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転生した悪の大魔女ですが、何故か聖女認定されてしまいました

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かつて存在した大魔女、ヴェロニカ。

 艷やかな黒髪と爛々と輝く金の瞳を持つ絶世の美女だったが、その性情は悪そのものと言われていた。

 破壊と混乱を愛し、人々の恐怖をなにより好む。

 

 魔術と呪いを得意とし、多くの魔物を従える彼女は、その力を存分に振るい世界中を恐怖させていた。

 そんな中、光の力を持つ女神に選ばれし者たち――勇者ジークフリートと聖女エレオノーラが立ち上がる。

 幾多の苦難を乗り越えた二人は、ついに大魔女ヴェロニカを滅ぼすことに成功する。

 

 死に際にヴェロニカは言った。

 

 

「千年後、私は必ず蘇る。そして今度こそ世界をめちゃくちゃにしてやる」

 

 

 選ばれし二人は答えた。

 

 

「ならば自分達も千年後に生まれ変わり、必ずお前をまた倒してみせる」

 

 

 そして、それから千年が立ち、運命は再び動き出そうとしていた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 ヴェロニカが滅ぼされた千と十五年後、女神を祀る大聖堂。

 そこに、首尾よく生まれ変わったヴェロニカはいた。

 今世での名前はアリツェ・ヴァールカ。ヴァールカ公爵家の次女で今年十五になる少女だった。

 美しい銀色の髪に、前世と同じ輝く金の瞳。物憂げな雰囲気の美少女だ。

 

 かつてのヴェロニカ――アリツェは、緊張した面持ちで目の前の老人を見つめている。

 感情の読めない微笑を浮かべ、アリツェをじっくり眺めるのは、女神教のトップである白髪の老人、教皇ルジェクだった。

 

 ヴァールカ公爵家で「アリツェを産む際に公爵夫人が命を落とした」という理不尽な理由から虐げられていたアリツェは、前世の記憶を取り戻した後、ついうっかり加害者達に復讐をしてしまった。

 とは言っても父親である公爵の食事を執拗に魔術で地面に叩き落としたり、ムカつくメイドの頭に分厚い本を叩きつけて昏倒させたり、姉の婚約者が屋敷を訪れた際に蜂の群れをけしかけて追い払ったりしたくらいだ。

 可愛い悪戯の範疇だろう、とアリツェは思っていた。

 ただ、それらの不可解な現象がアリツェの周りで余りにも起こりすぎた。

 そのため「あの悪の大魔女の生まれ変わりではないか」と疑われた結果、魔女裁判にかけられる羽目になり、ここに連れてこられたのだった。

 

 ついカッとしてやりすぎちゃったわ、とアリツェは思う。

 この虐げられていた虚弱な体では、十全に魔術を使うこともできなければ、強い呪いをかけることも出来ない。

 本当はムカつくやつらなんか全員殺してしまいたかったが、仕方なく悪戯の範疇に収めてあげたのだ。感謝してほしいくらいだ。

 大魔女ヴェロニカの生まれ変わりであることがバレたら、碌な抵抗も出来ずにまた滅ぼされてしまうだろう。

 

 

(また来世に期待ってことかしら)

 

 

 アリツェはほぼ諦めてかけていた。

 

 やがて教皇ルジェクが一度大きく頷いた後、口を開いた。

 

 

「……大きな力を感じるのぅ。なんだか寒気がするほどじゃ」

 

 

 アリツェは思わず目を瞑り、魔女宣告される心の準備をした。

 しかし、教皇ルジェクが続けた言葉は思いも寄らないものだった。

 

 

「毒入りの食事を見抜いて公爵が誤って食べないよう仕向けたり、盗みを働いていたメイドを懲らしめたり、女癖の悪い姉の婚約者を追い払ったりといった周りの人間を守る行動。それに、千年前の聖女エレオノーラ様と同じ清らかな銀髪。間違いない、アリツェ公女は、聖女エレオノーラ様の生まれ変わりじゃ!」



「……はい?」



 

 アリツェは間抜けな声を漏らしたが、見守っていた観衆が上げたおおーっ、という歓声に掻き消される。

 父親である公爵は興味なさそうに、アリツェを嫌っている姉のミルシェ公女は悔しそうにそれを眺めた。

 

 そしてその当事者であるアリツェはというと……。

 

 

(え? は? 意味わかんないんだけど! なんで? どういうこと!?)

