虹の軍勢

神無月 紅

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50話

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「ん……んん……?」
「みゃー!」

 目が覚めた白夜が最初に見たのは、空飛ぶ毛玉のドアップだった。
 そして次の瞬間、その毛玉は白夜の顔に向かって勢いよくぶつかる。

「うわっぷ! おい、ちょっと、こら! ノーラ!」

 長年一緒に行動してきた相手だけに、毛玉を見た瞬間に白夜はそれがノーラだと理解していた。
 だが、それを理解は出来たが、現在の自分がどのような状況になっているのか……それが分からない。
 眠っていた状態から上半身を起こして周囲を見回し……

「うわぁお」

 自分でも意図しないまま、白夜の口から妙な声が出る。
 だが、それも当然だろう。
 白夜が今まで眠っていた部屋は、明らかに高級な家具が揃っており、眠っていたベッドも見るからに高級品だったのだから。
 それは、眠っていた白夜が一番理解している。
 少なくても、白夜の懐事情で買えるようなベッドではないということは、明らかだった。
 寝心地が、寮にあるベッドとは全く……それこそ本当におなじベッドという寝具なのか? と思うほどに違うのだ。

「どこだよ、ここ。……天国?」
「みゃーっ!」

 天国という言葉に、ノーラが抗議の声を上げた。
 自分を勝手に殺すなと、そういうことなのだろう。
 それでも毛針を飛ばしてくるようなことがなかったのは、白夜の体調を心配してのことか。
 そんなノーラの様子を見ながら、白夜は自分が気を失う前のことを思い出そうとし……

「あっ!?」

 瞬間、異様のゴブリンのことを思い出すや否や、ベッドから降り……

「え?」

 足に力が入らず、そのまま床に倒れ込む。
 ベッドの上で上半身を起こすことは普通に出来たのだが、何故か下半身には全く力が入らないのだ。
 何がどうなってこのようなことになっているのか分からず、慌てて自分の足を見る。
 だが、足は普通に存在し、別に切断されているといったようなこともない。

「えっと……え? あれ? 何で?」

 ろくに言葉が出て来ないのは、それだけ白夜が混乱しているからだろう。
 何故自分の足が動かないのか、その理由が全く分からなかったためだ。
 理由として思いつくのは、闇のゴブリンの一件くらいしかない。
 しかし、進化した闇の能力を限界まで使ったからといって、何故足が動かなくなるのか。
 これが、身体全体が動かなくなったり、身体が怠くなるというのであれば、まだ納得も出来た。
 だが、動かなくなっているのは足で、別に闇の能力を使うのに足というのは全く使う必要がない場所だ。
 それが白夜には全く理解出来なかった。
 そうして白夜が混乱していると、不意に部屋の扉からノックの音が聞こえてきた……のだが、今の混乱している白夜には何がどうしてそうなったのか自分の現状が全く分からず、ノックに反応することはない。

「失礼しますわ。……あら、起きてるじゃありませんの」

 ノックしても中から何の返事もなかったからだろう。まだ白夜が寝ているのだろうと考えた麗華が、扉を開けて姿を現す。
 だが、扉を開ければ、そこでは白夜が床に座り込んでいるのだから、それを不思議に思ってもおかしくはない。

「どうしましたの? 何か問題でもありましたか?」

 白夜の様子に疑問を抱き、近づきながら麗華が尋ねる。
 自分の足が動かないと呆然としていた白夜だったが、近づいてきた麗華から漂ってきた甘酸っぱい香水の匂いに我に返る。
 足が動かないことよりも、美人の先輩の香水の匂いに気を奪われるのは、女好きの本領発揮といったところか。
 それでもすぐに我に返ると、慌てたように口を開く。

「え? あれ、麗華先輩?」
「今頃気が付きましたの? それで、貴方は一体何をやってるんですの? 私(わたくし)の屋敷にあるベッドに寝かせておいたのに、何故か床に座り込んで」
「は? えっと、ここ……麗華先輩の家……じゃなくて、屋敷なんですか?」

