25 / 51
第二章
脱出
フィビオは一考し、主人に提案する。
「ロアーを捕まえ、自白させる手もありますが、それは第一王子様の同行を見てからでもよいのか、と。もしかすれば、伯爵家そのものに問題があった可能性もございます」
「可能性?」
大公はいっそう強い力でファイルを叩いた。
大事な妻となるべきアイネをどうすれば無事に取り戻せるのか、そのことだけに思考を集中した。
可哀想なアイネ。
さぞ、怯えているだろう。
大公は人も恐れるヤクザ稼業をしているが、それはそれ、これはこれ。
自分の愛すべきだれかに対しては、優しさと注ぐ愛に決まりはない。大公は、そういう男だった。
「アイネがどんな理由で俺の妻になろうが、俺にとっては最愛の女性になるべき存在だ。軽んじることは許さんぞ。誰であろうと、だ」
「彼女を利用するひとびとは、これからも数多く現れるでしょう。今はその第一段階かと思われます」
「むう……」
アイネは跡形もなく消えた。
形跡がないのだ。
そこに言って自分が調べたわけではないが、信頼のおける部下たちがそう報告している。
通常ではない方法。
魔法や魔導具や、ブラックが使うような精霊による、なんらかの奇跡が行われたに違いなかった。
「救い出せ。なんとしてもだ。あれが自分の意志で消えたのでない限り、トラブルに巻き込まれたに違いない。この屋敷に来たら謝罪をしなければならない……」
大公は椅子からゆっくりと立ち上がると、執事長に告げる。
「俺はこれから人と会う約束がある。その間に用意をしておけ」
「まさか。閣下自ら、お出迎えに?」
「元々その予定だったはずだ。今日、この城を飛行船で出る予定だったはずだ。そうだな?」
「……左様でございます」
貴重な数日を無駄にしてしまった。
ブラックは手がける仕度を執事に任せると、執務室をでて広い城の通路へと出た。
この白亜の白壁も、珊瑚の化石を原料とした、夜になれば月光により美しく七色にうすく輝く外壁も、窓から見渡す限りの黄金の小麦畑も。
そのどれもが、彼女に捧げるべき、品々だった。
最後の妻にして最後の愛。
ブラックは人生を終にできる相手として、アイネを望んでいた。
彼自身、もう五十代に近づいていて、健康な子どもを望める年齢ではない。
だからこそ、ほぼ、身売り同然で転がってきた婚約の話を引き受けたのだ。
アイネが受け継ぐべき財産が欲しかったとか、そんな話ではない。
自分の孤独な魂の寂しさを、そんな絶望的な立場におかれた女性なら、もしかしたら分かち合うことができるかもしれないと、ふと思ったからだ。
ホテルキャザリックの安全性と、妻子を人質にした騎士長ロアーの働きぶりを、期待しすぎていた。
「俺が、伯爵家に赴くべきだった。すまん、アイネ。いまどこにいる?」
写真でしか見たことのない彼女の面影を思い出す。
ブラックはいまこそ、これまで自分ができていなかったことを、やるべき瞬間だと考えを新たにする。
そう、彼女を自分の出て取り戻しに行くのだ。
家族の一員として迎え入れるために。
☆
数日前。
ホテルキャザリックの一室で、エリーゼがアイネにした願いは簡単なことだった。
「ほんの数分だけで、結構でございます。どうかこの中に、御身を隠してはいただけませんか」
「そのポシェットに? だって」
アイネはエリーゼの指し示す、ポシェットを不安そうに見つめる。
ついさっきそのなかに入ったら、息が詰まるかもしれないと語っていたじゃない、と批難の目で彼女を見た。
「あれは冗談です。新しい結界を、お嬢様の周りに用意いたします」
「……それってつまり、私が自分の意思で、なにもできなくなるって、そういうことよね?」
「大公様の部下の者たちが、約束の時刻になっても現れません。これはなにか危機が迫っていることになります。さきほどの男たちのこともそうです。時間がありません」
「……」
廊下で受けた仕打ちはあの恐怖は、ちょっとまだ心の中に残っている。
あらためて思い出すだけで、背筋が寒くなってきた。
顔から血の気が引いていくのを、アイネは自分でも感じた。
「もしあなたを信じなかったら?」
「ここで籠城することは、極めて不利です。扉の向こうにどれほどの人数が待っているか想像がつきません。私はお嬢様のために命を賭して戦いますが、それにも限界というものがあります」
「つまりあなたが戦えなくなった場合、私はどうなるの」
「……最悪の場合、命を失うことになると思います。その前に、体を汚されるでしょう」
「――っ」
まだ誰にも触れさせたことのない、この肉体を穢される。
そんな目に遭わされるぐらいなら舌を噛んで歯を選んだ方がマシな気がする。
「どうなさいますか。お早い判断を。廊下に、先程から人の気配が増えています。それも、こちらに対していい意味での来客ではないと思います」