 

 

 前世で勇者と聖女に滅ぼされた時よりも、よっぽど焦っていた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 何故か聖女認定されてしまったが、考えてみると都合が良いかもしれない。

 衝撃から立ち直ったアリツェはそう思った。

 

 聖女として振る舞い、力を完全に取り戻したら化けの皮を剥いで周りの人間を屈服させるのだ。

 信じていた聖女が偽物だとわかった人間たちの絶望の表情、さぞ愉快に違いない。

 

 よし、頑張って聖女様ゴッコをするぞ、と決意してしばらく経ったある日、アリツェは再び大聖堂へと呼び出された。

 

「ここにおられるエリアス王子殿下に祝福を与えて欲しいのじゃ」

 

 好々爺然とした教皇ルジェクは言う。

 教皇ルジェクの側には、恐らく同じ年頃の少年が立っている……のだろう。

 

 アリツェの目にはドス黒い巨大なモヤの塊にしか見えなかったが。

 

 

(信じらんないくらい呪いまみれで、姿が全く見えないわ! 逆によくこれで生きてられるわね!?)

 

 

 そう、大小様々な呪いが彼の全身を覆い隠してしまっていたのだ。

 とはいえ、恐らくアリツェ以外には彼の姿ははっきりと見えているのだろう。

 素養がある者は呪いを実際に目で見ることができるが、そうでない人間には感知することはできない。

 

 そして呪いの素養のある人間など極々稀だった。

 

 

「殿下は最近何故だか体調が優れない日が続いておるらしく、聖女であるアリツェ公女に是非とも祝福をしていただきたいのじゃ。そうすれば少しはマシになるじゃろう。……ほら、殿下の顔色をご覧。こんなになるまで耐えておられて、お可哀想に」

 

 

 そう言われてもアリツェの目には巨大なモヤしか見えず、顔色なんて判るはずもない。

 しかし、本物の聖女なら呪いの素養などある筈がないので、「すみませんこの人呪いまみれなんで私の目には顔色なんてカケラも見えませんし、てかこれでよく体調不良で済んでますね。生きてるのが奇跡ですよ」等と正直な感想を言う事もできない。

 

 アリツェは咄嗟に取り繕った。

 

 

「そうですわね……。こんなに青褪めてしまって」





 そういうと教皇ルジェクは片眉を上げた。

 

 

「おや? 儂の目には高熱で真っ赤になっておるように見えるがの」



「そうですわねオホホ……。失礼、ただの言い間違えです」

 

 

 危ない危ない。あんまり適当なことを言うもんじゃない。

 

 

「すまないね、迷惑をかけてしまって……。この借りは、必ず返すよ」

 

 

 突然モヤの中から声が聞こえてアリツェはギョッとした。どうやらエリアスが話しかけてきたらしい。

 

 

「それじゃ、頼んだぞ」

 

 

 ルジェクはそう言ってアリツェに微笑みかけた。

 とは言えアリツェは偽物の聖女だ。祝福なんてできる筈もない。

 

 

(なんとか祝福っぽく見せなきゃ……)

 

 

 アリツェは焦った末、苦し紛れに闇の魔術で人魂を召喚した。非業のうちに死んだ魂が転じた魔物だ。

 紫色に不気味に光るそれは、じっくり見るとかなりおどろおどろしい。

 

 人魂には見た人間を恐怖させ、触れた人間に火傷を負わせる効果がある。

 ヴェロニカ時代は人間を威嚇するためによく使っていた。

 

 絶対に聖女が呼び出して良いものではないが、今使えそうな魔術がこれしかなかった。

 