 足が動かないということにも驚いたが、それ以上に白夜は自分が麗華の屋敷にいるということに驚く。
 当然だろう。麗華はネクストの生徒の中でも、色々な意味で有名人なのだから。
 当然麗華はネクストの中でも憧れの存在で、非公認のファンクラブがいくつも存在している。
 もしそのような者たちに、白夜が麗華の屋敷に入ったことを知られれば……そう考え、すぐに白夜はそれどころではないことを思い出す。
 異形のゴブリンとの戦いで、不可抗力とはいえ白夜は麗華の身体を思い切り抱きしめるような真似をしたのだ。
 もしそれをファンクラブの連中に知られれば、屋敷に入った云々とは比べものにならないくらいに目の敵にされるだろう。
 それこそ、闇討ちは日常茶飯事に起きても不思議ではないくらいに。
 不幸中の幸いなのは、あのとき戦場に残っていたのが白夜と麗華の二人……正確にはノーラも入れるので二人と一匹だけだったことか。
 そのような状況であった以上、麗華が誰かにそのようなことを話すとも思えないし、白夜が下手に口を滑らせたりしない限り、その辺は安全だろう。

「そうですわよ。あの異形のゴブリンとの戦いが終わったところで、白夜は気を失ってしまったでしょう?」

 そう言いながら、麗華は何故白夜が床に座ったままなのかと訝しげな視線を向ける。

「気を……ああ、そう言えば……」

 麗華が異形ゴブリンに致命傷ともいえる攻撃をしたのを最後に、白夜の意識は途切れている。
 つまり、そこで気を失い……先程気が付いたと、そういうことなのだろう。

「苦労しましたわよ? 何せ、白夜は起きないんですもの。異形のゴブリンが死んだとはいえ、他にも同じような存在がいないとも限りませんでしたし。……ゲートが閉じたのを見て、どれだけ安堵したと思います?」
「え? ゲートが閉じたんですか?」

 意外そうな表情で呟く白夜。
 当然だろう。別にゲートは、白夜たちが戦った異形のゴブリンが開いた訳ではない。
 ゲートが開いて異形のゴブリンが……正確には普通のゴブリンを異形のゴブリンにした存在がやって来たのは間違いないのだが、だからといって異形のゴブリンを倒せばゲートが閉じるという訳でもない。
 それは、あくまでも偶然にすぎなかったはずだ。

「そうですわよ。もっとも、五日前のことですもの。今はトワイライトもネクストも、大分落ち着いてきていますわ」
「そうですか。……は? 五日?」

 麗華の言葉に頷いた白夜だったが、一瞬の違和感のあと、その正体に気が付く。
 五日、と。
 今、間違いなく麗華はそう言ったのだ。

「ええ、五日ですわ。その間、白夜はずっと眠り続けていたのです」
「うわぁ……」

 そう、まさに『うわぁ』というのが白夜の正直な気持ちだ。
 進化したばかりの能力を、限界寸前……どころか限界以上に使ったのだから、それくらい眠り続けていてもおかしくはないのだろう。
 それでも……やはり、ちょっとショックだったのは間違いない。
 白夜の表情を見て、麗華もその思いが理解出来たのか、若干慰めるような口調で麗華が口を開く。

「能力が進化したときは、相応の負担が能力者にかかりますもの。その状況であの異形のゴブリンと戦ったのですから……そうなってもおかしくはありませんわ」

 他人に厳しく、それ以上に自分に厳しい麗華の口から出た褒め言葉。
 そのことに驚いた白夜だったが、それより先に聞くべきことがあった。

「それで、その……起きたら、何でか足が動かないんですけど」
「能力を限界まで使った反動ですわ」

 反動という言葉に、予想はしていたものの、白夜の表情が一瞬強張る。
 もしかして、もう自分の足は二度と動かないのではないかと、そう思ったからだ。
 だが、麗華はそんな白夜に薔薇の如き笑みを浮かべて口を開く。

「安心なさい。もうこの先ずっと足が動かないという訳ではありませんわ。恐らく数日中に動くようになるというのが、医者の見立てです。もっとも……起きてしまった今、白夜にその数日の余裕があるのかどうかは、正直微妙ですけど」

 最後の方だけを口の中で呟いた麗華だったが、その言葉は白夜に聞こえていなかったのだろう。
 数日で足が元通り動くようになると明らかになったことが、白夜にとっては間違いなく嬉しかったのだ。

「そうですか。よかった」
「今回は仕方ありませんでしたけど、次からはあんな無茶な戦い方をしては駄目ですわよ」
「そう言われても……ああしないと、麗華先輩を守ることが出来ませんでしたし」
「……え?」

