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第二章
22.聖女の日記
しおりを挟む私は周りを一瞥した後、近くにあったランプを持って階段をゆっくりと降りてみる。
そしたら、ギギギ——という音とともに、入り口は閉じてしまった。一瞬、焦る私だけど、出入り口が封鎖されたと同時に、地下に点々と灯りが灯った。
ますます好奇心が刺激された私は、そのまま階下へと進んでいった。
その後たどり着いたのは、ジンテール王子の私室よりも広い書庫だった。
見渡す限り本で埋め尽くされたその部屋の中心にはやはり執務机があって——こんなところでも仕事するのかよ! と、思わず心の中でつっこんでしまった。
「どこもかしこも本ばっかりね。魔法の本でもあるのかしら?」
書棚の本を手に取ってみると予想は当たって、何やら呪文が書かれており、私には読めない本ばかりだった。
きっと魔法の本は普通の文字ではないに違いない。ケイラの知識では書庫の本を読むことができなかった。
————けど。
「これ……なんだろう。豪華な本よね……」
私は書棚で見つけた赤い装丁の本を手に取ると、そっと中を開いてみる。
すると、中は可愛らしい文字で綴られていた。どうやら、誰かの日記のようだった。
「やだ、なにこれ! もしかして恋バナ?」
私は偶然見つけた日記にざっと目を通す。
どうやらそれを書いたのは女性らしい。夢見がちな言葉で、とある青年との逢瀬を楽しむ様が記録されていた。
思わず私は、その日記を興奮気味に目で追っていた。
『……今日は彼に会うために綺麗な服を着たいところだけど、聖女の私は白い装束しか持ってないし……せめて髪を編んでみようかしら? あの人と会うのが待ち遠しいわ。世話係たちに見つからないようにそっと部屋を出て、夜まで——なんて! 聖女が良くないかしら? でもきっとこの気持ちも神様から授かったものだし、少しくらいいいわよね?』
そこまで読んで私は「なるほど」と呟く。
どうやらこの日記を書いた主は聖女らしい。
なんというか、メラニンと違って慎ましい聖女よね。
その後も、恋心に揺さぶられたりしていたみたいだけど、日記の聖女は逢瀬の相手とは手すら繋がなかったようだった。
本当はファーストキスに憧れていたらしいけど、聖女であることを恐れて、相手の男性も手が出せなかったとか。そんな話を読んでいると、なんだかもどかしい気持ちでいっぱいになった。
「聖女メラニンとは大違いね。あの人は簒奪だのなんだの言ってたけど、この聖女様の可愛らしいこと!」
私はすっかり日記の恋の行方が気になってしまい、その後もジンテール王子のことすら忘れて日記を読み耽っていた。
けど——。
「ふんふん、触れてくれないもどかしさね。わかるわぁ——わかんないけど」
「何がわからないんだ?」
「げ、ジンテール殿下っ」
気づくとすぐ傍に、ジンテール王子が腕を組んで立っていた。その顔は怒っているようには見えなかったけど、私は思わず息をのんだ。
「ご、ごめんなさいっ! 勝手に読むつもりはなかったの。ちょっとのはずが、二十ページくらい読んじゃったわ」
「お前にはその文字が読めるのか?」
「え? どういうこと? フツーに読めるけど?」
「その書物には呪いがかけられている。書いた本人にしか読めないはずだが?」
「そうなの? でもただの恋バナ日記だったわよ」
「……何年も研究していた書物が、恋バナ……?」
「これを何年も研究していたの? 中身、教えてあげようか?」
「もういい、その書物に価値がないことはわかった」
「じゃあさ、これ貰っていい? この日記の続きが気になるのよ」
「欲しければくれてやる。魔道に関係のない書物には興味がないからな」
「やった! ありがとう、ジンテール殿下」
私が嬉しさのあまり破顔すると、ジンテール王子は一瞬、呆けたような顔をする。恋バナを見て喜ぶなんて、呆れられたのだろうか?
それからジンテール王子は私の髪に触れながら、何かを考え込むそぶりを見せた。
行動と表情があってないんだけど!