 じっくり観察されると魔物であることがバレてしまう。

 アリツェは召喚した人魂に、モヤの周りを高速で周る様命じた。

 残像しか残らないくらい高速で動かせば、正体がバレづらくなる筈。

 

 命じられた通り、人魂は高速でぐるぐると回転を始めた。

 

 毒々しい呪詛の塊の周りを高速で回転する人魂。

 正直言って邪教の儀式にしか見えない。

 

 アリツェは内心はかなりヒヤヒヤしていたが、それを全く表に出さず、平静を装って静かな声色で辺りに語りかけた。

 

 

「今、祝福しております……。御覧ください、聖なる光が殿下を覆っています……」

 

 

 実際はその「聖なる光」とやらの正体はただの魔物の残像だが、誤魔化せれば良いのだ。

 呪詛塗れ王子の背後から見守っていた騎士たちが歓声を上げる。

 

 

「さすが聖女様の祝福だ。光の力の素養が無い俺にも祝福の光を見ることができる。なんてとてつもない力なんだ」



「ああ、本当にこれはすごい。今まで見たどの祝福の光とも違う。なんだか熱も感じる気がするし。いやあっつ」



「神秘的だ……。なんだか恐ろしい気すらするよ……。見ていると、不思議とちょっと寒気がする……」

 

 

 本当にいいのか、こんなので誤魔化されて……。

 アリツェはやや微妙な気持ちになったが、祝福するフリを続けた。

 

 

「はぁ!」

 

 

 適当な掛け声と共に、火の玉を一瞬大きく輝かせた後、消し去る。

 同時に王子にかかっている呪いを術者に返した――呪詛返しだ。

 とはいえ、今のアリツェの力だとその全てを返すことはできず、呪いのモヤの大きさを縮める程度の効果しかなかった。

 まあ、それでも何もしないよりは遥かに多少はマシだろう。

 

 

「どうでしょうか……。少しは楽になっていると良いのですが」

 

 

 わざとらしく雰囲気を作ってモヤの塊王子に問う。

 

 

「ああ、なんだか本当に少し調子が良くなってきたみたいだ。ありがとう、聖女アリツェ」

 

 

 モヤ王子が嬉しそうな声を出す。よく聞くと結構良い声だ。顔も良いに違いない。全く見えないが。

 

 

「このお礼は、いずれ」

 

 

 それだけいうと、モヤ王子は騎士たちを引き連れ去っていった。

 なんとか誤魔化すことには成功したようだ。

 ほっと胸を撫で下ろすアリツェは、何故か満足そうに何度も頷く教皇の様子に気付くことはなかった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 それから一年が立った頃、アリツェとエリアス王子の婚約の話が持ち上がった。

 王家は聖女認定されたアリツェを囲い込みたいらしい。

 

 相変わらずアリツェに関心のない公爵は、「好きにしろ」とだけ言って放置した。

 一方、密かにエリアス王子に思いを寄せていたらしい姉のミルシェは、嫉妬からアリツェへの嫌がらせを過激化させた。

 

 最も、その頃には使用人達をシバいて待遇を向上させ、しっかり体力をつけていたアリツェは、魔術と呪いを駆使してバレないようにミルシェにやり返していたため余り問題は無かった。

 

 

(王子と婚約すれば、将来的には王妃になれるかもしれない。内側から国を混乱に陥れてやるわ)

 

 

 それに、噂によると結構な美青年らしい。顔は見れていないが声は結構良かった。

 アリツェは美しいものが好きだ。側に置くならなるべく美しいほうが良いに決まってる。

 そう考えたアリツェはエリアスとの婚約を受けることにした。

 

 承諾の返事を出すと、早速婚約式のため、アリツェは再び大聖堂に呼び出された。

 大勢収容することが可能な広い祈りの間には、今日はアリツェとエリアス、教皇ルジェクの三人しかいない。

 アリツェの目には、エリアスはやはり毒々しい呪詛の塊にしか見えない。

 なんなら以前より巨大化している。

 

