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第三章
交渉上手
「……旦那様」
思わず歓喜の声がアイネの口から洩れる。
まさかこのタイミングで彼自身が来てくれるとは、夢にも思わなかった。
アイネはスカートの中から、折りたたんだ写真を思わず取り出して、見入ってしまう。
風と炎に煽られた髪は銀色。
苔色の瞳がぎらぎらと輝き、まるで野生のドラゴンのような粗暴と、見た者の心を掴んで離さない荒々しい魅力にみなぎった、五十代の男性。
炎を照り返す黒の高級スーツに身を包んだその姿は、まさしくブラック。
漆黒の闇、黒社会を統べる王に相応しい風格だった。
そして何より――彼の横顔は……かつて愛したあの人によく似ている。
第四王子オリビエートの横顔を彷彿させる、顔立ちだった。いや、世代的にオリビエートが似ている、というべきか。
光の壁の向こうで、ブラックは精霊たちに向かい何かを命じていた。
それは多分、襲撃者どもを拘束しろ、というようなものだったのだろう。
倒れ伏した男達が次々と宙に浮き上がる。
天空から、ゆるゆると降りてきた飛行船に向かって、彼らが巨大な竜巻と共に舞い上がって行った。
その光景のあまりの凄まじさに、アイネはぽかんと口を開いたまま、動けなくなってしまう。
これほどに強大な力を操ることができる精霊使いを、アイネは知らなかった。
ブラックの契約している精霊達は、王族のみが従えることのできる上位精霊達だろう。
炎の獣。まだら模様の美しい炎豹など、伝説や神話にしか存在しない。
アイネと同様に、セーラもまた、あれほど苦戦した男達が、あっけなく退治されたことに戸惑いを隠せなかった。
エリーゼだけは光のなかで、一人、神妙な面持ちで、剣をポシェットに仕舞いこむと、地面に片膝を付く。
まがりなりにも彼女は元少女騎士。
王族に対する礼儀は心得ていた。ついでに、自分の命の灯火がそう長く続かないことも弁えているようだった。
ブラックはその場の安全を確認すると、光の繭を解除して、三人をじっと見やる。
彼は険しい視線をエリーゼから動かさない。アイネにとっては命の危険を共にして逃げてきた侍女の一人だが、ブラックにとってはいまだ裏切り者か、それとも味方なのか。判断のつかない相手だからだ。
「シュバルト伯令嬢アイネ様か?」
「……はい。はい! アイネ、です。大公閣下」
「危険な旅のなか、ここまでご苦労だった。助けに駆けつけるのが遅すぎたようだ。どうかご容赦願いたい」
「閣下、とんでもありません!」
会話のなかでも、ブラックの視線はエリーゼに注がれたままだ。
そして、金髪の少女騎士は、路線を照らし始めた魔石ランプの薄明りの中でも顔面を蒼白にしているように、アイネには見えた。彼女はブラックの断罪を予見しているのだ、とアイネは悟る。
「これは俺のミスだ。アイネ殿、貴方をこんな危険な目に遭わせる気はなかった」
「いえ、いいえ。そのことについてお話が――」
「それはまた後で聞く。先に裏切り者だ」
ひゅっ、とエリーゼの喉が鳴った。
悲鳴を上げようとして、ぐっと我慢したのだろう。死を覚悟した人間独特の、気迫のようなものが背中に漂っている。
それをさせてはいけない!
