわけがない。お前を嫁入りさせるための金が必要だった」
「結納金代わりにした、とおっしゃいましたか」
「その通りだ」
絶望に近い思いで、その返事を受け取った。どうすればいい。これからどこか他家に嫁入りをしたとしても、夫婦の財産は別々に管理されるのが、王国の法律だ。
アイネにとって、亡き両親の遺産は、自分の自由を手にすることができる、最後の砦だったのに……この世に神はおられないのか? 伯爵は満ち足りた顔で詳細を語った。
「あの土地はそこそこ良い値段で売れたぞ。購入してくれた相手はどこか外国の貴族だそうだ。よかったなお前の新しい人生を、お前の両親が残してくれた遺産で買い取ることができて」
最悪だ。
何もかもが最低で最悪の形で終わりそうだ。
そして、もうこの場所に自分の居場所はなくなってしまった。
それだけはアイネにも理解ができた。
その声はアイネに向けたものとは打って変わって明るいものだった。
新たに王太子妃補となったエルメスに、希望を感じているのだろう。アイネはそれを耳にしてさらに胸が締め付けられるような痛みを感じた。
「お前たち、静かにしなさい。エルメスもだ。姉に対して、侮辱は良くない。いいな」
「はいお父様。でも、いつかは壊れそうね」
「その時はお前にでも与えるとしよう。さて、アイネ。話の続きだ」
伯爵は娘に言い聞かせるように言葉を続けた。
しかし、親としての愛情はなく、アイネにとっては地獄の亡者が語っているように聞こえた。
「兄夫婦はお前を遺して死んだ。だからこそ私は、兄夫婦の残した財産をお前に託そうと思い、色々なチャンスを与えてきた。しかしこれはどうだ? 王家から断りがきた、アイネは殿下に相応しくないと。仕方ないからお前の代わりにエルメスを殿下と婚約させることにした。何の問題がある?」
「いえ‥‥‥王家がそうお決めになったのなら。問題、は。あり、ません‥‥‥」
「そうだな。それでいい。ついでにお前は失態を犯した」
「――えっ?」
「伯爵家と王家の信頼関係に、もう少しで亀裂を入れるところだった。何が原因かは知らん。国王陛下がそうおっしゃって怒っておられた。しかし、王の御意思だ、こちらから理由を伺うような真似はできない。我々はただ受け入れることしかできないのだ、現実を、な」
伯爵は、新しくいれなおさせたワインの盃をちょっとだけ掲げた。エルメスに向けられていて、アイネからには距離が空いていた。
伯爵家の危機を救う新しい救世主、エルメスに褒美を与えるように、伯爵は大きく杯を傾ける。
アイネは自分の敗北を悟った。人生で幸せな瞬間が終わったのだと思えた。
この屋敷での、特別扱いが終わった。
……この妹は私から、最愛の人まで奪っていくのか。
アイネの心がぐっと見えない手に掴まれ、胃や内臓までもがそれに押しつぶされそうになって吐きそうだった。
だが、ここで黙っていては何も始まらない。
アイネにはまだ、譲り受ける権利を持っているあるものを、伯爵の手から奪い返す必要があった。
「では、私はこれからどうすればよろしいのですか。お父様は殿下からの返事を待つように、とおっしゃいました。私はその通りにいたしました。これからどうしろとお望みなのですか」
「ああ、それだ。そのことについて、今から話そうと思っていた。お前には新しい婚約者を用意した。来週、あちらの屋敷にお前を預けることになっている。出て行く準備をしておけ」
「では――遺産‥‥‥は」
それを受け継ぐために王家との結婚を引き受けたのに、とアイネは嘆息する。自分の継承すべきそれを受け取り、家を出て行くことになるのだろう、アイネはそう思っていた。しかし、返事は酷いものだった。
「売った」
「なっ‥‥‥なんで、そんなこと、を。お父様、冗談でしょう……? あれは、私のものになるはずです! お父様は、私が成人するまでの遺産管理をする監督責任だけを負っていたはず!」
亡き父親は、この伯爵家から独立していた。
男爵位だったが、王国の東側にそこそこ広い荘園を所有していた。
そこは、王都からすれば北側に当たり、辺境と呼ばれている土地だ。
馬車で二週間はかかり、近隣にはさまざまな異種族も住むという危険な土地だ。
誰も欲しがらないそんな場所であってもアイネにとっては大事な両親と繋がる唯一の土地だった。
「冗談でこんなこと言うわけがない。お前を嫁入りさせるための金が必要だった」
「結納金代わりにした、とおっしゃいましたか」
「その通りだ」