 

 (……どんだけ恨まれてんの? この王子様は)

 

 

 よく耳を済ましてみると、王子の息遣いがかなり荒い。大分体調が悪いのだろう。

 計画のためには王子に死なれては困る。大分健康になった今なら、全ての呪いをまとめて全部呪詛返し出来そうだ。

 

 しかしこれだけの量をまとめて対処するとなると、直接王子の体に触れる必要がある。

 アリツェは虎視眈々と王子の体に触れる機会を伺った。……やっていることはほぼ痴女である。

 

 そんな内心を隠し、「ご機嫌よう、猊下、殿下」と気合を入れて柔らかく微笑んだ。

 

 実は、今日のために魅力的な笑みを練習してきたのだ。

 

 偶然練習風景をミルシェに目撃された時は、恥ずかしさの余り思わず強めにどついてしまった。

 暴力聖女の噂を立てられてはたまらないので、その後ミルシェの前後の記憶を消す羽目になった。

 

 まあ、そんなことはどうでもいい。王子もきっとアリツェを意識するに違いない。

 オチてくれればこっちのものだ。

 

 しかし、呪詛王子は平然と、いや、体調不良を隠せていない声音で、

 

 

「やあ……。今日も、綺麗だね」





 と返したのだった。

 

 

(この王子、体調が悪すぎて私の魅力に気付け無いんだわ。早く呪詛を返して正気に戻さないと……)





 アリツェは私利私欲のために王子を健康にすることを心に誓った。

 

 

「こほん。では、始めるとしよう。エリアス殿下、アリツェ公女。手を取り合ってこの魔方陣の上に置いてくれるかの?」





 絶好のチャンスだ。

 アリツェは淑女にあるまじき素早さで王子の手を握り、小さな台の上に描かれた魔法陣の上に勢い余って叩きつけた。

 

「痛っ」と王子の声が聞こえた気がするが気にしない。



 今はこの呪詛を全て綺麗にしてやるのが先決だ。

 

 



(ふんっ!)





 気合を入れて、アリツェは王子にかかっていた呪詛を全て術者に返した。

 

 シュワシュワシュワ、と呪詛が徐々に薄れていく。

 消えた呪詛は跳ね返り、今度は術者を呪うだろう。

 

 これだけの呪詛を返したのだ、世界各地で今頃呪術師が苦しんでいるに違いない。

 

 想像して機嫌を良くしたアリツェは、呪詛が晴れ、顕になった王子の姿を見て絶句した。

 

 

 輝くような淡い金髪。穏やかだか意思の強そうなエメラルドグリーンの瞳。

 女神が腕に寄りをかけて形作ったとしか思えない、完璧な美貌。

 

 

(すごい美形――っていや、そうじゃなくて……。この男、勇者ジークフリートじゃない!)

 

 

 前世で自分を滅ぼした男を見間違えようが無い。

 顔だけ似ている子孫ではないかと一瞬希望を抱いたが、その眼差しを見て確信した。

 生まれ変わったジークフリートだ。本人に間違いない。

 

 アリツェは血の気が引くのを感じた。

 まだ前世ほどの力は戻っていない。今正体に気づかれれば確実に殺られてしまう。

 

 アリツェは辛うじて平静を装ってはいるが、内心パニックに陥っていた。

 

 

「ふふ、随分強引だなあ……。でも、アリツェが乗り気で嬉しいよ」



「ほっほっ。それでは儀式を始めよう」



(やばいやばいやばい殺られる殺られるどうしようどうしよう)



「エリアス・ハヴリーク。アリツェ・ヴァールカ。両者、お互いを生涯の伴侶と認め、命を共にすると誓うか?」



「誓います」



(いやでも待って今世のジークフリートは前世の記憶無さそうだし、今すぐ倒されるってことはないんじゃない?)