ブラックが手をエリーゼに向けようとしたとき、アイネは咄嗟に叫んだ。
「閣下! その子は私の騎士です!」
「……どういうことだ?」
「主従の契約をいたしました。父親の王国騎士ロアーが裏切ったことを知っています」
「どこでその話を聞いた? 俺はまだ何も聞いていないというのに」
「王都のホテルギャザリックで襲われかけた私を、彼女の身を持って助けてくださいました。身を裂かれ、骨を皮からさらけだしてまで、私の事を庇い、戦ってくれました」
「信じ難い。騎士の娘ならなおさら。本人が元少女騎士ともなれば、さらに疑いは深くなる」
ブラックの決断は揺るがないもののように思えた。
夫になる人物がそうすると決めたのなら、将来の妻がするべきことは、その命令に従うことのみ。ただそれだけ。
貴族の女としてはそれが正解だったし、アイネの常識もそれが正解だと伝えていた。
だけどそれは本当にそうだろうか。彼が私のことを求めてくれると言うなら、そこにもし……。
義妹にオリビエートの愛情が移ったと知ったあの日から、それに気づいたアイネは、彼に持っていた愛情がだんだんと彩りを失っていくことに気づいていた。
透明になった私の心に、彼はもう必要ない。
生きる気力に乏しくなっていき、彼女の瞳に映る風景は、いつしかモノクロへと変化していた。
だけど、いまはどうだろうか。
この逃避行を始めた数日間の間、アイネは彼のことだけを求めていなかっただろうか。
ブラックを。こんなにも年齢が離れた彼が、自分を求めた本当の理由を知りたいと、そう願ってはいなかっただろうか。
政治的な理由なのか、それとも別の理由なのか。そして、自分は決めたはずだ、とアイネは思い返す。
生まれて初めて自分の騎士なった少女を、最初の部下を。守ると決めたのだ、と。
決意を思い返したとき、アイネの彩を失っていた心に、少しばかり色が差した。
「旦那様」
「まだそう呼ばれるには早い。俺はお前にいろいろと謝罪をしなければならない。こんな境遇に運ぶつもりはなかった。お前が許してくれるまで、俺はお前を妻と呼ぶことができないとそう思っている」
「許すなんて……。恨んでもいませんし、怒ってもおりません。むしろ感謝しております。私はこの数日間で、見知らぬ世界を。危険で生き延びるには大変な世界でしたけど」
「おまえ、何を言って?」
「オリビエートの愛情を失い、押し付けられた女はお嫌いですか?」
「嫌ってなどいない」
「でもこんなにも歳の離れた女、どうして妻にしたいと願われたのですか」
ブラックは顔をしかめた。
執事の待つ飛行船は、隣の建物、ホテルギャザリックの屋上にある飛行船の発着場に着いていた。
主とその婚約者を回収すれば、安全な大公城へと戻ることができる。
ここはいまだ危険だと、ブラックの戦士の勘は油断できないことを告げていた。
「その質問には、いま答えなければだめか」
「いまお返事をいただきたいと存じます」
「嫌だと言えば?」
「私の騎士と、私の侍女とともに、この場を去り王都に戻りたいと思います」
「……騎士の処分は後にすることにしよう」
「では、お側に付いて参ります。閣下」
交渉上手な女だ。
ブラックはこれから先の余生を、アイネと過ごすのが楽しみになった。
思わず歓喜の声がアイネの口から洩れる。
まさかこのタイミングで彼自身が来てくれるとは、夢にも思わなかった。
アイネはスカートの中から、折りたたんだ写真を思わず取り出して、見入ってしまう。
風と炎に煽られた髪は銀色。
苔色の瞳がぎらぎらと輝き、まるで野生のドラゴンのような粗暴と、見た者の心を掴んで離さない荒々しい魅力にみなぎった、五十代の男性。
炎を照り返す黒の高級スーツに身を包んだその姿は、まさしくブラック。
漆黒の闇、黒社会を統べる王に相応しい風格だった。
そして何より――彼の横顔は……かつて愛したあの人によく似ている。
第四王子オリビエートの横顔を彷彿させる、顔立ちだった。いや、世代的にオリビエートが似ている、というべきか。
光の壁の向こうで、ブラックは精霊たちに向かい何かを命じていた。
それは多分、襲撃者どもを拘束しろ、というようなものだったのだろう。
倒れ伏した男達が次々と宙に浮き上がる。
天空から、ゆるゆると降りてきた飛行船に向かって、彼らが巨大な竜巻と共に舞い上がって行った。
その光景のあまりの凄まじさに、アイネはぽかんと口を開いたまま、動けなくなってしまう。
これほどに強大な力を操ることができる精霊使いを、アイネは知らなかった。
ブラックの契約している精霊達は、王族のみが従えることのできる上位精霊達だろう。
炎の獣。まだら模様の美しい炎豹など、伝説や神話にしか存在しない。
アイネと同様に、セーラもまた、あれほど苦戦した男達が、あっけなく退治されたことに戸惑いを隠せなかった。
エリーゼだけは光のなかで、一人、神妙な面持ちで、剣をポシェットに仕舞いこむと、地面に片膝を付く。
まがりなりにも彼女は元少女騎士。
王族に対する礼儀は心得ていた。ついでに、自分の命の灯火がそう長く続かないことも弁えているようだった。
ブラックはその場の安全を確認すると、光の繭を解除して、三人をじっと見やる。
彼は険しい視線をエリーゼから動かさない。アイネにとっては命の危険を共にして逃げてきた侍女の一人だが、ブラックにとってはいまだ裏切り者か、それとも味方なのか。判断のつかない相手だからだ。
「シュバルト伯令嬢アイネ様か?」
「……はい。はい! アイネ、です。大公閣下」
「危険な旅のなか、ここまでご苦労だった。助けに駆けつけるのが遅すぎたようだ。どうかご容赦願いたい」
「閣下、とんでもありません!」
会話のなかでも、ブラックの視線はエリーゼに注がれたままだ。
そして、金髪の少女騎士は、路線を照らし始めた魔石ランプの薄明りの中でも顔面を蒼白にしているように、アイネには見えた。彼女はブラックの断罪を予見しているのだ、とアイネは悟る。
「これは俺のミスだ。アイネ殿、貴方をこんな危険な目に遭わせる気はなかった」
「いえ、いいえ。そのことについてお話が――」
「それはまた後で聞く。先に裏切り者だ」
ひゅっ、とエリーゼの喉が鳴った。
悲鳴を上げようとして、ぐっと我慢したのだろう。死を覚悟した人間独特の、気迫のようなものが背中に漂っている。
それをさせてはいけない!
