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第一章
1.悪役令嬢なんて大っ嫌い
しおりを挟むこの世の中に苦手なものは、誰にでもあると思うけど。
よりにもよって真っ先に目に入るあんな場所にあるなんて、私はどうすれば良いのだろう。
「ランキングは悪役令嬢に婚約破棄ばっかじゃん! どうしてこのジャンルがいつまで経っても廃れないのよ! もっと面白い作品なんていくらでもあるでしょう!?」
湯船に浸かったままタブレットに向かって毒を吐いた私に、返ってきたのは静寂と虚しさだけだった。
私は高平景二十八歳。〝カクも美しく〟という小説投稿のWebサイトで作品を公開している、アマチュア執筆者である。
一人暮らしでOLをしている私は、いつか小説家になることを夢見てコツコツと執筆を続けてきたわけだけど、いっこうに芽が出ないまま、すでに八年が経過していた。
ちなみにラブコメや純愛を中心に執筆してきた私にも、苦手な分野があって——それが〝悪役令嬢〟と〝婚約破棄〟というジャンルだった。
現実主義な私にとって、異世界というだけでも敷居が高いのに、その上よくわからない乙女ゲーム? の舞台の話なんて、噂を聞くだけでも鳥肌が立った。
そう、私は友達の話でしか悪役令嬢の話を知らないし、読んだこともないのである。
けど、執筆サイトの上位を占めているのは、ほぼ〝悪役令嬢〟なわけで、自然と目に入るのが嫌でたまらなかった。
「テンプレだかなんだか知らないけど、どうせみんな似たような話書いているんでしょ? そんなものになんの意味があるっていうのよ」
今日も楽しく風呂場で毒を吐いていた私は、言いたいことだけ言い終えると、脱衣所でパジャマを身につける。
お風呂のあとは、やっぱりビールだけど、そこはぐっと我慢して、私は楽しい執筆作業を始めた。
いまだにプロット通りには書けない私だけど、それでもなんとかなるものよね。
————よし、今日は調子が良いし、あと二千文字くらいは書いちゃおう。
それからパソコンに向かって一時間半ほど作業を進めた私は、解放感いっぱいでベッドの上に寝転がった。
寝る前の楽しみといえば、友達とのチャットや電話だった。
「——で、南の進捗はどう?」
私が友達の里原南に意地悪な声で訊ねると、スマホ越しに盛大なため息が聞こえた。
『それがさぁ、ちっとも進まないんだよね。やっぱり一人で書くのって辛いよね』
「でも公募って評価シートとかもらえるんでしょ? いいじゃん」
大学からの友人である南も、同じように執筆活動をしているけど、彼女は私と違って雑誌のコンテストに応募するのが主だった。
が、評価シートというワードを出すと、南はさらに憂鬱な息を吐いた。
『評価シートは、私が送り付けてる公募だと、三次通過しないともらえないんだよ』
「そうなんだ?」
『だからさ、二次落ち常連のあたしは、何がダメなのかさえわからないわけ。せめて、アドバイスしてくれるハイワナビな人が近くにいればいいんだけど……』
友人はまたもや深刻そうなため息を落とす。
そんなに評価が大事なのだろうか? ずっとネットで活動している私にはわからない感覚である。
南がそんなに困っているのなら、助けてあげたいけど、私もそれほど戦績があるわけでもないし……。
————って、そうだ!