「アリツェ?」



(そうよ、利用すれば良いんだわ! この王子を王座につけて王妃になった後、前世の記憶を取り戻す前にタイミングを見計らって殺ってしまえばいいのよ、そうよ私ってやっぱり天才だわそうしましょう)



「アリツェ、誓約して」





 エリアスに強めに言われて漸くアリツェは我に返った。

 

 

「アリツェ、誓いますって言うんだよ」





 そうエリアスに優しい顔で諭され、アリツェは慌てて従った。

 

 

「誓います!」





 すると次の瞬間、魔法陣が淡く輝いた。

 そこから、何か強力な力が全身に流れ込んでくるのを感じる。

 

 カチッ、っという音が聞こえたような気がした。

 

 アリツェは、大事な何かを力で縛られたような感触を覚え身震いした。

 

 魔法陣から光が消えたのを確認したルジェクがにこやかに言う。

 

 

「よろしい。これで二人は結ばれた。どちらかが命を落とす時、もう片方も運命を共にするじゃろう。お互いを大事にしなさい」





 ――今何といった?

 

 

 呆然としているアリツェにエリアスが微笑みかける。

 

 

「王家の人間が婚約する時、必ずこの誓いを交わすって決まってるんだ。僕自身は勿論アリツェを信じてるけど……。まあ。でも何も問題は無いよね?」





 大アリだ、とは言える筈も無く。

 

 

「そうですわね。オホホ……」





 アリツェは笑って誤魔化した。

 

 暗殺計画が一瞬にして無に帰しただけではない。

 この、何故か見る度に馬鹿みたいに呪いをひっさげて死にかけてる王子と運命を共にすることになってしまった。

 

 

(前途多難すぎるわ!)





 アリツェは心の中で叫んだ。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 その日以降、アリツェは度々婚約者としてエリアスと行動を共にする様になった。

 そして何故こんなに呪われるかが分かった。

 完璧な王子様であるエリアスにコンプレックスを抱いてる弟王子――カミル王子が、隙あらばエリアスを暗殺しようとしているのだ。

 

 とはいえ根本的な問題はエリアス自身にあった。

 この王子様、人が好すぎる。まるで疑うことを知らない。

 

 例えばある日、アリツェとエリアスがお忍びで買い物へと出かけた時のことだ。

 

 

(もしかして、これは所謂デートなのではないかしら!?)





 アリツェはかつてないほど浮かれていた。

 アリツェ、いやヴェロニカは――悪の大魔女と呼ばれてはいたが、恋愛経験が全くと言って良いほど無かった。

 というか、周りにはほぼ魔物しかいなかった。

 

 まだ大魔女と呼ばれる前には、一人だけ保護者代わりの魔術師がいたが、それくらいだ。

 加えて前世も今世もいろんな人間から悪意を向けられてはいたが、まともに交流したことはない。

 ましてや恋愛なんて。

 

 恋愛に憧れ自体はあったので、たまに素敵な王子様が迎えに来て一緒に世界を滅ぼしてくれる妄想をしては、枕に顔を埋め奇声を上げてはいたが。

 

 

 とはいえ、わかりやすく嬉しそうにするのもなんだか恥ずかしいし、勇者相手だと思うと腹が立つ。

 アリツェは澄まし顔でエリアスとの待ち合わせ場所に赴いた。

 

 お忍びなので、変装したエリアスに気づけ無いかもしれない、と心配していたが、それは杞憂だった。

 多少髪色を変え、安っぽい服に身を包んだ所でオーラが違う。何より顔が美しすぎる。

 

 アリツェは挙動不審になりながらエリアスの元へ近づいた。

 

 穏やかな表情で遠くを見つめるエリアスは、何故かクッキーがパンパンに詰められたバスケットを片手に持っている。

 

 

「お待たせ致しました。あの、そのクッキーは……?」



「ああ、さっき通りすがりの人に貰ったんだ。一枚食べてみたけど、結構美味しいよ。ただ、なんだか舌がピリピリするからちょっと古くなっているのかもしれない。アリツェは食べない方が良いよ」