「はあ……そうね。あなたが言うように、この状況からどうにか抜け出せるのならば。いいわ……」
こうして、アイネは小人宜しく、一時だけ、エリーゼのポシェットに収まることになった。
その布越しに聞こえてくる激しい舌戦、殴打の音と、なにか鈍いものが壊れる音、悲鳴。絶叫と走り抜けるエリーゼの激しい息遣い。
それらが終わり、ようやく解放された時。
アイネの目に入ったのは、ホテルからニキロほど離れた魔導列車の駅。
その入り口に近い、ビルとビルの合間にある、薄暗い路地の光景だった。
「ロアーを捕まえ、自白させる手もありますが、それは第一王子様の同行を見てからでもよいのか、と。もしかすれば、伯爵家そのものに問題があった可能性もございます」
「可能性?」
大公はいっそう強い力でファイルを叩いた。
大事な妻となるべきアイネをどうすれば無事に取り戻せるのか、そのことだけに思考を集中した。
可哀想なアイネ。
さぞ、怯えているだろう。
大公は人も恐れるヤクザ稼業をしているが、それはそれ、これはこれ。
自分の愛すべきだれかに対しては、優しさと注ぐ愛に決まりはない。大公は、そういう男だった。
「アイネがどんな理由で俺の妻になろうが、俺にとっては最愛の女性になるべき存在だ。軽んじることは許さんぞ。誰であろうと、だ」
「彼女を利用するひとびとは、これからも数多く現れるでしょう。今はその第一段階かと思われます」
「むう……」
アイネは跡形もなく消えた。
形跡がないのだ。
そこに言って自分が調べたわけではないが、信頼のおける部下たちがそう報告している。
通常ではない方法。
魔法や魔導具や、ブラックが使うような精霊による、なんらかの奇跡が行われたに違いなかった。
「救い出せ。なんとしてもだ。あれが自分の意志で消えたのでない限り、トラブルに巻き込まれたに違いない。この屋敷に来たら謝罪をしなければならない……」
大公は椅子からゆっくりと立ち上がると、執事長に告げる。
「俺はこれから人と会う約束がある。その間に用意をしておけ」
「まさか。閣下自ら、お出迎えに?」
「元々その予定だったはずだ。今日、この城を飛行船で出る予定だったはずだ。そうだな?」
「……左様でございます」
貴重な数日を無駄にしてしまった。
ブラックは手がける仕度を執事に任せると、執務室をでて広い城の通路へと出た。
この白亜の白壁も、珊瑚の化石を原料とした、夜になれば月光により美しく七色にうすく輝く外壁も、窓から見渡す限りの黄金の小麦畑も。
そのどれもが、彼女に捧げるべき、品々だった。
最後の妻にして最後の愛。
ブラックは人生を終にできる相手として、アイネを望んでいた。
彼自身、もう五十代に近づいていて、健康な子どもを望める年齢ではない。
だからこそ、ほぼ、身売り同然で転がってきた婚約の話を引き受けたのだ。
アイネが受け継ぐべき財産が欲しかったとか、そんな話ではない。
自分の孤独な魂の寂しさを、そんな絶望的な立場におかれた女性なら、もしかしたら分かち合うことができるかもしれないと、ふと思ったからだ。
ホテルキャザリックの安全性と、妻子を人質にした騎士長ロアーの働きぶりを、期待しすぎていた。
「俺が、伯爵家に赴くべきだった。すまん、アイネ。いまどこにいる?」
写真でしか見たことのない彼女の面影を思い出す。
ブラックはいまこそ、これまで自分ができていなかったことを、やるべき瞬間だと考えを新たにする。
そう、彼女を自分の出て取り戻しに行くのだ。
家族の一員として迎え入れるために。
☆
数日前。
ホテルキャザリックの一室で、エリーゼがアイネにした願いは簡単なことだった。
「ほんの数分だけで、結構でございます。どうかこの中に、御身を隠してはいただけませんか」
「そのポシェットに? だって」
アイネはエリーゼの指し示す、ポシェットを不安そうに見つめる。
ついさっきそのなかに入ったら、息が詰まるかもしれないと語っていたじゃない、と批難の目で彼女を見た。
「あれは冗談です。新しい結界を、お嬢様の周りに用意いたします」
「……それってつまり、私が自分の意思で、なにもできなくなるって、そういうことよね?」
「大公様の部下の者たちが、約束の時刻になっても現れません。これはなにか危機が迫っていることになります。さきほどの男たちのこともそうです。時間がありません」
「……」
廊下で受けた仕打ちはあの恐怖は、ちょっとまだ心の中に残っている。
あらためて思い出すだけで、背筋が寒くなってきた。
顔から血の気が引いていくのを、アイネは自分でも感じた。
「もしあなたを信じなかったら?」
「ここで籠城することは、極めて不利です。扉の向こうにどれほどの人数が待っているか想像がつきません。私はお嬢様のために命を賭して戦いますが、それにも限界というものがあります」