「だったらさ、こういうのはどう?」
『何が?』
「あんたも〝カクも美しく〟に投稿してみなよ」
『え? でもネットに投稿しても評価シートもらえるわけじゃないでしょ?』
「でもさ、レベルの高い人もたくさんいるし、そういう人たちにアドバイスしてもらえばいいんじゃない? 〝カクも美しく〟ではわりと交流だってあるし」
『うーん……でも私、人見知りだし、よくわからないし』
「大丈夫、私がついてるから、なんでも教えてあげるよ」
『だったら……気晴らしってことで、やってみようかな?』
「うんうん、おいでよ」
その時の私は、同じようにネット投稿する友達がほしくて、軽い気持ちで誘ったわけだけど——それがまさかあんなことになるなんて思いもよらなかった。
————二日後。
友達の南が〝カクも美しく〟に投稿を始めたと聞いて、私はさっそくタブレットを開いて確認した。
けど、そこで見たのは、私にとってはありえない現実だった。
「確か、本名で書いてるって言ってたけど……サトハラミナミはどこだ……あ、見つけた——って、ええ!?」
友達の名前を見つけるのは簡単だった。だが、そこで見たのは、とんでもない評価の数の〝悪役令嬢〟作品だった。
〝カクも美しく〟では、面白い作品には評価ボタンを押すようになっているのだが、評価の数によってランキングが決まるのである。
投稿を始めたばかりにも拘らず一位に迫る勢いの南の作品を見て、私は思わずスマホを手に取る。
「ちょっと! どうなってるのよ南!」
『あ、景。ちょうど電話しようと思ってたところだよ』
「あの鬼のような評価数は何? いったい、何をやったの?」
『何を投稿していいのかわからなくて、とりあえず〝悪役令嬢〟が流行ってるから、それっぽいものを書いてみたんだ』
「よりにもよって〝悪役令嬢〟……」
『ちなみに話の内容は——』
「ごめん、ちょっと気分悪くなってきたから切るわ」
『え? 大丈夫——』
さよならも告げずに通話を切った私は、思わず机の前で脱力する。
今まで彼氏も作らず家と会社の往復しかしないで頑張ってきた私は、こんな形で友達に追い抜かれるなんて、思うはずもなかった。
私も決して評価がゼロだったわけではないし、八年間頑張ってきた甲斐もあって評価を入れてくれる読者もそれなりにはいた。
けど、一日二日で友達に追い抜かれるなんて、そんなことってある?
悔しい……けど、この悔しさをぶつけられる先なんてないし。南が悪いわけじゃない……んだけど、やっぱり悔しかった。
それから私は、気づくとふらふらとした足取りで自宅を出ていた。
四月にしては外は肌寒くて、薄いコートで出たことを後悔するけど——とりあえず私は、酒が飲める場所を探して、繁華街に赴くことにした。
こういう時、自分の励まし方を知らない私は、酒の力に頼るしかなかった。
————いつも話を聞いてくれるマスターがいるお店はどこだったかな?
私は優しい老齢のマスターが手放しに褒めてくれるバーを探した。しばらく執筆が乗りに乗っていたから行ってなかったけど、きっとあのマスターなら私のことを覚えていてくれてるよね?
なんて、全くの赤の他人に褒めてもらおうと必死になってバーを探したもの、せっかく見つけたバーには、閉店の札がかかっていた。
「嘘でしょ……先月まではあったのに」
仕方なく私は、コンビニで酒をいくつか買って帰ることにした。褒めてくれる人がいないなら、自分で自分を褒めてあげようと思う。なんたって、今日は〝カクも美しく〟に登録した記念日なんだから。
私はまだ大丈夫だと自分に言い聞かせながら繁華街を抜けようと道路を渡った。
その時だった。
やけにうるさいエンジン音が遠くから迫っていた。
私は咄嗟に道の端へと移動する。
するとシルバーのセダン車が、繁華街のあちこちに突っ込みながら走ってくる。
「なんなの? あの車——」
そう思って、店の軒先に入った私の目に、煌々と光らせたフロントライトが飛び込んでくる。
しかも走行車前照灯で目が眩む中、車は猛スピードで蛇行しながら、私の目の前に突っ込んできて——。
————ガシャンと、ガラスが爆ぜる音がする。
「——な……に……なんなの?」
軒下に突っ込んできた車の下敷きになった私は、自分の運命を嘆く暇もなく意識を落とした。
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