 嫌な予感がしたアリツェは、そっとバスケットに向かって毒検知の魔術をかける。

 アリツェが毒だと認識しているものに反応し、もしそれが含まれていれば対象を崩壊させるという結構物騒な魔術だが――というかアリツェは物騒な魔術以外使えない――まあ何も起きなければそれで良い。

 

 しかし、案の定バスケットの中のクッキーは突如として全て塵となった。

 

 

「見て、アリツェ。突然クッキーが崩れてしまったよ。やっぱりちょっと古くなっていたのかもしれないね」





 古くなっていたくらいで突然全て塵になる訳がないが、エリアスは暢気にそんなことを言った。

 アリツェは内心イライラした。折角のデートなのに幸先が悪すぎる。



 

(でも……まあ、さすがにもうこんなことは起きないでしょう)





 アリツェはそう思い、気を取り直してエリアスに微笑みかける。

 

 

「そうかもしれませんわね。それじゃ、行きましょう。エリアス様」



 

 

 しかし、勿論「こんなこと」はこの日だけで何度も起こったのだった。

 

 

 知らない人間から渡された食べ物を平気で食べるし、物は受け取る。

 ちょっと付いて来てくれと言われればそこに向かい、きっちり罠にはまる。

 アリツェは、何度も何度もエリアスを助けては、

 

 

「知らない人から貰った食べ物を食べてはいけません」



「知らない人から物を受け取ってはいけません」



「知らない人についていってはいけません」





 などと注意する羽目になった。

 王子なのに危機感が無いとかいう以前の問題だ。

 今まで逆になんで無事に生きてきたんだ? とアリツェは心の底から疑問に思った。

 

 あまりのエリアスの危機感の無さに不安になったアリツェは、エリアスが傷ついた際は己が身代わりになるよう、アリツェ自身に呪いをかけた。

 問題は、あまり距離が離れると効果がなくなってしまうことだ。

 

 そこでアリツェは、強引に王城で同居を始めることにした。

 正式に婚約しているので何の問題も無い。特に誰からも反対はされなかった。

 

 

 自身の身よりもエリアスの身の安全を優先し始めていることには、まだ無自覚だった。

 

 

 同居を始めた後も、アリツェはなるべくエリアスの側にいて共に行動する様に心がけた。

 目を離した隙に命を落としかねない。

 アリツェは生まれたての赤子を抱えた母親のように過保護だった。

 

 

「アリツェが積極的で嬉しいよ」





 そう言って暢気にエリアスが笑う度に、アリツェは思わず、

 

 

「違いますわ! エリアス様が危なかっしいから側にいてあげてるんです!」





 と、素直になれない乙女のような反論をする羽目になった。

 そんな二人のやり取りを、城の住人は微笑ましいものを見るような目で見る。

 

 アリツェは暢気でお人好しすぎるエリアスにも、生暖かい目で自分たちを見守る周囲にも腹を立てていた。

 

 



 ◆◆◆

 

 

 

 事の発端は、新しくエリアス付きのメイド――エリカが入ったことだった。

 表情の読めないこのメイドは、二人で居るところに現れては、

 

 

「殿下、お客様がお見えです」



「殿下、王妃様がお呼びです」



「公女様、少しお部屋でお休みになっては如何でしょうか」





 と、露骨に二人を引き離そうとしてくる。

 来客があると告げられた日は、そんな予定は無かったので追い返すよう告げた。

 先触れの無い訪問客は断る様エリアスを躾けておいた後で良かった。

 

 王妃に呼ばれていると言われた日は、その王妃は公務で遠方の都市に滞在していた。

 そのことを告げるとメイドは一瞬動きを止め、無表情のまま足早に去っていった。

 

 休むことを提案された時は普通に断った。

 

 アリツェが過保護にエリアスを守っているため、恐らくカミル王子が業を煮やしたのだろう。

 二人を引き離してエリアスに何かしらの危害を加えたいのだろうが、このメイド、とにかく色々と杜撰すぎる。

 他にも対処すべき危険は多かったので、アリツェは余りエリカのことは気にしていなかった。

 

 

 

 そんなある日のこと、アリツェは突然エリアスとの呪いのパスが切れたのを感じた。

 恐らく、呪いの範囲外に出ていってしまったのだろう。

 アリツェは焦りながら、最後にエリアスの気配がしていた方へと早足で向かった。

 

 

(勝手に遠くに行っちゃ駄目って言っておいたのに!)





