一人夜行 ~お人好しぬらりひょんの妖魔奇譚~

稲葉りん

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第二話 できそこないの訪問者

(五)

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「一つ聞いてもいいですか?」

八雲が風太をあやす手を止めて尋ねる。

「普通アンビシャスゲストは、着いたその日に事件を起こすものです。どうしてこんなに長いあいだこの家に?」

美咲は少しバツが悪そうに頭をかいた。

「う~ん、それは私ができそこないだったからかなぁ。私が迎えられるべきは絵にかいたように幸せな一家。本当は三か月前の大雨の日に決行する予定だったんだよ。」

竜次は疑問に思う。押川家はどう見ても絵にかいたような幸せな家族に違いない。しかし、そのとき八雲が何かに気づいたように目を見開いた。

「そっか、圭介さん。あの人は確か、つい最近まで引き籠りだった。だから彼が社会復帰して、家族となじむまでは行動を起こせなかったんだ。」

竜次はこの家に送ってもらう道中にかわされた奈央と圭介のやり取りを思い出した。確かに、今では立派に働いていて、理想的な兄だが、それ以前はおそらく違っていた。

「うん、正解。やっぱり頭いいね~、紗菜ちゃんは。それに加えてそんなにかわいいんだから、お姉さん嫉妬しちゃうな~。」

地面をたたきつける雨音が、ガレージに反響して聞こえてくる。風太が耳をピクリとさせて、何かに気づいたように、裏山に面する壁に向かって吠えた。カラッ、コロッ、と何かが転がる音がする。

「でも流石に何か月もいちゃダメだね。変な情が沸いてきちゃった。やっぱり私には向いてなかったんだろうなぁ。」

そのときふいに居間の扉から足音が近づいてきた。

「……だめ。」

八雲の声色が変わる。

「ごめんね、なんかみんな寝ちゃってたみたいでさ。風太と遊んでてくれたの?ありがとうね。」

圭介が瞼をこすりながら申し訳なさそうに声をかけた。

「竜次!とめて!」

八雲が叫んだ。しかし竜次がそれを試みた時にはすでに、圭介は扉のところまで来てしまっていた。

壁に何か重みのあるものがぶつかる音がした。

「どうしたの?大きい声出して……あれ、美咲さん?どうしたの、寒いよ、中に入ろう?」

優しく伸ばされたその手を見て、美咲はぎこちなく笑った。その目には今にもこぼれ落ちそうな涙があふれていた。

突如、裏山から轟音が鳴り響いて家全体を揺るがした。

土砂崩れ

頭の中にその文字がよぎった瞬間、いまここにいる者たち、そして今でまだ眠っている者たちのことが竜次の頭を巡った。

(澪は大丈夫、あいつは土に埋もれるぐらいでは傷一つ負わないだろう。ただ残りの人たちはひとたまりもない。俺の力なら流れてくる土砂をはじくことはできても、どのみち家が崩れることは免れない。どうすれば?)

多数の生死を分けるその瞬間、竜次の頭によぎったのは一見関係のない疑問だった。

(どうしてみんなが眠るなか、八雲だけが起きていたんだ?)

八雲は足元でおびえている風太を抱きかかえようとしている。



(美咲さんが調理をして、八雲だけが唯一箸をつけなかった。つまりみんなを眠らせたのは、他でもない美咲さん。でもなぜ?)

『……あぁ、ぬらりひょんか。起きなくてよかったのに。』

『雪崩が襲ったのは悲しいかな避難場所の方』

『めちゃくちゃ頑丈でしっかりしたガレージ』

竜次が理解すると同時に八雲が風太を抱きかかえて振り返り、美咲は一歩二歩、後ろに下がった。その瞬間、とてつもない轟音とともに岩がガレージの壁を突き破った。

「美咲ーっ!」

竜次は必死に手を伸ばす圭介を右手に抱きかかえて、もう片方の手で八雲を抱き寄せると、廊下を居間の方に向かって飛んだ。

空中で反転して、やがて激しい衝撃が背中に走った。

やがて轟音は鳴りやみ、数秒間の静寂が訪れる。

自分の足元まで崩れかかっている家の天井をぼんやりと眺めていると、八雲との間に挟まっていた風太が楽しそうにぺろぺろとほっぺをなめてきた。圭介は気を失っている。八雲は腕を枕に同じく天井を見上げて、一つ大きなため息を吐いた。

