上 下
107 / 422
ラリアント防衛戦

106話

しおりを挟む
「じゃあ、頼んだぞ」
「は……はい!」

 セレモーナの言葉に、まだ若い……二十代程の男が緊張した様子を見せる。
 セレモーナの部下だけに、当然のように男も色々な戦いを経験してきた。
 だがそれでも、空を飛ぶというのは初体験で、緊張するなという方が無理だった。
 特に何らかの乗り物に乗って空を飛ぶのではなく、ゼオンの掌の上に乗っての移動ともなればなおさらだろう。
 一応人が乗っていない方の掌で風避け代わりにするが、それだって完全に風を防げる訳ではない以上、万が一ということはある。
 せめてもの救いは、掌の上に乗るのが二人だけだということだろう。
 ここに来るときも二人連れて来たのに、戻るときも二人だというのは、来るときに連れて来た二人のうちの一人をここに残していくからだ。
 セレモーナの率いる援軍にラリアント側の情報を色々と話す必要があるので、その役目として一人こちらに残るのだ。
 また、それとは逆にセレモーナ率いる援軍についての情報をモリクに知らせる必要があるので、セレモーナの部下の一人がその役割を果たすことになった
 セレモーナと共に今までいくつもの戦場を経験してきたのだが、そんな男にしても空を跳ぶというのは初めての経験だった。
 楽しさよりも怖さの方が先に感じるのは当然だった。
 それでもセレモーナのためを思えば、ここで自分が行かないという選択肢は存在しない。
 今はとにかく、少しでも早くラリアントに行って打ち合わせをしておく必要があるのだ。
 ……この男にとって幸運だったのは、現在ラリアント軍の指揮を執っているモリクは自分が軍の指揮を執ったり、ラリアントを治めることに執着していないということか。
 援軍がラリアントに到着すれば、一時的にではあるがセレモーナがラリアントを治め、軍を指揮することになる。
 ラリアントの民に対して非道な真似をしたりするようなことがあれば、モリクもセレモーナに反発するだろう。
 だが、セレモーナがそのようなことをするはずがないので、統治にかんしては問題ないと思われた。
 ……この男にとって不運だったのは、セレモーナやその直属の部下はともかく、援軍の中には特権意識が肥大化した貴族もいるということだろう。
 そういう意味では、アランに絡んだ心核使いはまだ可愛い方だと言ってもいい。
 手柄を求めて援軍に参加したそのような貴族は、当然のように実力という点では決して高くはない。
 そのような者がラリアントに来た場合、間違いなく騒動が起きると思われた。
 もっとも、セレモーナは将軍としてそのような者たちを裁くのに躊躇するようなことはないのだが。

「うわぁ……」

 ゼオンの掌の上で、セレモーナの部下が感嘆の声を上げる。
 ラリアントから来た二人と違い、高所に対してもある程度の耐性はあるらしい。
 空を飛ぶという光景が出来る者は少ない。
 そうい意味でも、この男は高所であっても問題ないだけに、幸運だった。
 ……ラリアント組の一人は、二度目ではあってもまだ慣れないのか、身体を震わせていたが。
 それでもゼオンに乗って移動するのが嫌だと言わないのは、やはりゼオンで移動するのが一番素早いと理解しているからだろう。
 ラリアントの今後は、今の状況でどれだけ動くかによって変わってくる。
 そういう意味では、ここで自分が恐怖を我慢すればいいというのは、耐えるべき試練であった。
 そうして空を飛ぶと、それこすぐにラリアントが見えてくる。