 途中で顔見知りの使用人を見かけ、エリアスがどこにいるか知らないかと問う。

 メイドは首を傾げながら答えた。

 

 

「最近入ったメイド……エリカでしたっけ? その子に、大事な話があるからって、城の裏手の方に呼び出されているのを見かけましたけど」



「ありがとう! あの馬鹿!」



「え?」



「い、いえ。なんでもありませんわオホホ……。有難うございます。私もちょっと様子を見に行きますわね」





 アリツェはきょとんとしているメイドを横目に城の裏手へと急いだ。

 

 城の廊下を走りながら、アリツェはエリカよりエリアスの軽率さに腹を立てていた。

 

 知っている人でも怪しかったらついていっては駄目と教えておくべきだった。

 いや、あのエリアスに「怪しかったら」なんて判断ができるとは思えない。

 ていうかそもそもメイドに呼び出されてついていっちゃ駄目でしょ腐っても王子でしょうに。

 

 なんにせよ早く向かわなければならない。

 気持ちは急くが体が思うように動かない。そもそもアリツェは運動神経の良い方ではなかった。

 

 遂に、アリツェは脚がもつれて転んでしまった

 

 

「いたっ」





 その時だった。

 転んでしまったアリツェの頭上をナイフが掠め、勢い良く壁へと突き刺さる。

 

 

「え?」





 咄嗟にナイフが飛んできた方を振り返ると、エリカが無表情で立っていた。

 

 

「運が良いですね。外してしまいました」





 アリツェはそこで気がついた。

 狙いはエリアスではない。自分だったのか。

 

 アリツェはそう思い、そして安堵した。

 

 そうしたら話は簡単だ。とっととエリカを始末してしまえばいい。

 

 転んでしまったまま動かないアリツェを見て、エリカはアリツェが諦めたのかと思ったのかゆっくりと歩み寄ってくる。

 聖女に攻撃が出来るわけないと舐めているようだ。

 

 

(でも……どうしようかしら。あんまり派手にやると聖女じゃないのがバレそうだし……)





 前世で一番よくやってたのは魔物を召喚して戦わせる方法だが、さすがに危険すぎる。

 誰かに魔物を目撃されたら騒ぎになってしまいそうだ。

 同じ理由であまり派手な魔術も使えない。

 

 

(でも、爆発したり燃え上がったりする派手な魔術が好きだったから、地味な魔術のレパートリーあんまり無いのよねえ……)





 アリツェがエリカを始末する方法を考えていた、その時。

 

 

「アリツェ! 大丈夫か!?」





 突然、窓が割って誰かが飛び込んできた――エリアスだ。

 アリツェは、いつのまにかエリアスとの呪いのパスが復活していることに気づいた。

 エリカの殺し方を考えるのに夢中で気がついていなかった。

 

 

「王子!? 足止めしておいた筈なのに!?」





 エリカはそこで初めて表情を崩し、驚愕を顕にした。





「足止め? ああ、呼び出された先にいた賊たちのこと? 全員静かにさせるのに三分もかからなかったよ」





 エリアスはそう言いながら佩いている剣を抜いた。

 

 

「毒を盛るのも、呪いをかけるのも、暗殺者を送ってくるのも別に構わないし、好きにしたら良い。毒も呪いも僕にはあまり効果がないし、暗殺者のレベルもたかが知れてるからね。……でも、アリツェを狙うのは見過ごせない」





