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キャント・ヘルプ・フォーリン・イン・ラブ【SIDE: ヴァレンチン】二年前
完全なる絶望
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気がついたら、床に倒れていた。
噛まれた首筋はずきずき痛むが、どうやら出血はしていないようだ。
俺はおそるおそる立ち上がった。
室内はあいかわらず薄暗い。見回した限り、怪物の姿は見えない。
ドアを試してみたが、鍵がかかっていて開く気配はない。
俺は慎重に歩き出した。
とりあえず現状を把握しなければ。
そこは居住ブロックの一室のような所だった。部屋が二つと、バストイレユニットが一つあり、しばらく生活していけるようになっている。
窓はない。照明はあるが、ひどく薄暗い。もっと明るくできないかと思ってスイッチを探したが見当たらなかったから、これで我慢しなければならないようだ。
部屋のうちの一つにはテーブル一つと椅子が二脚あった。
テーブルの上に、常温保存可能な基本栄養食が百パック入った箱と、飲料水ボトルが百本入った箱が積み重ねられていた。
もう一つの部屋は寝室らしく、簡素なベッドが二つ並べて置かれていた。
そして、そのベッドの上に――奴が丸まっていた。
さっき俺を襲ったバンパイアだ。
ベッドに横たわったまま、びくりとも動かない。ただ、野獣のような、あるいは苦しんでいる人のような、低い唸り声が絶えず聞こえてくる。
俺は、バンパイアを起こさないように、寝室をのぞき込んだ首をそっと引っ込め、足音を殺して隣の部屋へ戻った。
現状は、こうだ。
俺はバンパイアと一緒に、鍵のかかった居住区画に閉じ込められている。窓もないから、ここからの脱出は不可能らしい。
食料と水が用意されているということは、裏を返せば、その食料がもつ間は俺たちはこのコンパートメントから出してもらえない公算が大きいということだ。
百食分。それは何日分と計算されているんだろう? バンパイアは普通の食料を食べるんだろうか?
ふと、気配を感じた。
部屋の入口にバンパイアが立って、こちらをみつめていた。
薄暗がりの中でもぎらぎらと白い光を放つ双眸。
剥き出された鋭い牙。
怪物だ。怪物としか思えない。
バンパイア・ウィルスに感染しているだけの普通の人間なんだから、話せばわかり合えるのかもしれないが――まったく話が通じるような気がしない。
相手から伝わってくるのはまぎれもなく、けだものの気配だ。
奴は腹を減らした捕食者。そして、俺は、被食者だ。
俺はとっさにバストイレユニットへ駆け込み、扉を閉め、中から鍵をかけた。
バンパイアは一撃で扉を蹴破った。
飛び散る扉の破片から顔をかばっているうち、荒々しい動作で襟首をつかまれた。バストイレユニットから引きずり出されながら、俺は腹の底から悲鳴をあげていた。恐怖のあまり叫ばずにいられなかった。
バンパイアは俺の体を乱暴に床に投げ出した。
そして後ろから、首筋に噛みついてきた。
生命そのものを吸い出されているような、不快な感覚に襲われた。
俺は再び意識を失った。
バンパイアはほとんどの時間、ベッドに横たわって唸り声をあげていた。
バンパイア・ウィルスに感染して日が浅いのだろう。まだ体がバンパイア化している途中なのかもしれない。
そして、腹が減ると、俺を襲って血を吸った。
吸血されるたびに俺は気絶した。
牙が首筋に食い込むのは、とてつもなく痛い。その上、バンパイアに血を吸われるのは、体の奥にある芯のようなものが無理やり吸い出されていくような感覚だ。
やられっぱなしでたまるか、と俺は一度だけ反撃を試みたことがある。
寝ているバンパイアの枕元へそっと歩み寄り、椅子を高く振り上げ、それを相手の頭に思いきり叩きつけた。