絶望に近い思いで、その返事を受け取った。どうすればいい。これからどこか他家に嫁入りをしたとしても、夫婦の財産は別々に管理されるのが、王国の法律だ。
アイネにとって、亡き両親の遺産は、自分の自由を手にすることができる、最後の砦だったのに……この世に神はおられないのか? 伯爵は満ち足りた顔で詳細を語った。
「あの土地はそこそこ良い値段で売れたぞ。購入してくれた相手はどこか外国の貴族だそうだ。よかったなお前の新しい人生を、お前の両親が残してくれた遺産で買い取ることができて」
最悪だ。
何もかもが最低で最悪の形で終わりそうだ。
そして、もうこの場所に自分の居場所はなくなってしまった。
それだけはアイネにも理解ができた。
あなたにおすすめの小説
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!
にのまえ
恋愛
すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。
公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。
家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。
だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、
舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。
不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。
桧山 紗綺
恋愛
【完結】嫁いで5年。子供を身籠ったら追い出されました。不貞なんてしていないと言っても聞く耳をもちません。生まれた子は間違いなく夫の子です。夫の子……ですが。 私、離婚された方が良いのではないでしょうか。
戻ってきた実家で子供たちと幸せに暮らしていきます。
『精霊のいとし子』と呼ばれる存在を授かった主人公の、可愛い子供たちとの暮らしと新しい恋とか愛とかのお話です。
※※番外編も完結しました。番外編は色々な視点で書いてます。
時系列も結構バラバラに本編の間の話や本編後の色々な出来事を書きました。
一通り主人公の周りの視点で書けたかな、と。
番外編の方が本編よりも長いです。
気がついたら10万文字を超えていました。
随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!
彼女の離縁とその波紋
豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。
※子どもに関するセンシティブな内容があります。
大嫌いな従兄と結婚するぐらいなら…
みみぢあん
恋愛
子供の頃、両親を亡くしたベレニスは伯父のロンヴィル侯爵に引き取られた。 隣国の宣戦布告で戦争が始まり、伯父の頼みでベレニスは病弱な従妹のかわりに、側妃候補とは名ばかりの人質として、後宮へ入ることになった。 戦争が終わりベレニスが人質生活から解放されたら、伯父は後継者の従兄ジャコブと結婚させると約束する。 だがベレニスはジャコブが大嫌いなうえ、密かに思いを寄せる騎士フェルナンがいた。
真実の愛の祝福
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
皇太子フェルナンドは自らの恋人を苛める婚約者ティアラリーゼに辟易していた。
だが彼と彼女は、女神より『真実の愛の祝福』を賜っていた。
それでも強硬に婚約解消を願った彼は……。
カクヨム、小説家になろうにも掲載。
筆者は体調不良なことも多く、コメントなどを受け取らない設定にしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
年増令嬢と記憶喪失
くきの助
恋愛
「お前みたいな年増に迫られても気持ち悪いだけなんだよ!」
そう言って思い切りローズを突き飛ばしてきたのは今日夫となったばかりのエリックである。
ちなみにベッドに座っていただけで迫ってはいない。
「吐き気がする!」と言いながら自室の扉を音を立てて開けて出ていった。
年増か……仕方がない……。
なぜなら彼は5才も年下。加えて付き合いの長い年下の恋人がいるのだから。
次の日事故で頭を強く打ち記憶が混濁したのを記憶喪失と間違われた。
なんとか誤解と言おうとするも、今までとは違う彼の態度になかなか言い出せず……