バッド・ロマンス【連作短編】

七条楓華@Unsweet(アンスイート)

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ノークライ【SIDE: ヴァレンチン】

空の青が目にしみる

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 指先が少しすべっただけだ。
 ナックルダスターを外してポケットに入れようとしたとき、舗道に取り落としてしまったのは。
 合金が路面に弾かれる、かん高い音が響いた。

 俺の隣を歩くニジンスキーがすかさず舌打ちしやがった。

「集中力が低下しているようだな。そんなことでは命をなくすぞ。気を引き締めろ」
「ちょっと物を落としたぐらい、何だよ。大げさなおっさんだぜ」

 俺は舌打ちし返し、身をかがめてナックルダスターを拾い上げた。

 これは大事な商売道具だ。借りた金をいつまで経っても返そうとしないタチの悪い債務者を説得して回る仕事に、ナックルは不可欠だ。毎日平均一、二回は、わからず屋をタコ殴りにしなくちゃならない。素手でやってたんじゃ、拳がいかれちまう。
 ナックルがあれば、手の骨に響く反動は逃がすことができるが。悲鳴、悪罵、泣き言。そういったものを延々と聞かされるメンタルへのダメージは軽減されない。
 まあ、つまり、俺は周りに思われているほど冷血漢でもないってことだ。

 ビルの谷間から、遠い青空を見上げた。
 日差しが眼球を貫き、鈍い痛みを深奥に刻む。


 強化プラスチック製のポールが大きくしなり、金髪の男の体を雲ひとつない青空へ向かって投げ上げる。
 あらかじめ定められた運命のように、男が足から先にバーを越えていく。
 ――目に焼きついて離れない映像が、脳裏でプレイバックされた。

 マルクが校庭で、棒高跳びの世界記録を超えるところを見たのは、もう遠い昔のような気がする。
 あいつは何だって超えていける。あいつは自由の象徴だ。


 ニジンスキーの言う通り、俺は集中力が低下してるようだ。仕事の最中に昔の思い出にひたるなんてあり得ない。過去なんか振り返るのはジジイのすることだ。

 俺たちは、市の清掃ロボットも入ろうとはしないごみだらけの路地を通って、本日四人目の債務者の住処へ向かっているところだった。

 「教授」というあだ名のその債務者は、ノヴァヤモスクワ市ではけっこう有名な死体の処分屋だ。特殊な薬品を使って、わずか五分足らずで跡形も残さず死体を消してみせる。その凄腕ぶりで、市内の各種犯罪者たちに重宝されている。
 奴の完全にイカれている目つきを見れば――死体を消すだけじゃなく、作るほうもかなりやってるんじゃないか、という噂も納得できる。
 なんでそんなヤバい男に金なんか貸したんだよ、とも思うが、俺たちの雇い主であるユロージヴイ金融は、顧客を選ばないことで名高い金貸しだ。

 俺の隣を行くニジンスキーも、見た目のすごさにかけては「教授」にひけをとらない。この男はユロージヴイ金融のナンバーワンの取り立て屋だ。しかし、回収成績が良いのは、単に顔が怖いからだけではない。腕っぷしは強いし、ストリートの事情にも通じている。普通に優秀な男なのだ。
 おまけに仕事熱心だ。初めの頃、俺をしげしげと眺めて、

「おまえ……かわいらし過ぎるな。そんなんじゃ客になめられるぞ。この稼業を長くやるつもりなら、顔面を半分ぐらい薬で焼いて、はくをつけた方がいい。なんなら俺が焼いてやろうか?」

と迫ってきたほどだ。まるっきり、真顔で。
 そういう、ちょっとついていけない面もあるが、少なくともこのおっさんの職務に対する姿勢は信頼できる。

 俺たちはチームとしてうまくやっていた。逃げ回る厄介な債務者を見つけ出し、しめ上げ、ぶちのめして、順調に貸金を取り立てていた。

 ただ、俺の目線でいうと、ニジンスキーと組むようになってから、担当する債務者の質がぐっと悪くなり、回収の難易度がぐっと上がった。会社のエースであるニジンスキーは、他の回収員では手に負えないような難しい案件ばかりを担当しているからだ。
 危険から身を守るため、銃は普通に必要だった。毎日が命がけだった。
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