「つまりあなたが戦えなくなった場合、私はどうなるの」
「……最悪の場合、命を失うことになると思います。その前に、体を汚されるでしょう」
「――っ」
まだ誰にも触れさせたことのない、この肉体を穢される。
そんな目に遭わされるぐらいなら舌を噛んで歯を選んだ方がマシな気がする。
「どうなさいますか。お早い判断を。廊下に、先程から人の気配が増えています。それも、こちらに対していい意味での来客ではないと思います」
「はあ……そうね。あなたが言うように、この状況からどうにか抜け出せるのならば。いいわ……」
こうして、アイネは小人宜しく、一時だけ、エリーゼのポシェットに収まることになった。
その布越しに聞こえてくる激しい舌戦、殴打の音と、なにか鈍いものが壊れる音、悲鳴。絶叫と走り抜けるエリーゼの激しい息遣い。
それらが終わり、ようやく解放された時。
アイネの目に入ったのは、ホテルからニキロほど離れた魔導列車の駅。
その入り口に近い、ビルとビルの合間にある、薄暗い路地の光景だった。
あなたにおすすめの小説
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
大嫌いな従兄と結婚するぐらいなら…
みみぢあん
恋愛
子供の頃、両親を亡くしたベレニスは伯父のロンヴィル侯爵に引き取られた。 隣国の宣戦布告で戦争が始まり、伯父の頼みでベレニスは病弱な従妹のかわりに、側妃候補とは名ばかりの人質として、後宮へ入ることになった。 戦争が終わりベレニスが人質生活から解放されたら、伯父は後継者の従兄ジャコブと結婚させると約束する。 だがベレニスはジャコブが大嫌いなうえ、密かに思いを寄せる騎士フェルナンがいた。
彼女の離縁とその波紋
豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。
※子どもに関するセンシティブな内容があります。
不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。
桧山 紗綺
恋愛
【完結】嫁いで5年。子供を身籠ったら追い出されました。不貞なんてしていないと言っても聞く耳をもちません。生まれた子は間違いなく夫の子です。夫の子……ですが。 私、離婚された方が良いのではないでしょうか。
戻ってきた実家で子供たちと幸せに暮らしていきます。
『精霊のいとし子』と呼ばれる存在を授かった主人公の、可愛い子供たちとの暮らしと新しい恋とか愛とかのお話です。
※※番外編も完結しました。番外編は色々な視点で書いてます。
時系列も結構バラバラに本編の間の話や本編後の色々な出来事を書きました。
一通り主人公の周りの視点で書けたかな、と。
番外編の方が本編よりも長いです。
気がついたら10万文字を超えていました。
随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!
断罪される一年前に時間を戻せたので、もう愛しません
天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルリサは、元婚約者のゼノラス王子に断罪されて処刑が決まる。
私はゼノラスの命令を聞いていただけなのに、捨てられてしまったようだ。
処刑される前日、私は今まで試せなかった時間を戻す魔法を使う。
魔法は成功して一年前に戻ったから、私はゼノラスを許しません。
真実の愛の祝福
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
皇太子フェルナンドは自らの恋人を苛める婚約者ティアラリーゼに辟易していた。
だが彼と彼女は、女神より『真実の愛の祝福』を賜っていた。
それでも強硬に婚約解消を願った彼は……。
カクヨム、小説家になろうにも掲載。
筆者は体調不良なことも多く、コメントなどを受け取らない設定にしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
年増令嬢と記憶喪失
くきの助
恋愛
「お前みたいな年増に迫られても気持ち悪いだけなんだよ!」
そう言って思い切りローズを突き飛ばしてきたのは今日夫となったばかりのエリックである。
ちなみにベッドに座っていただけで迫ってはいない。
「吐き気がする!」と言いながら自室の扉を音を立てて開けて出ていった。
年増か……仕方がない……。
なぜなら彼は5才も年下。加えて付き合いの長い年下の恋人がいるのだから。
次の日事故で頭を強く打ち記憶が混濁したのを記憶喪失と間違われた。
なんとか誤解と言おうとするも、今までとは違う彼の態度になかなか言い出せず……