椅子は重い。殴った相手が普通の人間だったなら、命に関わるレベルの攻撃だ。
しかしバンパイアには何のダメージもなかった。奴は飛び起きた。すごい力で胸を殴られ、俺は部屋の反対側まで吹っ飛び、背中から壁に激突した。
衝撃で意識が朦朧としている俺をつかみ、バンパイアは深々と牙を食い込ませた。
危険な怪物と同じ部屋に閉じ込められて、いつ襲われるかという恐怖に常に怯えながら過ごすこと。
自分が、怪物の餌でしかないのだと痛感すること。
――それは人間のプライドや尊厳を根本から打ち砕く経験だ。
俺は自分でも向こうっ気が強い方だと思うし、周囲からはさんざん反抗的だとか突っぱってるとか言われてきたが、それでもこの一方的な暴力と蹂躙は俺の心を打ち砕いた。
逃げられない。逆らっても、かなわない。そしてこれがいつまで続くのかもわからない。
憎しみによる暴力なら、まだ納得できる。こっちも怒りを糧に耐えることができる。
でも相手は理性のない怪物で、単に空腹を満たしているだけなのだ。俺はただ、奴の手の届く所にある餌に過ぎないのだ。奴は俺が誰なのかさえ知らないし、気にもしてないだろう。それが、こたえた。
俺は抵抗の気力を失い、一日中部屋の隅にうずくまり、背を丸めていた。
バンパイアは気が向いた時に近づいてきて、俺を喰う。
俺はただそれを待っているだけの存在だ。
もっときついのは――俺は「こうなる」ために生まれてきた存在だったということだ。
俺はバンパイアに血を提供するためだけに作り出された。
はじめからバンパイアの餌として生まれてきたのだ。
俺の十八年間の人生。努力したこと、学んだこと、感じたこと。
そんなものには何の意味もなかった。重要なのは俺の血液だけだった。最強のバンパイア・ソルジャーを作り出すための血液。
俺は[造血器官]と同等なのだ。あの、鮮血にまみれた肉の塊。
ちくしょう。
部屋の隅にうずくまって、俺は何度も泣いた。寝ているバンパイアを起こすと後が面倒なので、懸命に声を殺して。
――「絶望」っていうのはきっと、こういうことを言うんだな。
噛まれた首筋はずきずき痛むが、どうやら出血はしていないようだ。
俺はおそるおそる立ち上がった。
室内はあいかわらず薄暗い。見回した限り、怪物の姿は見えない。
ドアを試してみたが、鍵がかかっていて開く気配はない。
俺は慎重に歩き出した。
とりあえず現状を把握しなければ。
そこは居住ブロックの一室のような所だった。部屋が二つと、バストイレユニットが一つあり、しばらく生活していけるようになっている。
窓はない。照明はあるが、ひどく薄暗い。もっと明るくできないかと思ってスイッチを探したが見当たらなかったから、これで我慢しなければならないようだ。
部屋のうちの一つにはテーブル一つと椅子が二脚あった。
テーブルの上に、常温保存可能な基本栄養食が百パック入った箱と、飲料水ボトルが百本入った箱が積み重ねられていた。
もう一つの部屋は寝室らしく、簡素なベッドが二つ並べて置かれていた。
そして、そのベッドの上に――奴が丸まっていた。
さっき俺を襲ったバンパイアだ。
ベッドに横たわったまま、びくりとも動かない。ただ、野獣のような、あるいは苦しんでいる人のような、低い唸り声が絶えず聞こえてくる。
俺は、バンパイアを起こさないように、寝室をのぞき込んだ首をそっと引っ込め、足音を殺して隣の部屋へ戻った。
現状は、こうだ。
俺はバンパイアと一緒に、鍵のかかった居住区画に閉じ込められている。窓もないから、ここからの脱出は不可能らしい。
食料と水が用意されているということは、裏を返せば、その食料がもつ間は俺たちはこのコンパートメントから出してもらえない公算が大きいということだ。
百食分。それは何日分と計算されているんだろう? バンパイアは普通の食料を食べるんだろうか?