 普段は見せないような真剣な表情をしたエリアスは、常人離れしたスピードでエリカとの距離を詰めるとそのまま剣の腹で思い切り殴った。

 反撃も出来ないままエリカは昏倒し、崩れ落ちる。



 呆然とその光景を見ながら、アリツェは漸く思い至った。

 

 ――そうだ、このエリアスは勇者ジークフリートの生まれ変わり。

 生半可な攻撃など効く筈もない。

 なんていったって前世の自分を倒したくらいなのだ。

 

 

 エリアスはアリツェの方へ歩み寄ると、倒れていたアリツェを抱き起こしそのまま抱きすくめた。

 

 

(えっあっあっあっ)





 予想だにしてなかったエリアスの行動に、アリツェは頭が真っ白になった。

 デートすらまともにしたことがないのだ。このような触れ合いの経験などある筈もなく。

 

 エリアスはドギマギしているアリツェを落ち着かせるように耳元で囁いた。

 

 

「大丈夫かい、アリツェ。……いや、大丈夫じゃないか。すごく心拍数が上がってる」





 心拍数が上昇している原因は貴方ですけど、とは勿論言えない。

 アリツェは何か言おうとしたが、言葉が出てこず、魚のように口をパクパクさせることしか出来なかった。

 

 エリアスは言葉を続けた。

 

 

「ごめんね、怖い思いをさせて……。あのメイドは弟の紹介だったから、決定的な証拠なしに糾弾することは出来なかったんだ」





 そしてエリアスはアリツェを開放し、穏やかな顔でアリツェを見つめながらその頭を撫でた。

 エリアスの体温が離れ、アリツェは少し残念に思ったがその気持ちに努めて気づかないフリをした。

 

 エリアスは優しい口調でアリツェに語りかける。

 

 

「僕だって君をいつでも守るよ。……アリツェがいつも僕を守ってくれているようにね」

 

「……き、気づいていたの? じゃあなんでいっつもあんな無防備に危険に突っ込んでいくのよ……」





 アリツェは漸く言葉を発したが、動揺のあまり、聖女の仮面を被れていないことは気づいていなかった。





「僕の命を直接狙ってくる人間の多くは、誰かに命じられてやっているにすぎない。……命令を遂行できないと彼らが酷い目に遭うかもしれないだろう? 彼らはちゃんと役目を果たしたけど、たまたま僕には効かなかった。そういうことにして置くのがいいんだ」





 アリツェは唖然とした。いくらなんでもお人好しすぎる。

 

 

「……貴方、すごい馬鹿よ。信じられないくらい」



「そうかもね。でも、アリツェが狙われるなら話は別だ。さすがに優先順位はつけているからね。……それと」





 そういってエリアスは一層優しげに微笑んだ。

 

 

「素のアリツェの方が、素敵だよ」





 アリツェは真っ赤になった。

 そして、思わずときめいてしまった自分と、心を乱すエリアスに憤慨する。

 

 

(なによ、なによ! こんな馬鹿なんかに、私は絶対絆されないわ! 私が王妃になってこの男が用済みになったら、なんとかして始末してこの国をめちゃくちゃにしてやるんだから!)







 ◆◆◆

 

 

 

 ――アリツェ・ハヴリークは、ハヴリーク王国の中興の祖、賢王エリアスを支えた王妃である。

 聖女エレオノーラの生まれ変わりであり、彼女自身もまた聖女だとして広く知られている。

 その性情は慈愛に溢れ、虐待を受けていたにも関わらず、家族に危険が迫るとそれを察知して未然に防いだ。

 

 神聖歴1015年に正式に聖女として認定され、当時まだ王子であったエリアス王と婚約した後も、彼を危険から守り、また、その清らかな心で彼を癒やした。

 エリアス王と聖女アリツェは大変仲睦まじかったことでも知られ、当時にしては珍しく、エリアス王が側室を置くこともなかったという――

 

 

 以上、ハヴリーク王国記第三巻より抜粋。
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夫の王宮騎士さんはクズでしたのでざまぁしました。

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