「どうやら、攻撃はされていないみたいだな。向こうも策が失敗したのが衝撃だったってことか」

 ゼオンのコックピットの中で、アランは映像モニタに映し出されているラリアントを見ながら呟く。
 ラリアントの周囲にガリンダミア帝国軍の姿はなく、現在は損傷した場所を直しているのだろう。城壁の上を動き回っている者が多い。
 そんなラリアントの周囲に、ガリンダミア帝国軍の姿はない。
 そのことに安堵している間にも、ゼオンの移動速度によって急速にラリアントの姿が大きくなっていく。……もっとも、ズームすれば遠くからでもその姿をしっかりと見ることは出来るのだが。
 ゼオンがラリアントに近づけば、当然のようにラリアント側でもゼオンの姿に気が付く。
 城壁の上で何らかの作業をしていた者たちは、近づいてくるゼオンの姿を見て少しだけ混乱した様子を見せる。
 少し前にガリンダミア帝国軍によって策に嵌められかけたのを思えば、もしかしたらまたガリンダミア帝国軍が何かしてきたのではないかと、そう思ってもおかしくはない。
 だが、近づいて来たのがゼオンであると知ると、その混乱もすぐに収まって安堵した様子を見せる。
 ラリアントを包囲していたとき、ラリアント軍側の心核使いを助けるために戦ったゼオンや、他の者を出し抜いて手柄を立てるために勝手に追撃を行った結果、逆撃を食らった者たちを助けるために戦場で戦ったゼオンの姿を見ている者が多いからだ。
 そんなゼオンが戻ってきたのだから、歓迎こそすれ、それを嫌うといった者が出るはずもない。
 ……本当に少数の、ゼオンの活躍を苦々しく思っている者もいるので、全員が歓迎しているという訳ではなかったのだが。
 ともあれ、セレモーナの部下を連れて来ている以上、このまま空を飛び続けるという訳にはいかない。
 セレモーナの部下は、空を飛ぶという行為を非常に楽しんでいたので、ゼオンの高度が下がっていくということに少し残念そうにしていたのだが。
 そんなセレモーナの部下とは別に、ゼオンの掌の上にいるもう一人は、高度が下がっていくことに安堵した様子を見せていた。
 ゼオンはそのままラリアントの側に着地すると片膝を突き、掌の上に乗っていた二人を地面に下ろすと、ゼオンを解除する。
 小さく……アランだけに聞こえる鳴き声を上げたカロを手にするのと、ラリアントの中から部下を率いたモリクが姿を現すのは同時だった。
 モリクの登場が早いのでは? と若干疑問に思わないでもないアランだったが、モリクにとって王都からの援軍というのは、待ち望んでいた相手だ。
 その援軍の下に向かったゼオンがラリアントに向かって飛んできているといった報告を受けた時点で、モリクはすぐに部屋を飛び出していた。
 だからこそ、こうしてゼオンが到着した瞬間には、すぐにモリクがラリアントから出て来るといった真似が出来たのだ。
 地上に降りたセレモーナの部下は、自分に向かって歩いてくる男に気が付く。
 顔は知らなかったが、前もって情報は得てたので、その人物が誰なのか理解出来た。

「モリク殿、よくここまでラリアントを保たせてくれました。領主が裏切った中でも戦い抜いてラリアントを守り切ったその行動は、賞賛に値します。セレモーナ将軍からも、くれぐれもよろしくとお言葉を預かっています」
「そう言って貰えると、助かる。……ほとんど成り行きでのものなのだがな」

 モリクは少しだけ照れたように告げたが、実際には故郷がガリンダミア帝国軍に占領されるのを防ぎたかったかというのが正直なところだ。
 そんな風に言葉を交わしながら、二人はしっかりと握手をする。

「その理由が何であれ、モリク殿のおかげでラリアントが……そしてドットリオン王国の国土がガリンダミア帝国軍に占領されていないのは、間違いのない事実ですよ」
「援軍が来なければ、そう遠くないうちに占領されていただろうがな。……さて、実務的な相談に移ろう。だがその前に言っておけば、俺はセレモーナ将軍が援軍としてやって来たら、ラリアントの統治を任せるつもりでいる。それは問題ないな?」

 モリクのその言葉に、男は真剣な表情で頷く。
 ここでモリクが下手にラリアントに拘るようなことがあれば、かなり面倒な事態になっていた。
 だが、こうして統治権をあっさりと引き渡すつもりでいるというのを知って、安心したのだ。
 もちろん、ラリアントからの使者が来たときに、その辺の説明はしっかりとされていた。
 だが、それでもいざというときになると、権力を渡すのを惜しむ者というのは当然のようにいる。
 モリクについての詳しい情報を知らない以上、もしかしたらモリクがそのような人物ではないとは言い切れなかったのだ。
 ……モリクを知っている者にしてみれば、とてもではないがそんなことをするとは思っていなかったのだが。

「ええ、それで問題ありません。もちろんセレモーナ将軍はラリアントを統治することになったからとはいえ、無理を言うようなお方ではないので、安心して下さい」
「分かった。……では、詳しい話はラリアントの中でするとしよう。ここでは人目が多すぎる」

 お互いの関係が良好なものだと示したことで、ここで行う最低限の話し合いは終わった。
 であれば、本格的な話はラリアントに入ってから行うべきことだ。
 ……ここにいる者の中に、ガリンダミア帝国軍の手の者がいないとは限らないのだから。
 いや、ガリンダミア帝国軍の用意周到さを考えれば、確実にいるだろう。
 それでも迂闊にスパイの可能性を口にしないのは、もしそれを知った場合、皆が疑心暗鬼になる可能性があるからだ。
 せっかく今は、ラリアントにいる者たちで協力しあっているのだから、わざわざそれを壊すような真似をする必要はない。
 そうしてラリアントの中に入っていくモリクとセレモーナの部下を見送っていたアランだったが、不意にその肩が叩かれる。

「よう、アラン。お役目ご苦労さん」
「あ、ロッコーモさん。どうしたんですか?」

 そこにいたのは、雲海の仲間。
 今となっては、心核使いとしてもアランの先輩になる、ロッコーモ。
 その者の根源に影響して変身するモンスターが決まる心核使いとして、オーガに変身するというのはその粗雑な性格が関係しているのだろう。
 アランはそう思っているが、粗雑な性格であると同時に下の者の面倒見がいい、頼れる相手なのも間違いのない事実だ。
 そんなロッコーモは、アランの言葉に城壁を見ながら口を開く。

「ちょっと城壁の確認をな。あれだけの戦いのあとだし、結構被害は大きい。……修理出来る暇もほとんどないし、少し厄介だ」

 そう、告げるのだった。
しおりを挟む

処理中です...