先ほどよりも静かな雨の音が聞こえた。

◇ ◇ ◇

その後のことは万事流れるように進んでいった。一家は目を覚まして、家の有様に驚愕しながらも“全員”の奇跡的な無事を泣きながら喜んだ。雨が嘘のようにあがったころに警察と消防隊が駆けつけて、瓦礫が撤去されていくなかでひとり、圭介の慟哭が止まらない理由を押川家の人間は、本人も含めて知るものはいなかった。

寝過ごした失態を腹を切る勢いで謝り倒す澪を慰めつつ、その理由を知る二人は何も言わず、ただ口を結んで地面を見つめた。


【後日 学校】

四限目を終えて、三人はいつもの第三図書室に向かっていた。

「そういえば、なんで美咲さんが妖魔だってわかったんだ?あのときは風太が原因だとばかり思ってたんだけど。」

ふいに竜次が頭に残っていた疑問を尋ねた。八雲はあきれたようにため息を吐く。

「風太が拾われたのはつい二週間くらい前、でも押川さんは入学してからずっとあんたのことを認識してたのよ。時系列が合わないじゃない。」

とすれば、八雲は奈央の部屋にいる段階でもう目星をつけていたことになる。

「ならどうして……」

(……言わなかったのか。この女は“わざと”。)

あの本来の性質に反した、優しすぎるアンビシャスゲストが一家を巻き込むとは考えにくかった。ならば真実を知って、あの悲しい場面に立ち会うのは少ない方がいいと、自分一人でいいと、八雲は考えたのだった。

「……バカが。」

「うぅ、若、まだ怒ってらっしゃいますか?やっぱり私、腹切りを……。」

「違う、澪じゃなくてだな。」

ちょうどそこへ、後を追うようにして走ってきた澪が三人を呼び止めた。そして目の前で深く頭を下げた。

「本当にこの前はごめんなさい。寄りにもよってうちにきてもらった日にあんなことになっちゃうなんて。」

「大丈夫だよ、みんな怪我一つなかったんだから、ほら頭上げて。」

八雲が優しく奈央の肩をさすった。

「ありがとう、でも本当に奇跡みたい。全員無事だったなんて。」

そのセリフに竜次は無意識に目をそらしてしまう。

「あっ、これお詫びと言ってはなんだけど、シフォンケーキ焼いてきたんだ!わたし料理とか苦手であんまりしないのに、なんでかこれは作るの得意で……あれ?どうして三袋あるんだろ?」

そう言って、奈央は丁寧にラッピングされたケーキの袋を不思議そうに眺めた。

「まぁいっか、はい紗菜ちゃんと澪ちゃん。あと、澪ちゃんの彼氏さん、かな?余っちゃうのもったいないし、どうせだから受け取って?」

竜次はそのとき自分の左手の小指を澪が握っていることに気が付いた。うつむいたその口元は痛みに耐えるように固く閉じられている。

その光景を見て八雲は思い出す、初めて竜次に声をかけた日のことを。一回目、この男は自分の名前が呼ばれたのに聞こえないフリをした。それは自分に声をかける人間が妖魔に取りつかれていることを知っていたから、そして助けたところで感謝される間もなく忘れ去られてしまうこを知っていたから。

それでも結局は手を貸してしまうのだ。この“お人好し”の妖怪は。

(……バカね。)

奈央は改めて深く頭を下げると、もと来た道を帰って行った。

「ほら、ボーっとしてないで行くわよ。」

振り返った八雲がすれ違いざまに竜次の手に今さっきもらったケーキを落とした。

「圭介さんを止めてくれたお礼。あれは想定外だったから。」

振り返らずに八雲はそう言うと、先に行ってしまった。竜次はそのお礼に目を落とす。

『特製キャロットケーキ』

(やっぱ野菜苦手なんじゃねーか。)
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