 予想外のことを言われたといった感じで、麗華は言葉に詰まる。
 そうして白夜が何を言ったのかを理解するに従い、次第に麗華の頬が薄らを赤くなっていく。

「な、な、な……いきなり何を言ってますの!?」
「え? 何か俺、変なことを言いました?」

 白夜は何でいきなり怒鳴られたのか分からず、首を傾げる。
 だが、麗華にとって今の白夜の言葉は予想外に……そして予想以上に強烈な威力を持っていた。
 麗華も、光皇院家の令嬢だ。
 当然のように社交界とでも呼ぶべきパーティに参加することは多くあり、その美貌と光皇院家という家柄から、数えるのも馬鹿らしくなるくらいの者に言い寄られた経験がある。
 だが、そのように言い寄ってくる者の全て……とまではいかないが、それでもほとんどの者が、腹に何かを抱えているのだ。
 そのような相手からの口説かれることには慣れていた麗華だったが、だからこそ白夜の口から出たのは、そこに何も含まれていない……心の底からの思いだと分かってしまう。
 率直にそう言われた言葉は、麗華に思いもよらぬほどの衝撃を与えていた。
 それこそ、本人も何故そこまで? と疑問に思うほどの衝撃を。

「えっと……その、ちょっとこれかれのことを考える必要があったのを忘れていましたので、少し失礼しますわ」

 そう言い、部屋から出ていく麗華。
 そんな麗華の後ろ姿を見送り、白夜は少しだけ不安を抱く。
 結局何があったのかは分からなかったが、もしかして自分の言葉で麗華を怒らせてしまったのではないかと。

「みゃ!」

 しかし、そんな白夜にノーラは心配ないと鳴き声を上げていた。
 ノーラの姿を見ながら疑問を抱く白夜だったが、取りあえず今はそんなノーラのこと信じ……

「え? あれ? おれ、どうやってベッドの上に戻ればいいんだ? つか、トイレとかどうすればいいんだよ?」

 そこまで考え、ふと自分が寝ている間のトイレはどうなったのかと、不安を感じる。
 こうして起きている今であっても、足が動かない以上トイレに行くのは難しい。
 それこそ、車椅子の類を使って移動する必要があるのは間違いなかった。
 だが……それは今だからこそ言えることであって、自分が意識を失っていたときにはどうだったのか。

「うん、考えるのは止めよう。不幸なことになるのは間違いないし」

 嫌な予感から、取り合えずそうして思考を逸らす。
 後日、光皇院家のメイドがその手の作業をしていたと知り、それこそ身悶えをするほどに恥ずかしくなるのだが……今は忘却の彼方に送り、考えないことで精神の均衡を保つことにする。

「っと」

 足が動かなくても、上半身は動く。何より闇の能力は普通に使えたので、何とかベッドに戻ることには成功した。
 そうしてベッドで横になり……何が興味深いのか、部屋の中をフワフワと飛び回っているノーラを眺めつつ、白夜はゲートを閉じて東京を守るときった真似をしたことに、未だに実感がない。
 ゲートを閉じるというのは、普通であればそう簡単に出来ることではない。
 ましてや、白夜のようにネクストの……トワイライトの準隊員とでも言うべき立場の者であれば、それこそ本来なら逃げ出すようなことくらいしか出来ない。
 そんな白夜が、ゾディアックの麗華の力を借りたとはいえ、ゲートを閉じることに成功したのだから、普通なら勲章ものだろう。

「……ん?」

 そこまで考え、もしかして自分は色々と不味い……正確には面倒な立場にいるのではないか? と思い直す。
 元々、白夜は決して優等生とは呼べない存在だ。
 学校の成績は決して悪い訳ではないが、何かあればナンパをして失敗し……ということを繰り返しているのだから。
 そうである以上、上に……それこそ教師ならともかく、東京のお偉いさんやトワイライトのお偉いさんに事情を聞かれるなどというのは、出来れば遠慮したかった。
 遠慮したかったのだが……

「麗華先輩の様子を見る限り、そんな訳にはいかないんだろうなぁ……」

 と、しみじみと思う。
 普通であれば、憂鬱になってもおかしくはないところだったが、白夜の場合は基本的に楽観的な性格をしていることもあって、取りあえずそういうことになれば、もしかしたら……本当にもしかしたら、麗華とお近づきになれるかもしれないと、そう前向きに考えるのだった。
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