バッド・ロマンス【連作短編】

七条楓華@Unsweet(アンスイート)

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キャント・ヘルプ・フォーリン・イン・ラブ【SIDE: ヴァレンチン】二年前

許してくれ

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 床に座り込んだままの姿勢で眠っていた俺は、ふと目が覚めた。
 見上げると、すぐそばにバンパイアが立っていた。

 ああ、また血を吸われるのか、とぼんやり思っただけだった。
 もう身構えようとも思わない。

 しかし、すぐに様子が違うことに気づいた。

 バンパイアは、普通の人間の顔をしていた。
 目も発光していないし、牙ものぞいていない。いつも顔に貼りついていた奇怪に歪んだ表情も消えている。野獣ではなく、穏やかな人間の理性の気配を漂わせている。

 見覚えのある相手だった――誰よりも速くトラックを駆け抜けていたあの男。俺がいつも授業中に窓から見ていた、アスリートクラスの金髪の優等生だ。

「すまん……許してくれ……」

 男の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「おまえを傷つけたくなかった……怖がらせたくなかった……でも、自分で自分が止められなかったんだ……すまん。ひどいことをした……」




 照明のスイッチは、どうやらこの男が持っていたらしい。男がコントローラを操作すると部屋が明るくなった。そのとたん、陰鬱な雰囲気が魔法のように消え失せた。
 俺たちはテーブルを挟んで腰を下ろした。椅子を本来の用途で使うのは、この部屋へ放り込まれてから初めてのことだった。
 まるで初対面であるかのように(まあ同じ部屋で何日か過ごしてきたが、ちゃんとした人間同士として向かい合うのはこれが初めてだ)、相手は折り目正しい態度で自己紹介をした。

「俺はV89クラスのマルクだ」

 俺が名乗り返そうとすると、相手は片手を上げて遮ってきた。

「知ってる。ヴァレンチンだろう? D91クラスの」

 マルクはこれまでの経緯を語り始めた。
 と言っても、それほど長い話ではなかったし、意外な内容もほとんど含まれていなかった。マルクたちは、リュボフ博士から「とても強くなれる注射があるんだが、打ちたくないか?」と持ちかけられ、大喜びで話に乗った。マルクのクラスの全員が、だ(「そんな頭の悪い口車に乗せられるなよ」と俺は内心呆れたが、口にはしなかった)。
 クラス全員に注射を打ち終えた後、博士はけたたましい笑い声をあげた。

「おめでとう! これで晴れて、君らはバンパイア・ウィルスの感染者だ。君らは強くなるぞ……この地上に立つ他の誰よりも。世界最強だ。どうだ? すばらしいだろう?」

 自分たちがバンパイアにされてしまったことに気づき、マルクはあっけにとられた。
 周囲でクラスメイトたちが怒りと抗議の声をあげ始めた。それを聞いているうちに、マルクにも次第に事態の深刻さが理解できてきた。
 確かにバンパイアになれば優れた身体能力が手に入る。どんな人間もかなわないだろう。しかしバンパイアになってしまえば、競技会には出場できなくなるし、どんなに高記録を出したとしても認定してもらえない。世界的なアスリートとして活躍する夢は消えてしまった。

「君らが世界最強となるためには、ひとつ条件があるんだよ。一生、一人の人間の血だけを吸い続けなければならない。その人は君らにとって特別な存在で、君らの力をとてつもなく高めてくれるんだ。……他の人間の血を少しでも吸ってしまったら、そのすばらしい力は失われる。注意するんだよ、いいね……」

 突然、ひどく気分が悪くなってきた。
(マルクの表現によると『頭の中が急にもやーっとおかしくなり、自分ではない何かが、自分の中でふくれあがってきたような気がした』)

 それから地獄のような苦しみの時間が始まった。

 マルクが断片的に覚えているのは、全身が燃えるように熱かったこと。心臓が胸から飛び出さんばかりに激しく打っていたこと。そして、人間の血を口いっぱいに含みたいという衝動が体内を駆けめぐっていたことだった。



「すまない。今までずっと、ひどいことをした。自分でも全然わけがわからなくて……まるで自分じゃないみたいだったんだ。痛かっただろう? 怖かっただろう? 悪かった」

「怖くなんかねえよ。全然」

 俺は反射的に言い返した。
 それは、せめてもの意地だった。体面だけでも取り繕えば、この数日間の恐怖と絶望がなかったことになるような気がした。

 それに、目の前にいるこのバンパイアも被害者なのだ。自ら望んでこんな状況になったわけじゃない。
 だから、こいつが俺を蹂躙し搾取したことも、許してやろうと思い始めていた。
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