ブラックが手をエリーゼに向けようとしたとき、アイネは咄嗟に叫んだ。
「閣下! その子は私の騎士です!」
「……どういうことだ?」
「主従の契約をいたしました。父親の王国騎士ロアーが裏切ったことを知っています」
「どこでその話を聞いた? 俺はまだ何も聞いていないというのに」
「王都のホテルギャザリックで襲われかけた私を、彼女の身を持って助けてくださいました。身を裂かれ、骨を皮からさらけだしてまで、私の事を庇い、戦ってくれました」
「信じ難い。騎士の娘ならなおさら。本人が元少女騎士ともなれば、さらに疑いは深くなる」
ブラックの決断は揺るがないもののように思えた。
夫になる人物がそうすると決めたのなら、将来の妻がするべきことは、その命令に従うことのみ。ただそれだけ。
貴族の女としてはそれが正解だったし、アイネの常識もそれが正解だと伝えていた。
だけどそれは本当にそうだろうか。彼が私のことを求めてくれると言うなら、そこにもし……。
義妹にオリビエートの愛情が移ったと知ったあの日から、それに気づいたアイネは、彼に持っていた愛情がだんだんと彩りを失っていくことに気づいていた。
透明になった私の心に、彼はもう必要ない。
生きる気力に乏しくなっていき、彼女の瞳に映る風景は、いつしかモノクロへと変化していた。
だけど、いまはどうだろうか。
この逃避行を始めた数日間の間、アイネは彼のことだけを求めていなかっただろうか。
ブラックを。こんなにも年齢が離れた彼が、自分を求めた本当の理由を知りたいと、そう願ってはいなかっただろうか。
政治的な理由なのか、それとも別の理由なのか。そして、自分は決めたはずだ、とアイネは思い返す。
生まれて初めて自分の騎士なった少女を、最初の部下を。守ると決めたのだ、と。
決意を思い返したとき、アイネの彩を失っていた心に、少しばかり色が差した。
「旦那様」
「まだそう呼ばれるには早い。俺はお前にいろいろと謝罪をしなければならない。こんな境遇に運ぶつもりはなかった。お前が許してくれるまで、俺はお前を妻と呼ぶことができないとそう思っている」
「許すなんて……。恨んでもいませんし、怒ってもおりません。むしろ感謝しております。私はこの数日間で、見知らぬ世界を。危険で生き延びるには大変な世界でしたけど」
「おまえ、何を言って?」
「オリビエートの愛情を失い、押し付けられた女はお嫌いですか?」
「嫌ってなどいない」
「でもこんなにも歳の離れた女、どうして妻にしたいと願われたのですか」
ブラックは顔をしかめた。
執事の待つ飛行船は、隣の建物、ホテルギャザリックの屋上にある飛行船の発着場に着いていた。
主とその婚約者を回収すれば、安全な大公城へと戻ることができる。
ここはいまだ危険だと、ブラックの戦士の勘は油断できないことを告げていた。
「その質問には、いま答えなければだめか」
「いまお返事をいただきたいと存じます」
「嫌だと言えば?」
「私の騎士と、私の侍女とともに、この場を去り王都に戻りたいと思います」
「……騎士の処分は後にすることにしよう」
「では、お側に付いて参ります。閣下」
交渉上手な女だ。
ブラックはこれから先の余生を、アイネと過ごすのが楽しみになった。
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