ふと、気配を感じた。
部屋の入口にバンパイアが立って、こちらをみつめていた。
薄暗がりの中でもぎらぎらと白い光を放つ双眸。
剥き出された鋭い牙。
怪物だ。怪物としか思えない。
バンパイア・ウィルスに感染しているだけの普通の人間なんだから、話せばわかり合えるのかもしれないが――まったく話が通じるような気がしない。
相手から伝わってくるのはまぎれもなく、けだものの気配だ。
奴は腹を減らした捕食者。そして、俺は、被食者だ。
俺はとっさにバストイレユニットへ駆け込み、扉を閉め、中から鍵をかけた。
バンパイアは一撃で扉を蹴破った。
飛び散る扉の破片から顔をかばっているうち、荒々しい動作で襟首をつかまれた。バストイレユニットから引きずり出されながら、俺は腹の底から悲鳴をあげていた。恐怖のあまり叫ばずにいられなかった。
バンパイアは俺の体を乱暴に床に投げ出した。
そして後ろから、首筋に噛みついてきた。
生命そのものを吸い出されているような、不快な感覚に襲われた。
俺は再び意識を失った。
バンパイアはほとんどの時間、ベッドに横たわって唸り声をあげていた。
バンパイア・ウィルスに感染して日が浅いのだろう。まだ体がバンパイア化している途中なのかもしれない。
そして、腹が減ると、俺を襲って血を吸った。
吸血されるたびに俺は気絶した。
牙が首筋に食い込むのは、とてつもなく痛い。その上、バンパイアに血を吸われるのは、体の奥にある芯のようなものが無理やり吸い出されていくような感覚だ。
やられっぱなしでたまるか、と俺は一度だけ反撃を試みたことがある。
寝ているバンパイアの枕元へそっと歩み寄り、椅子を高く振り上げ、それを相手の頭に思いきり叩きつけた。
椅子は重い。殴った相手が普通の人間だったなら、命に関わるレベルの攻撃だ。
しかしバンパイアには何のダメージもなかった。奴は飛び起きた。すごい力で胸を殴られ、俺は部屋の反対側まで吹っ飛び、背中から壁に激突した。
衝撃で意識が朦朧としている俺をつかみ、バンパイアは深々と牙を食い込ませた。
危険な怪物と同じ部屋に閉じ込められて、いつ襲われるかという恐怖に常に怯えながら過ごすこと。
自分が、怪物の餌でしかないのだと痛感すること。
――それは人間のプライドや尊厳を根本から打ち砕く経験だ。
俺は自分でも向こうっ気が強い方だと思うし、周囲からはさんざん反抗的だとか突っぱってるとか言われてきたが、それでもこの一方的な暴力と蹂躙は俺の心を打ち砕いた。
逃げられない。逆らっても、かなわない。そしてこれがいつまで続くのかもわからない。
憎しみによる暴力なら、まだ納得できる。こっちも怒りを糧に耐えることができる。
でも相手は理性のない怪物で、単に空腹を満たしているだけなのだ。俺はただ、奴の手の届く所にある餌に過ぎないのだ。奴は俺が誰なのかさえ知らないし、気にもしてないだろう。それが、こたえた。
俺は抵抗の気力を失い、一日中部屋の隅にうずくまり、背を丸めていた。
バンパイアは気が向いた時に近づいてきて、俺を喰う。
俺はただそれを待っているだけの存在だ。
もっときついのは――俺は「こうなる」ために生まれてきた存在だったということだ。
俺はバンパイアに血を提供するためだけに作り出された。
はじめからバンパイアの餌として生まれてきたのだ。
俺の十八年間の人生。努力したこと、学んだこと、感じたこと。
そんなものには何の意味もなかった。重要なのは俺の血液だけだった。最強のバンパイア・ソルジャーを作り出すための血液。
俺は[造血器官]と同等なのだ。あの、鮮血にまみれた肉の塊。
ちくしょう。
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