ふつう、女性の髪を触るなら、もっと甘い雰囲気を出すものだと思うけど——彼の場合、なぜか眉間を寄せて厳しい顔をしていた。
「そういえば! 勝手にこの部屋に入ってごめんなさい」
「何がだ?」
「だって、隠し部屋なんでしょう?」
「本当に隠したい部屋なら、もっと厳重な結界を張る」
「そうなの? でも地下だし」
「この部屋は書物の保管に最適な温度を保っている。それだけの話だ」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、もう眠いし、私は帰るわ」
「お前は、何しに来たんだ?」
————その日、私はまた夢を見た。
寝落ちするまで日記を読み込んでいたせいか、私は日記の持ち主である——聖女アコリーヌという人物になっていた。
そしてとある人に会うために神殿を抜けて森の中を駆けていた。待ち合わせ場所は森の奥深くの、川の手前。
幼さが残る笑顔は、夢のように輝いて見えて、会った瞬間に目を奪われた。
『アコリーヌ様』
誰よりも甘い声で囁いたその王子様のような風貌の彼は——。
どうみてもグクイエ王子だった。
***
「ちょっと! 早く走りなさいよ! 追い抜かれちゃうじゃない!」
「……」
翌日、予定通り競馬場に来た私は、紳士淑女でごった返す観客席から、馬車のレースを見守っていた。だけど、レースに熱くなる私と違って、ジンテール王子は静かなものだった。おそらくレースそのものに興味が持てないのだろう。
なら、どうして私を連れてきたりしたんだろう……なんて思いながら、ジンテール王子の横顔を見ていると、彼は私の視線に気づいて、口を開いた。
「どうした?」
「ちっとも楽しそうじゃないわね。せっかく変装までして来たのに」
「予想よりは興味深い。交配を重ねることで早い馬を生み出すのは神の意思に背いた荒技だがな」
「あなたが神様を出すなんて——」
私が言いかけた時、競走馬車たちの決着がついたと同時に、大きな歓声があがった。年齢制限で馬券は買ってないけど、なんとなく楽しさはわかったような気がした。賞金が欲しいというよりかは、純粋に競争を楽しんでいるのね。この世界の人たちは。
レースを純粋に楽しむ雰囲気はどちらかというと体育祭のようだった。
といっても、私は学生時代、陰キャだったから体育祭とかあまり好きじゃなかったんだけどね。
そんな感じで馬車競争を存分に楽しんだ私は、帰ろうと身を翻すけど——そこでふと、誰かに肩を叩かれた。
「あの」
声をかけてきたのは、金髪のとんでもない色男だった。ジンテール王子ほど筋肉質ではないにせよ、細身で筋肉質なその人は、私にハンカチを差し出した。
「落としましたよ?」
「へ? ——あ、ほんとだ。すみません」
私がハンカチを受け取ろうとした瞬間、それをジンテール王子が掠め取った。
いきなりなんなのよ。
「連れのハンカチをありがとうございます」
珍しく笑顔で対応するジンテール王子を見て、私は冷や汗をかいた。だって、普段はこんな風に笑う人じゃないし。
それに周囲の反応もおかしかった。
イケメンが私を取り合っているように見えるのか、少しだけ人だかりができていた。
そんな状況にもちょっと焦る中、色男さんは、笑顔を崩さずに私に向かって告げる。まるでジンテール王子なんて眼中にないように——。
「いえ、当然のことをしたまでです。またお会いしましょう、聖女のお姫様」
そう言って、去っていった背中は、兵士のようにキビキビとした動きをしていた。
色男の背中を見ながら、なんとなくポカンと口を開けていると——そんな私の耳を、ジンテール王子が引っ張る。
「おい」
「いたっ! なに!?」
「目が覚めたか?」
「へ?」
「浮気する気か?」
「まさか、妬いてくれるの?」
「どうだろうな」
ジンテール王子はそう言って、背中を向けて歩き始める。
私はそんなジンテール王子を慌てて追いかけると、少しだけ不貞腐れた彼の手を握った。
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